CHAPTER 1 : LIVING TOGETHER 2


リビングの大きなソファに横たわって好きな小説家達の短編が載った雑誌を読みふける。
細工ガラスのテーブルの上にはワイン。BGMにかけたCDはお気に入りのジャズを奏でている。
これ以上ない位に自分好みの時間の過ごし方――なのに、金子の顔はちっともリラックスしてい
なかった。

『遅い』

金子は怪訝そうな目つきで時計を見上げた。
怪訝そうなのは何も時計の針の指し示す位置を疑っている訳ではない。それは、ある男の帰宅が
非常識なまでに遅いという理由からだった。
時計は既に夜中の12時半を回っている。
自分の行動において12時半はさほど遅くないが、あの男の場合は別。これは非常識といっていい
範疇だった。

ところで、ある男というのは勿論、土田のことだ。
土田はコンパも飲み会も好きではないようだが、付き合いの悪い男という訳ではない。特に今日
は剣道場の同年代・年配の仲間と飲みに行く、ということをもう数日前から聞いていたので、金子
は快く土田を送り出してやった。
――が、金子の機嫌が良かったのは時計の時間でいうと大体11時半頃までだった。

段々とソワソワして、やがてイライラしてくる。
そうでなくとも普段土田は夜遊びなどしない。バイトで遅くなることはあってもせいぜい11時過
ぎで、少なくとも11時半頃には帰ってくる。だから今まで夜中に1人で居たことはないのだ。
――いや、正確にはそれは少し違う。土田がこの家に来てからまだ2週間余り。
それより前は1人暮らしだったのだから、こんな状態は当たり前だった。だけど、一度同居人が出
来れば話は別だ。もう1人は当たり前ではなく、むしろ土田が居るのが当然になっていた。

――俺は土田の女か?それとも土田は俺の子供なのか?全く、これ位のことで落ち着きをなくし
てどうする?

自身に向かって疑問を投げつけてみるが、基本的に自分の気持ちを無視できない性格の為か、自
分を諌めようとしても大抵成功しない。

――でもイライラするんだから仕方ない。

冷静さを取り戻す為の自分への問いはあっけなく一蹴され、思考は益々ドツボに嵌まって行った。

ワインはともかく、基本的にはあいつはザルだ。酔っ払って前後不覚になっているということはな
いだろう。だが、いくら本人がしっかりしていても、周りが違っていればあいつだって巻き込まれ
ざるを得ない。

もしかして剣道の先輩とかに性質の悪いヤツが居て、土田はそれに絡まれてるんじゃないか。
それとも表情をあまり変えない土田のことを、周りが酔わせて乱れさせようとしてんじゃないか。
居酒屋で逆ナンされて帰るに帰れなくなってるんじゃないか。しかも案外と土田もまんざらじゃな
かったり……?!

金子の頭の中でぐるぐると嫌な可能性が浮かんでは消えていく。単純に場が盛り上がって楽しい
から帰ってこない、という一番有りそうな状況は不幸にも浮かんでこなかった。

――せめて電話してこいよ!携帯メールでもいいからしろよ!もう夜中の1時近いんじゃ……!

再び金子は険のある目つきで時計を見やるが、未だ12時40分。先程から10分しか経っていないら
しい。金子は舌打ちした。

――非常識だろう、土田!お前はいつからそんな不良になったんだ!!!(???)

単に自分が寂しいだけだとは絶対に認めたくない金子は、土田を心の中で責めることで気を紛ら
していた。



やがて時計は1時を回った。

先程までの罵倒はどこへやら、金子はこの時間ともなると段々テンションを下げていた。
いや、下げ過ぎていた。

――土田はこの家に帰りたくないんだろうか……?いや、まさか。俺は何もあいつの嫌がるよう
なことはしていない……はずだ。いや、そうだ。俺は悪くない。思い当たることは何もないのだか
ら。――じゃあ他に何がある?もしかして、それ以前の問題でそもそも俺と一緒に住みたくなかっ
たとか?まさか土田はここに帰るのが嫌で自棄酒してるとか……?

