CHAPTER 2 : WAITING FOR THE BLOOM OF ROSE joint SS



試験も終わり、大学は春休みに入った。そうして、翌週の温泉旅行はすぐにやってきた。
春休みの初日からびっちりとバイトを入れていた土田にしてみると、こうして温泉に向かうまでの
新幹線内でのひと時さえも何やらのんびりとした、微笑ましく、そして貴重な時間に思える。

隣に座るのは金子。その先にある車窓の外の景色はごちゃごちゃと密集した建物群から、少しず
つ緑が顔を見せ始めていた。

何だか、とても平和だ。快い、ふわりとした時間の流れと、その心地。
こういうものを「幸せ」というのだろうか――そんな思いを胸に目を閉じていたら……いつの間
にか眠っていた。

目を閉じた当初は、金子と話していた気がする。
といっても、ぽつんぽつんと一言二言位だったと思う。旅の終着点の天候だとか、そんな他愛も
ない内容だった。
最後に口を開いたのはどちらだったか――金子の問いかけに、答えぬままだったような気がした。


目を再び開いた時、金子は本を読んでいた。皮製のブックカバーをかけていたから、その中身ま
では分からない。

やがて白く、細い指がページをめくる。紙の擦れる音は殆どしない。やや俯き加減の横顔は、ただ
一心に紙上の活字の羅列を目で追っていた。

長い前髪は、邪魔なのではないか――そう思ったが、土田は口にはしなかった。


そういえば最近、こんな風にこの男の顔を、表情を眺めるのは久し振りのように思えた。
今となれば、誰よりも身近にいる男なのだからいくらでもその機会はあるのだが、意識的に見つ
めることはなかったように思う。最近は試験やらバイトやらに追われていたせいもあるのだろう。

こうして今更ながらに見てみると、つくづく目鼻立ちの整った男だと思う。
やや下を向き、熱心に本を読むその姿は、もし自分に絵心があれば描きたいと思ったかもしれな
い。生憎、その方面にはとんと縁遠いのだが。
それはともかく。バレンタインデーの時にも複数チョコレートをもらっていたし、秋田によって自分
との同居が暴露された今でも、金子が構内で女性と話している姿を時折見かける。
知り合いの多い男だから、別にどうということはないのだろうが、それにしても。
金子ならば、才色兼備の品の良い女性の隣がよく似合うことだろう。口を開くと少々……いや、
割と別の顔を見せる男だが、少なくとも外見的には、金子もまた、同様に才色兼備の優雅な男な
のだから――


『ん?起きたか』

金子が、少しばかり顔を上げて視線だけをこちらに向けてくる。

「ああ。すまん、話の途中だったな」
『いや。大した話じゃない。土田、ちょっと待ってくれ。あと5分』

金子は、視線をこちらに流したまま軽く笑みを浮かべると、紙面をコツンと指先で弾いた。
金子らしい仕草だ。他の者がすれば少々気障と思えるであろうことも、何故かこの男には自然と
馴染む。

「ああ」

土田は、軽く頷きながら、胸の辺りに温かいものが広がるのを感じていた。





一方、そんなやり取りの少し前――

楽しみにしていた。もちろん、そんな言葉は口にはしなかったが。
この旅行の話を聞いた日の夕方には、男2人で温泉旅行など気恥しい真似をすると思った。だが、
それでも心が弾んでしまった自身の気持ちばかりはなかったことには出来ない。
それに、土田は試験後にはバイトに剣道にと勤しんでいた。旅行前日の昨日だって、土田は朝から
バイトに出かけた。だから尚更、土田と過ごす時間は久し振りのように思えた。気恥しいという思
いも、旅行が近づくにつれ不思議な程に薄らいでいた。せっかくの旅行なのだから、思い切り楽し
みたいという気持ちの方が日増しに勝ってきたというのが、実際かもしれない。

自宅マンションから電車と地下鉄を乗り継ぎ、そうして東京駅から新幹線に乗る。

土田との旅行など、初めてだ。それどころか、日帰りの遠出すらこれまでしたことがない。自然胸
が躍ってしまうのは、致し方ないことだろう。

旅行は、いわば現実逃避の一種と言っていい。
日常から、そして日々の様々な繋がり――しがらみとも言える――から解き放たれる時間と、空間。
旅行は好きだ。想う者とであれば、尚更だ。

だが、新幹線の指定席に腰を落ち着けた土田は、少々疲れているようだった。

無理もない。
さすがに剣道の自主稽古は自粛したが、土田は試験中も、そして試験後も空いた時間の大半を働
いていた。いくら土田が体力には自信があると言っても、睡眠時間も削ってのことだったから、疲
れがない訳がない。
2人ほどバイトの仲間が辞めたから、止むをえん――土田は、そう言い訳した。
いや、100%の嘘ではないかもしれない。だが、土田には痛い出費だったであろう2人分の旅費の
捻出のための超過勤務に違いないと察するだけに、自分が頼んだ訳ではないとはいえ、少々胸
が痛んだ。

