CHAPTER 1 : HEILIGER VALENTINES TAG extra-2


吐く息が白い。だが、心は寒くない。
我ながら、少々単純なのではないかと思わなくもないが。

こうして同じようにベランダに佇んでいても、今日の朝と夜とではまるで状況が違っていた。
確かにもらった答えには、「好き」や「愛している」に直接繋がるようなものは何も含まれていなかっ
たが、それでも土田が己の欲を1つ断ち切ってもいいと思う程には俺を想ってくれている。聞いた
当初は、何やら答えを誤魔化されているような気がしたが、冷静に考えてみれば、いかにも不器
用で実直なあの男らしい気持ちの表し方だと思う。
いや、それだけじゃない。あれは土田のお人好しも表わしている。
あの提案は、考えてみれば随分と大胆だ。俺が何を要求するのか土田は分からないというのに、
分からぬ内から実行するということだけは約束してしまうのだから。勿論、心中などという荒唐
無稽な要求は、本気ではないとすぐに看破されてあっさり却下されたが、要のコンサートに生涯行
かない、という要求も決して低いハードルではなかったはずだ。だが、土田は承知した。
俺があの後撤回しなければ、土田は律儀に実行したことだろう。
ブレることなく、義務感にも似た実直さで万事真剣に取り組み、生きるあの男が唯一感情と本能
の赴くままに気持ちを解放し、心を傾けるひと時――それが要のコンサートだろうに。
こんなことを言うつもりはさらさらないが、もし、俺が死ぬその日まで俺にご飯を作り続けろと言っ
たら、あの男は貫徹するんじゃないか。

それ程までに重い可能性を秘めた約束――しかも、土田はそのことを十分自覚した上でやって
いるのだから敵わない。そんな約束をしてもいいと思う程に俺の幸福を願い、俺を大切だと思っ
てくれているというのならば、それは破格の扱いだ。過分だろうと思う。

――思うのだが……。

何だか――困る。いや、嬉しいことに違いはないのだけれど、何だか少し困るのだ。
少し前にあったことの顛末を思い返しては、少々バツの悪い気持ちになる。一兎を得ようと仕掛
けを作ったのに、思いがけず二兎も罠にかかっていた――何やらそんな感じだ。想像していたよ
りも大きな答えを得てしまったようで、戸惑う。本当なんだろうかと、却って疑いたくなる程だ。
散々土田に答えを出せと迫っておきながら、聞いたら聞いたで落ち着かないというのもどうなん
だ、とは自分でも思うが、土田は時として自分の予想を遙かに越えたことをする。それは嫌だと
まではいかないのだが、少々困惑させられる。何やら落ち着かない。聞いたばかりだから余計な
のだろうが、どうにも困るというか、居心地の悪さを感じてしまうのだ。

――いや、悪くはないんだが、どうもな……。

複雑な気持ちを抱えながらも、否応無く心の内から発散される熱の温かさに辟易して、澄み切っ
た夜空に白く光る月を見上げた。
その煌々とした光に、心の内まで照らされているような気がした。



「金子。風邪をひくぞ」

いつまでも窓の外で夜空を眺めている自分に土田の嫁心が疼いたのか、窓を開けては少々説教
じみた口調で咎める。

『土田、それより来てみろ。これこそ寒月だぞ』

俺はそんな小言に表れる”いつもの”土田らしさに僅かばかりの安心感と、そして可笑しさを感じ
つつ、冬の終盤に冴え渡る月を指し示す。だが、土田はある意味予想通りの答えを淡々と返した。

「部屋の中からでも見える」

俺はそんな答えを予測しつつも、敢えて少々オーバーに首を横に振った。

『お前は本当に風流というものを解さない男だな。エアコンの効いた暖かい部屋の中から月を眺
めて、それのどこが寒月なんだ?そんなことで風情が分かると思うか?』

そう言って振り返ると、土田は困ったように眉間に皺を寄せた。
その顔がおかしくて、俺は土田を手招きする。

「……何なのだ」

そう言いながらも、結局のところ人の好い土田はベランダにある履き物を履いて傍に来る。土田
が目の前まで来たところで、俺はその腰に腕をまわした。

『いや――ならば、人肌から暖を取っての観月であれば、それはそれで風流かと思ってな』

土田がどんな反応をするのか楽しみで、その顔を覗き込む。だがそこにあるのは、予想していた困
惑の顔でもなければ、ある種の諦めを含んだ達観の表情でもなかった。そこには、視線を鋭くした
不満げな、俺の行動に対する不信感すら浮かんでいる。

