CHAPTER 1 : HEILIGER VALENTINES TAG 2


その日の夜――

「金子、何故何も言わん」

風呂を終えてベッドルームに入ってみれば、金子は既に布団をすっぽり被るとドアの方に背を向け
てベッドに寝ていた。

『――もう寝ろ。しつこい男は嫌われるぞ』

金子は顔を上げもせずに答える。

「……」

夕方、突然金子は不機嫌になった。
金子の機嫌が急に良くなったり悪くなったりすること自体には不思議はない。だが、今日はいつも
のそれとは違うように思う。
不機嫌さをぶつけてこないのだ。いや、実際にはぶつけられているのだが、それがどうにも捉え
どころのない間接的なやり方で、こちらはどうしたらいいのかちっとも分からない。原因が思い当
たらないだけに、尚更対処が出来ないのだ。

土田は仕方なく、無言で金子の隣に横たわる。既にベッドの奥側を陣取っていた金子は、相変わら
ず背を向けたままだ。

――一体、何が悪かったんだろう。金子がいつも以上に不機嫌になるような出来事が、どこにあっ
たのか。

土田はまっすぐに天井を見上げながら考える。大いに眉間に皺を寄せ、ともすればうーんと唸り声
すら上げそうな勢いで悩むのだった……



すぅ……すぅ……

金子は、ものの5分で規則正しい呼吸が背後から聞こえてきて、思わず舌打ちした。

――何なんだ、この男は!これだけ俺が嫌味で思わせぶりな態度を取っているというのに、お前
はたったの5分も悩めんのか!

金子はがばっと起き上がった。
その勢いでベッドのマットレスが揺れ動くと、波間に浮かんでいるような隣の大木はまっすぐキレ
イに上を向いたまま、ただその揺れに身を任せて平和な寝息を立てていた。

分かっている。土田は悩めば悩むほど眠くなる男なのだとは、同棲生活4ヶ月にして、既に発見済
みな性質だ。だが――こんな時、その性質は非常に憎たらしく、そして忌々しい。

そんな性質とは関係なく、この男はやはり俺のことなどさほど気にしていないのではないか。実
はもう面倒だと思っているのではないか。どうでもいいなんて考えているのではないのか――

瞬間的にそんな悲観的な思いが頭を過ぎり、堕ち込みそうな気ちを抱えて隣りの男の寝顔を見下
ろす。その顔をよく見ると、土田は僅かに眉間に皺を寄せたまま眠っていた。


……ぷ……

金子は思わず、小さく吹き出した。

きっと、土田は悩んでいた。理由が分からず、どうしたらいいのか分からず、悩んだ。考えに考えた。
そうして、考え過ぎて――たったの5分ではあるが――眠くなった。そんなところだろう。
その眉間の皺が、自分は自分なりに精一杯考えているのだと土田が主張しているように見えて、
金子はすっかり毒牙を抜かれてしまい、再び横になった。


確かにクリスマスイヴもバレンタインデーも、土田にしてみれば大した日ではないのだろう。こう
いうのは、男よりも女の方が気にしているものだとは、世間一般で考えても思う。確かに、自分で
あれば――もし彼女がいたならプレゼントだって用意するし、気後れさせない程度に高級感のあ
るレストランに席を予約しておいただろう。押さえるべきポイントはきちんとしておくという己自身
のポリシーがあるからだ。勿論、この辺のマメさは男の誰もが持っている訳ではないし、人それぞ
れのやり方があっていい。別に義務ではないのだから。
だがどうであれ、イヴやバレンタインデーの日位は、恋人がいる男ならば大抵認識しているはず
だ。
それなのに土田ときたら――何1つ分かっちゃいない。プレゼントはおろか、そんなイベントがある
ことすら殆ど認識していないのだと思う。恐らくそれは、相手が自分――つまり男だからというよ
りも、相手が誰であっても変わらないのだろう。この辺の鈍さはもう天然記念物といってもいい。

同じ男として、どこもかしこも異なる存在――それが自分達だとは分かっていた。
だからこそ惹かれたという部分もあるのだろうし、多分に好奇心を刺激されたのだとも今は思う。

それはそうなのだが――土田はそういう男なのだと、大抵のことは理解しているつもりの自分
であっても……やはり今回はどうしても納得がいかない。頭では納得しているのだが、心が納得
できないのだ。

おまけに、その日はアイドル日向要のコンサートに行くときた。
あの男は、普段ミーハーなところはむしろ無さ過ぎて味気ない位にない。真面目に大学に通い、
苦学生が如くアルバイトに精を出し、そして硬派な男らしく剣道に打ち込む――あの男の1週間の
スケジュールなど、ほとんど毎週変わらない。
だが、要という存在が入った時のみ、その素っ気無い生活は一変する。コンサート、DVD、CD、雑誌、
そして出演するTV、そういった要素が入ってくると、土田の生活は急に華やいだようになる。
最優先は要だから時としてバイトのシフトは変わり、剣道すら休みかねない。さすがに大学をサボ
ることはないだろうが、それだって家の近所に要がロケで来る、などということになれば分かっ
たものではない。とにかく、ただもう一直線に土田は要に意識が向かってしまうのだ。

