CHAPTER 2 : AKITA AND HIS BLOWING MIND 3


本能的に肌で感じるひんやりとした空気――夢とも現実ともつかない感覚の中で暖を求めて腕
を動かす。

彷徨った挙句、指先に触れる感触から毛布を見つけ出し、その裾を手繰り寄せた。そうしながらも
無意識なのか、それとも案外と眠りから覚醒し始めていたのか、金子は寝返りを打つ。そこにより
暖の取れるものがあると確信してのことだ。だから、当然のように手を伸ばした。
だが、自分の中ではかなり手を伸ばしたはずだと思うのに、何ものにも当たらない。

寒いというのに、何故居ないんだ――そんな自分勝手な不満を感じて、ふと気づく。

居ない?

そのことに違和感を感じて、金子は目を開けた。だが、ぼんやりした頭ではすぐには思考は定まら
ず、ただ暫くゆっくりと何度か瞬きする。やがて、漸く現状を思い出した。

土田は今日はここではなく、普段使っていない洋間の方に寝ていたのだと。



昨晩は土田があんなキスをするものだから、ついその先を求めてしまった。隣室には客人――秋
田だが――も居るのだからすべきではないと頭では分かっていたのだが、止まらなくなった。万
が一にも秋田が部屋に入って来ないようにと部屋のドアを背にコトに及んでしまったが、今にして
思えばあれは良かったのか悪かったのか。……まあ、今更良し悪しを問うても手遅れだが。

金子は目覚めついでに何気なくサイド・テーブルの上に置いてある時計に視線を流す。
時刻は朝の7時15分前――自分が普段起きる時間では全くないが、土田は目を覚ましている頃だ
ろう。

どうせ週末だし、もう一度寝直すかとも思ったが、今日は秋田も居る。寝起き姿で秋田を送るのも
どうか。いや、別に秋田は土田の友人なのだから、本来自分が見送る必要はない。このまま午前中
ぐっすり寝ていれば、知らぬ間に秋田は帰っているかもしれない。だがしかし。

金子は、しばし考え、そうして結局ベッドから起き上がった。

秋田は良い具合に酔っていたから、昨晩のことはあまり覚えていないだろう。だがそれにしても、
土田とデキてるという噂の出所は気になる。念のため、それとなく確認しておけるならばしてお
いた方がいいだろう。となると、服は着替えておくべきだ。みっともないというのもあるが、それ
以上にこのままでは土田の親父パジャマの件があっさりバレてしまう。

そんなことをつらつらと考えながら服をクローゼットから出して着替えていると、やがて部屋の外
で物音がした。土田が秋田を起こしにでも行ったんだろうかと、それとなくドアの外に意識を向け
れば今度は何やら人の話す声が僅かに聞こえてくる。

何となく気になって、着替えを済ませると部屋のドアを開けた。
すると、そこにはリビングの方ではソファにだらりと座ってやや疲れたような秋田の顔。そうして、
そのすぐ傍には眉間に皺を寄せた土田。ただの世間話にしては、その間を流れる空気がどことな
く淀んでいるような気がする。

『何だ何だ、朝っぱらからその辛気臭い顔は。無論、爽やかな出迎えなど期待してはいないが』
実際男ばかりのこの状況は、爽やかどころか顔の表情がどうこう以前の問題でむさ苦しいことこ
の上ない。

「いや。その……」
土田は口を開いたと思うと、何やら困惑したように片手で頭を抱えた。土田が頭を抱えた時は本
当に困った時だ。しかし、一体何があったというのか。まさか朝一番で秋田と口論にでもなってい
るのか。

「……いや、別にとやかく言う権利はないんだけど、だけどなあ……」
秋田の方に視線を送ってみれば、今度は秋田までが煮え切らない態度ときた。

『一体何の話かさっぱり分からないが、とやかく言うつもりがない割には既に土田に言ってしまっ
たのだろう?ならば、すっきりこの場で解決したらどうだ。言ってしまったことを後悔しているな
らば、一言謝ればいい。不満があるならば素直にそう言えばいい。土田は小さいことに拘るような
男じゃない。お前ならば、土田の性格は分かっていると思うが?あぁ、安心するといい。俺は別に
どちらの肩も持つ気はないさ。ベランダで一服してくるから』

そう言ってみると、今度は2人して渋面を作って互いに顔を見合わせる。その様子を訝しがってい
ると、土田が眉間に皺を寄せたまま口を開いた。

「いや、そうではなく……俺達のことだ」
『……俺達って?』
「その……俺と、お前の関係について、だ」

土田の言葉に、一瞬呆気に取られる。

『――何だ、秋田。もしや昨晩話していた噂とやらを、未だ気にしているのか?だから、そうでは
ないのだということはあとの俺の話を聞けば――』
「いや、金子――」
『お前は黙っていろ』
俺は口を挟もうとした土田の言葉を遮って、秋田を真っ直ぐ見下ろした。

