CHAPTER 1 : HEILIGER VALENTINES TAG 1



――そうか、そろそろバレンタインデーだったな。

大学からの帰り道、立ち寄った百貨店をブラブラ歩いていて、金子はふと店内のディスプレイに
気がついた。

自分で言うのも何だが、昔からこのテのイベントで肩身の狭い思いをしたことはない。
それこそ小学校から現在通う大学に到るまで、チョコレートはおろか、その他のプレゼントも何1つ
もらえなかった、などという目には遭ったことがなかった。元々特別な何かなどなくても普段から
外見には気を使っているから、その日だけ気合を入れる必要もない。いや、勿論そうはいっても身
だしなみは特に気を使ってはいたが、そもそも気合など入れなくとも、もらえていた。

だが――今年はそういう訳にはいかないだろう。

勿論、同級生の女の子達からもらえるかもしれないチョコレートの数を心配しているのではない。
自惚れてはいないが、多少はもらえるだろう。
そうではなく、問題は、身だしなみはおろか、自分のどんな創意工夫も通用しないであろう相手
――土田を思ってのことだ。

果たして土田はチョコレートなど用意して……て、待て。

――そもそも、どちらがあげるべきなんだ?

金子は物凄く根本的な部分に気がついた。
よく考えてみたら、自分も土田も男だ。どちらがどちらにあげたところで、正解であり、不正解なの
だ。では、2人とも対等な立場の場合、どちらがあげればよいのか。

――まさか……俺なのか?

そう一瞬でも思ってしまうのは、厳然と存在する事実の為だ。いつの間にか――いや、そもそも
最初から固定されてしまっている、”女役”という立場――たまに不公平感を感じるものの、といっ
て今在るこの事実は動かし難い。そしてそれ故に、性別としてではなく、ある種役割として自分は
その立場にならなければいけないのか、と思わなくもない。だが――

それではまるで、俺は女役でいいと自ら宣言してしまうようなものではないか。

女役に大きな不満がある訳ではないが、といって決め付けられるのは腹が立つ。自分だって男だ。
そう簡単に、当たり前のように固定されては困る。これは、そういう非常にデリケートな問題を含
んでいるのだ。

そんな諸問題を抱える”女役”に甘んじている自分が、さらにチョコレートなどあげては益々土田を
図に乗らせるだけだ。

――そうだ。ここは土田が俺によこすのが筋というものだろう。第一、考えてみれば女役はとも
かく、”主婦役”ならば、断然土田だ。土田が俺にご飯を作っているのだから、ある意味俺が夫じゃ
ないか。

夫――その言葉に一瞬動揺しそうになったが、そこはぐっと抑えて要点を絞った。

――そうだ、土田だ。それしかない。他の答えなどない!

金子はきっぱりと心の中で断言した。バレンタインデーにチョコレートを用意すべきは、土田の方
なのだと――





『ただいま』
「ああ、おかえり」

バイトに行く日ではない土田は、リビングで大学の課題に向かっていた。

「この問題を解いたら魚を焼く。少し待て」
『ああ、悪いな』

まるで夫婦のようなやり取り――ああ、やっぱり夫は俺じゃないか。土田こそが嫁じゃないか。
そうだ、お前こそがやはり俺にチョコレートを寄こすべきだろう!

金子は、土田の面前に思い切り指を突き立てて宣言してやりたいところをぐっと抑えた。いや、そ
こまでこだわるのは、何もチョコレートが欲しいからではない。より正確に言えば、チョコレートな
どどうでもいい。そもそも自分も土田も甘い物はさほど好きではないのだ。だから、チョコレート
が食べたい訳では全くない。
ここはお互いの立場――嫁は土田だ――というものを、はっきりさせようじゃないかという思い
もある。だが、何よりも土田が自分に何かを用意してくれるということは、ある種の悲願と言って
いい。誕生日はスルーされ、クリスマスイヴは夜景を見て終わった。確かにイヴの日は悪くなかっ
た。寒空の下いちゃつくのも、それはそれで楽しかった。だが、あれは冷静に考えてみれば、偶然
の産物に過ぎない。土田はバイト先でたまたまイヴの話を聞いたのであり、夜景の場所を聞いた
に過ぎない。土田がイヴを覚えていた訳でも、予め夜景というギフトを用意していた訳でもない。
勿論、今となっては土田は自分を、まあ受け入れてはくれているだろうとは思う。好きか嫌いかの
2択しか選択肢が用意されていなければ、恐らく好きだとは答えるだろう。


