CHAPTER 1 : RUN & TUMBLE IN DECEMBER 1


決して心待ちにしていた訳ではなかった。
確かに長期休暇はいつだって大歓迎だが、今は冬休みの話ではない。具体的に言うと、冬休み中
のことではあるが、それをあからさまに言ってしまうと、まるで待ちに待っていたかのようだから、
敢えて言わない。
だけれど、そうはいっても多少は期待していた。いや、どちらかというと当然だと思っていたのだ。
ほんの少し前に、”土田の嫉妬”なんて思いもかけない出来事に出くわしたものだから、自分は少
し浮かれていたのかもしれない――



『え、土田?出かけるのか?』

先程まで一緒にゆったりと昼食をとっていたはずの男が、人がベランダでのんびり一服している
間に、服の着替えを済ませていた。

「ああ。バイトだ」
『バイト?……夜までか?』
「いつも通りだ」
『……そうか』
「金子?」
『ああ、いや。そうだ、そういえば俺も買物があった。――じゃあな』

俺は、土田を見送った。
思わず引きつりそうになった顔の上に、”笑顔”という薄っぺらな仮面を貼り付けて。

バタンとドアの閉まる音。遠ざかっていく土田の足音。
そして剥がれた仮面の後に残ったのは、一瞬何をしたらいいのかわからなくなった自分――


今日は、どんなに冷めた奴だって意識せざるを得ない日なのに。まして好きな相手がいれば、どん
なに忙しくても都合をつけたくなる位特別な日なのに。

今日は12月24日。世間でいうところの、クリスマス・イブだ。



金子は、普段あまり見ないTVをぼうっと眺めていた。何をしたらいいのか分からなくなって、とり
あえず出た行動だ。
咄嗟に口からついて出た”買物”にホントに出ようかとも思ったが、こんな日に出かけた所で、どこ
もかしこもカップルだらけなのは目に見えている。元々何の予定も入っていなかったのならば別
にどうということもないが、期待して、そうしてあっさりと裏切られた身としては、そんな光景は少
々神経に障る。だがTVを見ていても、ニュースは明るいイブの街の雰囲気やら、ここがオススメの
夜景ポイント!というような浮かれたものばかりが目に付いて、金子は静かにTVを消した。

別にクリスマスプレゼントなんて要らなかった。特別にどこかへ出かけることなど、期待した訳でも
なかった。
だけれど――せめて今日が何の日か位は覚えていると思っていた。少なくとも、バイトなんかに
は出かけないだろうと。

その目論見は見事に外れた。土田はまるで馬鹿の1つ覚えのように、決められたローテーション通
りのバイトに出かけてしまった。帰ってくるのは夜の11時を過ぎるだろう。いや、年末は忙しいの
か、最近は夜中の12時頃に帰ってくることもあったから、今日中には帰ってこないかもしれない。

イブなのに……クリスマス・イブなのに。

金子は、もしかして自分は不幸なんじゃないかと思った。
誕生日詐称をした自業自得とはいえ、12月10日の自分の誕生日には、おめでとうの一言すら土田
からもらえなかった。そうして24日の今日は、イブだというのに1人、ぽつんと部屋に置いて行か
れた。

――厄年か?12月の俺の運勢は最悪なのか?!

こんな時、同じ男の身が悲しい。置いて行かれても、甘える自分も我侭を言う自分も、自尊心が許
さない。正直なところ寂しい気持ちは誤魔化しようもないが、それを素直に土田にぶつけようと
いう気にはなれない。第一、そんなみっともない自分の姿など、考えただけでもぞっとする。
そんな金子にとっての最後の手段――それは、自分も忘れることだった。

――ああ、そうだ。イブなんて、日本人の俺には関係ないじゃないか。俺は仏教徒ではないが、と
いってクリスチャンでもない。大体、イブをカップルの為のスペシャルイベントだなんて決めたのは、
一体どこの誰だと言うんだ?本当のメインイベントは本来25日のクリスマスのはず。イブなんて、
クリスマス前日という意味合いしかないではないか。
そう、イブなんて所詮その程度の日なのだ。俺はそんな似非イベントなんかに乗せられない!俺
は本物志向なんだ!イブだのバレンタインだのといった、そんなご都合主義の胡散臭いイベント
に俺を乗せようなんて、100年、いや軽く1世紀は早いんだ……!