先程よりさらに嫌な可能性が頭に浮かんできて、金子がクッションに顔を突っ伏したその時――

カタ……

くぐもった聴覚の彼方に小さな物音を聞いて、金子はガバッと頭を上げた。

ガチャ……

鍵を開ける音だ。
思わず立ち上がって玄関に走り出しそうになる気持ちをグッと抑えると、金子は上半身だけ起こ
した。

――誰が出迎えになんて行くか!今日は説教だ。

紙のように真っ白だった金子の顔に急に赤みが差した。



「……まだ起きて……たのか」

静かに玄関を閉めて中に入ってきた土田は、リビングのソファに座る金子に気づいて少し驚いた
ようだった。

『ああ。別にお前を待ってた訳じゃない』
「そうか」
『――それより、着替える前に話が……』

金子はこれから説教するぞ、という意気込みを機嫌の悪そうな眉間の辺りで表現しながら土田を
見上げ、そうして――少しいつもとは違うその様子に気が付いた。

『つちだ……?』
「……すまん、少し……酔っている」
『……へ?』
「一次会は居酒屋だったんだが……二次会で行った店がワインしかなくて……断りきれなかった」
『ワイン?バカ、お前ワインは……』
「……ああ」
土田は金子の隣りに来て座ると、背中をドサッと背もたれに預けて目を閉じた。

『おい、ここで寝るな!まったく……大丈夫か?気分でも悪いのか?』
先程までの意気込みはどこへやら、自分のすぐ隣りに身を沈めた男が珍しく少々頬の辺りを赤く
して無防備な姿を晒すものだから、金子は心配になって顔を覗き込んだ。
「……」
土田がうっすらと目を開けると、その眼はどこかトロンとしている。その少し潤んだ瞳にじっと見
つめてられて、金子の心臓は大きく脈打った。
『つ……つちだ。そうだ、水――』
金子が視線を逸らして立ち上がろうとすると、腕をぐいと掴まれた。そして続きの言葉を発する前
に、目まぐるしく視界が変わり、何やら頬の辺りに何かがチクチクとささってきた。

――え?

いつの間にか金子は土田の腕の中にすっぽりと納まっていた。チクチクしたのは、抱き締められて
土田の髪の毛が頬に当たったからだった。

――え?え?

状況がよく飲み込めない内に僅かに体を離されると、唇に生温かい感触がした。

――……こ……これって……

大きな温かい手が自分の後頭部を包み込んだかと思うと、口が押し開かれて中に熱いものが侵
入してきた。

――っ?!?!

金子は動揺した。動揺どころか、血液という血液が血管の中で全力疾走し始めたかのように全身
がかぁっと熱くなり、身動き1つ出来なくなってしまった。
何しろ、これまで一度だって土田から金子に対して行動を起こしたことはない。いつだって金子
がその気の無さそうな土田を誘うのが、お決まりのパターンだったのだ。
それにいくら酒に酔っているとは言え、今日の土田は催淫剤も飲んでいない。さっきの言葉を聞
いても、土田にはちゃんと意識があったし、土田らしさ(?)もあったのだ。
だから金子は混乱した。
しかしそんな混乱などお構い無しに、土田のキスはより深くなっていく。いつもの土田と違ってそ
れは早急で、しかもやたらと熱かった。

『っ……ん……ぅ……っ!』

金子の顔の赤みが増す。自分の鼓動が耳の鼓膜で耳鳴りのように響いてきて、痛い位だった。も
うどうしたらいいのか分からなくて、力強く抱き締められ、後頭部まで押さえられているものだか
ら身動きも取れなくて、ただ土田の熱を受け止めることで金子はいっぱいいっぱいになっていた。
そして身体が完全に腑抜けになってしまった頃、あっさりと土田に押し倒された。

――まずい……まずいだろう、これは!

