CHAPTER 1 : BITTER AND SWEET 2


――全く、あいつは!

金子は内心で力強く罵倒した。外は雪が積もっていて相当に寒いというのに、思い出すとまた、じ
わじわと頬の辺りに熱が宿る。

”お前はキレイだなと――”

土田の失礼極まりない発言のせいで、あの後まともにあの男の顔を見れなかった。そうして、妙な
居心地の悪さを感じて、急いで肉まんの残りを頬張ると、すぐさま一服しに外へ出たのだ。


――誰に言っているんだ、土田!俺は男だぞっ?!キレイだなどと言われて、有難うと答えなが
ら頬でも染めろっていうのかっ?!女じゃあるまいし!

大体、あの男は鈍いにも程がある。いや、鈍いを通り越して、あいつの言語感覚はちょっと特殊な
んじゃないかとさえ勘ぐりたくなる。キレイなどという言葉は男に対して褒め言葉でも何でもない
と、普通は気づきそうなものだ。
仮に単なる感想だったとしても、それは不適切ではないか……と、ここまで考えて、ふと気づく。

感想ということでは、土田が自分をそう見ている、ということになるではないか、と。

目眩がしそうになった。

――あのな……土田……キレイって……

いや、頭ではその言葉の意味は分かっていた。当然だ。今時小学生、いや、ませた幼稚園児だって
理解できる言葉だ。だが、今の論点はそこではない。確かに、自分は幼少の頃から可愛いだの品
があるだのと言われて育ってきた。勿論そこには、大人社会独特の社交辞令も含まれていただろ
う。父親にそれなりの社会的地位があれば、尚更だ。だが、裏の真意はともかく、自分はそういう
環境に慣れていた。そういう意味で、褒め言葉も好意的な言葉も、軽くあしらう器用さは既に身に
着けていた。

でもそれは、一般的な免疫だ。幅広く万人に対する免疫であり、一種社交辞令に対する礼儀的な
返礼も含めての、慣れだ。だが、土田のそれは、社交辞令ではない。そんなことの出来る男ではな
い。
だからこそ、土田の言葉には何か必要以上の響きと重さを持って、自分の心の奥底まで否応なく
染み込んでくるのだが……それが、よりによって「キレイ」だ。

あいつのあんな言葉に深い意味などないと分かっているはずなのに、動揺してしまう自分が恨め
しい。殊、土田に関わると、冷静でいられなくなる自分が腹立たしくなる。
あんな言葉、如何様にも取れるというのに。

――ああ、全く……!

未だ頬を熱くしながらも、金子はムッとして顔を上げた。そうして、寒さと土田に対する苛々で、自
然煙草のペースは速まる。気づいたら、あっという間に1本終わっていた。



雪はさほど酷くない。この辺りは住宅街に入っていて人通りもあまりないから雪が少々積もって
いるように見えるが、実際には車でここまで来れた位だから、さほど激しく降っている訳ではない。
だが、寒いことには変わりない。少々風があるから、こうして外に立っていると身体の芯まで冷え
てくる。

普段の俺ならば――確実に外出は避けただろう。

土田は週に2日ある剣道の稽古日以外にも、よく剣道場に1人で来ては練習をしている。よく飽き
もせずにやるものだと呆れもするが、1つのことに打ち込む真摯な姿勢には、物事を冷めて見てし
まう自分ですら、感心しない訳ではない。
今朝も、朝早くに土田は出かけた。確かに早朝は未だ雪が降り始めてはいなかった。それは、土田
が玄関のドアを閉めた時に目が覚めてしまったから、分かる。だが、雪の降る前であれば尚更外は
寒かっただろう。それなのに、あの男はこうしてわざわざ電車に乗って、この剣道場まで足を運ぶ
のだ。ただ黙々と1人で練習する為に。

不器用な奴だな、とは思う。融通が利かない、とも。
何も特別に冷える今朝でなくとも、明日だって、明後日の学校帰りに寄ったっていい。この道場は
大学から徒歩10分か15分程の近距離にあるのだから。それに、平日は殆ど毎日のように道場に顔
を出しているのだから、たかが1日休んだからといって、腕が鈍るとも思えない。

それなのに、何だってあいつは――そう呆れているはずなのに、何故かあの男を気にせずには
いられない。

あの男の、そんなバカ真面目な姿を見てみたい。きっと寒々とした広い道場で1人、黙々と練習し
ているだろう、あの男のことだから傘の1つも持っていないだろう、空腹になっても修行だなどと
馬鹿なことを考えて竹刀を振り続けてるんだろう……

