CHAPTER 2 : WAITING FOR THE BLOOM OF ROSE 3



結局、DVDを見損ねたその日の夕方――金子は一言も口を利かなかった。
翌日も同じだった。
翌日の翌日も同じだった。

そして4日目――金子は、いつも通りの口調で「おはよう」と挨拶をしてきた。その後は、これまで
と変わらぬ金子だった。
どうしたのだろうか、もう怒ってはいないのか。そう思ったが……甘かった。TVや普段の会話の
中で春休みに関わる内容が出てくると、金子は、まあ俺には全く関係のない話だなとか、その頃
には俺達もどうなっているか分からないしなとか、何やら性質の悪い笑みを浮かべて一々言って
くる。
それで、金子が根に持っているのだということはよく分かった。単に、怒りの表現法を変えただけ
だったのだ。

確かに上手く隠せないにも関わらず、といって金子に打ち明けることも出来ないのだから、自分
が金子の立場であれば、やはりすっきりしないだろう。だから、納得がいかないのも道理であると
は思うのだが――……最近、家に居ると何やら落ち着かない気持ちになるのは何故だろう。
いっそ、打ち明けてしまおうか――そんな思いが何度か頭をよぎったが、その都度、土田はそれを
打ち消した。それでは意味がないからだ。

あと少しだ。来週になれば、恐らく見通しも立つ。そうすれば……土田は自身をそう諌めた。





そうして、土田は何やら頭痛のしそうな思いを抱えながら、一方の金子は胸の辺りにチクチクとし
たものを感じながらも、一見は穏やかな数日が過ぎていき、翌週のある日――

――ん?

大学からの帰り、ポストから郵便物を取り出して中身をチェックした金子は、僅かに目を見開いた。
誰も居ない部屋の鍵を開けて入ると、リビングルームのテーブルに郵便物を置き、まずはコートを
脱ぐ。そうして、コートをしまって来たところで、金子は改めて複数の郵便物の中から1通の茶色い
封筒を取り上げた。
宛名は自分宛の1通。だが、その差出人は〇〇警備保障。土田のバイト先の会社だった。

何故、土田のバイト先から自分宛に手紙が来るのか――中身にさっぱり覚えのない金子は、封を
ペーパーナイフで切ると複数枚の書類を取り出した。

『……何だ、これは』

金子は益々目を丸くして、1人呟いた。
手紙の中身はカバーレターの他に温泉旅館のパンフレット、その案内、そして――その宿の宿泊
予約票の控えだった。日程は春休み2週目の木・金曜日の1泊2日で朝夕の食事付き。既に春休み
は目前だったから、あと10日もない。
そうして、宿泊予定者の欄には……土田と、自分の名があった。

まったく訳の分からない金子は、先程読みもせずにテーブルに置いてしまったカバーレターを急
いで取り上げると、目を通す。



                                   某年3月吉日

金子 光伸 様

前略

 この度は、先日の社内抽選会にて「温泉旅行1泊2日ペア宿泊券」が当たりましたのでお知らせ
します。
 旅行の詳細は同封のパンフレットおよび案内書をご覧下さい。尚、本旅行について不明点など
がございましたら、下記の旅行会社へ直接お問い合わせください。
 当日が勤務予定の宿泊予定者は、シフトの調整をしますので早急にお知らせ下さい。



                                                              早々



要するに、土田のバイト先で抽選会なるものがあった。土田はそれに参加した。そして、旅行が当
たった。これは、そういうことを述べている。
悪いことではない。旅行は好きだし、温泉も久し振りだ。むしろ、これは土田からのギフトと言って
もいい。その辺のところはよく分かったのだが――金子は眉間の辺りに少々皺を寄せた。

土田は、この間からずっと試験期間中にも関わらず、バイトに入る日数を増やしていた。もちろん、
人手不足というのは納得のいく理由ではあるが、だからといってそれを鵜呑みにするには、やや
土田の様子が違っていたように思う。
そんなささやかな疑念にさらなる追い打ちをかけたのが、この郵便物だ。

――この郵便物の宛先が俺というのは、おかしいだろう。普通ならば、抽選に参加した土田に宛
てるはずだ。まして、土田こそがこの警備保障会社のアルバイト従業員じゃないか。

もちろん、ペアの旅行券が当たった時の為に同行者の名前を知らせておいたと言われれば、まあ
理解できなくはない。だが、旅行日程とバイトのシフトが被っている場合の注意書きを添えるなら、
尚更、この手紙の宛先は土田であるべきだ。それなのに、何故自分宛なのか。
そもそも、年始の仕事始めに景気づけで、というのならまだしも、こんな中途半端な時期に抽選会
などするものだろうか。仮にこの時期が会社の創立記念日などであったとしても、バイトの人間
まで抽選に参加させるだろうか。
確かにこれは1泊2日の旅行ではあるが、パンフレットから見る限り宿はなかなかの所だし、朝夕の
食事もついている。交通費も込みだ。仮にこれが一等の賞だとして、他にも複数の下位の賞はあ
るだろう。そんなイベントを、こんな年度末も近い時期に、それだけの経費をかけて行うだろうか。
数年で急激に成長したベンチャー企業ならともかく、この会社は確か昔からある国内の老舗企業
だ。警備保障の会社が単年度で黒字を大幅に出すなど、あまり聞かない。そういう会社の福利厚
生にしては、これは少々大盤振る舞い過ぎないか。しかも、バイト従業員対象に。

