CHAPTER 2 : WAITING FOR THE BLOOM OF ROSE 8



カチ……

暗闇の中にごく小さな炎が浮かび上がる。そこへ僅かに開けた窓の外から空気が流れ込み、炎が
予想以上に大きく揺らいだものだから、金子は掌で風を遮るようにしてタバコの鼻先を炎に翳し
た。
窓際の肘掛椅子の背もたれに寄りかかって、タバコを大きく吸い込む。少々顎を上げて紫煙を吐
きだすと、漸く、少しばかり自分を取り戻した気がした。

実際、先程まで何だか、地に足がついていないような心地がしていたから。


昨晩、部屋に戻るなり唐突に口づけてきた土田をいざなって浴場に入った時、気分は高揚してい
た。誰も見ていないであろうとはいえ、外に面した壁一面がガラス張りであったことも倒錯的な
気分を盛り上げたのかもしれない。そうでなくとも、初めての旅行で、しかも風呂場という今まで
にないシチュエーションだ。否応なく煽られる。
おまけに、期せずして散々焦らした効果か――土田がコトを急いている。
そんな土田が面白くて、何やら少々色っぽくもあって、挑発的なことを言ってみたり、少々焦らし
てみたりしていたら、どうやらさらに土田に火を付けてしまったらしい。
気が付いたら、何度となく達していた。

風呂場の中など、石造りの床は硬くて冷たいし、その割に蒸気のせいで室内の上部は蒸し暑い。
露天風呂を汚す訳にはいかないからとバスタブの外でしたことも一因だが、風情はともかく決し
て抱き合うのに快適な場所ではなかった。
それなのに、離れがたくて、いつまでも後を引いた。その挙句――疲れて果てて、少しばかり風呂
場でうたた寝してしまった。気が付いた時には、土田の腕の中にいた。いや、後から聞けばものの
10分かそこらだったのだが、硬い石床の上など尻が痛いというのに、バスタブに背を預けた土田
の胸にしなだれかかって、眠り込んだ。

土田の奴――こういうところは優しいというよりは気が利かない。
起こすか、いっそ抱きかかえて布団に連れていってくれればもっと心地よいまま眠りに入れただ
ろうにと思うが、実際のところ、土田はただ静かに自分を抱擁していた。


『起きてたのか?』
「ああ」
『ならば、俺のことも起こせばいいだろう』
「そうだったな」
『そうだったなって……』


目を開けて、土田の顔を覗きこんでみれば、土田の目元が和んでいる。
それがまるで、穏やかな時間を楽しんでいたのだとでも言いたげだったものだから、妙に照れ臭
くなって、視線を逸らした。



あれからすっかり夜も更け、既に土田は寝床で夢の中だ。だが、一方の自分は眠れないどころか、
先程のことを少し思い出しても顔が熱くなって、却って目が冴えてしまった。
タバコの味すら変わりそうだ。

金子は、薄く開けていた窓を少し大きく開いた。
風が冷たい。だが、頬の辺りはこれ位が気持ち良かった。



『……』

――静かだ。
都会ならば、閑静な住宅街であっても夜中であっても、時折車の走行音位は聞こえる。だが、ここ
はそれもない。聞こえる物音と言えば、自分が紫煙を吐く僅かな吐息位だ。喧騒から離れ、思索に
耽るというのもオツなものだ。

『…………』

――本当に、静かだ。おまけに暗い。
これまた都会ならば、例えコンビニの1つも付近にない程の住宅街であっても、もう少し明かりが
点在しているものだ。だが、ここはそれもない。あるとすれば、自分のタバコの先の火位だ。いや、
だからこそ夜空を見上げてみる良い機会だ。月を眺め、星を眺め、そうして地球の片隅から、見え
ぬ宇宙の果てにまで思いを馳せてみるのも悪くない。



………………ダメだ。

『やっぱり田舎は向かないようだ……』
金子は微かな溜息とともにごく小さな声で呟き、首を軽く振る。そうして残り僅かとなったタバコ
を、灰皿の底に押し付けた。


いや、別に静かな場所は嫌いじゃない。嫌いじゃないのだが――こうも静かで、そうしてこんな風
にこれといってすることもないと、あれやこれやと考えてしまう。
別に考える必要もないことまで色々と。

