EPISODE 16 :


何度となく口付けられる内、自然とそれはより深いものへと変わっていた。
金子の、熱を持った熱い吐息を感じる度、おかしな気分になっていた。

口では決意を述べたものの、そしてそれは嘘ではないものの、実のところ、よく分からないままにこういうことをす
るのはいいのだろうかと考えはした。
さすがに冷静になって考えてみれば、恐らくは、だが、金子の真意というのは何となく想像がつく。
金子がもしも――自分の自惚れでなければ、だが――自分に、所謂”好意”を寄せている、ということであれ
ば、この行為も分からなくはない。だが、自分はどうかと問われたら、あまりに展開が急で、よく分からない。大
体、金子からそうだと言葉で言われた訳でもないし、自分の気持ちを聞かれた訳でもない。であれば尚のこと、
当の自分が何となく流されて、などという形でいいのだろうかとも思った。

だが、これも己の不甲斐なさ故か。
どうにも正しいと思われる道を進もうとせず、浮かんだ疑問すら、やもするとそんなことは理屈だと横に押しのけ
てしまい、感情――いや、感覚の趣くままに道を踏み外そうとしている自分がいた。

金子の熱い身体に圧し掛かられ、一層深くした口付けに、自然と応えてしまっている。
いいのだろうかと思いつつ、押さえこめないような欲望が、身体の奥底で小さく疼く。

金子のことは、整った顔立ちをした男だとは思っていた。だが、そういった対象で見たことは一度もなかった。そ
う思わなかった理由は同性であるとか、友人であるとか、心に引っかかっている別の存在がいたとか、そういっ
たことも全て含まれているが、それ以外にも、ないではない。
だが、そのことはともかく金子は友人でありながらも、どこか遠い存在でもあった。それは、住む世界が違うとい
うことでもあったし、現実として東京在住なのだからいずれそこへ帰るだということも、普段は意識せずとも漠然
と悟っていた。

それが急激に、あまりに急速に今、おかしな形で距離が縮められつつある。それなのに、戸惑いながらも、とも
に進んでしまおうとしている己がどうも不可解だ。
だが――何故か嫌ではないのだ。本来ならば、もう少し拒否感を感じるものだと思うのだが、最近よくこの男
と会っていたせいなのだろうか、これだけ密着していて、それは多少なりとも違和感は感じるのだが、といって嫌
悪感とまではいかず、びしっと撥ね退けることも考えられず……とは一体どういう訳か。
それどころか、奇妙なことに、これで少しは金子も元気になってくれるだろうかと、そんな風に、妙に肯定的に考
えてしまうのだ。
どうにも不思議だ。それとも、よほど自分が鈍感なのだろうか。





土田のシャツのボタンを外そうとして、自分の指が微かに震えていることに気がついた。
押さえきれない欲望が制御しきれていないのか、それとも内心は臆していることの表れなのか、よく分からない。
まるで何もかもが初めてであるかのように、緊張する。
だが、それは大きな感情のうねりの中では些少なことに過ぎない。

金子はいつもよりぎこちなく動く指先を悟られたくなくて、段々と外し方が乱暴になっていった。どういう意図か
らか分からないが、土田の手が伸びてきたので、手を出すなとその手を横に押しやる。そうして、シャツのボタン
の最後の1つに至っては、力まかせに外した。もしかしたら、取れかかったかもしれない。
少しばかり眉間に皺を寄せていたように見える土田の顔は、だけど視界の端を掠めさせただけで直視すること
なく、シャツを肌蹴させ、すっと浮き出た鎖骨に口付けた。

香水の匂いもしなければ、石鹸の匂いもしない。胸の方に何度となく口付けを落としてみてもそれは硬いし、
勿論、筋肉以外の柔らかな盛り上がりなんてものは少しもない。指で胸の辺りから腹部へと撫でてみても、
本当に贅肉1つない、固く締まった良い身体が明確に分かるだけだ。それこそ、同性としては感心してしまう程
に。だが、こんな、柔らかさの欠片もない身体が欲望の対象になるものだろうか。