金子が己に言い聞かせれば言い聞かせる程、傍から見ると、いかに彼がこのイベントを心待ちにし
ていたかが分かるようだった――





一方の土田は、いつも通りアルバイトに励んでいた。アルバイト先までの道のりも、そして仕事中も、
世間が浮わついた空気に包まれていることにはさすがの土田も気づいていた。
だが、そんなものは自分には関わりがないと思っていた。
何故なら、恐らく何らかの理由があって楽しそうなのだろう、例えば新しい商業施設がオープンし
たとか――という程度の認識だったからだ。そう、この男、世間の期待を裏切らず、そして金子の
期待は裏切り続ける、”ハイカラな世事”にはとんと疎い奴だった。

――そういえば、出る前、金子は何か言いたそうだったな。

土田はあまりひと気のない工事中の道路で歩道者を誘導しながら、ふと出掛けの金子の様子を
思い出していた。
どうも鈍いらしい、とは自他共に認めるところだが、何故か金子の顔色の変化には特別な勘が働
くようで――その理由までは読めなくとも、何かあったとか、いつもと違うとか、そういうことに
は気づくのだ。

――どうかしたんだろうか?

その答えは金子に聞くまでもなく町中に溢れかえっていたが、土田の目には”いつもより浮かれ
た風景”としか見えていないようだった――





――つまらない……

その日の夜、1人ワインを飲みながら借りてきた映画のDVDを観終えた金子は、ソファにふて寝しそ
うになっていた。
そうでなくとも元々ふて腐れていたというのに、借りてきた映画がさらに追討ちをかけるように
つまらない。そんなだから、未だ時間は11時過ぎだというのに、お酒の勢いも手伝ってすっかり眠
くなっていた。どうせ土田など待っていたところで、12時過ぎに何事もなかったような顔で帰って
きて、1時前にはベッドに入って速攻爆睡、というお決まりのパターンに違いない。それでは起きて
いても、却って気分が悪いだけだ。いっそ、もうシャワーを浴びて眠ってしまおうかと、金子は考
え始めていた。

――全く、馬鹿馬鹿しい。ほんっとうに下らない。何だって俺がこんな気分にならなきゃいけない
んだ!

金子は盛大な溜息をつくと、ソファから立ち上がった。
――と同時に、ガラスのテーブルが音を立てた。ドキッとして見下ろすと、マナーモードのままの携
帯が、テーブルの上で小刻みに震えてその着信を知らせている。携帯を拾い上げて、ディスプレイ
を見た金子は――一瞬目を疑った。

『――どうしたんだ、一体』
「すまない。取り込み中ではなかったか」
『ああ、いや。――で、どうした。バイトじゃなかったのか?』
「アルバイトはもう上がった。ところで――出て来れないか」
『……。何かあったのか』
「何か、という程のことではないが……」
『今じゃなきゃダメなのか?』
「ああ、いや……気が進まないのなら、別に構わん」
『どっちなんだ、一体。――で?場所はどこだって?』

金子は大袈裟な溜息をつきながらも、結局応える。
それは心のどこかで淡い期待があったから。場所を聞いて、もしや、と思えたから――



金子が教えられた場所に行くと、土田は、寒空の中、1本の外灯の下に立っていた。
その外灯は、等間隔に設置されている他の外灯と何ら変わりない、ややぼうっとした光を発して
いるだけだというのに、その下に土田が立っているというだけで、何故か他のものとは違って見
える。
その他が現実だとすれば、そこだけは、絵画か幻想の世界のようだ。
均整の抜群に取れた体躯に、黒いロングコートを羽織って佇む土田の姿は、声をかけてその均衡
を破ってしまうのが勿体無いと思える程だった。
だが、躊躇して立ち止まるまでもなく、土田の方が金子の姿を見つけて、軽く手を上げた。


『全く、ここは一段と冷える。ところで、土田。まさかこの寒空の下ずっとこんな所に立っていた訳
ではないだろうな?』
金子は一瞬でも見とれてしまった自分を誤魔化すかのように、土田の傍まで歩いてくるなり喋り
出した。

「いや、喫茶店でコーヒーを一杯飲んでから来た」
『そうか。まあ、当然だな。電話の時から、もう40〜50分は経っている。――全く、呼び出すのなら
そうと、予め言っておけよ。ワインなんか飲んでいたものだから、車で来れなかったじゃないか』
「すまん」
『全くだ』

