CHAPTER 2 : WAITING FOR THE BLOOM OF ROSE 4



温泉宿のある町の駅に着いたのは、丁度お昼の頃だった。相変わらず空には薄い雲が広がってい
たが、幸い雨は降っていない。宿はここからさらにバスかタクシーを使わなければたどり着かない
が、そもそもお昼過ぎではチェックインには早い。

金子と土田は駅の傍にあった定食屋で昼食を済ませると、当初の予定通り、駅からは歩いて20分
程のところにあるという、寺院に向かった。
といっても、そこが一見の価値ありと高々に謳われるような高名な寺院だから予定に入れた訳で
はない。特に興味を持つような何かがある訳でも、もちろん何がしかの縁がある訳でもない。
つまりは――なかなかに風情ある温泉街とは言え、その少しばかり懐かしさを覚えるような町並
み以外には、特に見るべきところがないということである。3月上旬の今頃は、この辺りでは早咲
きの梅には少々遅く、といって通常の梅の開花時期には未だ早いのだから、尚更だ。実際、駅前の
通りだというのに、観光客らしき者はまだらだった。

もちろん、だからこそ比較的宿も取り易かったのだろうが。

それはともかく、2人は食後の散歩がてら散策も兼ねてぶらぶらと歩きながらその寺院に向かっ
た。駅前のロータリーを過ぎれば、視界の先の方には山々が広がっている。

「寒くはないか」
恐らくは自分の方が全体的には薄着であろう土田は、ぼそりと問う。
『いいや、全然。寒いなら、俺のマフラーを貸してやろうか?』
そんな土田に視線を流した金子は、冷やかすように笑った。

傍から見れば何やら良い雰囲気なのだが、もちろん本人達はそれに気づく由もないのだった。



『何だ……賑やかだな』

目的のお寺は、そう遠くない山麓の傍にひっそり佇んでいた。寺社自体は静かなのだが――その
周囲が何やら騒がしい。駅前よりも、むしろこちらの方が賑やかな位だ。
すぐ傍に居た地元の人らしき人に尋ねてみれば、明日から日曜日までの3日間、町ではこの寺社
の前の通りを中心にお祭りがあるらしい。道理で、よく見れば人々は飾り付けや屋台の準備に忙し
そうだ。とはいえ、活気づいているといっても祭りは明日なのだから、何か見どころがある訳でも、
食べ物を買える訳でもない。

土田と金子は、その喧騒の中を通り過ぎて、寺院の敷地内へと向かった。
さほど広い敷地ではない。だから、ぐるりと境内を廻って本堂の前まで来ても、多少は小さくなっ
たものの、喧騒は背中からすぐ追ってきた。
だが、そこはそれ。どちらから声を掛けることもなく、賽銭箱に小銭を投げいれ、手を合わせた。





金子が再び目を開けると、何やら視線を感じる。横を向いてみれば、先にお参りを終えたのであろ
う土田がこちらをじっと見ている。その表情がどことなくおかしい。

『何を見てるんだ』
「何でもない」
土田は本堂の方に視線を向けてしまったが、思うところがあったのは明らかだ。

『何だ、俺が神妙にお参りするのは意外か?』
「……いや」
土田は曖昧に返事をする。恐らく、指摘はそう外れていなかったに違いない。

『ふん、確かに賽銭の見返りに自分の願いを唱えるなど、即物的だと決めつけることも出来るがな
……俺は生憎そこまでひねくれてはいないんだ。神仏に対しても、長年の伝統に対しても、尊崇
の念は多少なりとも持っている。それが常識というものだろう』