――土田がこんなにくじ運がいいとも思えないんだが……。

金子は、小さく唸る。
くじ運の良し悪しなど、実際のところ根拠はない。あるに越したことはない訳だし、それで旅行が
当たったというのなら、別に文句のつけどころなどどこにもない訳なのだが――金子の眉間の皺
は寄ったままだった。





「ただいま」

それから1時間程して、土田が帰ってきた。
さすがに試験期間の終盤とあって、バイトの日数を増やした土田は、代わりに剣道の稽古にかけ
る時間を減らしている。

『ああ、おかえり』

リビングで試験勉強に励んでいた金子は、玄関のドアの物音と共に素早くテキストとノートを鞄に
しまうと、ソファに座り、横に置いておいた雑誌を膝の上に広げた。同居している以上、勉強してい
る姿を多少なりとも見られるのは致し方ないが、それでも極力していないかのように振舞ってし
まうのは、金子なりの譲れない美学だった。
それはさておき、例の茶封筒は、テーブルの上に敢えてぽつんと置いてある。
土田はダウンジャケットを脱ぎながらリビングに入って来ると、一瞬、テーブルの上に目を留めた。
だが、すぐに視線を逸らしてこちらを見る。

「早かったな。今日は特に外出はしないのか」
『ああ。この雑誌の記事が早く読みたくてな』

金子は澄まし顔で答えたが、たまたま開いたその記事は僅か2ページしかなかったから、金子は
さりげなく巻頭の特集へとページを戻した。
そうして、土田が背中を向けたと同時に口を開く。

『ああ……そういえば、土田。郵便物が届いていたぞ』
「――そうか」

やや開いた間。おまけに、ただ届いたとしか言っていないのに、差出人も訊かない。まるで、郵便
物が来るのを知っていたかのようだ。

『興味ないのか?ここに置いてあるんだが』

そう言って、茶封筒を拾い上げると、土田は漸くこちらを向く。

『宛先は俺になっているがな、中身はお前宛だと思うぞ。1泊2日の温泉旅行のペア宿泊券、お前
当たったみたいだな』
「――そうか、それは良かった」
『凄いじゃないか。旅館のグレードも高いし、おまけに春休み期間中だ。この旅行を実際に予約しよ
うと思ったら、2人で5万以上は確実にするんじゃないか?』
「――そうか」

土田は、先ほどから仏頂面のままだ。おまけに、「そうか」ばかりだ。
だから、ここで1つ爆弾を落としてみる。

『――で、同行者欄には俺の名があるがな……はて、生憎俺は、行けるかどうか……』
「……え?」

少々戸惑うような表情で土田を見上げてみると、土田の目は大きく見開いていた。

『いや、な……大した用ではないんだが、でも、都合がつくかは微妙だなぁ……』
「……春休みの予定はないようなことを言っていなかったか」
『いつの話をしているんだ?土田。あれから日にちも経っている。予定が入っても不思議はないだ
ろう』
「…………そうか」

表情自体は変化に乏しいが、それでもあからさまな土田の動揺が見て取れる。いや、動揺という
よりは、少なからずショックを受けているようにも見えた。
これで、金子はいよいよ確信した。
何がって、土田の思惑についてだ。もし単に抽選で当たっただけの旅行ならば、こんな顔はしない
だろう。そもそも当たったと知って殆ど無反応というのもおかしかったし、それ以前にこの旅行案
内のお知らせが自分宛というのがおかしい。自分宛にしたのは、もしかして先に開封し、今回の件
を知っていて欲しかったからではなかったか。そうすれば、土田は余計な説明をせずに済む。慣れ
ない土田が口数を増やせば、当然ボロが出る確率は高くなる。そう判断してのことではなかった
か。
土田は元々物欲があまりない。ついでに言うと、イベントに対する執着心も同様だ。だから、今回
の旅行だって、自分達が行けそうになければ、誰か都合のつく友人かバイト仲間にあげようと、
土田ならば思うはずだ。多少なりとも残念に思う気持ちはあったとしても、執着するのはおかし
い。抽選であれば、本人負担はゼロなのだから。
だが、今の土田の様子にそんな様子はまるでない。むしろ困惑し、肩を落とし、さらにはそうでなく
とも重い口がさらに重くなっている。
だから、金子は自分の想像が当たっていたのだと分かった。
とはいえ、今本当のことを白状するよう迫るのは野暮というものだ。大体、それでは土田の意図
が台無しになる。ただ、予想の正しさが大凡確認できればそれでいい。それだけでこちらの気持
ちにも余裕が出来る。それに、せっかくこの旅行の為に色々と苦労したであろうというのに、明ら
かに大きな衝撃を受けている今の土田は少々気の毒だ。だから、金子は薄く笑みを浮かべた。