このマンションに引越してくることを承諾した土田
同じベッドに寝ることも拒まなかった土田
そして――キスは勿論、それ以上に抱き合うことも了解している土田

だが、そうであっても土田の気持ちが分からないと思う自分は、おかしいのか?自分の想いが強
すぎて、人の気持ちが見えなくなっているのか?
いや――それもあるかもしれないが、何よりも土田が何も言わないからだ。
好きだの愛しているだのという言葉は当然のこと、一緒に住んでいることについても、自分達の
この関係についても、土田は何も言わない。

土田は何も言わず、ただ受け入れているだけなのか?積極的な意味合いは何もないのか?
どうしても、その辺りが気になるのだ。俺は、物が欲しいのではなく――土田の気持ちを確かめた
いのだ。

――だが、現実問題として、土田が果たしてチョコレートなど用意するだろうか?……いや、する
だろうかなどと暢気に構えている場合ではない。そうさせる為には、どうすれば良いのかを考え
なければ……。

金子は、キッチンに立つ土田の背中をじっと見た。土田のことだ。自主的にチョコレートを買うこと
は、100%有り得ない。そもそも、バレンタインデーという日を覚えているかどうかすら疑わしい。何
しろ、クリスマスイヴに街中のツリーを見ても、赤や緑の派手なイルミネーションを見ても、その日
がイヴだと全く気づかないような男だ。目の前にハート型のチョコレートを突きつけても、どうい
う意味だと問いかけかねない。2月14日はバレンタインデーだ、と誰かがはっきりと土田に教えて
やらなければ、分からないのではないか。

……というか、土田よ、お前の目は節穴なのか――金子は、哀れみの目で土田の背中を見つめた。

いや、認めたくはないが本当に哀れなのは自分の方なのかもしれない。そのような、1人だけ旧暦
で生活しているような男の気持ちを、自分はプレゼントという間接的な方法でしか確かめようが
ないのだから――





「――金子」

食事の席につき、味噌汁に口をつけた土田が、お椀を置きながらおもむろに話し始めた。

『何だ』
「14日、来週の水曜日なんだが――」
『?!』

金子は一瞬、手にしたご飯茶碗を落しそうになった。

――天変地異か?宇宙人の地球侵略の前触れなのか?!どうして土田が自分からバレンタイン
デーの話を?!


「――その日、外出していいか」
『が、外出?…………どこへ?』

金子は嫌な気配を感じた。

「その日、コンサートがある」
『……誰……いや、いい……』

誰のコンサートなのか、など聞くだけ野暮というものだ。この男が行くコンサートと言えば、一人
しかいない。そう――アイドル日向要だ。

「――もうチケットもとってある」
『……だろうな』

金子は、がっくりと肩を落した。一瞬の内に、期待で膨らんだ胸が萎んでいった。
いや、もう気持ち的には箸を置いてすぐさまベッドルームに立ち去り、不貞寝したい位だった。より
によって、2月14日にコンサートに1人で行ってしまうような男だ。もう土田の自分に対する気持ち
など、これだけで分かろうというものだ。

「いや、もし良ければお前も、とは思ったが、お前は邦楽は聴かんだろう」
『……気遣いだけもらっておこう』

馬鹿、俺はコンサートに誘われなくて怒っているんじゃない。来週に2月14日という日が来ると分
かっていて、バレンタインのことなど欠片も思い出さない、自分の存在など気にもかけない、そん
なお前の鈍感具合に呆れているだけだっ。

金子は、引きつりそうな顔で無理やりに口角を上げて笑みを作った。でなければ、自尊心との折り
合いがつかなかった。だが、とてもその顔をキープ出来そうにない。だからすぐに下を向いて、自
棄気味にご飯を掻き込んだ。

もう頼むから放っておいてくれ――そんな心境だった。





しんとした食卓――金子が急激に静かになったせいだ。

土田は、お新香を食べながらチラリと正面に座る金子を見た。金子は先程から俯いて、黙々と食べ
ている。まるで自分が話しかけられるのを拒んでいるかのようだ。

「――金子」
『……ん』
「学校の後、どこかに出かけていたのか」
『ああ』
「……何処へ」
『別に』

しん……

土田は、自分の予想が外れていないことを悟った。
自分の口数が少ないせいもあるだろうが、金子は総じて喋る方だと思う。勿論、食事の時には幾
分控えめになるが、それでも「うん」だとか「ああ」という返事だけで話がぷつんと切れてしまう
ことはあまりない。それはどちらかというと、自分がよくやってしまうことだ。
それなのに今、話題は金子の短い返答で1分と続かなかった。