そういうと、土田は無言で静かに頷いた。正誤を問い質したりしない。自身の考えを言うこともな
い。頷くだけだ。

『で?この答えはお前の疑問に答えたのか』

そう問いかけてみると、土田は微かに笑みを浮かべた。

「――いや、もう1つある」
『?何だ』
「願いごとでもしていたのか。長く手を合わせていただろう」

長かっただろうか。そんなつもりはなかったのだが。
何を願おうかと考えて、思いつかないからまずは自身と土田に明るい未来をと願い、願ったあと、
さて、明るい未来とは具体的にどういうことなのかと考えた。
楽しく笑って生涯を過ごせればそれが一番だが、そんなことを願われても、神もさぞ困惑するだ
ろう。そんなことは、無理な話だからだ。内容が曖昧すぎるといことも当然あるが、何より人生は
そんな平穏かつ幸福な思いだけでは過ごしていけない。人の欲望は際限ないからだ。それ位は、
未だ大学生の自分にも分かる。
だがそれでも、願ってしまうのが人というものだろうか。少なくとも、自分のことはともかく、隣に
居るこの男が不幸になるのは見たくないと思う。苦悩し、打ちひしがれるような、そんなこの男の
背中は見たくない――その辺りのことを色々と考えていたのだが……

『もちろんそうだが?何だ、その顔は。何を願ったか、知りたいのか?ふむ……教えてもいいが、
内容が内容だからな。ちょっと耳を貸せ』

そう言うと、土田が素直に横を向いて耳を近づける。だから、首に腕を回して土田をさらに引き寄
せると、耳のすぐ傍まで顔を接近させた。そうして――

「っ?!」

土田が瞬間的に頭を離した。
まあ、そうだろう。耳に唇を押しつけて、そうして息を吹きかけてやったのだから。だが、騙され易
い土田も土田だ。もうこれだけ一緒に時間を過ごしているのだから、何かあると勘付いてもおか
しくないだろうに。

「お前な……」

土田がこちらを睨むように見る。だが、今はてんで迫力がない。むしろ、その顔は何だか少し照れ
ているようにも見えて、おかしい。

『内緒だ。当然だろう。口に出したら叶わないと言うじゃないか』
「む……」
そんなことは百も承知の上で土田は訊いてきたのか、小さく口ごもる。思わず、笑いが漏れた。

『いつか、教えてやるさ。いつか――叶ったらな』








宿に着くと、時刻は既に夕方の4時を過ぎていた。
松の木や四季折々の木々をシンプルに配置した前庭の横を通っていくと、純和風のどっしりとし
た構えの玄関につき当たる。なかなか大きくて立派な建物だ。基本はコンクリート造りだろうが、
表面は随所に黒色の木材を取り入れ、重厚な和風建築の雰囲気を醸し出している。中に入ると、優
雅な物腰の着物姿の従業員達がすぐさま声を掛けてきて、丁寧なご挨拶やお辞儀にあいながら
受付へと案内された。

悪くない――土田にしては、及第点のセレクトだと金子は素直に思う。
尤も、自分のテリトリー外のことにはてんで疎い土田のことだ。クリスマスイヴの時のように、人づ
ての情報を元にしている可能性はある。だが、そうであっても最終的な決定者は土田だろう。

受付のあるロビーはかなり広々としていた。内部の構造も、基本的には和風建築だが、明治・大正
期の洋館を思わせる家具が備え付けられており、、ソファやテーブル、大きな花瓶などは見た目に
も安っぽさがなく、上品だ。
一方で、目立たぬようデザインには気を遣ってはいるが、受付にはパソコンが見え隠れし、公衆電
話なども置かれている。だが、元々その頃の時代の洋館などは古今東西のものがごちゃまぜになっ
ているものだし、そういう意味からすれば違和感もない。全体的には、バランスがとれていると言っ
ていいだろう。
金子がチラリチラリと内装を見回している間に、予約者であった土田がチェックインを済ませてきた。

階段を上って2階へと向かう道すがら、仲居さんや大人とはすれ違ったが、小さな子供の姿や声
がまるでない。元々大人向けの旅館なのだろうが、それだけでなっく、ファミリータイプの部屋は
別の階にあるのだろう。
案内された部屋は2階の一番奥にあった。