『――と言いたいところだが、期せずとは言えせっかくのお前との旅行だ。都合は何とかしよう』
「そうか……すまん」

少々勿体ぶって言ってやると、土田は安堵したように肩の力を抜いた。
土田、分かり易すぎるぞ……そう言いたいところを、金子はぐっと我慢した。

『さて、じゃあ決まりだな。その旅館の周辺には何か見どころがあるのか、調べておこう。第一、朝
夕の食事付きということは、昼は外で食べるのだからな。それに、そこは山が近いようだが、寒い
だろうか?持って行く洋服も考えなければな』

金子はにこにこと笑顔を浮かべて土田の顔を見上げる。
すると、土田は目元を和ませていた。それが、まるで赤ん坊を抱いた母親を微笑ましい思いで見
つめるかのような柔らかい眼差しだったものだから、何だか少々ソファの座り心地が悪くなった
ような気がした。



そうして、その日の夕刻――金子は厚手のカーディガンを纏うと、ベランダに出た。
先程まで勉強していた土田は、夕食の準備を始めている。

『ふぅ……』

金子は軽い溜息と共に煙草の煙を吐いた。
すると、白い煙が顔の辺りを彷徨う。金子は、それを避けるように軽く頭を後ろに引いた。

――それにしても、土田にしては随分と凝った真似をしたな。

金子は、煙草をふかしながら今回の旅行を巡る一連の出来事を思い返していた。
土田というのは良くも悪くも直球タイプな男だから、こんなお膳立てをしてまで旅行の計画を立
てているとは夢にも思わなかった。そういう意味では、少なからず驚いた。
野暮な男だと思ったが、何だ、全く出来ないという訳でもないんじゃないか――そんなことを思
いつつ、表情を弛ませかけたところで、ふと気づいた。

そもそも、何故土田がこんな真似をしたのかが不明だったと。
あの旅行は土田が全て用意したことで、バイト先の抽選などではないことはほぼ確実だと思う。
100%の証拠を掴んだ訳ではないが、自分の土田に対する勘は結構当たっていると自信がある。
だが、土田の言動から、何故こんなことをしようと思い立ったのかまでは読み取れなかった。

一体何なのだろうか。旅行代だって、土田の財政事情を考えれば、馬鹿にならないはずだ。何か
の記念だろうか。だが、付き合い始めて1年などという甲斐甲斐しい発想は有り得ない――そも
そも1年どころか半年も経っていないし、仮に経っていたとしても、あの土田がそんなにマメなは
ずはない――し、自分の誕生日でも、もちろん土田の誕生日でもない。その他に、祝うべき何かが
あるようにも思えない。
では何なのか?敢えて自分に大枚をはたいてサプライズ・ギフトを用意する意味が、理由が、どこ
にあるのだろう?

金子はうーんと悩む。悩むが、答えは出そうになかった。
土田がこの件に関して話したことはごく僅かだったし、ヒントになりそうな言葉を聞いた覚えもな
いからだ。

――まあ、何も今答えを出す必要はないな。旅行中にそれとなく聞き出すことは可能だろう。何
しろ、2日間ずっと顔を合わせてい……

金子は、思考の途中で唐突に思い出した。思いだしたというよりも、その事実に今更ながらに気づ
いたと言った方が正しい。

2日間、2人きりじゃないかと。

別に同居――同棲とも言う――しているのに今更、と思われるかもしれない。
だが、同居とはすなわち生活な訳で、確かに1つ屋根の下に2人で居る訳だが、そこには大学だの
家事だのバイトだの、それぞれの人間関係だのと、色々な要素が介在してくる。
だが、旅行においてはそういった外野が介在しない。旅行という目的の他には、お互いの存在し
かない。つまり、一緒に移動して、1つの部屋に入って、一緒に食事して、一緒の温泉に入って、そう
して1つの布団に……

金子は、思わず左手で口元を押さえた。
そんなことを想像したら、変に胸の辺りがムカムカして、こみ上げてくるものを感じたからだ。
いや、気持ち悪いとかじゃなく。


――待て……男2人で温泉旅行って……考えてみたら、凄く恥ずかしい真似じゃないのか?

人目を忍ぶ?関係なだけに、意識が大きくよこしまな方向へ飛んだ金子の心は、何だか妙な塩梅
になってきて1人頬の辺りを熱くさせるのだった。





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