そんなことを考えて、そうしたら、落ち着かなくなった。

車であれば剣道場まで大してかからないなだとか、そういえば最近大学の傍の肉まん、食べてい
なかったなだとか、頭に次々と浮かんでくる。こうなったら、もう気持ちの行き先は1つしかない。
そうして、自分に言い聞かせた――別に、これ位大したことではないはずだ、と。





「金子――冷えるぞ」

背後から土田の声が聞こえて、ハッとした。
考え込んでいて、すぐ後ろだというのに道場の引き戸が開かれたことにさえ気づかなかった。

『煩い。俺は子供じゃない』
「大人だって、雪の中外に居れば冷える」

――いや、だからそういう意味じゃなくて、俺はそういう注意の仕方が子供扱いだという意味で
だな……
などと反論の言葉をすぐさま口にしようとして、突然腕を引かれた。

『な、何だ!』
「風邪を引くだろう」

土田が、人の腕を掴んで、強引に道場の中に引っ張っていく。

『?!ちょ、土田……って、おい!靴っ……俺は靴を履いているんだぞっ?!』

強引に引っ張られたものだから、道場の板張りの床に、靴のまま上がってしまった。だが、土田はそ
んなことには気づかなかったらしい。俺の言葉で、急に土田の動きが止まった。

俺の足元を見て漸く悟ったのか、土田が急いで俺の腕を放す。顔は相変わらず表情を変えないが、
微かに目が戸惑いで泳いでいるように見える。

『全く……一体何をしているんだ。お前にとって道場は神聖な場所ではなかったのか?それを自
ら破って、靴を履いたまま上がらせてどうする』

仕方なくその場で靴を脱ぐ自分の頭上から、しかし土田の不可解な言葉が落ちてくる。

「――すまん。忘れていた」
『は……?』
「気づかなかった」
『……気づかなかったって……おい、本格的にボケるには早すぎるんじゃ――』

「心配の方が先に立った」
『心配?』
「お前が、風邪を引くのではないかと」
『……土田。何か、今日のお前はおかしいぞ……』

おかしい。
おかしすぎる。

さっきから、人をキレイだと言ってみたり、風邪を引くのではないかと心配のあまり道場に土足で
上げてみたりと、土田が何だか変だ。

「俺が心配してはおかしいのか」
『いや、そういうことじゃなくてだな……』

そうではなく――今までこんなことがあっただろうか?
確かに土田は、きちんと食事を取れだとか、早く起きろだとか、たまに母親みたいなことを言う。
そういう意味では、風邪を引くからという内容自体には何ら驚きはない。だが、それを考慮しても
今日の土田は、何かがおかしい。
どうにも土田の関心が、自分に向きすぎている気がする――

「ここに立ち寄ったばかりにお前の体調が悪くなったのでは、元も子もない」

ああ、そういう意味か――俺は半分ばかり安堵した。それはいつもの土田だと思えたからだ。こ
の辺りは微妙なのだが、俺には違いが分かる。土田のそれは、優しさだ。食事や睡眠時間につい
てとやかく口をはさむのも、勿論性分もあるだろうが、土田の優しさだと思える。それは言い換え
ると――愛情の、情の部分が強い気がするのだ。愛ではなく、情の部分――
だから、気持ちの残り半分は、少しばかりの落胆だった。何も特に自分に対して関心が向いていた
訳ではなく、やはりいつも通り――単なる土田の、父性愛にも似た正義感だったと、少々複雑な気
分で答えを出す。
だが、”心の平穏”という意味では、どうであれ、そこで言葉が終わってくれた方が良かったのかも
しれない。
それなのに――俺の脱いだブーツを引き戸の外に置き、引き戸をきっちり閉めた土田が言葉を繋
げた。

「それに、震えて立っていただろう」
『?!』

確かに、寒い道場ではあるが、外よりは風が遮られる分だけ全然いい。だが、今はそんな話をして
いるのではない。

――何故俺が震えていたなんて分かるんだ、土田?俺が煙草を吸っている間に、こっそり引き戸
を開けて見ていたとでもいうのか?それとも、引き戸の横の小窓から覗いてたのか?どちらにし
ろ、おかしいだろう!

