CHAPTER 1 : HEILIGER VALENTINES TAG 3


それから、4日経った。
金子の様子は、相変わらずおかしいままだ。それでも、今夜はベッドに滑り込むなり、無言で圧し掛
かってきた。釈然としない何かが心の片隅につっかかったままではあったが、肌を合わせてしまえ
ばそれはそれ――何やら望郷の念にも似た思いと、胸の奥底からじわりと熱いものが生まれてき
て、気持ちが追いつかないままに互いの熱を発散させた。

だが、コトが終わると金子は元に戻っていた。まるで発散して目が覚めたように、無言のまま――
1人でさっさとシャワーを浴びに行ってしまい、自分がシャワーを浴びて戻ってきた時には、既にこ
ちらに背を向けて布団を被っていた。

こんなことは初めてで、こんなに長く金子が機嫌を損ねたままというのも初めてで、正直もうど
うしたものやら、さっぱり分からない。布団に入ってみたものの、そのまま横たわる気にもなれず、
金子の背中を見た。

「――金子」

金子は無言だった。先にシャワーを済ませてベッドに入っていたのだから、もう眠ってしまったの
かもしれない。

「……俺に、どうしろというんだ」

土田は、らしくもなくその無言の背中に呟いた。正直、もうお手上げだった。謝って済むならば、そ
れで済ませたいと思う。だが、理由も分からずに謝れば、金子は怒るだけだろう。

「やはり、コンサートに行かない方がいいのか」

唯一想像出来ることの原因と言えば、コンサート位だ。だが、当然その背中から返事はなかった。
土田は溜息をつくと、横になろうとした。その時――



『……コンサートがどうこうじゃないと言ってるだろう』

金子の掠れた、少々呆れたような声。

「起きていたのか」
『お前がブツブツ煩いから目が覚めただけだ』
「すまん」
『あのな……多分お前の頭の中だけ戦前……いや、明治・大正時代辺りまで戻ってると思うぞ』
「……どういう意味だ」

金子の言葉はどうも分かり難い。何らかのヒントを与えているつもりなのかもしれないが、そのヒ
ント自体がさらなるヒントを要するような言葉では、却って分からなくなる。

『とにかくな、明日は行ってこい。別にお前の楽しみを奪うつもりなどない』
「……」

金子は、当たり前のことを言わせるなとでもいうような、少々早口の、乾いた口調で言うと、肩か
らずり落ちていた毛布を引き上げた。

金子の言葉が、そのさりげない付けたしが、妙に温かく聞こえた。何日も殆ど口をきかない程だか
ら、よほど怒っているに違いない。気になることを自分がしたに違いない。それなのに、そんな風に
自然と気をまわす優しさ――本当に、不思議な男だと思った。背中を向けたその姿に、心が揺り動
かされた。だからベッドに横たわると、その背中を包み込むようにして、そっと腕を回してみた。

『!な、何をしてるんだっ』

案の定、全く予想もしていなかったに違いない金子は、驚いたように身体をびくっとさせた。

「こうしたいだけだ。意味はない」

本当に、特に意味はなかった。いや、自分でも、殆ど無意識のように腕を回した。理由があるとすれ
ば、正にそうしたかった――それだけだ。
勿論、自分達が今ある種の冷戦状態にあることは十分分かっていた。拒まれれば諦めるしかない
が、出来ればこうしていたい。だから、ほんの少しだけ腕に力を込める。

『……全く、天下泰平とは正にお前のことだ』

そう呟く金子の声は、半ば諦めのように小さく消えて、それからあからさまな溜息に変わる。だけ
れど、腕を振りほどこうとはしなかった。





アイドル日向要のコンサート会場は、満員だった。
とはいえファンクラブ・ルートでチケットを手に入れる土田は、当然後ろのほうとはいえアリーナ席
である。要に直で会うのは、1年と数ヶ月ぶりだ。だから正直、今日という日を相当楽しみにしてい
た。

要に会うと、何故か清清しい気持ちになる。例えると、早朝誰も居ない剣道場に一番乗りで足を踏
み入れた時――そんな感じだろうか。どこか儚げで、それでいて芯の強そうな姿に否応も無く惹
かれる。その笑顔を見ただけで幸せな気持ちになるのだ。
全く違う存在なのだから比べるのも意味がないが、そういう意味で金子の存在とは違う。
金子の存在が自分に清清しさを与えないという事ではなく……金子を、もし要と同じように例え
るとすれば、それは気がついたら通っていた剣道場という感じだ。
通い始めた動機がよく分からぬまま、それでも1日休むと、自分が休んだ間に何か特別な稽古が
行われているのではないかと気になって、いつの間にか通ってしまっている剣道場――いや、こ
れでは剣道場というより、まるでサーカスか演劇の稽古場のようだが……。
だが、金子という男は行動が予測できない。例えば、要が転んだ時に自分が手を差し出せば、きっ
と照れたような笑みを浮かべて礼を言い、自分の手を掴んでくれそうな気がするのだが、金子は
違う。
その時によって、どんな風に反応するのか分からない、想像がつかない――逆に、だからこそ気に
なる存在と言えるだろうか。