何故だろう。土田と会うことも、話すことも、それは既に日常のものとなっているのに、外で待ち
合わせるなどこれまでなかったからなのか――金子は必要以上に口数が多くなっている自分に
気づく。

「――見せたいものがあった」
『ああ。電話でもそう言っていたな。何なんだ、一体?』

金子は敢えて聞いてみる。レインボーブリッジの見える、こんなベイエリアで見るべきものといえ
ば、十中八九それが何なのか、想像がつく。そうと分かっていて、敢えて言わない。土田の口から
言葉を聞きたいばっかりに――

「――こっちだ」

土田は歩き出す。だから金子は黙ってその後をついて行った。
目線を少し下にずらして見つけたのは、いつもより随分と白く見える土田の手。後ろを歩きながら、
何となくその手に触ってみた。

『何だ、随分と冷たいじゃないか。お前らしくもない。やっぱり、あの場所で長く立っていたんじゃ
ないのか?』
「ああ――いや、大した事はない」

自分の手よりずっと冷たい土田の手。
きっとバイトが終わって間もない時間に電話をしてきて、一旦コーヒーショップに入ったものの、
万が一にも俺を待たせては悪いと思い、早々に出てきたのだろう。そうして、こんな東京湾沿い
の、冷たい風の吹く夜空の下で何十分も立っていたに違いない。ただ、俺にここからの景色を見
せる為に。

金子は、何となくその触れてしまった冷たい手を、離せなくなった。振り切っては、過剰に意識して
いるかのようで、却ってみっともない。だから、そのまま軽く握ってみた。
悪くない。悪くはないのだが――かなり恥ずかしい。だから、土田との間の距離と縮めて、あまり
目立たないようにした。
土田はただ、黙っていた。


『――こんな場所、誰から聞いた?』
「……アルバイト先でだ。今日はこの近くの裏道の工事現場に居た」
『ふうん。――じゃあ、今日が何の日かも、そいつに聞いたんだな』
「――ああ、そう……あ、いや……」

土田が少しうろたえる。
きっとバイト先で言われたに違いない。今日が何の日か忘れていたなどと、気づいてもいなかっ
たなどとは、彼女――俺は彼女じゃないが――に言わない方がいいと。だが、生憎その助言者は
土田の性格をまだよく分かっていないようだ。土田に嘘などつける訳がないというのに。

「すまん」
『謝ってどうする。俺だってイブなんて大して気にしてない。所詮、巷のカップル達のための小市
民的イベントじゃないか』

本当は、嬉しい。

「そうか……」
『あ、いや、だからって別に、ここに呼ばれたことをどうこう言っている訳じゃなくてだな……』

例え人から今日という日のことを聞いたのだとしても、それで土田が思い出したのが自分だった
のだという事実が嬉しい。他の誰かを思いつくことはなかったとしても、特にいない、という答え
も有り得たのだから。そう思えば、こうして一緒に歩いているだけでも、大進歩だ。だけど、だから
といって、「嬉しい。ありがとう」なんて言える訳がない。例え人から捻くれていると言われようと
も、出来ないものは出来ないのだ――

「金子――きっと、この辺りだ」

土田が立ち止まると、ふっと柔らかい笑みをして、目線を遠くへ移す。だから俺も同じ方向を向い
た。



対岸に見える色とりどりのネオン。ライトアップされた大きな橋は、まるで天と地を繋ぐ架け橋のよ
うに暗い影を落とした夜空と地上の間を跨ぎ、地上でキラキラと瞬く光は、闇と同化した海面に
映ってゆらゆらと揺れている。
冬の澄んだ空気の中で、前景には目映いばかりのイルミネーション。そして傍らには優しい目をし
た土田――


『……ああ、そうだな』

金子はそう一言呟くと、後ろを振り向く。

『ああ……あのベンチで一服しよう』

そう言って、1人で後ろに下がってベンチに座る。自分のことを見つめる土田の顔は見なかった。
やがて、土田は無言のまま歩いてくると、自分の隣りに座る。俺が煙草を取り出して火をつける間
も、土田は黙っていた。

