CHAPTER 1 : HEARTS GONE APART 3


柔らかな日差しが窓から差し込む昼下がり。

『土田、コーヒー』

金子は、当然、と言わんばかりの口調で一言命令した。

彼はベッドに、まるで美術学校のモデルでもやっているのかと思うような格好で横たわっていた。
腰の辺りからふわりとかけられた、上品な若葉色をした毛布。その毛布の表面には、優雅に伸ばさ
れた足の形が、くっきりと波を打つように現れている。上半身には触り心地のよい薄い水色のシャ
ツを羽織り、首から鎖骨の辺りにかけてのラインは白く、そしてなだらかだ。
少しだけ起こした身体は、ややうつ伏せ気味に側面を下にしていて、身体を起こすためについた
肘の下から脇の辺りにはフワフワした羽毛の枕やクッションを重ねて、肘の負担を軽減している。

その姿は本人の容貌も相まって、一男子学生というよりも、まるで官能的なフランス映画の女優の
ようだ。
だが、何も金子は好き好んでこんな格好をしているのではなかった――





『う……っ……』

この日の早朝――
昨晩の濃すぎる情事のせいで、まるで一晩中マラソンでもしていたかのような疲労感が未だ身
体には残っていた。
にも関わらず、金子は目を覚ました。その小さなうめき声が、彼の目覚めが最悪だったことを証明
している。実際、金子は自然に目が覚めた訳ではなかった。眠りの中で寝返りをうとうとして、そう
して正体不明の衝撃で起きてしまったのだ。
目覚めた金子は、一瞬自分の身に何が起こったのか分からなかった。
目を覚ました理由が――え?何だって?

『!つっ……』

寝惚けていて起きた理由をイマイチ理解していない金子は、再度寝返りにチャレンジしようとし
て――撃沈した。

――痛い!腰もケツも、それどころか喉まで痛すぎる!!

腰はまるで、筋肉痛の身体に鞭打ってさらに重労働したような、重い痛みを訴えている。お尻にい
たっては、表現するのもおぞましいが、まるで切れぢ……いや、失礼。鋭利な痛み、とでも言って
おこうか。そんな痛みが疼いていた。丁度初めて土田と抱き合った日の翌日もこんな痛みだった
が、勿論それで感傷に浸れる程おめでたくはない。喉に到っては信じられない位ガラガラで、扁桃
腺が腫れてるんじゃないかと思った。
昨日眠りにつく時は、確かに疲労困憊はしていたが、ここまで痛くはなかった。それなのに、目を覚
ましたら良くなっているどころか、どこもかしこも悪化していた。

金子は、あまりの痛さに目が潤んだ。いや、痛みのせいだけではない。このみっともない状況に腹
が立っていたのだ。
美意識と自尊心にかけては誰にも負けないと自負する自分が、今、寝返り1つ自力でうてずに金縛
りにでもあったような中途半端な状態で固まっている。しかも痛いのが腰や尻、という辺りが尚許
せない。この恥ずかしすぎる状況に、怒りが沸々と湧いてきた。
そうして、金子の怒りの沸点をさらに高めているのが、隣りの男の存在だ。元はと言えば、この男
のせいで自分はこんな目に遭っているというのに、こちらは痛みで目も覚ます程だというのに、
その元凶は素知らぬ顔で平和な寝息をたてていやがるのだ。

金子は恨みと怒りに満ち満ちた目で隣りの男をキッと睨みつけると、傍にあった枕をその顔に向
かって投げつけた。

『!あ……つっ……!!』

だが、痛みを感じたのは、顔に枕を投げつけられた隣りの男ではなく、勢いつけて投げようとして、
つい痛む腰に力が入った金子の方だった。

だが、枕の衝撃と、金子の叫び声で漸く男は目を覚ました。

「?????……金子……か?」

目を開けるとそこは真っ暗。顔全体を暑苦しく覆う枕をどかした土田が、これまた一体何が起こっ
たのか分からず、天井を見、それから隣りに居る金子を見た。

『金子か……じゃないっ……っ……』

土田を怒鳴りつけたい、いや出来ることなら殴ってやりたい位なのに、腰が痛くて腹に力が入らな
い。力を入れようとするとお尻にまで響いてくる。おまけに喉が痛いから大声も上げられない。
怒れない欲求不満で、金子は自分の神経がプチンと切れるのではないかと思った。