そんな、全く手の届きようもない男相手にムキになってどうするんだ、土田――そう思いかけて、
それは自分の行き場のない、嫉妬にも似たこの感情だって同様か……と思わず苦笑した。

14日、1人で出かけてしまうことの理由が去年のイヴの時のようにバイトであれば、素直に土田に
怒りをぶつけることも可能だっただろう。土田はそういう男なのだと、諦めもついただろう。
だが、今回は少々複雑な気分だ。まっすぐ怒りをぶつけること自体に空しささえ感じる。
土田を薄情だと思い、自分への気持ちなどその程度のものかと落胆し、まるであの要に土田を盗
られたような気にさえなっている。

金子は土田の方を向いて、その横顔をじっと見た。

そもそも、自分がこんな細かいところまでいちいち気にするようになったのも、この男のせいだ。
この男が人の気持ち――いや、たまにやけに鋭いから、人の気持ちというより、恋愛における心の
機微とでも言おうか――について大雑把すぎるからだとも言えるだろうが、この男の言動に振り
回されてあれこれと考えてしまう自分にも自覚がある。
それもこれも、この男の自分に対する気持ちに、自信がないからだ。嫌いではないだろうと思い
ながらも、いくら人が好いとはいえ、嫌いならば拒むはずだと思いながらも、それ以上の自信がな
い。
誰にでも優しいだけなのではないかと、単に断れない性格なのではないかと、疑ってしまう――
下手をすると、俺は要にすら負けているのではないか。

そもそも、自分でも一体この男のどこがそんなにいいのか、どうしてこうも思い込んでしまうのか、
不思議だった。

一つのことに懸ける一生懸命さが何だというのか――自分からみれば、融通が利かないだけだ。
不器用な位に真面目だからといって、何の得があるのか――だから世渡りベタで損をするのだ。
嘘のない真っ直ぐな男だからといって、それが一体――

金子は、吸い寄せられるように顔を土田に近づけた。そうして、その唇を求めようとして……

「ん……」
『!』

土田が突然、顔をほんの少し動かした。急いで離れると、土田に背を向けてガバッと毛布の中に潜
り込む。だが、暫くじっとしてみるものの、背後に動きはない。

――この馬鹿!気取られたのかと無駄に焦ったじゃないか!大体土田のくせに、天然記念物級に
鈍感なくせに、何でこんな時だけタイミングよく顔など動かすんだ!いつもの土田らしく、キスし
ようが寝間着をはだけさせようが微動だにせず眠っていればいいものを!

嫌というほど自分の不機嫌ぶりを見せ付けておいたのに、早く寝ろなどと土田に言っておいたく
せに、自分こそが眠れずに寝込みを襲おうとしたなんてバレては立場がない。怒っていたくせに
堪え性がないなどと思われても腹立たしい。

だから、金子はそのまま目を閉じた。
といって、色んな意味で不満がたまっているから、そう簡単に寝付ける自信はなかったのだが。





「金子、朝だ」

まるで荒波に飲まれかかった船に乗っているかのように強い力に身体を大きく揺すられて、金子
は目を覚ました。

『……』

薄く開けた目で見上げてみれば、既に着替えもすませた土田がベッドの側に立っている。
午前中に授業がある時は、土田は必ず1度は自分を起こしてくれる。土田は自分よりも早く出てし
まうから、起こされた時には土田は既に大方自分の用意を済ませていることが多い。今日もそう
だろう。
きちんと時間通りに起きて、顔を洗い、朝食を済ませ、服を着替えてから俺を起こしに来る――て、
おい、お前ホントにいつも通りじゃないか!見上げた顔だって平然としていて、まるで昨晩の俺の
様子など忘れたかのようだ。

金子はムッとした。だが、ここで煩いなどと一喝して布団に潜り込んでは、いつもの二の舞だ。
下手をすると、いつもの自分に戻ったと勘違いされて、全てがうやむやになってしまいかねない。
今回ばかりは許すものかと誓っているのだ。土田が自分で気づくまで妥協はしないと固く決めて
いるのだ。そうだ。ここでムッとしてはいけない――

そう思い直して、金子は笑みを浮かべた。絶対に寝起きにはしないであろうと自覚する、満面の笑
みだ。

『ああ、そうだな。ありがとう、土田』

笑顔のまま、すまして答えてやったら、それはもう、正に”鳩が豆鉄砲を喰らったような顔”を土田
がしたものだから、思わず吹き出しそうになった。

――これは使える。

土田が困惑顔のまま立ち去った後、金子は思った。こうして1つ1つ土田をかく乱(?)していけば、
確実に土田は堪えることだろう。一体どうすればいいのかと、あれこれ悩むだろう。考えに考え
抜けば、さすがの”鈍感”土田もバレンタインデーまでには何とか答えを出すかもしれない。
まあ、そこまでこだわる自分もどうかとは、多少思わなくもないが。