土田は眉間に皺を寄せた。

コンサートチケットを取るとき、金子のことも一瞬考えはした。2人で外に出かけるということはあ
まりないから、たまにはいいかもしれないと思った。だが、金子は邦楽はまず聴かない。ジャズや、
あーばんこんてんぽらりーとかいう訳の分からない洋楽のジャンルの曲を聴く。それに、要のこと
も好かないようだ。自分がTVで歌っている彼を見ていると、コーヒーを入れに行ったり、一服しに
行ってしまったりする。
そんな金子には、コンサートなど苦痛なだけだろう――そう思ったから、例年通り自分の分しか取
らなかった。勿論その日の夕食は作れないが、その程度のことでは怒らないだろうと思った。だ
が、現実に金子の態度は、どこか拗ねているように見える。

「――コンサートに行ってはいけないか」
『誰もそんなことは言っていない』

金子は相変わらず顔も上げない。だが、俯いていても金子が不機嫌な表情をしていることは分か
る。

「では、何だ」
『別に何もない』
「……」

参った。金子は完全に拗ねている。こんな時、もし自分が金子であれば相手を懐柔すべく、色々と
手を使うことも出来ようが、それは自分に出来る芸当ではない。まして相手が金子では、太刀打
ち出来るはずもない。

コンサートとは何ら関係なく、自分が何かしただろうか。
土田は考えてみた。コンサートの話の後に金子が急に静かになったのは確かだが、といってそれ
で金子が怒る理由も見当たらない。夕方から外出することを怒るような男でもないし、第一金子
の方も食事だの飲みだの映画だのと外出している。だから、もしかしたらコンサートとは関係なく、
自分の態度が気に障ったのかもしれない――そう思って記憶を辿ってみるが、どうにも思い当た
らない。

――全く、訳が分からない。明らかに怒っているというのに、金子は何もないなどと嘘を言う。そ
れでは解決のしようがないではないか。

「何もないという態度ではなかろう。何が気に入らんのだ」
『……』
「黙っていては分からん」

自分だとて、あまり問い詰めるような真似はしたくない。そんなことをしても金子は答えないと分
かっているし、下手をすると唐突に話が全く違う方向に飛んで、痛くもない腹を探られかねない。
それに、自分には分からずとも何らかの理由はあるのだろうとは思う。だが、訳も分からず唐突に
不機嫌になられては、自分の方はすっきりしない。納得もいかない。何か自分が無神経なことをし
たのならば言って欲しい。ただ先の予定について予め断りを入れただけなのだから、それの一体
何が悪いのか、自分には皆目見当もついていないのだ。

「かね――」
『全く、何をそんなにムキになっているんだ?何もないと言っているだろう』

金子が、顔を上げた。笑みを浮かべていたから、少々目を丸くした。

――一体どうしたというのだ。つい先程まで、怒っていたではないか。あからさまに不機嫌な顔を
していたではないか。

『ごちそうさま。――お前も、そんな下らんことを考えていないで、さっさと食べて課題の続きをし
たらどうなんだ。まだ終わっていないんだろう?』
「あ、ああ」

いつもは自分より遅いはずの金子が、殆ど喋らなかったせいかあっという間に食事を済ませてい
た。そうして、何事もなかったように立ち上がると、自分の茶碗を台所に持っていく。戻って来た金
子が、自分の横を素通りしてそのままリビングの方へ行こうとした。

「おい、金子」

あまりの変わり身の早さに、訳が分からず混乱した。確かに笑みを浮かべてはいるが、俄かに機嫌
が直ったとはとても信じられない。
だから、自分の横を通った時、その腕を掴んだ。振り向いて自分を見下ろす金子は、先程と全く同
じ笑みを浮かべていた。

おかしい。いつもと違う――そんな違和感を感じた時、続けて金子の声が響いた。

『悪いな、土田――俺もそんなに暇じゃないんだ』

まるで仮面のように張り付いている、変わらぬ笑みの表情――そのまま、金子は俺の手を振り解
いた。茫然とする自分を尻目に、金子はそのままリビングを抜けてベッドルームに行く。
そうして、ドアがきっちりと閉められた。しかも鍵まで。



怒りを直接ぶつけず、怒鳴ることもなく、代わりに貼り付けたような笑みを浮かべた金子。
金子が、本気で怒っている――土田は、ここに来て、漸くことの重大さを思い知った。








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