CHAPTER 1 : HEARTS GONE APART 1


ある日のこと――

剣道場で一汗も二汗もかいた土田が家に戻ると、そこに金子はいなかった。朝方、特に外出で遅
くなるようなことも言っていなかったから、じきに戻るだろう。土田は別に気にもせず、暗い部屋
の明かりを点け、カーテンを閉めた。

何はともあれ、とシャワーを浴びた後、先程テーブルの上に置いた郵便物を何気なくチェックする。
自分宛のものはまずない。引越して未だ間もないし、新しい住所は実家にしか知らせてないから
当然と言えば当然だ。
案の定、今日も全て金子宛だった。内訳はダイレクトメールやクレジットカード会社からの利用明
細の類が2〜3通。それから――

1通の葉書が混じっていた。ダイレクトメールではない。宛名は手書きで、丁寧な丸文字で綴られて
いる。土田は何気なく裏を見た。

HAPPY BIRTHDAY, MITSUNOBU(はぁと)

――おや?あいつから、誕生日だと言われて自分がこの家に来たのは、随分前のことなのに。
だが、その疑問はすぐに消えた。
正確にいうと、そのお祝いの言葉の後のメッセージに土田の意識は飛んだ。

いつまでもかっこいい貴方でいてね(はぁと×3)

キラキラと装飾された葉書――こういうのはカードというべきだろう――に書かれたキレイで読
みやすい丸文字。そして沢山のハート・マーク。

土田は暫くそれを見つめていた。

――金子には……付き合っている女がいたのか?

ふと、そう思った。
自分達は別に付き合っている訳ではない。いや、行動の面だけを取り上げてみれば普通の恋人同
士と大差ないかもしれないが、自分達に限っては恋人同士とは言えないだろう。
何故なら、自分も金子に好きだなどと言ったことはないし、金子からもそんな言葉は聞いたことが
ないからだ。
そう考えてみれば、金子に女がいても不思議は無い。元々金子には女はとっかえひっかえ、とい
う噂もあったことだし。実際、大学でもモテているようだった。

第一どう考えても、

土田=男=同居人
ラブラブなカードの差出人=女=彼女

という図式が、世間一般的に自然だ。

土田=男=恋人
ラブラブなカードの差出人=女=単なる知り合い

という図式の方がおかしい。というか、客観的にみても変だ。
金子は自分に何も言ってこない。確かに一緒に住もうと誘われた。だけれど、それも利便性を考え
てのことだと言われれば、確かにそうとも思える。自分が掃除と食事をすれば、金子は確かに助
かる部分もあるだろう。増えるであろう光熱費も、金子本人は払っていないというのだから、同居
によって金子が損をする訳ではない。そういう意味で、あの男が単に便利さを追求した結果が同
居であったとしても、おかしくはないのだ。
それに、自分は今でも週に3日はアルバイトをしている。当然、アルバイトの日は帰りが遅い。
だから、そういう日に金子が彼女と会っていたとしても、自分は気づかない――

土田はカードを再び見つめた。

俺は――気にしているのか……?

土田は自分の心の動きをよく掴めずにいた。だけれど、少なくとも何かしら心に引っかかるものが
ある、という自覚はあった。
その時――玄関のドアを開錠する音がした。



『土田?帰っているのか?』
「――ああ」
玄関の方から金子の声がしたから、ダイニングテーブルの横に突っ立ったまま、一言答える。

『嫌になる程寒いな、今日は。剣道の稽古には行ってきたんだろう?』

金子はリビング兼ダイニングの部屋に入ってくるなり、にこやかに話しかけてくる。持ち物をテー
ブルの上に置いてコートを脱ぐその横顔は、何故かいつもより少し機嫌がいい。

「ああ。――どうした」
『え?何が』
「いや……何か、いい事があったのか」
『ああ、いや、別に大したことじゃないんだがな、今日本屋に行ったら、欲しいと思ってた本が偶然
見つかったんだ。なかなか手に入らない本でね……そう簡単には見つからないだろうと諦めて
いたんだが、つい今しがた、よく行く本屋に立ち寄ったら、そこに1冊だけ置いてあるじゃないか。
いや、びっくりだ。気まぐれで入荷されたとしか思えないな』

