CHAPTER 1 : HEILIGER VALENTINES TAG 4


『あ……』

ふと我に返って、金子は足を止めた。
よく見れば、目の前に広がるのは通いなれた道、そして馴染みの景観――色々と考えごとをして
いたら、いつの間にか家に向かってしまっていたらしい。とはいえ、家はもう目の前にある。今から
駅まで戻って別の本屋に行くのも、億劫だった。

――まあ、いいか。二度あることは三度あるというし、こんな時はどこに行ってもお目当ての本な
ど見つからないかもしれない。

そうあっさり諦めると、オートロックのエントランスを開錠し、エレベーターに乗り込む。
マンションの目の前まで来た時、チラリと上を見上げてみたが、自分の部屋は暗いままだった。案
の定、土田は未だコンサートから帰っていないのだろう。

さて……バレンタインデーなど、もうどうでもいいかとさっきまで思っていたものの、そうなると
折り合いの付けどころが難しい。安易に妥協した素振りを見せれば元々の怒りの理由を問われか
ねないし、それに根本的な不満が解決した訳でもないから、安易に態度を戻すというのも躊躇わ
れる。といって、ここは自分が1つ大人にならなければ話が進まないという側面もなきしにもあら
ずな訳で……さて、どうしたものやら。

そんなことをつらつらと考えながら部屋に入り、ドアを閉めるとコートを脱ごうとして、手に持って
いた紙袋を見た。探していた復刻版の小説の、第1巻と第3巻だ。
そもそもこの小説を買いたいが為に外出した訳だが、第2巻が抜けている以上、今開けて読む気
にはならなかった。例え2巻目が抜けていても第1巻があるのだから、読み始めることは出来る。だ
が、それでもし夢中になって読み進んでも、2巻目がない以上そこで止まらざるを得ない。それ位
なら、いっそ第2巻を購入するまで全く手をつけずに本棚にしまっておいた方がいい。

――幸い、未だベッドルームには読みかけの本があるしな……

そんな事を考えながら、大きな本棚のある洋間のドアを開けて――


『!ぅわっ?!』

バサバサッ……

思わず、あからさまに気が動転した、間抜けな声を上げてしまった。いや、声だけでなく、本まで落
した。

『な、何してんだ、お前っ!』
「――戻ったのか」
『は?!それは俺の台詞だろうっ。お前こそ、いつ帰ってきたんだ!』

金子は急いでドアのすぐ横の壁にある電気のスイッチを押した。
そこには――土田が居た。

「15分程前だ」
『……』

金子は、全く動じた風もない、むしろ静かな面差しの男を見下ろした。

『――で、明かりも付けずにフローリングの洋間に端坐して、一体何をしているんだ。でっかい座敷
童子でも居るのかと思ったぞ』
「考えごとをしていた」
『……ふん、まあどこでどう考えごとをしようと、お前の勝手だけどな』

金子は、落した本を拾い上げて本棚にしまいながら、冷ややかに言い放つ。

土田が既に家に戻っていたことは予想外だった。外から部屋の窓を見上げた時、真っ暗だったの
だから、当然だ。だから、この男に対して今後どう対応すべきか考えがまとまっていなかった。そ
れに、単純に先程驚いた時の動揺が未だ残ってもいる。そんなことがあれやこれやとあるから、
つい冷静さを保とうと思ったら、必要以上に嫌味な口調になってしまった。

「――金子」
『何だ。ああ、いや、悪いが俺は――』

お腹が空いているのだ。だから後にしろ――未だ何も言われる前から、逃げ口上を続けようとし
た。
未だ自分自身が今後どうすべきかも決めてない。不意打ちにあったから尚更だ。今話をしてもな
し崩しになりかねないから、余計なことは言いたくないと思った。

だが土田は、そう言いながら部屋を出ようとした俺の後ろから、酷く真面目な声色で言った。

「話がある」

何故か――必要以上にその言葉は重く響いた。

「座ってくれ。時間はとらん」

金子は、ドアの前で足を止めたまま立っていた。出来ればこのまま無視して逃げたかった。

一体何の話があるというのだ。何故そんなに真剣な声で言うのか。俺は飯を食いたいんだなんて
言えない空気じゃないか。そんなに大事な話なのか?正座して話す程の、そんな重要な内容なの
か?まさか――一瞬の内に、金子の心の中に色々な想像が浮かんだ。