「ど……どうした、一体……具合が悪いのか?」

土田は金子の異常事態に驚いた。薄暗さに目が慣れて金子の姿がよく見えてくると、それは何と
も無様……いや、気の毒な状態だった。
金子は中途半端に横を向いたまま、腕で何とか身体を支えて横たわってる。肌蹴た寝間着も整え
られていないし、顔は何だか奇妙に引きつっていた。

『……お前のせいだ……全部お前が悪い……』

金子のか細く搾り出された声は、恨みがましいどころか、呪いまでこめられていそうだった。

「……すまん、状況が読めないんだが……」
『そうか……読めないか……己の罪深さが分からないというんだな……』

金子は腕の力でよろよろとしながらも、何とか背中を上に向けると、両肘で身体を支えた。

「金子……俺は……」

土田の戸惑う声。だが、その声を金子は遮った。

『土田、湿布を持ってこい……』
「……分かった」

当然、土田に選択の余地はない。そのことを分かっているのか、土田はすぐにベッドを降りると部
屋を出た――





金子が今朝の忌々しい状況を思い返している内に、コーヒーカップを持った土田が戻ってきた。
土田は淹れたての熱いコーヒーをサイドテーブルに置くと、こちらの様子を窺うように見ている。

「――後で生姜湯を作るから、飲め。多少は喉の痛みに効くだろう」
『ああ』

こういう時、土田という男は最適だ。献身的だし、お婆ちゃんの知恵袋的知識も(何故か)豊富だ。
しかも、厭味たっぷりに引き止めたせいだろうが、それはともかく土田は今日、大学を休んで金子
の世話をしていた。金子の腰に湿布を貼り、あまり刺激を与えないようにとぬるくしたお粥を用意
し、それに――これは相当に恥ずかしかったが、トイレに行く時には、抱きかかえられもした。もし
看病するのが女なら、こうはいかないだろう。かいがいしさと力自慢を同時に発揮して看病でき
る所が、まあ男のいいところか――


「湿布を貼っても、まだ痛むか」
『――当たり前だ』

土田は無言で俺の背後に回ると、腰の辺りをさすってきた。

『!だ、誰もそんなことをしろとは言ってない……!』
「だが、辛いのだろう?」
『そうだけど、でもなあっ……』

腰の辺りが急に暖かくなって、金子は言葉を詰まらせた。
そういえば、昨日も自分が一方的に煽られている時、土田は背中をさすってきた。大きくて無骨な
手のはずなのに、何故かやたらと優しい。暖かくて、ホッとする何か……

――……て、待て。ここは、感動すべきところじゃないだろう。昨日だって、背中をさするもう一方
の手で俺を一方的に達かせたじゃないか。第一、元はと言えばこの腰痛は土田のせいなんだから、
これ位当然のことだ。

暖かくても優しくても、それは当たり前なのだ――





『――土田』
「なんだ」
早朝よりは大分発喉が楽になった金子が声をかけると、土田は腰をさする手を止めることなく、短
い返事をした。

『――言わなくても分かっているとは思うが、あんなのは2度となしだからな。お前にも言い分は
あるだろうが、これじゃあお互い、愚かすぎる』

土田の手が止まる。俺が顔だけ僅かに動かしてチラリと後方を確認してみると、土田は少々俯い
ていた。

「……すまない」
土田の低い声はいつもよりさらに沈んでいるようだった。

『きっかけだとか状況だとかはともかく、1人でトイレにも行けないような有様など、冗談にもなら
ないぞ』
「……本当に悪かったと思っている」
『……。大体お前は限度というものが分からないのか。あそこまでやる必要があるか?え?土田』
「……そうだな」
『何もあんなにくどくどねちねちとだな……』
「……ああ」

――何か変だ。
金子はすぐに土田の異変に気がついていた。

どこか違う空気を感じて、自分の方こそ敢えてくどくどと言ってみたが、土田の反応はひたすら
反省ばかり。背後からの雰囲気だけで、土田の落ち込んでいる様が分かる。まるで、全ての非は自
分にあると思っているかのようだ。

――いくらなんでも落ち込みすぎじゃないか?お前の言い分はどうした?