『いい部屋じゃないか。なあ?』

部屋に入ると、一目見た金子が早速声をかけてくる。
確かに部屋は掃除が行き届き、きちんと整えられていた。控えめで上品な装飾品を備えた和室が
2部屋あり、窓は川に面して豊かな自然が広がっている。
金子ならばもっと良い部屋も宿も知っていることだろう。それでも敢えて金子がそう言うのは、
恐らく気遣いからだ。そう想像がつくからこそ、その気持ちを嬉しく思う。

金子は荷物に目を向けることなく真っ先に窓の傍に近寄っては外の景色を眺め、そうして、2つの
部屋を点検するように順に見て回る。そのうち、ふと窓側に扉を見つけた。金子はその扉を開いて
一旦姿が消えたと思ったら、すぐに戻ってくる。
戻って来た時、すっと伸びた細い眉の間には、わずかに皺が寄っていた。

『土田……ここは、風呂付か?』
「ああ。大浴場はあるが、部屋に内風呂が付いていても別に良かろうと思ったんだが……どうか
したのか」
『いや、内風呂じゃなく』
「?」
『ここは部屋に露天風呂が付いているようだが』

内風呂とそれはどう違うのだろうと迷う。そうして、内風呂が温泉ということだろうかと思った。

「それがどうかしたのか」
そう言うと、金子は少しばかりムッとした。
『あのな、どうもこうも、お前こういうものは主に家族とか、カップルがリクエストするものだぞっ?』

一瞬言っている意味が分からなかった。

「……家族やカップルでなければ、風呂は使わないのか」
『だから……ああ、もう、とにかく、来い!こっちきて、中を見ろ!』

言われた通りに近づくと、金子は先ほど出入りした扉を開く。
中を覗いてみれば、小さな脱衣所があり、そうしてガラスの引き戸があり、その奥には大きな窓の
ついた円形の風呂があった。それを暫く見つめ、そうして金子の顔を見る。

「ユニットバスとは違うのだな」

金子の鋭い視線にそう答えると、金子は分かり易く溜息をついた。

『要するにだな、別にそうと謳ってはいないし、小さい子供や年老いた家族を抱えた者たちも使
うと思うがな、こういう部屋は、カップルが使用したがるんだ。ちょっと品の良いラブホテル気分
という扱いも、もちろん宿としては不本意だろうが、あながち間違いではない。何しろ2人きりで
入って、景色満喫だからな』
「……そうなのか」

確かに、予約をする際に風呂付の部屋を希望するかどうかを訊かれた気がする。だが、てっきり普
通の内風呂のことだと思っていたから、どちらでも良いならあった方が良いだろうと思った。
だが、いずれにしろどちらでも構わないのではないかと思う。自分はラブホテル気分で部屋を取っ
た訳ではないのだし、景色の良い風呂場があるのは悪いことではないではないか。


『ああ、全く、受付で何て思われたか……男2人で露天風呂付の部屋を取るなど、下種なかんぐり
をされたに違いない……こんなことなら変装でもしておけば良かった……』

金子が少々大袈裟とも思えるような素振りで嘆いてみせる。
確かに金子の言い分も理解できる。だが、こういっては何だが、「下種なかんぐり」と言われても、
実際のところ当たらずとも遠からずではないのかと思う。
といって、それは口にしない方がいいとはよく分かっているが。


「お客様、失礼いたします」

そんな時、ノック音と共に部屋の外から声が聞こえた。
そちらの方を向くと、ドアを開け、開いたままにしてあった襖の外側に正坐した仲居の女性が顔を
覗かせる。その間に、さりげなく露天風呂の扉を閉じて自分から離れた金子は、彼女が室内設備に
ついてや、大浴場の使用時間、夕食が運ばれてくる時間について説明する間、窓の傍の椅子に座っ
てにこやかに話を聞いていた。

自分にはつい先ほどまで眉を吊り上げたり、呆れたような顔をしていたのに、瞬時に笑顔になれる
辺り、社交的というべきか、器用というべきか――土田は少々複雑な気分で金子の様子をチラリ
と盗み見る。

旅行は明日までだ。時間はたっぷりある。果たして平穏無事に終わるだろうか――そんなことを
密かに考えるのだった。





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