要を見たら、やはり俺との関係は違うとでも気づいたのか?本当に好きなのは要だと、再認識で
もしたのか?確かに、俺と違ってステージ上の要はバレンタインデー如きで何日も怒ったりはしな
いだろう。どんな時だって眩しい位の笑顔に違いない。いや、笑顔じゃなくたって、土田にとって
は眩しいに違いない。そんな目映い要を見た後だ。
どんな現実だって色褪せる。況して、俺は要じゃない。要のような男ですらない――

「金子」

だが、言い募る土田の言葉はあくまで静かで、そして、何か有無を言わせないような響きだった。
ここまで来ては、観念するしかない。

『ああ、ああ。分かった。だがコート位脱がせろ』

俺は何とかそれだけ言うと、急いで部屋を出た。


――苦手だ。こんな状況も、真面目な話も。

金子は、まるで判決を待つ被告人のような複雑な思いで玄関に行くと、コートを脱いだ。

元々あらたまって話をされるのは大の苦手だ。議論ならば誰にも負けないと自負するが、それは
自分自身についての話ではない。世情だとか他人のことならいくらでも話すが、自分に関わると
どうも冷静さに欠けるきらいがあるとは自覚していた。だから、これまでだって何となく飄々と避
けてきたのだ。
だが、今はそうもいかない。このまま玄関から逃げ出したい位だが、逃げた所でどうにもならない。

何故逃げたいなどと考えるのか。
それは実のところ、状況に対する得手不得手の問題ではなく――土田の真面目な顔が、不安にさ
せるのだ。ここ数日、殆ど口をきかなかったから、その間に土田は何らかの答えを出したのではな
いかと。否、答えを出すことが悪いのではない。むしろ、そう仕向けたのは自分だ。土田の、自分に
対する気持ちを何らかの形で知りたかった。土田に、答えを出して欲しかった。
だが、いざとなるとやはり聞くのは怖い。何故だか分からないが、どうしても悪い方にばかり考え
てしまう。何故俺はこんな取り返しのつかない状況にしてしまったのかと、後悔さえする。そう、こ
んなことなどしなければ良かったのだ。当たり前のような顔をして、普通にチョコレートを寄こせ
と一言言ってしまえば良かった。そうすれば、きっと土田はくれる。
それで満足していればよかった。そうすれば、こんなことにはならなかったかもしれない。例え、
それが最終的に問題の先延ばしにしかならなかったとしても、少なくとも今、聞きたくもない答え
を聞かされるかもしれないなんて恐れはなかった。
もう少し長く、楽しい時間を過ごせたかもしれないじゃないか――


「金子。どうした」

その言葉に、ハッとした。気が付いたら、玄関でずっとコートにブラシをかけ続けていた。

『ああ……今行く。そんなに急ぎの話なのか』
「――そういえば、冷蔵庫に入れておいた」
『何を』
「チョコレートだ。テーブルの上に置……金子?」

ボトッ

思わず、今度はコートを床に落した。

そうだ――そんなもののことなど、すっかり忘れていた。大学で女友達からもらった複数のチョコ
レート。もらう時は会心の笑みでありがとうなどと言っておいたが、その実、家に帰ったらそのまま
テーブルに放置していた。別に土田に対するあて付けでも何でもなく、今の今までその存在すら
忘れていた。

『あ、いや、それはだな、別にどうという意味はなく……』

何故か、やけに動揺した。自分の不満の上に、さらに土田から聞かされるであろう真面目な話が重
なって、その上に今回の原因でもあるバレンタインデーの必須アイテムのことが重なって……も
うどこを優先して解決していくべきなのか分からなくなってきた。
そうして、妙な焦りで急いで土田の声のする方に振り返ったら、土田は驚く程すぐ傍に居た。