確かに昨日のあれはやり過ぎだが、土田にはそうするだけの理由があったはずだ。俺が嘘をつ
いている、隠しごとをしている、ということを土田は気にしていた。そこに俺が誘いをかけたもの
だから、結果的にあんな風にやりすぎる羽目になった――昨日のことの顛末は大体の想像がつ
いていた。
それに、自分でいうのも何だが、原因を問わずに結果だけを責めるのはフェアじゃない。それを自
分は今敢えてしているというのに、土田は反論どころか黙り込むことさえせず、一方的に謝って
ばかりだ。土田の疑念は何1つ解決していないし、俺は未だ何1つ土田に答えてないのに、だ。
それを考えると土田の変わり様はおかしい。昨日あれほどまでに拘り、自分を白状させることに固
執していたのは誰だったか。
そう突き詰めていけば、そもそも昨日の土田の拘り具合も疑問だ。何もあそこまで固執する程の
ことなのかと思う。
誕生日など、土田がそこまで気にするだろうかと考えると、どうも違和感を感じる。

――もしかして、根本的に何か違うんじゃないか?

金子はふと思った。そもそも、自分達は同じ方向を向いていたんだろうか、と。

『――なあ、土田。お前にしては、随分と拘っていたみたいだな』

金子はハッパをかけてみた。もしかしたら誕生日詐称の件はバラさざるを得ないことになるかも
しれないが、そうなったとしても、土田が何をそれ程までに拘っているのか、知りたくなったのだ。

「……」
『俺の普段の生活態度にも殆ど口出ししないお前が、一体どうした?』
「……」

土田の無言が、何より自分の指摘の方向性の正しさを物語っている。どうやら土田には、その自覚
があるようだ。

『黙っていないで、何か言ったらどうだ。お前は昨日、俺に対して怒っていたんだろう?』
「怒っていた訳ではない……否、怒っていた、のかもしれない。……葉書の差出人を見てから、俺
はどうかして……」
『ちょ、ちょっと待て』
「?」
『葉書の――何だって?』
「――葉書の……差出人、と言った。女性なのだろう、関わりのある」
土田は少々躊躇いがちに答える。

金子は一瞬呆気に取られた。一体何の話をしているのかと思った。カードの差出人が誰だったか
さえ、思い出すのに苦労した位だ。
何しろ、高等部で”多少関わりのあった”だけの女だ。今は単なる知人でしかないし、そもそも大学
進学とともに疎遠になりがちで、もう1年以上会ってもいない。だからこそ、誕生日すら1週間もズ
レて祝ってなどくるのだ。
そんな存在の何が、どう土田の感情をあそこまで乱したというのか。

『……ぷ……』
金子はしばし考え、そして、思わず吹き出した。

「……?」
『く……あはははは……!』
金子は、らしくもなくあけすけな笑い声を上げた。

「おい……」
土田は困惑していたけれど、金子は笑いが止まらなかった。

自分は誕生日の日にちのズレのことだとばかり思っていた。だって、それこそが土田の知る範囲
において矛盾した点だったのだから。それは無論、多少なりとも自分は嘘をついているという罪
悪感ゆえの思い込みでもあった訳だが、それはともかく、あのバースデーカードにおいて、誕生日
以外のことなど全く意識していなかった。
それなのに、土田はと言えば、逆に誕生日のことなど何も気にも留めていなかったのだ。自分が
誕生パーティーと称してここに呼んだ時から月日はかなり経っているというのに、そんなことな
どどうでもいい。それよりも、差出人なんかに目がいっていたのだ。差出人の女などに。