自分にも何の疑問もない訳でもないのだ。何をしているのかとか、本当にこんなことを望んでいるのかとか、全
く己に再確認しない訳でもなかったのだ。

だが――疑問は浮かんでも、気持ちが萎えてくる様子はまだない。

「――金子、俺は、どうしていればいいのだ」

独りよがりなまでに一方的に服を脱がせ、その身体を撫でまわし、口付けていたから、土田の言葉が聞こえる
まで、まるで自分は人形でも相手にしているかのような状態になっていた。
だが、ズボンのベルトに手がかけられたことで、さすがの土田も何がしかの不安を感じたのだろう。言葉だけで
なく、土田の手が右手の甲の上に乗せられた。

『安心しろ』

土田の包むような温かい、大きな手に何がしかの安らぎのような、安堵感のようなものを感じたが、金子はさ
りげなくその温かさから手を逃れさせた。

『煽った責任は取ってやるから』

だが、その言葉は土田の安心には繋がらなかったらしい。

「どうやって」
『は?そんなこと訊くのか。案外、露骨だな』
「そうではない。だが……その、同性相手の、こういう経験がない」

そうか、それが困惑の元か――というか、まあ想像通りではあるが。
土田の顔には、殆ど平素と変わらぬ表情ながら、その目にはどこか落ち着かない、躊躇いが感じられる。
金子は、ふと自分の顔が今どういう表情を浮かべているのか、土田の目にどう映っているのか気になった。

『……それは、めでたいな。今夜は赤飯でも炊いたらどうだ』

そう言いながら敢えて下を向いて表情を隠してしまうと、ベルトを外しにかかる。すると、土田の声が今度は少
し強い調子に変わった。

「待て。言っておくが、俺は女ではないのだぞ」
『お前のどこが女に見えるんだ』
「ならば、何故、赤飯などと言う」

ああ、そうか――金子は、漸く土田の本意に気付いた。

『ふ……そうか、俺がお前を女に見立てて無茶をするつもりだと思ったのか。だったら安心しろ。口でしてやる』
「は……?」
『だから、口でしてやると――』

土田はいよいよ床に肘をついて上半身を起こしかけた。

「ならば、お前はどうするんだ」
『俺か……別に、お前の心配することではない』
「そんな一方的な行為があるか」

何やら、土田は不満そうだ。

『だったら、俺が終わったら交替するか?』

顔を上げてにやりと笑ったら、土田はどう答えたらいいのか分からないのか、ただ僅かに眉を上げた。

『余計なことを考えるな。お前はただ寝てればい――』

宥めすかしたつもりが、土田は完全に上半身を起こした。しかも、その表情は憮然としている。

「それで、いいとでも言うのか」
『は?』
「これがお前のしたかったことか」

土田の太腿の辺りに座り込んでいたから、土田が上半身を起こすとかなり近い。そんな中で、土田の怒りに
触れたものだから、金子は困惑した。

『何だ……だから、嫌なら最初から言えと言ったのに……』
「そういうことではない」
『じゃあ、どういう意味だ。別に、俺はお前に何かしろなんて一言も言ってないだろうっ』

別に自分は土田に何も求めていない。土田が自分の気持ちに応えてくれることなんて期待していないし、望
んでもいない。ただ、どうにもならなかった。自分のあふれ出るような感情に自身ががんじがらめになって、苦し
かった。だから、少しだけ、それを吐きだしたかった。吐きださなければ、身動きが取れなくなっていた。
だけど、そんな独りよがりな想いに土田を巻き込もうなんて思っていない。確かにこの行動も全く巻き込んでい
ないとは言えないが、といって、これで土田が自分の気持ちに気づいて、そうして応えてくれるなんて考えてな
い。少なくとも、土田に対する迷惑は最小限にしなければという位の理性は自分にだって残っているのだ。
それなのに、それすら土田は軽蔑するとでもいうのか。


すると、土田が溜息をついた。
何だ、何を分かった風な真似を。生意気な――金子は咄嗟に反発心を疼かせる。
その時、座った自分の膝の上に乗せていた左の手首を土田に唐突に掴まれて、驚いた。だが、その後の方が、
もっと驚いた。
いきなり、そのまま腕を引っ張られて、引き寄せられたからだ。土田の胸に、というよりは、土田の太腿の上に
座っていたせいで、抱きしめられても自分の視線の方が少しだけ上になった。
……いや、そんなことよりも。