土田のような男ならばいいだろう。あいつは物事を深く考えない。いや、考えなしということでは
ない。土田は頭は決して悪くない。あの男の、時折核心をつくよう言葉にはハッとさせられること
もある。

だが、あの男はある意味合理的なのだ。必要のないことは考えない。考えても仕方のないことは
割り切る。もちろん万事においてそうということはないだろうが、少なくも自分よりはそうだ。

それとも、土田も取りとめもないことを考えることもあるだろうか。
例えば、自分のように、考えても答えの出ないようなことまでも……


「眠れないのか」

ハッとして、声のする部屋の奥の方に顔を向けた。暗がりの中で、ゆらりと動くものが見える。

『珍しいな。一度眠ったら目など覚まさないお前が』

暗がりの中の影は、やがて形となってのっそりと近づいてきた。備え付けの浴衣は土田の背丈と
体格には小さすぎるのだろう。脛の辺りまで足を晒した土田が、向かい側の肘掛椅子に腰を下ろ
した。

「眠りが浅かったようだ」
『そうか』

もしかしたら、窓を開けていたから冷気が寝床の方まで行ったのかもしれない。
金子は窓を閉めた。

暗い中でも大分目が慣れたから、土田の表情も大凡は分かる。

『――少し、一服しようと思ってな』
土田の最初の問いかけに答えを与えると、土田はそうか、と小さく頷いた。

「枕が合わぬとか、そういうことかと思った」
『大丈夫だ。抱き枕は同じだからな』

すかさず言い返してやると、土田はやや渋面を作った。それは照れてのことか、それとも冷えた
体でベッドに入り、ピタリとくっ付いてやる時のことを思い出してのことか、はたまたその両方か。
さすがに、この暗い中では土田の顔色が多少なりとも色づいたかまでは分からない。だが、土田
がそんな顔をするであろうことは予想していたから、想像通りの土田の様子に満足した。

そうして、満足ついでに――土田にも少々考えさせてみようかと思った。
普段とは違う環境なのだから、土田とて多少は普段と違うことをしてみてもいいだろうというこ
とだが――なに、要するに、先程自分が静寂に包まれてふと思いついてみたことをちょっとぶつ
けてみようということだった。

『なあ――』
「なんだ」
『こんな人里離れたところにいると、何だか駆け落ちでもしたみたいだと思わないか?』
「は……?」

土田の表情は変わらなかったが、意外な質問だったのか。土田はしばし二の句を継げずにいた。

『何を馬鹿なことを、とでも言いたいか』
「いや……突飛なことを言うとは思うが」
『ああ、そうだな。だが、思いつきとはそんなものだ。難しいことではないだろう?今は現実的に
考えられる環境に居るのだから。例えば、もう駆け落ちするしかないような状況に置かれたら、お
前はどうする?』
「うむ……」

土田が腕を組む。

例え話なのだから、何もそんなに構える程のことでもないだろうと思う一方で、まさか土田の奴、
そのまま眠りこむんじゃないだろうかと思い、さりげなく土田の様子を窺った。

土田が次に口を開くまで、少々時間がかかった。その間、眠りこけやしないかと俺は注意深く土田
の顔を見つめていた。そうして漸く、土田が声を発した。

「……無理だろう」
「え?」

いや、答えを出すのに時間がかかるとは十分分かっていた。眠りこまないだけマシだとも思った。
――だが、その答えは何なのだ。無理?無理とはなんだ、無理とは!

『何が無理だというんだ。駆け落ちなど不可能ということか?だから、例えだと言っているじゃな
いか。それとも、俺との駆け落ちなど、想像もできないということか?そんな気持ちもさらさらな
いということか?』

つい、口調が刺刺しくなった。

「違う」
『何が違うんだ!』

うっかり、声のトーンが上がった。
大体、自分の言葉に対して突っ込みどころはいくつかあるはずだ。それなのに、違うの一言で片
づけられてもどの部分を指しているのかまるで分からない。

「落ち着け。そうではなく……お前が無理だろう、と」
『は……?』

落ち着けとはなんだ、偉そうに!……いや、それはとりあえず置いておくとして。

――訳が分からない。俺が無理だと?何を勝手に決め付けている。俺の何を以ってして無理だと
言うのか。大体、今は土田のことを訊いているのだ。

だが、その理由は想像外のものだった。

「お前が田舎で地味に潜んでいられるとは思えん」
『はぁ?』
「いや、駆け落ちともなれば人目を気にし、潜むように生活するのだろう。だが、お前は目立ち過
ぎる。第一、そんな性分でもなかろう」