『秋田。悪いが、昨夜土田と話していた俺達の噂とやらについては聞いた。だが、よく考えてみろ。
俺は女性のことに関してはだな――』
「あああああーっ!」

ごくごく冷静に、諭すように話していたというのに、秋田が突然狂った。……いや、頭を抱えて、叫
んだ。

『あ、秋田……?』
金子は驚きを飲み込んで、恐る恐る秋田の顔を覗き込む。
すると、秋田はがばっと顔を上げて、俺を睨んだ。
「昨日話してたことなんて俺は殆ど覚えてないんだっ。それよりもだなぁっ、お前たちが夜中いつ
までも煩いもんだから、俺はちっとも眠れなかったんだぞーっ!」

『!!』
「…………」

まさか。
いや、実際には頭の片隅でよもやと思いつつも振り払ってしまった予感が、現実になったのか。
益々眉間に皺を寄せた土田を尻目に、俺は秋田の顔色を窺ってみる。

『あ、秋田……いや、その……ええと、何のことだか、俺にはさっぱり……』
「俺が隣りの部屋に居るんだぞっ?!それなのに、ああっ、もうお前たちときたら、よくもあんなに
堂々とっ……!」
『い、いや、秋田、そうじゃない。俺は俺なりに、恐らく土田も土田なりにかなり気を遣ってだな……
いや、そうじゃなくてっ、そう!それは、きっと誤解だ……!』

我ながら、言っていることが支離滅裂だと思った。だが、何か言葉を繋がなければ、困る。とにかく
非常に困る。何がって、いや、この状況が。

「嘘をつけっ、嘘をっ!特に金子ぉっ、もう少し遠慮したらどうなんだぁぁっ!」
『うっ……』

金子は、思い切り秋田から人差し指で指されて思わず後退りした。
そりゃ、少しばかり声は上げてしまったかもしれないが、それでも自分なりにかなり気遣ったはず
なのに。いや、そもそも何でそんなことを指摘されなきゃらないのだ。

「フラれた俺に対する嫌がらせか?!隣りの部屋なんて、案外丸聞こえなんだぞ?!俺は疲れて
いたのにっ……眠たかったのにぃっっ……!」

秋田は寝不足と二日酔いのダブルパンチですっかりおかしなテンションになっているのか、オー
バーな位に頭を抱えて唸っている。
いや、秋田を冷静に観察している場合ではなく。

これでは噂の出所を確かめるどころではなくなってしまった。それどころか、疑いようもない事実
を秋田に突きつけてしまった。期せずして。しかも、かなり恥ずかしい形で。

秋田は土田の友達だから、土田は尚更立場がないだろう。
仮に秋田が他の誰にもこのことを漏らさなかったとしても、土田は秋田と今後も友人として付き
合っていかねばなるまい。さすがの鈍感土田も、そのことに何の気まずさも感じないということ
はないだろう。といって、今更どこをどう否定したら良いのやら。
こうなったらダメ元で最後までシラをきるか。いや、待てよ。それとも――


「秋田。すまなかった」
『……は……?』

短時間にあれこれと考えて、それでもすぐさま何らかの手を打つべく口を再び開いた時――すぐ
背後から聞こえた予想外の言葉に、金子はこれ以上ないという位に目を見開いて後ろの唐変木、
いや、土田を見上げた。
だが土田は真面目な顔をして金子の横を通り過ぎ、秋田の元へ歩み寄るとその肩に手を置いた。
まるでその真意を疑うような目つきで顔を上げた秋田に対して、土田はどこか穏やかな口調で
言葉を続けた。

「悪いことをした。詫びという訳ではないが、味噌汁を温めるから飲んでいけ」

メガネの奥の小さな黒目を瞬かせた秋田は、やがてやや不承不承といった感じを見せつつも土
田の真摯な態度に折れたのか、それとも温かい味噌汁に釣られたのか、大人しく頷く。
土田は秋田の答えにやや目を細めると、そのまますっと台所に向かった。秋田もまた、のろのろと
ソファから立ち上がると土田の後を追う。

ただ1人、金子だけが唖然とことの成り行きを見守っていた。





『――秋田に口止めしたか?』
秋田に味噌汁を振る舞い、暫くして帰ると言い出した秋田を駅まで送った土田は、マンションに戻
るなり金子の嫌気を帯びた視線にぶち当たった。

「いや。振られた男の僻みだと思われては嫌だから話せんと言っていた」
そう答えると、金子は僅かに眉を顰める。そうして天井を仰いでは、何故か複雑な表情を浮かべ
て視線を落とした。

『……いいのか』
いいのかと言われても、秋田の言葉を信じるしかあるまい。第一、それ以上に自分がすべきことも
思い当たらなかったから、金子の念押しがイマイチ理解できなかった。