「――すまん」
『え?何故謝る?』
「考えてみたら、東京で生まれ育ったお前には、見慣れた景色だったな」
『……』
「わざわざ呼び出して、悪かった」

そうじゃない。全然そういうことじゃない。確かにこの辺りには何度か来ている。初めて見た感動
など、有りはしない。だが、見飽きてるとかそういう話ではないのだ。
例えそれが見知った景色だったとしても、いや、それどころかちっとも眺めが良くなかったとして
も、こんな時に大事なのは風景じゃない。そういう景色を一緒に見たいという気持ちなのであり、
見せてあげたいと思う相手への好意こそが問題なのだ。

そういう意味で、土田の謝罪は正しくない。自分は景色についてどうこう言う気などないし、見慣
れているからといってすぐにベンチに座った訳でもないのだから。
こんな風に呼び出されて、自分は浮き立つような気持ちでここに来たのだ。景色のいい所がある
と人から聞いて、自分を思い出してくれたことが、何より嬉しかった。
だから、土田は間違っている。
照れくさくて、居心地が悪くて、だからつい意地を張って素っ気無い態度をとってしまう程に自分
は今、幸せなのだから――


『土田』
「ああ」
『もう少しこちらに来い』
「は?」
『いいから』

土田は何事かとその表情で訴えながらも、大人しく自分のすぐ傍まで腰を移動させた。金子はそ
の様子をしり目に、冷静に煙草を消して灰皿に捨て、そうして土田の首に腕を回して、素早く唇を
奪った。咄嗟の事に驚いたのか、土田の身体が一瞬後ろに引きそうになったが、腕に力を込めて阻
止した。

「待て……っおい……か……っ」

土田は唇が僅かに解放される度に言葉で抗議しようとしたが、といってそれ以上の拒否はしてこ
ない。だから、その案外と柔らかい唇に何度も吸い付いては舌先で舐めた。外気で冷えていた互
いの唇が、段々と熱を取り戻していく。開きかけた土田の口膣に舌を滑り込ませたら、土田の舌が
意外と素直に絡んできた。

土田は、ちゃんと自分に応えてくれる。ただ一方的に俺が求めるのではなくて。それが、土田と自
分の関係にもあてはまるのではないかと思えて、嬉しくなる。
正直なところ、土田が自分のことをどれだけ想っているのかは分からない。少なくとも、自分が想
う程には、土田は自分のことを想ってはいないだろう。誘いをかけるのはいつだって自分の方だ
し――ワインで悪酔した時と、バースデーカードのあの日は別として――、一緒に住む時だって、
経済面の利点を挙げられて、不承不承土田は引っ越してきたのだ。だけれど、それを責める気は
ない。人の気持ちはそう簡単には変わらない。だから、それは仕方のないことだと思う。
でも、だからといってそんな状況に満足している訳ではない。そして、気にしていない訳でもない。
だから、土田の気持ちが少しは自分の方に向いているんじゃないかと思える出来事があると、少
し安心する。些細なことでも、それだけで嬉しいのだ――


「おい、こんな所で……」

俺が口付けを首筋の方に落としていくと、土田の困惑する声が頭上で聞こえる。

『”こんな所”に呼び出したのはお前じゃないか。その気にさせるような場所に連れて来たくせに』
「それとこれとは話が……っ……!おい、止めろ……っ」

キスまでは比較的冷静だった土田が、服の上から下腹部に触れられた途端、俺の腕を掴んだ。

『その意見は却下する』
「何故だ?!」
『止められないから』
「止める気がないだけだろうっ」
『――言うじゃないか、土田。でも、それじゃあダメだな。説得力がない』
「ダメとは何だっ」
『止める気がないのも、止められないのも、大枠では同義だ』
「は??!」
『どちらも制御不能――つまり理性のブレーキがバカになってるってことだ。まあ、ケチるな。減る
ものじゃないんだから』
「?!」

土田はさらに抗議を続けようと口を開いたが、つづく言葉はなかった。恐らく、何と反論したらい
いのか分からなくなったのだろう。だから再びその口を、唇で塞いだ。

――いいじゃないか、ケチらなくても。俺には、少し位お前からもらう権利がある。だって、お前は
いつも俺の欲しい言葉をくれないのだから。これ位はいいだろう?

そう心の中で思いながらより深い口付けを求めてみれば、それだけで胸の辺りが熱くなって――
これ位で満たされてしまう自分は、案外安い男なのかもしれないと思った。





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