土田は無言で人の顔をチラリと見ると、そのまま俺の後ろに回り、置き去りになっていたコートを
拾い上げてハンガーにかける。

「どうした――と今頃聞くのも、間が抜けているな」

確かに、今の俺はかなり挙動不審だ。だが、俺の様子が違うのはもうここ数日間続いている。土田
もそれを分かった上で今更だと言いたいのだろうが、それを言うなら、今の土田もどこか、何か
が違う気がする。


「あれをくれたのは、女性か」
『え?……あ、ああ』
「――そうか」

相変わらず、抑揚のあまりない低く、そして落ち着いた声――だが、何だろう。何か、空気が違う。

――もしかして、呆れられたんだろうか。

自分達の間柄が少々ぎくしゃくしている時に、人からチョコレートをもらって平気でテーブルに置
いておくのは、少々嫌味だったかもしれない。いつもの土田ならば別に気にも留めないだろうが、
今は状況が状況だ。くれたのは女性かどうかなど聞いてくる辺り、案外気になるところでも……
て……待て。あれ……?

瞬時に何か重要な答えを出しかけたのに、土田の続く言葉にその思考は遮られた。

「金子――お前は今、不幸ではないか」
『は……?』

何なのだ、その唐突に重い問いかけは――唖然とするような質問に、思わず振り返って土田の顔
を見た。そうして僅かに見上げたその顔は――至極真面目だった。とても冗談を言っているよう
には見えない。

『……俺が不幸だと思うのか』
「……」

――どうしてそこで黙るのだ。俺に何らかの答えを出せとでも言うのか。

『ならば聞くが、俺が不幸だとすれば、それは何が原因だと思うんだ』
「――俺にもよく分からん。だが、もしお前が幸せではないと考えるのならば、その責任の一端は
自分にあると思う」
『……珍しく長台詞だな。だが、どうして俺の幸不幸にお前が責任を持つんだ』
「一緒に住んでいるからだ」
『……』

――おい、よく考えると、今の言葉は随分と大胆じゃないのか?それとも、俺の深読みのし過ぎか?
いや、だけど、一緒に住んでいるから俺の幸せにも責任を感じるって……おい、俺達は夫婦か?!
そこまで進んでたのか?!いつの間に?!

だが、そんな心のつっこみとは裏腹に、口ではついつい冷静な言葉が勝手に出てしまう。

『別に……一緒に住んでいるからといって、お前が責任なんか感じなくてもいいじゃないか』
「……俺はそうしてもいいと思った。だが――お前には重荷か」
『え……?』

――ま、待て。何だ、一体何が起こっているんだ?これはどういう展開なんだ?悪いのは俺か?
これじゃあまるで、俺が土田の気持ちを拒んでるみたいじゃないか!


「――すまん。俺には、お前の不満の元はよく分からん。だが、そういう気持ちは持っている、とい
うことだけは伝えたかった」
『…………』
「……話は、それだけだ」

土田は、そう言うと視線を逸らした。心なしか、ほんの少し土田の頬が赤い気がする。それが証拠
に、バツが悪いと感じたのか、土田はそのままくるりと背を向けた。そうして、離れて行く。


一瞬、ボーッとしてしまった。
思いもかけなかったものだから、今の言葉をどう解釈すれば良いのか分からなかった。少なくと
も、別れ話ではない。要が好きだという意味にも、どうやっても取れない。
だけれど、今の言葉は、自分が望んだ答えと本質的には重なっているのか?
俺の意図など全く見抜いていないのに?怒りの原因など、結局分からずじまいなのに?それなの
に、答えだけが正解なのか?大体、どうしてこの男はまた、核心にかすりながらも微妙に外すのだ
ろう。どうして本当に欲しい答えとは少し違った言葉、もしかしたらより深いであろう言葉を残す
のであろう。確かにあれは、土田の気持ちだ。それに、土田は俺を大切に考えてくれているという
風に取れる。そういう意味では、俺の望んだ「答え」ではあるだろう。

だけれど、そうではなく――

『土田!』

俺は立ち去りそうなその背中に向かって声を上げた。


俺の幸せなど考えてくれなくていい。何らかの責任感など、持ってくれなくていい。
そうではなく――俺はただ、分かりやすい言葉が欲しいだけだ。俺のことが好きだと、ただその
一言が欲しいだけなのだ。





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