何を冷静に判断しているんだ、土田。
いや、ちゃんと考えるよう促したのは自分だ。だから、土田がきちんと考えたことは別に悪いこと
ではない。悪くはないのだが――

『あのな、俺だって別に、地道に控えめに生きていくこと位出来るぞ。こう見えて堅実な一面だっ
て――』
「1年持てばいいほうだ」
『何だと?』
「お前は田舎暮らしを知らん。人里離れた場所というのは、隣近所は全て顔見知りどころか、親戚
づきあいに等しい程に近しく知り合うということが当たり前だ。そんな中で潜んで暮らすというこ
とは、変わり者だと噂が広まって孤立しても構わん位に無愛想でいるか、都会では過干渉と思わ
れる程の環境で生きていかねばならん。いずれにしろ、都会暮らしに慣れているお前には神経が
休まらないだろう」
『……うぅむ』

土田のくせに、生意気な。しかし、鹿児島のさらに山奥で育った土田なだけに説得力がある。
……いや、待て。

『おい、俺は何も田舎暮らしの適性について訊いてるんじゃないんだぞ、土田。それならば、何も駆
け落ちを引きあいに出す必要もないじゃないか』
「そうか……だが、いずれにしろあまり答えは変わらないのではないか」
『?どういう意味だ』
「お前のことだ。ただ大人しく引っこんではいないように思うのだが」

確かに、一理はある。
駆け落ちなどしたところで、それは現実から逃避しているに過ぎない。昔ならばいざ知らず、今の
ご時世そう簡単に安住の地など見つけられるはずがない。国外にでも逃げればどうにかなるかも
しれないが、よほどの大金でも持っていない限り、惨めな人生になるのは目に見えている。
そうだ、もし土田との仲を是が非にでも認めさせたいならば、駆け落ちをしたところで解決策には
ならない。地道に、外堀から埋めていく方が時間がかかっても、結果としては正解だろう。

だが、土田はある意味自分を買いかぶり過ぎている。それこそ、土田のような男ならば粘り強く、
強い意志を持ち続け、耐え続けることも可能かもしれない。
だが、自分は――そこまで、強くなれるだろうか。

……何てことは癪だから絶対に言わないが。

『ふん、そうだな。俺の能力を以ってすれば、奇策を思いつく可能性もあるしな』
「ああ。――それでも万策尽きた時には……」

期待するような答えは土田から聞けそうにないと既に諦めかけていたから、これ以上に何か言う
ことがあるのかと、だらりと背もたれに寄りかかったまま、それでも視線だけは土田の方に向けた。

「お前のことは引き受けよう」
『……な……』

最後の最後にそんな不意打ちが来るとは思ってもいなかったから、一瞬ポカンと口を開けた。
そうして次には――瞬間的に、顔に火が付いたような気がした。

『な、何を生意気なことをっ……どうして俺が引き受けられなきゃいけないんだ!身請けみたいな
言い方をするな!』

すまん――そう言った土田の顔は、何やら目元が笑っていた。はっきりと見えてはいないが、それ
は伝わる雰囲気にありありと表れていた。

『何がすまん、だ。言った後に謝っても遅い!』

そう怒りをぶつけて見たものの、土田の目元は和んだまま――相変わらず余裕をかましていて、
少々腹が立つ。

だが、それはもしかしたら土田のせいだけではなかったかもしれない。
怒りを見せつつも内心では、うっかり笑ってしまいそうな自分がいたから。どうやら土田は、散々
自分の奇策やら辛抱やらに付き合った挙句、最後には引き受ける気があるようだから、それなら
ば、もうこれ以上に言うことなどないじゃないかと思っている自分がいたから。

あれやこれやと要らぬことを考えて、次にはどさくさにまぎれて愚問とも言えるようなことを聞
いてしまったが――何、悪くない。
田舎での時間も、悪くない。

金子は土田の顔をびしっと指差して、引き受けてやるのは俺の方だときっぱり宣言しながらも、
少々表情が緩んでしまったことには気付かない振りをした。





TO THE CHAPTER 2 : WAITING FOR THE BLOOM OF ROSE 9


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