CHAPTER 2 : WAITING FOR THE BLOOM OF ROSE 7



『さて、どうするか』
部屋に戻った金子は、履物を入口で脱ぎながら、少しばかりこちらに振りかえってその端正な横顔
を見せる。

非常に涼しげだ。全く他意がない。あちらへこちらへと気の趣くままに今まで行動してきたことな
ど、どこ吹く風だ。

むか

おや?

今の気持ちは何だろう。

いや、金子には楽しんで欲しいと思う。金子がしたいということをすればよいと思う。
金子が満足するのであれば、それこそがこの旅行の主旨に適ったものであるとは思っている。

そうなのだが。

俺だとて感情はあるのだ。
金子が誘いをかけてきたから、だから応えたのに寸でのところで中断されて、
卓球へと腕を引かれた後は大浴場に行って、さて少しはのんびり浸かるのかと思えばそれも早々
に中断されて、そうしてそこここに気持ちの残滓を残したままで戻ってきて、
――挙句の言葉が、「さて、どうするか」なのか?

今まで俺の意見など聞かなかったではないか。
はっきりとは言わずともここまでの間に疑問は呈したのに、察しの良い男なのだから当然自分が
言わんとしていることには気付いていただろうに、そこはそれと却下したではないか。

それを今になって何を聞くのか。ならばもっと前に聞いてくれてもよかったのではないか。
いや、そうではなく。
金子は今、俺に意見を聞いているのだ。そうか、ようやく聞いてくれるのか。そうであれば、俺の
好きにしてもよかろう。


土田の理性と本能の葛藤は終わった。
結論とともに、いや、むしろ頭でどうこうというよりもそんなことを考えている内、独りでに体が動
いた。金子に続いて履物を脱いで和室に足を踏み入れると、その前を歩いていた金子の腕を掴む。
そうして、その腕を引くと同時に体で金子をすぐ横の壁際へと押しやった。

全く予想外のことだったのだろう。壁と自分との間に強引に挟まれた金子は、唖然としていた。言
葉に不自由しないはずの男が、言葉を失ったまま、驚きの表情を見せた。

だから、代わりにこちらが口を開いた。

「どうするかと聞いてきたのは、お前だ」

金子の目が大きく見開かれる。だが、ふと我に返ったのか、続いて金子が細い眉を少しばかり顰
めた。金子の口撃に遭っては勝てる訳がない。その空気を察した土田は、すぐさまそれを唇で塞
ぐことにした。





『ほぅ……ぅっ!』

金子は、土田に先を越されてしまったことに少なからず衝撃を受けていた。
反射的に、間に挟まってしまった右腕で体を押し返そうとしたが、土田の体はびくともしなかった。

行動で表すな。まずは言葉で表してからにしろ!と言おうとしたのに、口を開いた隙をついてがっ
ちりと唇を押しつけられたものだから、まるで焼きたてのさつまいもでも頬張ったかのような、変
な声を出してしまった。

――生意気な真似を!いつもはのそっとしているくせに。普段は自分からなんて仕掛けてこない
くせに!

密着した風呂上りの土田の体はいつもより暑い。薄い浴衣の布を通してこちらの体にまで熱が浸
透してくる。近すぎて、熱い。その熱にこちらまで当てられそうだ。

何をいきなり欲情しているのか。

口膣が土田の舌に浸食される。
それは吸いつくように絡みつき、それから胸を浸食し――と同時にじわじわと熱い液体のような
ものが下へ、それから四肢の細部に至るまでゆっくりと広がっていった。

このスピードを増した鼓動をどうしてくれようか。この暑苦しさをどうしてくれようか。全て土田の
せいだ。目の前にいる男のせいだ。
それはよく分かっている。
だが――それでいて、気持ちは何故か振り子のように、それとは全く違う方向へも動くのだ。

抑えがたい、気持ちの浮揚感。言葉にしがたいふわふわとした感覚。
つまりは、望むものが、足りていないものが満たされていくという実感。

この手に掴むことも、見ることもできないけれど、もしかしたらこの「感じ」こそが、幸福感なのか
もしれない――そんなことを一瞬のうちに考えて、すぐさまそれを打ち消す。
いやいや、そんなおめでたいことを言っている場合じゃないだろう、と。

そうは思うのだが、天邪鬼のような憎まれ口と自然と湧き上がった感覚のどちらにより軍配が上
がるかと言えば……生憎と、答えはすぐそこにあった。





よくは見えなかった。だが、金子が微かに笑ったような気がした。
困惑し、少しばかり機嫌を損ね、それから許してやろうとでも言うように僅かに、だけれど優雅に
微笑む――それはほんの1〜2分の間に、目まぐるしく変わった。