だが、土田の好意を考えれば自分は黙って素知らぬ振りをしているべきだろう。
少なくとも、旅行が終わるまでは。


『春は案外、況して山の方となれば天気は変わり易い。予報は曇りだが、雨など降らなければいい
な』
「そうだな」
『そういえば、パンフレットには随分と大きな露天風呂の写真があったな』
「ああ。川と隣接しているようだ」
『ならば、尚更雨など降って欲しくないものだ』
「ああ……」

隣に座る土田の顔をチラリと見てみれば、いつの間にか土田は目を閉じている。返事はしている
が、眠いのだろう。

金子は、前を向いた。
楽しみだな――そう小さく独り言のように呟いたら、それが聞こえたのか聞こえなかったのか、
土田が微かな溜息のような声を小さく漏らした。
それから間もなく、土田の静かな寝息が聞こえてきた。

窓の外の景色は、少しずつ都会の喧騒から離れていく。
その様を眺めながら、金子は今の状況に不思議な思いを抱いていた。

ふと気づけば、もう3月――土田と共に暮らし始めたのは去年の11月末のこと。既に3か月は経っ
ている。
この時間は長いのだろうか。それとも短いのだろうか。もしかしたら、長いという方が正解なのか
もしれない。
何しろ、土田も自分も同性の相手とこんな関係になるのは初めてなのだから、よくここまで続い
ているというのが正直な感想だろう。もちろん、小さな諍いやすれ違いはこれまでに何度もあっ
た。だが、決定的なものは未だない。

金子は視線を窓の外から、自分の隣に眠る土田の横顔へと移した。

土田の涼やかな、それでいて真っ直ぐな性根を表しているかのような顔の造作は好きだ。
そこにある種の欲望を感じようとは、この男を見知った当初には想像もしなかったが。

最近、時折埒もないことを考える。いや、考えるというよりは、想像してみる。
これから先のことを。例えば、1年後のこと、これは不可能ではない。もう大学4年にもなろうとい
うのだから、今のような暢気な大学生活という訳にはいかないだろうが、それでも、日々の生活
は大きく変わらないだろうと想像が出来る。
だが、それよりもずっと先――例えば、大学卒業後であったり、それよりも先のこととなると、まる
で想像がつかない。それは誰しも感じる関係の不確定的要素ゆえなのかもしれないが、それだけ
ではない。自分達はそれよりももっと見通しのつかない関係であることに疑いの余地はないから
だ。

だが、それを今考えても仕方がない。
そんなことを言い出しては、今が楽しめなくなる。もちろん全く考えずにいられる訳でもないのだ
が、考えたところで解決策が出る訳でもない先の話に拘るなど、それこそ愚かだ。

金子は、軽く息を吐くと、鞄から文庫本を一冊取り出した。
最近読み始めた、古典文学だ。元はサスペンス要素の強い推理小説などが好みなのだが、これは
気の迷いというか、気まぐれな気持ちで購入したものだった。
文学作品は嫌いではない。時折堅苦しく、またえらく退屈なものもあるが、所詮人間というものは
時代を超えてその思想や思考回路には共通するところがある。その時の世相によって特異な傾
向というものはあるが、大元の部分というのは、きっと変わらないのだろう。

金子は、しおりを挿んでおいたところで開くと、視線を落とした。


それから暫くの間、読書に没頭していた。
そんな時、時間はあっという間に過ぎてしまうものだから、時間がどれ位経ったのかは分からな
い。だが、出発時間と到着時間を鑑みれば、恐らく15分か20分位のものだったのだろう。

ふと、隣に座ったまま眠る土田の体が僅かに動くのを感じた。
起きたのか――そう声を掛けて様子を見てみれば、薄目を開けた土田が答える。


互いに手を伸ばさずとも触れられる程すぐ傍にいるというのに、同じ空間と時間を共用している
というのに、それぞれが好きなことをしている。
それを寂しいこととは思わない。むしろ、心地よいことだと思った。
それだけ、時間と空間を共有することを自然なことと思い、そうして、気を許せるようになったの
だから。

『ちょっと待ってくれ。あと5分』

本の紙面を軽く弾いて、土田にそう言った。

だって、読みかけのこの第2章があと少しで終わるのだ。今、丁度良いところなのだ。
それに、話さずとも隣に居て、そうして過ごすこの時間は心地よいのだ。
だから、少し待ってくれ。

そうして土田の顔を見ていれば、土田は何故か、酷く穏やかな、温かみのある表情をして、小さく
頷いた。

もちろん、その顔にときめいたなんて、何か満たされたような気持ちになったなんて、土田に白状
する気はさらさらないが。






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