頭の中の、未だ冷静な部分が状況を客観的に判断し始める。
いくら大きめとはいえソファの上は窮屈で動き辛いし、しかもまたもや明かりは点きっ放し。ここ
でタイミングを逃したら後がないという非常時はともかく、このシチュエーションは好ましくない。
特に消灯は切実な問題だ。これじゃあ、恥ずかし過ぎる。

だから、金子は土田の唇が離れた所で焦って叫んだ。

『ま、待てっ!ここじゃ駄目だ!せめてベッ……ぅ……ん、んっ……!』

だがその必死の声は再び唇を塞がれて、あっさりと封印された。

人の話を無視するな!何をしているんだ、お前は?!こんなに遅く帰ってきて、一言の連絡もし
てこないで、散々人をイライラさせておいて、それなのに詫びの言葉もなくいきなりこれか?!
この酔っ払い!ボケ!
せめて寝室に行け!ソファの上は嫌だ!明かりが点きっ放しなのはさらに嫌だ!

抗議する気持ちは十二分に残っていた。脳裏には抗議の言葉もぎっしり浮かんでいた。
だが、肝心の口は塞がっていたし、舌も絡め取られていた。
そこへ土田の何時もに増して熱を帯びた手が、シャツの裾から入り込んで直接肌を撫で上げてく
る。悪寒にも似た、ぞくっとした感覚が躯の中を駆け上がった。

予定では土田の腕を払いのけようとしていたのだが、実際には土田のシャツの袖をぎゅっと掴ん
でいた。

「かねこ……」

漸く金子の唇を解放した土田の低い声が耳元で呟いて、耳朶に、そして耳の下から首筋にかけて
口付けていく――トドメ、だった。

『つち……だ……』

口も舌も解放されたが、もう抗議の言葉は湧き上がる熱にかき消されてしまっていた。





シャワーを浴びた土田はさっぱりとした顔をしてバスルームを出てきた。

運動の後のシャワーは気持ちがいい、と思ったかどうかは定かじゃないが、どうやら本当に運動と
その後のシャワーで悪酔の元が発散されたようだった。
そうして、自分がシャワーを浴びに行く時には惚けてしまって動けなかった男が、ようやく起き上
がってソファに座っている。一応は服を着なおしていたが、どちらかというと扇情的に乱れたまま、
といった方が近い。

「金子……シャワーを浴びるなら――」

とそこまで言いかけて、土田は押し黙る。姿格好は妙に色っぽかったが、顔はまるで阿修羅像の如
く……と言ったら本人は益々怒り心頭になるだろうが、実際金子は眉をキッと上げて、睨みつける
ように土田を見上げていた。

『おい、それよりも俺に言う事があるだろうっ?!』
「……」

土田は考えた。

「少々悪酔したようだ。すまなかった」
『他には?!』
「帰りが遅くなった」
『で?!』
「……連絡はした方が良かったか?」
『それは当たり前だっ。でも他にあるだろう、土田?!』
「……他……もしかして、俺はさっき乱暴だったか……?」
『そんなことはいいっ』

金子の最後の答えは土田の言葉の語尾にかぶる位早かった。
金子にとって情熱的な土田というのは貴重な体験だったし、更に感想を言えば、正直悪いどころ
かかなり好かった。だからそこのところに全く不満はないのだが、そんな金子の男ごころ(?)が
土田に通じるはずもなく。