恐らくはこの間に金子は次から次へと考え、そうしてそれに合わせて表情も変わっていったのだ
ろう。つくづく、頭の回転の早い男なのだと、今さらながらに再認識する。

やがて、金子の左腕が首の後ろに回された。
そうして、指で浴衣の衿の後ろの辺りをなぞられたかと思えば、急に襟足の髪の毛を引っ張られ
る。僅かに離れて、鼻も付く程ごく間近にある金子の表情を窺うと、金子は口元に笑みを浮かべて
いた。

今のは、金子のささやかな抵抗だったのだろうか。
金子はこちらを見上げてにやりとすると、濡れた唇を寄せてきて口づける。それから、僅かな隙間
を見つけて口を開いた。

『どうせなら、景色の良いところにしないか』
「景色?……窓の方に行くのか」
『馬鹿……もっと想像力を働かせろ』

金子が少しばかり眉を吊り上げて、浮かべた笑みをやや歪めてみせる。だが、機嫌が悪くなった
風でもない。むしろ、少し楽しそうだ。


そうして、金子の後をついていったのだが――

「のぼせないか」
『大丈夫だろう。湯船に入る訳じゃなし』

いや、俺はともかく、どちらかと言えばお前が心配なんだが――土田は喉奥で小さく呻いた。



ここは風呂場――正確には部屋に付いている小さな露天風呂の浴場の中だ。
浴場には、窓に面した露天風呂のある風呂場と、スモークガラスを隔ててごく小さな脱衣所がある。
居間からの続き部屋だ。
露天風呂は一般家庭のそれより大きく、なだらかにカーブをした半円のような形で、外界を覗く
ことのできる壁一面の窓の手前に陣取っていた。明かりはやや暗めのものが1つ付いているが、
今は居間と脱衣所の間の扉を少し開け、居間から差し込む明かりのみを頼りとしていたから、大分
薄暗い。窓の外には川と、そうしてその先には林が広がっているが、それを臨むこちら側も暗い上
にやや蒸気が漂っていたから、全体がぼんやりと黒ずんで見えた。


薄明かりが差し込んで、こちらに向けられた金子の背中がまるで青白い光を発しているように見
えた。

『あぁ、幻想的だ……いや、非現実的、と言うべきか』

金子が窓の外を眺めながら呟く。

『こんな時、言葉は実在するものにはなかなか追いつかないな。相応しい言葉を見つけたと思っ
た時、実際には、その言葉は実在している「もの」に……いや、自身の想像力の及ぶ範囲の中に閉
じ込めただけなのだとは思わないか?』

金子がちらりと視線を流し、背後の自分を窺う。

『まあ、それを「理解」というのかもしれないがな。実際、そうでなければ世の中は不可解なことだ
らけになる』

金子が小さく鼻で笑った。

こんな時にそんな小難しいことを考えているなど、金子らしい。
だが――幻想的?非現実的?自分には、金子の姿こそがそう見える。

掴まえなければ。
土田は、まるで本能が嗅ぎ分けたかのように、瞬時にそう感じた。

土田がその肩に触れると、金子の体が僅かに跳ねた。そのまま後ろから腕を回す。金子が後ろに
振り返ろうと上半身を動かしたが、それを封じるかのように、抱きしめる腕に力を入れた。
すると、金子は「暑苦しい」とただ一言、小さく呟いた。





「金子……」

土田が背後から耳元で呟く。
回された腕は力強く、まるで囚われの身だ。

『っ……』

土田の濡れた、張りのある唇が耳に押し付けられて、思わず息を飲んだ。
浴場の蒸気のせいか、既に土田と密着した部分がじっとりとしている。まださほどのこともしてい
ないというのに、もう体が熱を帯びている。

何だか目眩でも起こしそうだ。

東京から離れた温泉宿などに土田と2人で来る日が来ようとは、想像もしていなかった。そもそも、
この男とこういう関係になっていること自体が、今だ不思議に思える。
そういう意味では、今程非現実的で、ふわふわと地に足がついていないような感覚に襲われるこ
とはないだろう。実際、何だか先程から奇妙に気が急いている。胸がざわついている。

『!んっ……』

横腹の辺りから臀部へと大きな掌で撫でられて、ついでに項に唇で触れられて、息をすると同時
にうっかり小さな声を漏らしてしまった。

考えが上手くまとまらない。
正直なところ、面倒なのでもうこのままされるがままでもいいかと思わないでもない。
この非現実的な状況で少しばかりは自信のある頭の回転も鈍く、頭は幾分ぼんやりとしてしまっ
ているし、さらに風呂場の蒸気にもあてられているし、何よりこの男に対する気持ちが、欲望が、自
身の背中を前へ前へと押しやっている。