未だ興奮冷めやらぬ状態なのだろう。金子は笑顔でテーブルに乗せた紙袋を指し示す。
そんな嬉しそうな金子の顔を見れば、つい微笑ましく思う自分がいる。だが、手にしたままの葉書
の存在を思い出して、次の瞬間にはその気持ちも消えた。
今の状態では、この穏やかな空気さえ、却って虚しく思えてしまう。

『ところで、何だ?そのカード。お前にしては随分と可愛いものを持っている』
金子が、自分が手に持っていたカードに気づいて不思議そうな顔をする。
俺は黙ってそれを金子に差し出した。
そのカードを見た金子の表情は、一瞬凍りついたように見えた――



カードを見た瞬間、金子の鼓動は、急に速くなったような気がした。いや、実際鼓笛隊の小太鼓並
みにバクバクしていた。

――げっ……バースデーカード?!遅っ!俺の誕生日は先週だ!いや、そんなことより、土田、見
たよな、これ。見ちゃったんだよな?!ああ……最低だ。何だってこんなもの送ってくるのか、あ
いつは!!!いや、そんな事よりも、どうする。どうやってこれを乗り切る?!

金子はチラリと土田の顔を見上げる。嫌な予感は当たっている、と思った。
元々土田は強面な方だが、それでも僅かな表情の変化はある。そして今は――明らかに気分が
マイナス方向の顔だ。

――よりによってこいつが先に帰ってきた時にこんな物が届くなんて!とにかく、何でもいいから
誤魔化すんだ!

『な、何だ、バースデーカードか?全く、まいるな。月命日とでも間違えてるんじゃないのか?俺の
誕生日は毎月ある訳じゃないというのに』
そういって、笑った。かなり、空回り気味かもしれないが、とりあえず笑ってみた。

「――そんな勘違いをする奴はいないだろう」

土田の低い声が無情にも響いてくる。勿論、奴は全く笑っていない。
駄目だ、こいつは誤魔化される気はさらさらない――金子は瞬時に悟った。

土田を誕生日だからと家に誘ったのは、今から一月半も前だ。
そう――誕生パーティ。パーティという名目も嘘だが、そもそも誕生日自体も、実は嘘だった。
あの時は、別にそれでいいと思っていた。こんな関係になるとは想定していなかったし、とにかく
どんな口実でも構わないから土田を家に誘いたかっただけだ。
誕生日が本当かどうかなど関係ない。必要なのはこいつを家に呼ぶきっかけだけ――そう思っ
ていた。だが、事態は思わぬ方向へ転がった。この男にこんな気持ちを抱くなど思いもしなかった
が、実際には見ての通り、だ。
現在の状況の全ては、あの日――誕生パーティと称して土田を呼んだあの時から始まった。だが、
記念すべきあの週末は、何のことはない。全て、まがい物だ。パーティも嘘。誕生日も嘘。
おまけに催淫剤――土田に嘘の欲望を呼び起こした代物さえ揃ってる。
来年の誕生日辺りなら冗談交じりにバラすことも可能かもしれないが、今は未だ早すぎる。自分
達の関係は、決して磐石ではない。むしろかなり脆いものだ。だからこそ、自分の誕生日の嘘が今
バレるのはまずい。
万が一にも、あの日がそんな嘘だらけのものだったと土田が知ったら、土田はどう思うだろうか?
自分の信用はガタ落ちだ。今までの苦労は全てパーだ。下手すると、今あるこの関係すら危うい。
それだけは、絶対に避けなければ!



