EPISODE 4 :


1つ作品を仕上げて、さて別の雑誌社から頼まれているエッセーの構想に入ろうかという時に、町役場から意
外な依頼が舞い込んできた。

――是非この町のPRの為に、短い文章で構いませんので何か書いて頂けませんか。

それは予想していたことではなかったが、成る程、考えてみれば突拍子のない話でもなかった。

まがりなりにも作家として最近少しばかりは名が知れてきているし、代表作品が旅行記ならば、地域PRの為
の文章もお手の物だろうと思われても仕方がない。しかも、自分は幼少時よりこの町には少々馴染みがある。
実家所有の別荘は祖父の代からのものだ。そういう意味でこの土地と金子家とは縁が深い。
こういっては何だが、自分以上に相応しい人間はそう多くはいないだろう。

だが――それでも当初は断るつもりだった。
突発的な仕事など引き受けずとも、現在抱えている複数の連載だけでそれなりに仕事に追われているし、金
銭的にも困ってはいない。それに、なまじこの町を昔から知っているだけに、変わりゆくその姿に対して複雑な
心境がどこかない訳でもないからだ。万が一にも、うっかり批判がましいことなど書いてしまってはPRにならない
だろう。

いっそこの場所に移り住んだばかりの人間の方が、そういった先入観なくこの町のことを眺められるのではない
か――そう考えた時、ふと何故か、あの蕎麦屋の店主のことを思い出した。
忘れていた訳ではなかったが、4〜5日程前に駅前で偶然会って以来、東京から仕事上の客人を迎えたり何
やかやと用事に追われていて、あの男のことも蕎麦屋のことも、記憶の端に置き去りになっていた。

――あの男、土田といったな。確か、3ヵ月前にこの町に来たばかりだと言っていた。

一度その存在を思い出したら、あの男への小さな好奇心もまた、再び息を吹き返す。
何となく素直に旨いと言えなくて、味など覚えてないと言った時のあの男の反応が見たくて、過日にはつい感
想を引き延ばしてしまったが、その実あれ以来店に足を運んでいない。
だが、口先だけだったと思われるのも不本意だ。となれば、今回の仕事は一石二鳥になり得る。

あの男は、今回の仕事にあたって、取材対象としては最適だ。それならば再びあの蕎麦屋を訪ねるいい口実
にもなるし、それに、単純にあの男がこの土地に対してどういう感想を持っているのか訊いてみたい気もする。
何より、あの男はどこか謎が多い。話のきっかけに、何か面白いネタが聞けるかもしれない。

そう思って、結局依頼を引き受けた。勿論、締め切りは3週間後と長めに延ばして。





「らっしゃい――ああ、あんたか」

翌日の夕刻、早速件の蕎麦屋を訪ねれば、あの男が居た。
カウンターの奥から無表情に顔を上げ、そうして素っ気無い程の平坦なトーンで言葉を結ぶ。


『あんたはないだろう』
「ならば――金子さん、と呼べばいいか」

”金子さん”――何だろう、この背筋がぞわぞわするような違和感は。他の者からそう呼ばれても、さして気に
したことはないというのに。自分よりも数段落ち着き払ったような年下男に呼ばれたからだろうか。


『……いや、金子でいい』
「気を悪くしたのならば、すまん」
『は?』
「他意はなかったんだが、その――」

男は、どこか天井の方を向いて考えあぐねている。どうやら己の現状を表すべき相応しい言葉が見つからない
らしい。

『――そういうのは口下手、または口不調法というんだ。口さがない連中から陰口を叩かれ易い、典型的な
タイプだな』
「……そうか」

さほど知らぬ相手に言うにしては、我ながら辛辣な言葉だと思った。ともすれば、そんなことを言う自分こそが
所謂”口さがない連中”に見えかねないのだから、尚更だ。
だが、相手はそれに対して機嫌を悪くした風でもなく――むしろ、僅かに微笑んだような気がした。

『?何だ。今のが冗談にでも聞こえたのか?』
「いや……あんたの意見は的を得ていると思った」

脱力しそうになった。何を真面目にこの男は肯定しているのだろう。自身が批評――下手をすれば批判され
たとは、思わないのだろうか。

『……そう素直に認められてもな』
「だが、本心だ。あんたのようなものが傍に居れば、俺もあまり誤解を受けんのだろうな」

実直というか、正直というか――男が自分の言質をあまりに真っ直ぐ受け止めてしまったことに唖然とした。
自分の言ったことは外れていないという自信はあるのだが……それにしても。

『俺はお前の便利な相方じゃないぞ』
「そうだな。すまん」

男は俺の言葉をさほど気にした風でもなく、頭を軽く下げる。そうして、静かにカウンター机の上に仄かに湯気
を立てた湯呑み茶碗を置いた。

ふわりと広がる緑茶の深い薫りが、鼻孔をくすぐった。






『――ところで、どうしてこの町に?』

他に客がいないのをいいことに、蕎麦を食べつつもこの町の第一印象やら街並み、人の感想などを取材も兼
ねて一頻り訊いた後、さりげなく男自身の方に話を振ってみた。

カウンターの内側の台で包丁をゆっくりと研いでいた男は、暫く無言のままだったが、やがて静かに口を開いた。

「理由は1つではないが――ここは良い所だと思う。人が、温かい」

ぽつりぽつりと呟く言葉は低く、何故か重く響く。この男の声質のせいもあるだろうが、何よりこの男の本音を表
わしているような気がした。
それは、さりげなく質問の答えをずらしたことでも分かる。人が温かいのは来てみなければ分からないことなのだ
から、それをこの町に来た理由とするのは無理がある。