だけれど、背後に居られては本当に「されるがまま」な訳で、自分から土田に触れられない。土田
の存在が確かなものとして感じられない。それに、同性のサガとでもいうのか、「されるがまま」と
いうのは自分が不利な立場に立たされているようで、何やらすんなりとは納得しがたいのだ。

大体、思うのだ。最初に押し倒すのは本来俺の役目だろう、と。


『っ……土田、ちょっと待てっ』

少々息が上がりがちな現状なだけに、意識して腹に力を入れたものだから、想像以上に自分の声
が風呂場内に響いた。土田の好きなようにさせてやってもいいかと思う気持ちもなくはないのだ
が、それを振り払おうとしたせいか、余計言葉に力が入った。
だが、にも関わらず土田はそれには答えない。それどころか、そのまま下腹部のきわどいところに
まで手を伸ばしてきたものだから、急いでその手首を掴んだ。
そうして、土田の腕を振り切るようにして土田の方に体を向けた。

土田の目にやや嫌忌が走る。
きっと土田の脳裏にはある懸念がよぎっているに違いない。またその気にさせておいて止める気
か、と。だが、仲居さんの登場ですっかり冷めてしまったあの時とは状況が違う。第一、自分だって
こんなところで止められる訳がない。
だから、――些かこの部分は気に入らないが――背伸びをして、土田の目じりに口づけてやった。

『一方的に触るな、俺は高いぞ。お互い様なら納得してやるがな』

それは想定外の言葉だったのだろう。土田が僅かに目を見開く。

その様子に、先程と立場が逆転したのだと、つい笑いが漏れた。そうでなくとも、どこか浮ついた
気分を持て余していたのだから、さらに気持ちが高揚するのも仕方のないことだろう。

土田の硬く引き締まった体に腕を回すと、その筋肉質の肩に口付け、そうして体を寄せた。

抱きしめる身体が硬く、そうして自分よりも大きいことに慣れてしまったのは、それどころかその
張りのある肉体を心地よいと思うようになってしまったのはいつの頃からだったか。
全く、これも由々しき問題に違いない。

金子は土田の耳元で、独りでに笑い声を漏らした。

「金子?」
『いや……万が一にも再び仲居さんが現れたら、今度はお前を女だと言い張ってみようかと思っ
てな』
「冗談にもならん」
『くく……だろうな』

他愛もない会話。互いの体に触れて、口づける戯れ。
そのどれもが、収まりが少々悪い程に、くすぐったくて、愛しい。

悪くないと思った。
土田が嘘をついてまでして計画したこの旅行――すぐに見抜けてしまった真実、季節の少々外れ
たごく小さな観光地での時間、そうして、何にも代えがたい、このひと時。
その全てが、悪くない。吐かれた嘘ですら。

土田、ありがとう――そう言ってしまってもいいんじゃないか。
もちろん、現状土田の嘘には気付いていないという建前があるからあからさまに言う訳にはいか
ないが、それでも、それとなく匂わせつつも別の話題と絡ませることなど、造作ない。
それ位、この時間が愛しい。

金子は土田の鎖骨の辺りに吸いついた。

「!おい、金子」

吸いついたところは、薄明かりの中でほんの少し色濃くなったように見えた。

『何、旅の記念だ。これで一週間は、お前も今日のことを忘れないだろう』

笑いながら言い返してやれば、土田の眉間にはやや皺が寄っていた。

「そこまで馬鹿じゃない」
『いや、記憶力というよりも、気持ちの問題だ』
「ならば、尚更忘れることなどない」

あっさりだ。

『言ったな。ならば、いつか抜き打ちで確かめるからな』
「確かめる?」
『いつか出し抜けに尋ねた時に、もし今日の出来事が答えられなかったら、お前の負けだ』
「負け?賭けなのか」
『そうだ、賭けだ。自信があるのだから、賭けても問題ないだろう?もし俺が勝ったなら……そう
だな、何にし――』

唐突に、土田に唇を奪われた。
そうして、僅かに離れた土田の唇が、呟いた。

「賭けてもいいが、その話は後だ」
『生意気な』

そう答えながらも、再び重ねられる唇を拒みはしなかった。

安易に口から出た言葉の数々が、意外と深いものだったとは口にした土田本人は気付いていな
いに違いない。だが、この男の言葉には嘘はない。軽々しく口にしようとも、それは土田の本心だ。
だからこそ――止めた。
賭けのことではなく、もちろんこの男に触れることでもなく、この旅行に対する感謝の言葉を今言
うのは止めようと思った。

そうでなくとも、気分は今十二分に満たされているのだから、これ以上土田の口から殺し文句が
飛び出した時には、もう平常心では答えられないかもしれないから。

それに――こんな気分にさせる男が、ちょっと、癪だから。





TO THE CHAPTER 2 : WAITING FOR THE BLOOM OF ROSE 8


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