「――何か、言いたいことはあるか」
土田は、金子の顔を見つめながらさらに問いかけてみた。
金子は明らかにこのカードを見て、表情を変えた。つまり、動揺するだけの事実がこのカードには
ある、ということだ。
やはり、このカードの差出人の女性は金子にとって、特別な関係なのか――土田は胸の辺りに重
いものが圧し掛かってくるような、変な息苦しさを感じた。
――何故、息苦しくなる?
どうにも分からない。だが、1つだけ分かることがある。
それはこの息苦しさの原因がこのカードに――このカードの差出人と金子との関係にあるという
ことだ。



『な……言いたい事?……俺が、何を、だ。つちだ。何もない。全く、何もないに決まっている!』
――落ち着け!落ち着いて対処するんだ!
金子は自分自身に言い聞かせた。だが、そう簡単に落ち着きは取り戻せない。
何しろ、土田の困惑ならば知っているが、土田の怒りは初めてだ。金子はここに至って完全に確信
を持った。
明らかに土田は、怒っている。自分を、疑っている。
土田は普段、問い詰めるようなことはしない。無論、土田にそれだけの弁才がないということも関
係しているのだろうが、そもそもこの男はおおらかな性格だ。細部に拘るようなことではない。だ
から普段はといえば、話せる時に話してくれればいい、というスタンスなのだ。
だが、今回は違う。
考えてみればそれもそうだろう。1ヵ月半も遅れたバースデーカードなんて、引っ越し先不明でカー
ド自体が彷徨いでもしない限り、普通有り得ない。そうでなくとも、土田を呼んだあの日は他に誰1
人来なかった。それは勿論誰も呼んでいないからだが、土田にしてみれば、あの時点で少々不信
に思っていたに違いない。だが、あの時はこの男は黙っていた。それは疑問自体が消えた訳でな
く、単なる気遣いだろう。
――それなのに、今更追討ちだ。土田が疑うのも無理もない。
どういうことなんだ?お前は嘘ばっかりか?などと問い詰められてみろ。完全に俺は窮地に立た
されてしまう。催淫剤という弱みがまだあるだけに、下手にうろたえてバレたら、一巻の終りだ。
何か、何か策を考えなければ!ここを乗り切る手立てを……!



「金子……」
――やはり、金子は簡単に口を割りそうにない。
それだけ、隠しておきたいのだろう――彼女の存在を。
隠すということは罪悪感もあるということだ。ないのであれば、らしくもなくうろたえている――
まさか金子も上手に自分が隠せているとは思っていないだろう――というのに、いつまでも誤魔
化すような男ではないだろうと思った。
だが――自分にしてみれば、そんなにも頑なに隠す態度を見れば見るほど、気分が重くなる。
いや、むしろ、何とか白状させたいとさえ思う。確かに、彼女が居たという事実は気分のいいもの
ではない。だが、こんな風に嘘をつかれる位ならば、隠し事をされる位ならば、まだ正直に話して
くれる方がいい。
――何故嘘をつく?何故隠す?俺には正直に話してはくれないのか?



「本当……か?俺に、隠していることはないのか?」
『か……隠してることだって?何をだ?俺が?何のためにだ、土田?』
「…………」
『…………』
「――やましくは、ないのか?」
『!』

――ま、まさか……バレてるのか?!いや、そんな訳はない!このカードからは俺の本当の誕生
日までは確認しえない。といって、他のルートから正確な情報をつかんでいるとも思えない。ただ、
こいつは変な所で勘がいいから、疑っているだけなのだ。そうだ。ここで白状しては負けだ。
ここさえ乗り切れば、この男はきっと黙ってくれるに違いない!

金子はここに来て、思い切って方向転換することにした。
とにかく、黙らせればいいのだ。残る方法としては、もう1つしかない――

金子はすすっと土田に体を寄せた。
両腕を無駄な贅肉1つないその腰に回し、下半身をぴったりと密着させると、今にもくっつきそう
な程、土田の耳朶に唇を近づけて、囁く。

「隠しことなんてないが……やましいことならば、したくないか……?」

何もお色気作戦は女ばかりの専売特許じゃない。金子には、自信があった。

――絶対にこれで、誤魔化してみせる。

金子は囁くと、そのまま、舐めて濡らした唇で耳朶に口付けた。
よもやそれが悪夢?の始まりになろうとは、この時はまだ、予想だにしていなかった――





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