「……まだ他にあるのか……」
『分からないのか?!』
土田の唇はピクリとも動かなかった。

『ああ……全く、お前ってホントにデリカシーがないと言うか何と言うか……だ・か・ら、だな、お前
は俺の言葉を無視しただろうっ!』
「無視……?何の言葉を?」
『お前に圧し掛かられた時、俺がお前にそれを言おうとしたら、お前は無視どころか遮ったじゃな
いか!』
「……何か重要な言葉だったのか?」
『ああ、重要だった!むしろお前と寝る時の大原則だ!』
「……そんなものがあったのか」
『ああ、あったさ!』
「で?それは何だ」
『……』
「金子?」
『……だから……こんな状況ではだな……』
「こんな状況?」
『だから、見れば分かるだろうっ』
「……俺が酔っ払っていたからか」
『いや、それじゃなくて……』
「……先にシャワーを浴びるべきだったか」
『いや……まあ、それはその方がいいけど、今はそれでもなくて……』
「……悪いが、俺はあまりそういうことには勘が働かない。だから、出来ればきちんと言ってくれ
ると助かる……」
『……ああ、もうっ、だから明かりだ、明かり!何で消さないんだ?!お前はいいかもしれないが
俺の立場からすると……あ、いや、そんなことはどうでもいい!とにかく!俺がベッドにしろと言
おうとしたら、お前はこともあろうか遮ったんだっ!ソファの上で、しかも明かりが煌々と点いて
いるなんて、最低だ!』
「……」

――明かりを消せ?ソファの上は最低?
俺が2度目にこの家に来た時、その状態で人の上に馬乗りになってきたのはどこの誰だったか。

その言われように土田は納得がいかなかったが、自分の思いを言葉で伝えることは、やはりり出
来なかった。

『何だ、文句があるか?!』
「いや……分かった」
『分かればいい。絶対だからな!』
「ああ。それよりも、さっきは悪かった。酒に酔って押し倒すなど……俺もどうかしていた」
『あ?……まあ、正直驚いたが……別に……』
「いや……お前の誕生日にあったのはこういうことだったのだな。同じ酒でも俺にとってワイン
は鬼門らしい。……とにかく俺はお前に誓おう。ワインはこの先2度と飲まない」
『……や、最初のとは全然違うだろう。それに、別に俺は気にしていないが……』
「え……?」
『外で飲んだら危険だろうけど、家で飲む分には、まあ構わないんじゃないか?』
「しかし……飲んだら俺はまた今日のようなことをしかねないだろう」
『やった場所はともかく、そのことは別にいい……』
「……いいって……」
『だから、何度も言わせるな!』
「ああ……だけど……」
『もう、勝手に悩んでろ!俺はシャワー浴びてくるからなっ』


――やっぱり理解できない男だな、あいつは……。

土田は少し首を捻った。
ソファがどうだの明かりがどうだのという細かいことには目くじらをたてて怒っていたのに、悪酔
して押し倒したこと自体はスルーらしい。

ところで、金子の誕生日の時の出来事はともかく、今回は土田にはちゃんと意識はあった。確かに
少し悪酔していて、いつもよりは多少大胆な気分になっていたかもしれない。だが、別人格になっ
ている訳でも、意識が飛んでいた訳でもない。その辺の違いを土田は自覚していた。

――何というか……間近に金子の顔を見たら、無意識にあいつの腕を引っ張ってしまったな……。
いや、無意識……だろうか。もしかしたら、そうしたいという想いが心のどこかにあって、それがワ
インのせいで強く出ただけなのかもしれない。
あいつは外で飲んだら危険だと言ったけれど、別にワインを飲んだら誰でも襲いたくなる訳では
ない。というか、それ程重症であれば、普段の飲酒自体を考え直さなければいけないだろう。
もし先程隣りにいたのが別の人間だったら、俺は恐らくそのまま目を閉じて眠り込んでいたに違
いない。だから、あいつの心配は少し的外れだと思う。

土田はそうとはっきりではなくても、何となく自分の心境の変化を感じ取っていた。
でもそれは決定打という程の自覚ではないために口には出さなかった。

金子の片思いの堂々巡りはまだまだ続きそうな気配だった。




TO THE CHAPTER 1 : LIVING TOGETHER 〜追憶―昭和の記憶



一切ノ無断転写・転載ヲ禁ズ
Copyright(c) Hydri and its licensors. All rights reserved since 2005.

inserted by FC2 system