CHAPTER 2 : AKITA AND HIS BLOWING MIND 1


「悪いなあ、金子……」

酒の匂いをぷんぷんさせた赤ら顔が、金子の顔のすぐ目と鼻の先の辺りまでぐっと近づいてくる。
『いいから……そんなことより酒臭い』
金子は思わず顔をしかめて顎を引いた。

「へへ……じゃあお詫びに一杯……」

赤ら顔はさらに破顔して、ビールの缶を傾けようとする。
『おい、危ないからいい、いい!人の世話など焼かなくていいから!』
こちらはグラスも持っていないというのに人の前で缶を少々傾けるものだから、焦ってそれを取
り上げた。
「あ、俺の酒を……おぉーい、盗らないでくれよぉ……」

先程までへらへらと笑っていたと思ったら、今度は急に泣きそうな顔になって奪われた缶ビール
を取り返そうと、両腕を広げて覆いかぶさってくる。

――相手にしきれない。あまりに始末が悪すぎる。

『ちょっと、いい加減に――』
そう言ってその腕を外しにかかったところで――背後から静かな、だけど厳しい口調の声が響く。

「その位にしておいたらどうだ、秋田」
背後の声の主を振り返れば、土田が厳しい目つきをして立っていた。
「あ、土田〜……お前、酒なら家で飲めばいいって言ったじゃないかぁ〜……」
「そう言わなければお前はあの店から出なかっただろう。ほら、飲め」

土田は金子にしなだれかかっていた秋田を腕力で剥がすと、その手に水の入ったコップを持たせ
る。

「そんなに酔ってねえよぉ〜……」

渡された水を不満そうに見下ろす秋田。そうは言っても抵抗しない辺り、酔っ払ってはいても力で
は土田に敵わないという判断は出来ているのか。
コップの中身をじっと見つめていたかと思うと、秋田はふいに座った目をして顔を上げる。

「お、そうだ……そういえば、どうしてお前らは一緒に住んでいるんだったっけ……」

その言葉に、金子は僅かに目を見開いた。





秋田は土田の友達だ。いくつかは同じ科目を取っている金子にとっても知人ではあるが、気心の
知れている相手という程ではない。土田はともかく、金子にとっては自宅に招くような間柄では
なかった。

まして――今は夜中の12時過ぎだ。


「すまん……」
土田が金子の耳元で小さく呟く。
『……で、泊まらせるのか』
金子は視線だけを土田の顔に送って溜息混じりに小声で返した。土田は眉間に皺を寄せて、ソファ
にうなだれている秋田を見下ろす。

『……ま、答えは分かっているがな』
「……」





土田から携帯に電話があったのは今日の夕方の7時過ぎ。秋田と飲むから、と説明は僅かに一言
だけだった。土田の言葉足らずはいつものことだ。
それに、誘ったのは秋田の方からだったのだろうとは電話の雰囲気から伝わってきた。友人と飲
みに行くなど別に珍しくもないし、自分がとやかく口を挟む問題でもない。
だから、自分は自分で久々に1人、ジャズでも聴きながらゆったりと午後のひと時を楽しんでいた
のだが――夜も11時を過ぎてから、玄関の外の方から男同士の話し声が微かに聞こえてきた。
隣の部屋辺りの住人だろうと特に気にも留めずに雑誌を読んでいると、開錠の金属音はより近く
で、直接的に響いてくる。
ああ、帰ってきたのか――そう思って顔を上げたら、土田と……そして何故か、土田の肩を借りた
秋田がそこに居た。

大体、秋田はここに来た時点ですっかり出来上がっていた。先程土田が言った通り、既に飲み屋で
大分飲んでいたのだろう。
秋田は、ある意味土田とは対照的に少々体型が貧弱……いや、痩せ過ぎの感がある。だから、そ
の気になれば土田は秋田を店から強引に引っ張り出すことも可能だっただろう。それどころか、
秋田を背負って家に送り届けることだって出来ただろう。だが、それをするには気が引ける事情
があったのか――土田は秋田をここへ連れて来た。

結局、ここに来てから秋田は飲み足りないと喚いてみたり、落ち込んでみたりするものだから、何
だかんだと宥めすかしては、仕方なくアルコール度数の低い缶ビールを1本手渡してやった。
すると、秋田はビールを飲みながらポツポツと独り言のように話を始めた。