『何……してるんだ』

だが、土田は答えない。
熱い。何だか、とても熱い。
それは勿論自分に熱があることも関係しているが、土田の大きくて力強い腕に抱きしめられて、さらに体温が
上がった気がする。

自分の胸を揺らすのは土田の鼓動だろうか。もしかして、自分の速すぎる鼓動も土田に伝わっているんじゃな
いか――そんなことを考えていると、土田の手が後頭部に当てられ、そうしてこの男の武骨な手にしては優し
すぎる位に、そっと撫でられた。

俺は子供じゃないぞ。
そう思いながらも、何だか反抗する気が起きない。それどころか寄りかかってしまいそうになった。何故か、心地
よかったのだ。その緩やかな動きに、緊張感やら焦燥感やらがごちゃまぜになって危ういバランスを保っていた気
持ちが、少しずつ宥められていくようだった。
だから、土田が少し身体を離して人の顔を僅かに見上げるような形で覗きこんできた時、自分には何の警戒
も躊躇いもなかった。何なんだと問う気もなく、それどころか全く何も考えてなくて、ただ漠然と土田を見返した。
だから、少しの間、何が起こっているかすら分からなかった。

もしかしたら、ほんの少しは優しい表情をしたかもしれない土田が、顔を近づけて唇を合わせてくる。
触れた熱の意味に気付いたのは、逆にそれが一度離れた時だった。
何故だかよく分からない。だが、土田の行動の意味を問うことさえできず、ただ唖然としてる間に何度となく柔
らかく唇が触れてきて、目眩がしそうだった。
一体、何が起こっているのか。

やがて、土田の手が頬に触れ、それから肩の辺りを撫で、そうして再び抱きしめられた。

「――間違っていたら、すまん」

だけど、どちらかというと、こういうことではないかと思った――土田が、ぼそっと呟いた。

土田の言葉に、一瞬戸惑った。意味が分からなかったからだ。
だが、つまりは俺が人形でも相手にするように、ただ一方的にすることが土田には同意できなかった。というより
も、土田の言い方からすれば、俺の望んでいる形はこういうことではないのか、と訊いているように取れる。
勿論、土田だってただ寝ころんでいるだけではつまらないかもしれない。だが、ならばお前は俺に自分から触れ
ることを厭わないとでも、構わないとでも言うのかと、逆に訊きたくなる。

俺はお前に何も期待してない。お前が応えてくれるなんて思ってもいない。独りよがりだっていいのだ。それだけ
で、十分なのだ。
それなのに、そんな気持ちに、水を差すような言葉。
何故?と思う。
それじゃあまるで、俺が期待してもいいみたいじゃないか。俺の独りよがりは間違っているとでも言っているみた
いじゃないか。

混乱した。
それなのに、先程より――独りよがりに土田を抱こうとしていた時より――ずっと鼓動が高鳴っている。

『……俺を、煽る気か……』

声が、少し上ずった。

「最初にそうしたのは、お前だろう」
『……煩い』

言葉がきちんと紡ぎだせない。饒舌は自分の得意分野だと思っていたのに、上手い言葉さえ浮かばない。
だから巧みな反論などもう諦めて、自分の方から土田に口付けた。土田の優しさになど応えてやるものかと、
すぐに口を押し開き、口腔を掻き乱した。だが、それにも土田は応えてくれる。おまけに、背中に回されていた
土田の腕がすとんと降りて、腰の辺りを抱きしめてきた。

完敗だ――金子は思った。

想いばかりが先走り、そのくせあれやこれやと複雑に気持ちが交差して、焦って、もがいて、自分だけが空回
りして――それなのに、あっけなく土田に玉砕されてしまった。
後に残ったのは、ただ、本当に自分はこの男が好きで、好きで堪らないのだという気持ちだけだ。

もう、どうでもいい。

恐らくは、土田には気持ちは伝わったのだ。
その結果が、この愛情だとでも錯覚しそうな優しさであったとしても、または優しすぎる残酷さであったとしても、
もう、どうでもいい。

金子は、胸の奥底から突き上げてくるような、大きな、泣きだしそうな感情を喉の奥で飲み込んだ。


これ以上に望めることなんて、何もない。





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