だが、他に繋ぐべき言葉は何もないのか男は目元をほんの少し和ませると、そのまますっと視線を下におろし
た。

包丁を研ぐ音だけが僅かに響く中で、男は何を考えているのか――すぐ目の前に居るというのに、男の心はど
こか遠くにあるように思えた。



『――旨かった』

箸を置きながら、短くも努めて冗談とは思われないよう真面目な顔をして言うと、男はそうか、と一言短く答え
た。そうして、微かに口角を上げて、男の顔が小さな笑みを作り上げる。まるで褒められたのは自分の方であ
るかのように、その男の笑みが心にじわりと滲み込んできたものだから、俺はそんな心の動きをなかったことにし
ようと、視線を逸らした。

『これでも舌は少々肥えた方なんだ。だから、イマイチだったら遠慮なく言わせてもらうつもりだったが、汁の味も
蕎麦の硬さや歯応えも、丁度良い加減だ。――だが』

俺が言葉を続けたものだから、男は真っ直ぐな視線を遠慮なく俺に注いできた。

『問題が1つあるとすれば、お前だ』
「……?俺、か」
『そうだ』

男は僅かに眉間に皺を寄せる。それは不機嫌というよりは、どういう意味なのかと訝しんでいるようだった。

『お前はこの間俺と町で偶然出会った時、何と言っていた?』
「…………」

男の目元がさらに険しくなる。だから、キッと睨み返してやった。

『同年代の知り合いができて嬉しいと言っただろう。それなのに、随分と堅苦しい態度じゃないか。俺が蕎麦
を食べている時など、強張った顔で不躾な程にじろじろと人を見下ろして、俺は蕎麦に毒でも盛られているか
と思ったぞ。職人肌だから無愛想で構わないというのならば、俺はそれに文句をつける気などさらさらない。そ
れはお前の勝手だ。だが、知り合いというならばそれらしく、俺にはもう少し緊張感を解いたらどうなんだ?お
前のその態度のお陰で、俺はすっかり肩がこったぞ』

そう一気に言葉をぶつけてやったら、男は少々目を丸くして俺を見ていた。
だから、何だ、文句でもあるかと言わんばかりに、こちらも男の顔をじっと見返していた。

どれだけの時間が経ったのだろう。いや、実際には一分もなかったのだろうが――男はやがて、口を開いた。

「――確かに、そうだな。すまん」

一瞬躊躇うような表情を見せながらも、ぎこちなく浮かべた笑み。そして、謝罪の言葉。

『全くだ。堅苦しくて敵わん』

さらに追討ちをかけてやったら、男は困ったような顔をして低い笑い声を漏らした。
その様子に、笑った。

――少しは壁にヒビを入れられただろうか。この男の容易く動きそうにない心の壁に、響くものはあっただろうか。

何故そんなことを願ったのかは分からないが、そう思った。








夕刻――店を閉めた後、店の2階にある自宅に戻った土田は、居間に入り、カーテンを閉めて電気を燈す。
冷えた畳の感触を足の裏で感じながら、視線をついと整理ダンスの上に向けた。


――……あんたは今、幸せか?

土田は、そこに立てかけられた少し厚めの、A4サイズの大学ノートに問いかけた。

――ちゃんと食べているか?安心できる寝床はあるのか?

しかし、ノートはいつもの通り、土田には何も答えをくれない。心に何も訴えかけてはくれない。
ただ、静かにそこにあるだけだ。

土田は、物言わぬそれに向かって静かに頭を垂れる。ただ、その元の持ち主の無事を祈って――







”――この地における何よりの土産と言えば、それは東京駅の構内でも手に入るであろう名物の和菓子では
なく、人である。束の間のバカンスに於いては期待すべくもない、その土地に根付いた人々との素朴で温かな
触れ合いである。それこそが……”

別荘の2階で、金子のペンは自分でも不思議に思う程軽快に、そして滑らかに進んでいた。
元々宣伝用のパンフレットの為だから、特に奇をてらった文章など書く必要はない。下手に装飾的な文章な
ど作っては、却って一般の観光客にストレートに伝わり難くなる。だから、そういう意味では少々楽といえば楽
なのだが、それだけでは、この少々浮かれているとでもいうような心の動きを説明できないだろう。

金子はつらつらとそんなことを考え、自身の胸に問うては首を捻る。
だが、やがてすぐに答え――もしくは答えだと納得できるもの――は出た。

――そうか、あれだな。近所でも怖いと評判の大型犬にうっかり道端で出くわして、恐る恐るその前を通った
ら意外にも従順な態度で尻尾を振って来られたような、そんな心境だ。

無口で無骨で、頑なにその内に秘めたものを隠すような、どこか人と距離を置こうとするあの男――そんな土
田という男に”知り合い”だと認めさせたことが、まるで一歩前進したような、小さな勝負事に勝ったような、そ
んな気にさせる。
いや、実際には別にあの男に認められたからといって何の得もないし、喜ぶ意味もない。況してあの男はただ
の小さな蕎麦屋の店主なのであって、むしろ「知り合い」になって有難がられるというのならば、少しは名の知
れた作家である自分の方がよほど相応しいじゃないかという気もしなくもない。
それは自分でもよく分かっているのだが――

変わった男だ。面白みのないところがまた面白い。
時代錯誤とも言えるあのストイックな仮面の後ろには、一体何が潜んでいるのか――そう思うと、どうしても好
奇心が湧いてしまう。無視をするにはどうも心に引っ掛かる。

それが自分とは全く違うタイプの人間だからなのか、それともこんな片田舎に1人で居るものだから、単に退屈
しているのか、何故かあの男のことが気になってしまうのだ。

――まあ、仕事の合間の退屈しのぎにはもってこいかもしれないな。

金子はペンをひと時止めると、この好奇心の、程よい加減の理由を見つけて一人薄く笑った。





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