どうやら、女に振られたらしい。
そうか、自棄酒に土田は付き合わされた訳か――それで漸くことの顛末が金子にもみえた。
確かにそれならば秋田が酒を煽りたくなる気持ちは分からなくもない。1人で居ては落ち込むから、
誰かに傍に居て欲しかったのだろう。自分ならば、例え友人といえども他人に恥を晒すような真
似など絶対にしないが、一方でそんな輩も案外居るのだとは理解している。
そんな友人に誘われては、土田も断りきれなかっただろう。それに、これだけ酔った秋田をアパー
トに送り届けて、1人置き去りにすることも少々心配だと思ったに違いない。
それは分かるのだが。


「なあ、土田ぁ。お前の部屋で飲み直そう……」
秋田がフラフラと立ち上がる。
「飲み過ぎだぞ」
土田が足元のおぼつかない秋田の腕を掴む。
「お前の部屋は何処なんだぁ……?」

秋田が潤んだ目で土田をじっと見上げている。一方の土田は一瞬眉を顰めた。
金子は、ハッとした。もしや……そう思って、土田の名を呼ぼうとしたその時――

「特にない」

土田が、ぼそりと答えた。
いや、もしかしたらさすがの土田も一瞬躊躇ったかもしれない。だが、所詮は嘘のつけない男だ。
躊躇しようが、澱みなく答えようが、結局最終的に出てくる言葉は同じにしかならない愚直な男だ。

特にない――部屋が一部屋しかないのならばともかく、2LDKで個人部屋がないなど同居では在
り得ない。大体、友人に対して「個室は用意出来ないが一緒に住まないか?」などと誘う馬鹿がど
こに居る。恋人同士の同棲ならばともかく、同性同士の単なる同居では絶対に在り得ない話だ。

「はぁ?ないとはどういうことだぁぁ……金子と一緒の部屋なのか?」
酔っ払いのくせに。いや、酔っ払っているせいなのか、その不可思議さを鋭く勘付いた秋田がさら
に遠慮なく言い募る。

『いや、秋田、そんな訳はないだろう。つまらん冗談はさておき、では俺の部屋で飲もうじゃないか』
どうせ土田に上手いフォローなど浮かびはしない――そう判断して横から口を挟むと、秋田がぱっ
と表情を明るくしてこちらを向いた。
「そうか、そうかあ、やっぱり金子は話が分かるなあ……」

「おい、金子……」
秋田にこれ以上酒を飲ませるつもりか――恐らくはそんな辺りの抗議をしようと口を開いた土田
を、俺は視線だけで制して秋田に薄く微笑みかける。さらに秋田の肩に手を置いて、まるで子供を
諭すかのように言葉を進めた。
『だが……野暮なことは言いたくないが、俺は少々風邪気味でな……だから、一杯だけだ。だが、
特別に美味い酒を出してやる。年間生産量が限定されている一級品の日本酒だ。それでいいだ
ろう?秋田』
「そ、そうか……悪いな……じゃあ、その美味い酒を一杯だけ……」
風邪などひいてはいないが、大学では「些か病弱気味だが成績優秀な学生」を通している自分が
言うと説得力もあるらしい。何より、このまま土田の指示に従って一杯も飲めずに水で我慢するよ
りは、例え一杯でも飲めた方が秋田にとってはいいに決まっている。
しかも、「美味い酒」だ。

秋田は、少々恐縮したような表情で答えた。



「ぅわわわ……大きいベッドだなぁ……これ、金子1人用?」
寝室兼自室にあたる部屋に案内するなり、秋田は奇妙な感嘆の声を上げた。
確かに北欧製のこのベッドは少々大きいかもしれないが、といって奇声を上げる程馬鹿デカくは
ないだろう。
大体、酒の入った秋田は先程から遠慮がない。ともすると、そんな言葉すらも何らかの含みがある
かのように聞こえてしまうが、考えてみればこのベッドは土田が越してくる前から使っていたの
だから、深読みする必要はない。

『もちろん、そうだが?……て、おい、何を――』

一瞬よろけるように揺れて見えた秋田の体が、大きく宙に浮いた。
そうしてまるで棒高跳びの選手のように弧を描いたその体は、次の瞬間、ベッドに仰向けに沈むよ
うに、全身で着地した。