「何がだ」
『――まあ、口止めしたところで秋田に知られたことに変わりはないがな』

金子はぽつりとそう呟くと、ソファの背もたれに寄りかかる。さらさらとした前髪が揺れ、どこか遠
くを見つめるような金子の横顔が見えた。

「どうかしたのか」
どうも金子の反応が解せない。
帰った時には怒っているようだったのに、今は物思いに耽るような、何かを案じているような、そ
んな雰囲気を感じる。

『いや。……どうしてお前は肯定したんだろうかと思ってな』
「肯定?――昨晩のことか」
『ああ。少々苦しいが、あくまでシラをきることだって出来たんだぞ。例えば――寝室でAVを観て
いたとかな』
金子はこちらをチラリと見ては、にやりと笑ってみせる。

そうかもしれんが――そう言葉を繋げると、金子がさらに言い募る。

『それに、あれは俺の寝室と言ってある。察するに、秋田は物音と、そして俺の声を聞いたのだろ
う?ならば、俺1人の痴態ということにだって出来た訳だ。よく言うじゃないか、隣りで誰かが聞い
ているかもしれないと思うと、却って煽られることがあるとな。それで1人興奮してだな――』
「そういう下品なことを言うな」
『そうか?でも、男の性じゃないか。大体、ためすぎるのは身体にも良くない。悶々とした一夜を過
ごす位ならば、隣室に人が居ようが居まいが発散した方がいいに決まってる』
「あのな……」

思わず、溜息が漏れた。
金子という男は育ちも良くて品も良い顔立ちをしているのに、どうしてこうも下品なことを平気
な顔で言うのか。

『くくっ……まあまあ、照れるな、土田』

金子が人の悪い笑みを浮かべながら、手招きする。

「照れてなどおらん!」

こんな時は何だか嫌な予感がしないでもないが、といって断ったところで良い結果を生まないこ
とは分かっているから、仕方なく傍に立つ。近寄れば、今度は座れとばかりに自分の傍らを指差す
ものだから、黙って腰を下ろした。
すると、金子は予想に反して視線をついと前方に移して黙ってしまった。

怒ったり、からかったり、笑ったり、かと思えば黙ったり、恐らく金子のような頭の回転の速い男は
次から次へと考えが短時間で移り変わるのだろうが、自分にはついていけない。
大体、仮にその時考えていることが分かったからといって、金子はそのままを口にはしない男だ。

だが、1つだけ分かることもある。
それは金子が複雑に表情を変えながらあれやこれやと考えている時は、大抵自分のことが関係
しているのだ。


『……まあ、今となっては開き直っているのかもしれないがな……お前は、知られたくはなかった
んだろう?』

暫くして、金子がぽつりと言った。
顔をこちらに向けることもなく、視線は真っ直ぐ前を見ている。
その横顔は先程の軽口を叩いていた時のような表情ではなく、真面目で、それでいて何かを望ん
でいるようにも見えた。
だが、土田は一瞬何の話をしているのか分からず、何のことだと答える。すると、金子は視線だけ
をどこか上の方へ向けた。

『――ここへ引越した頃、言っていたじゃないか。友人共には一緒に住んでいるなどと言えない、と』

その言葉に、少し驚いた。金子がそんな言葉を覚えているとは思わなかったからだ。
確かに、自分はここに越したばかりの頃、そんなような言葉を言った。当初は自分自身が金子との
関係をどう定義づけたらいいか分からなかった。分からない以上、人に説明のしようもない。確か
に照れはあった。だがそれ以上に、本来他言するような話ではない。だから敢えて言う必要はな
いと思っていた。
それは別に、金子との関係自体についての話ではない。金子とこうなったことを後悔していた訳
でも、恥じていた訳でもないのだ。

だが――もしかして、金子は自分が金子との関係を恥じているのだと、そう理解していたのだろ
うか。自分がここへ越して来た時から、ずっと。

『まあ……確かにそうだ。大学で色々と噂が立っても面倒だからな。それに、元より交遊関係につ
いては色々と謂れのある俺と、硬派で通っていたお前とでは、周囲の目も違うだろう』

金子の言葉は淡々としている。
しているのだが……きっと、金子の心はそこまでには淡々としていないのではないか――前方を
真っ直ぐ見つめるその瞳が、決してこちらを向こうとしないその姿が、土田に疑念を抱かせる。

『――よし。やはり秋田に対しては何か言い訳を考えるとしよう。よく考えたら、俺もお前もはっき
りと言葉で肯定した訳じゃない。ただ、秋田の言葉をはっきり否定しなかっただけだ。今ならば未
だ間に合う。早速にも週明けに秋田を捕まえてだな――』

金子の、妙に明るい声。

違う。
きっと、これは何かが違う。

土田は何か本能でその真偽を嗅ぎ分けるように、金子の言葉の違和感を感じた。






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