――まあ、こんな事を金子に言ったら、あの男は意味不明だと呆れるかもしれんが。

土田は1人、周囲には分からない程に僅かではあるが笑みを漏らした。



アイドル日向要のコンサートは大盛況だった。最新アルバムからの曲を中心に歌いながらも、長年
のファンの事も大切にする要らしく、古いアルバムのナンバー――しかも土田が大好きな曲――
も随所に交えてくれる。一生懸命歌い、笑顔を振りまく要は最高だった。
そうして楽しかったコンサートもやがて終盤になり、要は一度ステージ袖に消えた後、アンコール
の声援に答えて再び姿を現すと、1曲歌った後観客に向かって挨拶をし、そして自分たちに語りか
けてきた。
コンサートの主役は要だというのに、相変わらず少々控えめな位で、マイクスタンドに足をひっか
けそうになった時には、思わず我を忘れて駆け寄りそうになった。いや、実際「あっ」という会場全
体からの声が聞こえたから、自分だけでなく、ファンは皆一瞬足を踏み出したことだろう。

そんな所もまたいい――土田は要の姿を、まるで見守るように見つめていた。
要は、自分の失態に少し照れたような笑顔を見せながら、言葉をつむぎ出した。

「バレンタインデーというこんな特別な日に、僕のコンサートに来てくれて本当にどうも有難う。幸
せなカップルの皆んなも、まだ素敵な人にめぐり会えていなかったり、今好きな人がいるのに、そ
の想いをなかなか相手に伝えられずにいる皆んなも、今日のコンサートを一緒に楽しんでくれた
なら、僕も凄く幸せです。皆さんにとって、今宵が素敵な一日でありますように……」

要の言葉に、皆拍手喝采した。
自分もまた、力強く拍手した。
こうして、要とのつかの間の楽しい時間が終わった。


土田はやがて会場が明るくなる中で、既に機材だけとなったステージを再度見、感動を噛み締め
た。そうして、頭1つどころか――観客は女性が多いから――悠に頭2つ3つ抜きん出た状態で、帰
り始めるファン達に混じって出口へ進みながら、ふと気づいた。
確かに要の言葉通り、今日はバレンタインデーだからなのだろう。いつもの要のコンサートと違っ
て、今日は幾分男性客が多く混じっている気がする。そうして、彼らは大抵、彼女と思われる女性
の横に並んでいた。

彼らは皆、一様に幸せそうに見えた。当然と言えば当然だろう。恋人と好きな音楽を聴くのだか
ら、これが幸せでないはずはない。そんなことを考えて――ふと、金子の顔が思い浮かんだ。

――金子は今、どうしているだろう。

コンサートに行く時、玄関先で「行ってくる」と言ったら、金子は一言「ああ」と答えた。そっけない
返事に加えて、その表情は何の感情の変化も見せなかった。何か言うべきかと思い、迷っている
と、金子はすぐにそれを察したようにこう言った。
”どうして要らぬ気など回そうとするんだ。いいから、早く行け”
そうして、俺を玄関から追い出してさっさと鍵を閉めた。
まるで、気の進まない親戚の家に早く行けと言われて締め出された子供のようだ。
いや、コンサートには勿論行きたいのだが、金子のことが気になった。後ろ髪を引かれる思いとは
正にこんな時に使う言葉だろう。

何でもないという顔をしていても、神経の細やかなあの男のことだ。1人になってからあれやこれ
やと気にしているかもしれない。そうして、自分がコンサートで楽しんでいる間、あの部屋で1人過
ごし、自分が昨日作ったおでんなどをわびしくつまんでいるかもしれない。
いや、もしかしたら、何かに熱中すると食事すら忘れる男だから、読書になど夢中になって、食べ
ていないということはあるまいか。

何故か、早く帰らなければと思った。

金子ならば、小説を読むなり、音楽を聴くなり、DVDを観るなり、1人で時間を有意義に過ごす方法な
どいくらでも持っている。金子が1人でいたからといって、普段はどうこう思わない。子供ではない
のだから、最悪一食抜いた所で大したことではない。
だが、今は気になった。会場で見たカップル達の幸せそうな顔を見ると、金子を思い出す。恐らく
は今、あんな顔を金子はしていないのではないか――そう思ったら、自然と帰路を行く歩調が速
まった。





パラパラとページをめくり、大まかに文字を目で追い、そうして本を閉じる――それが、バタンと
思ったよりも大きな音を立てたから、一瞬周囲を気にし、何でもないような顔をしてその本を本棚
に戻した。