「うおーっ、すごいなーっ!」
『お前は小学生の子供か!』

楽しそうに小さな黒目を輝かせた秋田に、思わず素でツッコミを入れた。柳のように細い秋田の
体は、ベッドに着陸した後もその上で波打つように揺れている。
背後に立っていた土田の顔を盗み見れば、眉間に皺を寄せ、呆れたように溜息をついていた。
後ろの方で呆れていないで、何とかしろ――そう思ったが、黙っていた。


『おい、秋田……もういいだろう。いい加減にベッドから――』

「ぅおっ?!」
だが秋田は、人の言葉など全く聞こえないかのように、再び奇声を上げた。
『……今度は何なんだ』

怒気の混じりそうな声色を努めて抑え、ともすれば引き攣りそうな顔を引き締めながら問うてみ
れば、秋田は少しばかり上半身を起こして横を向いた。

「……ふうん……いやぁ……意外だなあ……」
『は?何が――』
と言いかけて、ハッと気づいた。秋田の視線の先にあるものに。
「それ……何だかイメージ的には土田のっぽいような……」
そんなことを言いながら手を伸ばすものだから、思わずその手の先にあるものをひったくった。
『な、何を言う。俺のものに決まっているだろうっ。ここは俺の部屋だっ』
「そうなのかぁ……金子って、シルクのパジャマとか着てそうなイメージがあってなぁ……」
『余計なお世話だ!』

秋田の奴――案外鋭い。
確かに、白地に紺の細いラインが入った実用性一直線の親父のような綿100%パジャマは、断じ
て俺のものではない。シルクのパジャマはともかく、自分の寝具はブランド物で揃えている。
つまりこの親父パジャマは――当然、土田のものだ。全く、土田のお陰で俺のセンスまでが疑われ
てしまう。だが、俺の部屋だと言っている以上土田のパジャマがこのベッドに置いてあるのは明
らかに不自然だ。土田が洗濯物を取り込んでいれば、このパジャマもたたんで棚に片付けておい
ただろうが、今日は土田が秋田と飲みに行ったものだから、自分が入れた。
自分にしてみれば、どうせ夜には着るものだ。何も棚に入れなくともいいだろう、とベッドの上に
そのまま置いておいたのだが――それが悪かった。自分のしたことだから、土田を責められない
が。

土田の顔を再び窺ってみれば、土田は特に困惑の様子もなく、ごく平然と立っている。
全く、誰のせいだと思っているのだ。大体秋田を連れて来たのも土田ならば、自分が秋田の相手
をしているのもひとえに土田の機転が利かないからだというのに。

『秋田。お前がそこに居る限り、酒は出さんぞ。ついでに言えば、このままベッドから降りずに余計
な詮索をするというのならば、美味い酒の話は無しだ』

どうせ相手は酔っ払いだ。段々気遣っているのが馬鹿らしくなってきて、俺は少々強い調子で言っ
た。





『土田、俺は酒を持ってくる。ついでにリビングのソファに毛布を置いておくから、一杯飲んだ後、秋
田にはそこに寝てもらえ。それから、洋間のクローゼットの中にお前が越してくる時に持って来た
布団一式があっただろう。お前は今夜は洋間であれを敷いて寝ろ。あと――もし秋田がベッドに
再び飛び乗りそうになったら、力づくで阻止しろ』

土田の立つドアの入口の傍まですすっと近寄ると、金子はベッドから降りて床に座っている秋田に
聞こえないよう、小声で耳打ちする。達観したような諦め顔をして小さく頷く土田を見届けてから、
金子は部屋を出た。

酔っ払いの秋田に、こんな時に物事先回りして動くことも、言葉もない土田――そんな連中を前に、
金子は必要なことはしたと自負していた。それに伴う指示も完璧だ。あとはさっさと酒を飲ませ
て秋田をソファに寝かせ、土田を洋間に押しやれば今夜は平穏無事に終わる。
金子は、自分は成すべきことはしたという思いからか、どこか心のすく思いで台所へ向かった。


夜が更けてから、街路樹の木の葉がザワザワと平穏な暗闇に波風を立て始めていたが、さすがの
金子もそこに某かの予感を感じることはなかった――




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