土田は、自分のそんな些細なところにまで気づくような男ではなかったはずだ。

『何かあったんだな?』
「は……?」
『何かあったのかと、聞いているんだっ』
「何故だ」

何故だじゃないだろう。誰かこの男に、”今日のお前はおかしい”、ときっぱり教えてやって欲しい。

『――誰かに、何か言われたのか』
「どういう意味だ」

全くこの男は、どうしてこうも鈍いのか――俺は思わず、溜息をついた。

『いや、だからな、先程の血迷った台詞といい、今の気遣いといい、いつものお前とは――』

そこまで言って、一瞬躊躇った。
いつもと違うという自分の発言で、土田はきっと考え込むだろう。自分の何が違うのだろうか、と。
考え込むのはいい。
だが――これは誘導尋問にならないだろうか。
いつも以上に俺を気にかけるのはどうしてかと問うて、気になる⇒好き、という答えを、俺は出さ
せようとしていないだろうか。
土田は望み通りの答えを出すかもしれない。俺を好きかもしれない、と。
だが、俺はそんな形を望んでなどいない。まるで自分の誘導尋問から導き出されたような、そん
な言葉が欲しいのではない。
第一、それでは土田が本当にそう思っているかも怪しいではないか――


そんなことを考えていたら、ふと右の手の平が温かくなった。
土田が、手を握っていた。

「やはり冷えている」

土田は、そうポツリと言うと、もう片方の手で俺の手の甲を摩る。

「金子――俺は、嘘は言わん。気の利いた言葉も、思いつかん。ただ、思ったことを言っただけだ。
他意はない。それがお前に疑念を抱かせたのなら、謝る」
『……』

「――お前には、単純で物足りんのだろうが」

心の中を、読まれた気がした。
お前は考えすぎだと、頭でばかり物事を理解しようとし過ぎているのだと――気持ちだけでな
く、自分の姿を見透かされたような、そんな気がした。


「金子――帰らんか」
『え?だって、お前、練習は……』
「今日はもういい」

土田が、ほんの僅かに微笑んだ気がした。
握られた手の熱が、全身に回った気がした。





土田は、道場の脱衣所で剣道着から私服に着替えていた。

金子は大した事ないなどと言っていたが、その実唇が少し青ざめていた。相当寒かったに違いな
い――そう思うと、自然剣道着を畳む手付きも早くなる。


肉まんを頬張り、まるで逃げるように外へ出た金子――自分はそれを、ただ無言で見送った。何か
悪いことを言ってしまったかと考えながら。

金曜日の同級生の言葉通り、確かに金子には一種独特の品のようなものがある。それは、金子が
悪ぶっていても、少々下品なことを言っても、揺るがない。そんな姿を、キレイだと思った。何も顔
の造作だけの話ではなかった。だが、その言葉は金子の気に触ったらしい。

怒ったのだろうか――そう思いながらも、暫く待ってみた。だが、引き戸の外から動いた気配はな
いのに、金子はなかなか戻って来なかった。

耳を澄ましてみれば、引き戸の隣りの小窓も風でカタカタと音を立てていた。

いつまでも外に出ていては、冷えるだろう――そう思って、静かに引き戸を引く。何も、金子を驚
かせる為ではない。煩く開けるのは行儀が悪いと、そう子供の頃から教えられていたからだ。
だが、結果金子は引き戸が開かれたことに気づかなかったのか、振り向きもしなかった。既に煙草
を吸ってもいないというのに、背中を震わせて立っていた。

その細い背中が、妙に心をざわつかせた。放っておけないような、放っておいてはいけないよう
な、そんな気持ちになった。

驚いた金子に指摘されるまで、腕を引く金子が靴を履いていたことに、気がつかなかった。
言われて、ハッとした。自分でも不思議だった。そこまで気が急いているという自覚はなかった。
だが、寒空の下一人で立っている金子の姿をいつまでも見ていたくはなかった。

金子がまた風邪を引くのではないか――そんな心配はあった。
金子は強がりを言う男だから、たまに無茶をするから、言葉だけを信用して放っておいてはいけ
ない――そんな思いを自分が持っているということもある。

だがそれだけでなく――これは何だろう。



『土田、そろそろ終わったか?』

脱衣所のドアをノックした金子の声が、外から聞こえる。

「ああ」

荷物を持って外に出れば、既に外に出る準備をして、振り向きもしない金子。

己のこの心の動きは――何なのだろう。

『帰ったら直ぐにでもコーヒーを飲みたいな。ブランデーは未だ残ってただろう?あれを少したら
して――』

近づく自分の顔を僅かに見上げる金子――その唇に、口付けた。
だが、これ以上ない位に目を見開いた金子に、すぐに突き飛ばされた。

『ば、馬鹿!何をやってるんだっ!』
「口付けだが……」
『あああっ、もういいっ!話にならんっ!』

怒ったような顔をして、目を逸らすとすぐさま足早に歩いて行ってしまう金子。


ではこの思いを、金子にどう言葉で説明すれば良かったのだろうか――


先を行く金子の背中に、そう心の中で問うてみた。






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