だが、今回ばかりは妥協は出来ない。ここまで来たら意地というか、男の沽券に関わる問題――
と言ったら、少し大袈裟だが、とにかくこれは今後の自分達の関係にも大きく影響してくる問題な
のだ。
土田が自分で今回の原因に気づいて、そしてバレンタインデーのチョコレートをくれないのなら
ば、もう別れる位の覚悟で…………いや……まあ、そこまで極端に走らなくてもよいが、とにかく
この際第三者のヒントをかりてもいいから土田がバレンタインデーに気づいて、自分にプレゼント
を用意しなければ……さもなくば、せめて言葉だけでもかけてこなければ、これは到底納得出来
るものではない。
いや、待て。誕生日の時はともかく、今回は言葉の方がよほど難問だ。何故なら、バレンタインデー
と言えば、愛の告白。となると、言葉=告白を土田が言わなければならないということになる訳で、
それはプレゼントよりもさらに厳しいと言わざるを得ない。
では、プレゼントを期待すべきなのか――?
だが、言葉とは違う意味でそのことの難しさを、金子はよく分かっていた。
万が一バレンタインデーに気づいたとしても、土田はプレゼントを用意する必要性を感じない可
能性が高い。何故なら、バレンタインデーは基本的に、「女性が男性に愛の告白をする(=プレゼン
トを用意する)日」なのだから。

では…………俺は、土田に一体何を求めればいいのか……?

金子は途方に暮れた。ついでにぐんぐん陽は上がっていたが、今はそれどころではなかった。





「…………」

土田は電車に揺られながら、今朝の金子の様子を考えていた。最終的に起きる起きないは別とし
て、朝、金子を起こすことはもう日課になっていた。だから今日もいつもの通りに起こした。別に昨
日のことを忘れた訳ではない。だが、怒っているのは金子であって、自分ではない。だから、起こ
すことを躊躇いはしなかった。
朝に滅法弱い男だが、少々乱暴な位に揺すれば、さすがの金子も起きる。引っ越してきた当初は
やや遠慮がちに揺すっていたが、最近はその程度では起きないと分かっているから、段々と揺す
る手に力が入るようになってしまった。
そうして、嫌々金子が起こされるのもまた、いつもの通り――だが、今日はそこからが違った。
有り得ないような満面の笑みは、あまりに不気味……いや、もとい、予想だにしなかった反応で、
唖然とした。

――一体、金子は何を考えているのだ。何を求めているのだ。俺に、何をしろと言うのだ。

土田の顔は険しさがいつもより3割増し位になり、周囲は微妙にその周りを避けるようになってい
たが、本人はそんなことには全く気づかず、考え込んでいた。

土田にとって、金子は未知の世界といってもいい。金子の怒るタイミングが、全くもって分からな
いのだ。しかも今回は、その理由を問うても金子は一向に答えない。それどころか、何でもないの
一点張りで、怒っているという事実すら認めようとしない。

では、放っておけばよいというのか――そういう訳にはいかないだろう。金子の異変は明らかだ
し、第一今回ばかりはこれまでと少々様子が違うと直感が教えている。

自分が要のコンサートに行ってはいけないのだろうか。金子はそんなことは言っていないと否定
したが、他に思い当たるものがない。それ以外の話題はあの時のぼっていなかったのだから。
だが――土田はその案に、どうもピンと来なかった。コンサート位で、金子があそこまで怒るとは
どうしても考えられないのだ。
となると、土田にしてみれば、お手上げだった。何故なら、他には何も思い浮かばないからだ。

金子と一緒に住み始めてから、もう4ヶ月――互いに相手との性質の違いは、既に大方の面にお
いて分かっていた。小さな衝突はなくはないが、金子は人の生活に口を出す方ではないし、自分
も食事だとか朝起こすことはともかく、あまり言ってこなかった。だから、特に問題などないと思っ
ていた。何か自然なことであるかのように、金子との生活はそれなりに穏やかな形で流れていく
のだろうと、漠然と想像していた。

だが、そうではなかったのだろうか。

金子には何か大きな不満が、既に当初からずっとあったのか。それが、自分にとっては唐突と思え
るものの、金子にとっては溜まりに溜まっていたものとして、今回爆発したのだろうか。
それも、有り得なくはないと思う。金子は案外と神経が細やかだから、鈍感と言われる自分と一
緒では、これまで口にせずともずっと気にしていた何かはあったかもしれない。
だが、それならば何故それを素直に言ってくれないのだろうか。言ってくれれば、自分に出来るこ
とであれば、直しようもあるというのに。
それとも、口にするのも憚られるような問題だとでもいうのだろうか――益々分からなくなって
きて、土田は困惑気味に天を仰ぐのだった。





土田も金子も、傍から見たら実に些細なことで悩んでいたが、本人たちにとっては真剣だった。
その性質の違いからすれ違いが多いことには自覚があっても、といって、それでこの関係を放り
出すにはもう後戻りが出来ない状況になっていることは、土田はやや無意識気味に、金子は十分
に自覚していた。

とはいえ、大抵の場合相手に対する期待があまり相手の現状を考えていないものだったから、ど
うにも話は複雑に、そしてすれ違っていかざるを得ないのだった――






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