その顔は、どういう意味だ?まさか、本当に俺がウザイなんて思ってるんじゃないだろうな――

こんな時、自分の浅はかな行動を後悔しそうになる。
冗談が通じないとかそんなことではなく、何やら自分が酷く滑稽に見えてくるからだ。嬉々として
土田を構う自分と、それを快く思わない土田。まるで、やはり互いの想いには未だ大きな隔たりが
あるのだと指摘をされているようで……先程まで心躍らせていた自分が、愚かに見えてしまう。

浮かれていた自身に対してなのか、それとも真意の読めない土田に対してなのか分からないが、
少々腹立たしく思いながらも、腕を緩める。すると、追討ちをかけるように土田がその腕を掴んで、
己の体から引き剥がそうとした。
その行動に、カッとなった。
土田の積極的な拒否に却って反抗心が煽られて、俺は腕に力を入れて引き剥がされまいと抵抗
しつつ、土田を睨み付けた。

『随分と薄情だな。お前は風情を解さないばかりか、人情すら解さないのか?』
「そういう問題とは違う」

土田が不本意だと言いたげに、益々眉間に皺を寄せるものだから、ついムキになって反論する。

『じゃあどういう問題だ』
「まずは離せ」
『最初に理由を言え!』

これじゃあ押し問答だ。これには土田も同じ気持ちを抱いたのか、何やら困ったように小さな溜息
を漏らす。それでも、土田は尚も力の籠った俺の腕を片手で引き剥がそうとするものだから、土田
のシャツ袖を掴んだ。すると、今度はそれを離そうとする。
そんなにも引き剥がしたいとは、一体どういうつもりだ!――そう思ってムキになって抵抗しよ
うとしたら、土田が何故か腕も含めて抱え込むように人を抱き締めてきた。

『なっ……』

咄嗟のことに驚いて、一瞬力が抜けた。
すると、土田は何故かくるりと俺の体を半回転させた。

『は?!ちょっと待て。お前汚いぞ!大体何だ、これは!対話拒否か?!』

対話の相手が背後に居ては話も出来ない。何より、この行動の意味が分からない。だから、首だけ
後ろの方に向いて抗議した。

すると、土田の再度の溜息。

「違う。――こうしなければ、お前は月が見えんだろう」
『…………』

一瞬言葉に詰まった。
確かに俺は土田の居る建物側に振り返っていたから、月は俺の背後にあって見えない。

だが、それならそうと言えばいい話だ。大体、自分の行動に対する事前の説明が全く抜けている。
あの物言いで土田の意図が分かる奴がいたとしたら、神憑りだろう。”土田読心術”の権威になれ
る。――いや、そんな術が存在しているのなら、俺だってマスターしたいところだが。
それはともかく、土田の奴、言葉足らずもいいとこだ。土田の言葉というのは、確かに真っ直ぐで
はあるが、修飾――いや、それが無ければ意味は何通りにもなるのだから、修飾というよりは在っ
て然るべき説明文だ――が、無さ過ぎる。
確かに、既に月見は単なる口実となりつつあって、実際には土田を構うことに比重は重きをおか
れていた。だから俺の視線は完全に月から土田に移っていた。
だが、そんな分かりきっていることを、敢えて分かり難く指摘するんじゃない。大体、あの表情も、
言葉も、完全に間違っているだろう。

『お前は、分かり難すぎるっ』
そういうと、土田は素直にすまん、と一言謝った。

『大体だな、俺は窓に映る月を眺めるつもりだったんだっ』
「そうか。――だが、確かにキレイだ」
『おい!お前、俺の話をちっとも聞いてないだろう!』

さらに言葉を続けたかったものの、当の本人は人の抗議などどこ吹く風で、しっかりの人の体に両
腕をまわして、穏やかな表情で暢気に空を見上げているものだから、何だか1人で怒っているの
が馬鹿馬鹿しくなってきた。
だから、殊更な溜息で怒りを発散させて、土田の視線の先へ目をやる。すると、まるでタイミング
を計ったかのように、土田が呟いた。

「ああいうのを、寒月というのか」
『ああ、そうだ。辞書で調べてみろ。載っている』
『……光が、眩しい位だ』
「――ああ」

すぐ背後から聞こえる深い低音の声が、まるでマフラーのように首の辺りを包み込む。
僅かばかり後ろに体重を預けてチラリと後ろの方を窺ってみたら、土田は無言のまま危なげなく
それを受け止めていた。