――全く、運が悪いとはこのことだ。よりによって、立ち寄った店の2軒とも同じ本が売切れている
とは……。

金子は嫌気を帯びた目でお目当ての作家の文庫本が並ぶ本棚の列を一瞥した。それは随分と昔
に一度どこかで読んだ覚えのある本なのだが、当時はその後数年で本屋から消えた。
だが、最近になって復刻されたと聞いて、懐かしさと、多少の年齢を重ねた今一度読んでみたい
という気持ちに駆られ、それでこうして探している訳だが――立ち寄った店の2軒共、何故か揃い
も揃って全3巻の内の2巻目だけが売り切れていてない。
案外人気なのか、それとも最初から少ししか入荷していなかったのか――ともあれタイミングが
悪いことに変わりはない。

運が悪い日とはこういうものだ。
土田をさっさと追い出した後、DVDでも観るかと思ったものの、考えてみればそれはイヴの時と全
く同じ行動な訳で、それも何だか空しいからと外へ出た。街をぶらりと歩き、バレンタインデーの
文字には背を向けて、喫茶店に入ろうとしたら目当ての店は満席。しかたなく暫く歩いて別の喫
茶店に入れば、今度は煙草の箱が空だった。それでもどうにかこうにかコーヒーを飲みながら小
説を読んで時間をやり過ごし、その後本屋に来てみれば、今度は目当ての本がない。
全く、どうしてこうも今日は全てが上手くいかないのか。

――もう1軒回ってみるか……。

金子はちらりと腕時計を見る。時刻は既に夜の9時近い。元々出かけたのも遅かったが、本屋に行
く前にあちこち立ち寄ったから、余計に遅くなった。

――どうせ土田は遅いだろうし。

そう苦々しく思いつつ、不意に視界の端に入ったのは、背表紙に印字されたある本のタイトル。

”愛するより愛されたい”

何故かそのタイトルに苛々して、金子は目を逸らすと足早に本屋を出た。


――何を言う。愛されるより愛する方がいいに決まってるだろう。何より自分の気持ちの浮かれ具
合が全然違うじゃないか。追うスリルがたまらないじゃないか。少々緊張感のある関係の方が常に
新鮮で、会うこと自体が斬新で、そして刺激的なのだ。何も50年先を見越して相手を探している
訳じゃないんだ。恋愛は熱い方がいい。その為には、愛されるよりも愛する方が楽しい。絶対そう
に決まっている!

心の中で、自説を散々ぶちまけてみた。そうしてふっと溜息をつく。
何だか、少しすっきりした――と同時に、少しばかり空しくなった。

もうバレンタインデーなどどうでもいいと思う。少々拘り方が子供じみていると自覚はあったし、
鈍感な土田にあんなことを期待した自分の方がむしろ間違っているのではないかと思わなくも
ない。
それに、土田はこの数日間、本当に困惑していた。あのいつも堂々とした男が、少々躊躇いがちに
遠慮がちに生活していた。
おまけに昨晩など、こうしたいだけだ、などと言って人をいきなり背中から抱き締めてきた。
それだけで、もういいじゃないかと思う。自分程の気持ちを土田が持っていなくても、土田は土田
なりにきっと自分を想ってくれている――と思う。
だから、それで十分じゃないかと思う。

それなのに感じる、この一抹の寂しさと、焦り――いつから自分はこんなに欲張りになったのか。
嫌われていないのならいいと最初は思っていたのに。拒まれなければそれでいいと感じていた
はずなのに。

3ヵ月半ほど前――未だ自分達は同じ大学で同じ専攻科目をとっている級友に過ぎなかった。
その土田を、誕生日詐称までして家に呼び、そうして薬まで盛って半ば強引に抱き合ったのだ。
それに比べたら、今の状況がどれだけ進歩したものか分かる。同じ家に住み、同じベッドで眠り、昨
晩などはあまつさえ後ろから抱き締められて……

急に顔がかあっと熱くなった気がして、思わず手の平で口元を押さえた。
街中だというのに、歩きながら1人顔を赤くしているなんて、みっともないことこの上ない。だから、
自然と急ぎ足になった。だが、足早に歩む内、金子は自身に問いかけていた。

――それなのに、さらに上を自分は求めているのか、と。

そうじゃない、そんなつもりはないんだ――そう自分自身を否定しようとする。
だが、一方で否定の言葉は空しく心に響いた。それが本心ではないと自分で分かっているから、
その言葉だけがまるで風に舞う枯れ葉のように、軽々しく宙に浮いている。

心に嘘はつけない。自分に嘘はつけない――頭では理解しても、心で納得しない言葉など、答え
ではない。

土田の想いと自分の想いが同じであって欲しい。自分と同じ位、土田にも想っていて欲しい――
そう願い、求めている自分がいる。それが本心だと分かっている。
だから、口ではどう言っていても、所詮答えはそこにしかない。

――自分と同じ位、土田も自分を愛して欲しい。自分が土田を他の誰とも代え難いと思うように、
土田にもそう思っていて欲しい。

そうすれば、きっと自分のこの強すぎる想いも、土田の負担にならずに済むのではないかと思え
るのだ。







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