「……そんなに笑うな」

金子はチラリと土田の表情を窺って、一度は何とか笑いを飲み込んだ。だが、完全に止めることは
不可能だった。

金子は土田を馬鹿にしているつもりは全くなかった。お互いがお互いに対して大きな勘違いをし
ていたことを考えると、馬鹿馬鹿しくて笑いたくもなるのだが、それを言うなら土田だけでなく、
自分も間が抜けていた。土田が誕生日などに拘るはずもないのに、何故そうだと思い込んだのだ
ろうと思うと、全く抜けていたとしか言い様がない。
だが、土田は違う。土田が見ていたのは、差出人の女だ。
もし本当に土田がそのことを気にしていたのなら、そんな土田を馬鹿に出来る訳もない。

自分の思い違いでなければ、土田のそれは、嫉妬だ。

今にして思えばはっきりと分かるその感情――この男とこんな関係になる前に自分は、何度もそ
んな思いをした。
土田が自分の見たこともない笑顔を他の友人に向けている時、俺の横を素通りして、他の奴に話
しかける時――俺は素知らぬ顔をしながらも、その様子を何故か妙に苦々しい思いで見ていた。
どうしてこんな思いをするのか、何故この男にだけこんな気持ちを抱くのか、あの頃の自分にはよ
く分からなかった。そして、分からないことにイライラした。
だから、その気持ちを持て余して、この男にちょっかいを出さずにいられなかった。
それを土田が喜ぶはずもなく――むしろ自分の悩みの種は増えるばかりだというのに。

「金子……」
『はあ……いや、悪い。別にお前のことを笑ったんじゃない……んだけどな。くっくっ……』

それでも土田の顔を見ると、金子は笑みが漏れてしまう。
あれほどまでに人をやきもきさせてきた男が、今、あんなバースデーカードの差出人如きに拘って
昨日のような無茶をしたのかと思うと、身体はあちこち痛いというのに、悪い気がしない。自分が
散々抱えてきた思いを、土田もまた抱えたのだと思うと、漸く自分は土田と同じ所に立てたのだ
と感慨すら感じてしまうのだ――

『ああ……笑い疲れて、喉が渇いたな。土田、身体を起こしたい』
「ああ」

金子は期待を込めた目で土田を見上げると、土田の方に優雅に腕を差し出した。
土田はその腕をとると、金子の身体を横から抱きかかえるようにして少し起こした。そうして、腰
とお尻の痛みを考慮して完全に座らせることはせず、その中途半端な状態を片腕で支えながら、
いくつものクッションを腰の下に敷く。
だが、充分なクッションが積み重なる前に、金子は土田の首に両腕を回した。

「金子?」
『――全く、呆れる。お前はいつも言葉が足らな過ぎだ』
「……すまん」
『昨日は、お前があんまりムキになるものだから、つい俺まで必要のない意地を張ってしまったじゃ
ないか』
「……そうか」
『お前ならば、バースデーカードが欲しいか?』
「……え?」
『自分が大切に思う奴から、誕生日に何をして欲しいかと聞かれて、お前はカードを送って欲しい
と答えるか?』
「……いや」
『気が合うな。俺もだ』
「金子……」
『カードなどより、会いたいと言うだろうな』
「……。すまん、俺は……」

金子は土田の言葉を遮って、その口を唇でふさいだ。

バースデーカードに何の意味があるだろう?俺ならば、そんなものより直接会いに来てくれる方
が遥かに嬉しい。
そして――嘘の誕生日の日にも、本当の誕生日の日にも、この男は俺の傍に居た。だから、鈍感な
土田でもきっと自分の言いたいことは伝わっただろう。
何しろ誕生日だと嘘をついたあの日、俺はこの男を誘ったのだから――

土田が俺の背中を優しくさすってきたのは、きっと、ささやかな謝罪の印。


――不器用だけど優しいはずのこの男にとっても、土田の考えなど読めるはずだと高をくくって
いた俺にとっても、今回のことは全くお粗末極まりないことではあったけれど、まあ誕生日の嘘も
バレなかったのだし、良しとするか……

土田を許そうと思った本当の理由が、土田の嫉妬にあったのだとは金子も分かっていたが、それ
は何だか居心地が悪いので心の奥底に押し込めておいた。
だけれど、その辺りが何やらぽかぽかと温かくなるのを感じて、金子は土田の唇に触れながら密
かに笑みを漏らすのだった――





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