自然とまわされる腕が嬉しい。当たり前のように身体を寄せてくることが嬉しい。
直前まで怒っていようとも、複雑な思いを抱えていようとも、つい反射的にそう感じてしまう自分
がいる。

やはり、土田の気持ちを確かめておいて良かった――改めてそう思った。
感情が分かり難い土田のことだから、今後も小さな誤解は出てくるだろうが、それでも、最終的に
は土田は俺を大切に想っているのだという気持ちを根底に持っているのといないのとでは、受け
止め方が全然違う。
勿論、先のことは分からない。ごくごく普通のカップルに比べれば面倒ごとは多いが、それを度外
視しても、やっぱり先行きが不透明であることに変わりはない。
だけれど、少なくとも今は――土田は俺のことを特別に想っている。それだけは、曲解のしようが
ない事実なのだ。



『土田――』

土田は大人しくしている俺に安心しきっていたのか、腕の中で土田の方に振り返るのにさほど力
は要らなかった。

「ああ」

土田は俺の行動には何も言わず、ただ呼びかけにだけ答える。

『いや――月見だからな』
「?どうい……」

何事か言おうとして、開きかけた土田の口を唇で塞いだ。
土田の冷えた唇の表面に磁石のように引かれて自分の唇を押し付ければ、そこからじわじわと熱
が宿り、そして胸の辺りまで広がっていく。外気が冷たいせいか、土田と接している部分だけが生
きていて、それ以外の部分は熱が通っていないかのようだ。
ほんの少しだけ顔を上げて、そしてほんの少しだけ斜めに傾ける――自然と覚えた感覚でより深
く繋がる角度を探り当て、舌を口膣に滑り込ませる。
温かいというよりは熱いとも思える土田の舌に己のそれを絡めると、軽い目眩さえ覚えた。

『ん……ぅ……』

もっと。もっと深く――逸る気持ちで何度も角度を変えては、唇に吸い付いて、まるで互いに奪い
合うようにして口膣を掻き乱す。

その内理性を失いそうになって、俺は土田の背中のシャツを引っ張り、唇を離した。
互いの僅かに乱れた呼吸が冷気の中で白く発せられては、消えていく。
微かに感じる喪失感に口寂しさを覚えながらも、手の甲で口を拭って土田の顔を見上げた。


『――月見に、美酒はつきものだろう?』

そう言ってにやりと笑ってやれば、土田は一瞬目を丸くし、そうして意味を解したのか眉を顰める。

「いきなり酒を飲まされた気分だ」
『不味かったか?』
「……」

土田が返答に窮したように黙る。だが、嫌ではなかったのだとはその表情で分かる。本当に嫌な
らば、人の好いこの男のこと――俺を傷つけないようにと言葉を選んで、却って墓穴を掘るのが
関の山だ。そうでなくとも、この男は図星を指されると黙ることが多い。だからこそ、何やら気分
がいい。俺は土田の首に両腕を絡めて、尚も問う。

『判断出来ないのなら、もう1度するか?』
「馬鹿者」

土田の怒ったような、それでいてどこか諦めにも似た表情――そんな時の土田は、口では何を言
おうとも許容している。これも土田にはよくあることだ。そう分かっているからこそ、楽しくて――
そして面映い。

『土田――』

室内の明かりを背にした土田の顔は暗くて、よほど近くなければその表情がよく見えない。だか
ら、今にも互いの鼻先がつきそうな程の傍で囁く。

『少し、酔いが足りないな』

すると土田は、まるで俺が本当に酔っ払っているのではないかと疑うように人の顔を窺ってくる。
その様子が可笑しくて、笑った。


『ああ……しかし、本当に気分は悪くないな』
実のところ、少々酔っているような気分だった。何やら心が浮かれている。こんな他愛も無い会話
も、時間の過ごし方も、何だか楽しい。


土田。敢えて約束などしなくても、お前は今、ただそこに居るだけで十分俺を幸せな気分にさせ
てるぞ――そう言ってやりたいような気分だった。


『――で?お前はどうなんだ。酔っ払いに付き合ってやろう、という介添え人の心境か?』
どうにも止められず、つい口元を綻ばせながら土田の反応を窺う。

「いや――」
すると、土田がすっと目を細めた。そうして、不意に掠め取るように口付けされた。

『……土田?何なんだ、突然』

口付けの理由が思い浮かばず、訝しげに視線を送ると土田が軽く首を横に振る。

「いや――俺も少々酔ったのかもしれん」

そういう土田の表情は、微笑んでいるような気がした。






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