EPISODE 1:


『暑い……な』
「クーラーを強く致しましょうか」
『……』

ピカピカに磨き上げたリムジンの後部座席に長い足を組んで気だるそうに座っていた男は、自分の斜め前の
席に緊張した面持ちで腰をおろしている男に、無言で冷やかな視線を流した。

「失礼致しました…っ。おい、後方のクーラーを強くしてくれないか」

完全に軽蔑しきったような目線を向けられた男は、急いで前方の助手席に座る男に指示をした。

――全く……暑いと言えば、涼しくするのが当然だろう。これだから、頭の回らぬ連中は……。


リムジンにふんぞり返る厭味な……もとい、暑さに弱いらしいこの男の名は、ルーリック・T・タイラノフ。
プラチナ・ブロンドというよりは単なるプラチナの髪の色に、アメジストのような鮮やかな紫色の瞳を持つ男は、
クール・ビューティという言葉が似合いすぎる程に似合う、スラブ系特有の人形のように整った顔をしていた。
実際は、彼には1/4程東方の血が混じっていたのだが、それを窺い知ることができるのはその外見からではな
く、彼のミドル・ネームからのみであった。
身内の者しか呼ぶことの許されないそのミドル・ネームを――トモモリという。





トモモリは、退屈そうに窓から遠景に見える高層ビル群に視線を投げた。
スモッグのかかる無機質なビル群は、乾燥した砂漠に近い大都市、ロサンジェルスには相応しい。その近代的
な秩序から取り残されたようなダウンタウンや、不必要な程の煌びやかさと虚栄心の入り混じったハリウッドと、
一体的に作る少々快楽主義的な町全体の空気は嫌いではない。
といって、トモモリがこの町を楽しいと思ったことは一度もなかった。ここは彼の生まれ育った街、ロシアのサンク
トペテルブルクとはあまりに違っていた。
だが、楽しめない理由はそれではなく、当然のこと、快楽主義に反対している訳でもない。
ただ――トモモリは己の欲求に忠実なのであり、その一方でそれを満たすものがこの世にあまりないというせい
だった。

――全く……こんな町に何度もわざわざ来なければならないとは……面倒、だな。

トモモリはあからさまな溜息をつきかけて――そして途中で逆に息を飲んだ。

『おい……止めろ』
「は?」
『車を止めろと言っている』
「しかし、ここはフリーウェイの上です。そう簡単には……」
『路肩に止めればいいだろう?』
「!は……はい……っ。おい、車を路肩に止めてくれ!」

トモモリの平坦な、それでいて刺々しい声で、車は路肩に止まった。急激にスピードを落として車線変更をし
た為、ブーイングのクラクションが何度も響いた。

「どうされましたか?何か急でも……」

トモモリは車が止まると窓を開けてそこから顔を出し、後ろのほうを見つめた。

「何か轢くのを見たのですか?」
『――人が居た』
「は?人?人を轢いたとでも?まさか倒れていたとか?」
『いや……立っていたから生きているんだろう』
「?ここはフリーウェイですから、では車が故障して外にでも出ていたのでしょう。それがどうかしたのですか。お
知り合いでしたか?」
『いや……ああ、もしかしたらそうかもしれない。お前、この路肩を歩いていってそいつを連れて来てくれ』
「え…………しかし、ここからはもう人の姿は見えませんが……」
『確かに、遠いだろうな。しかし、止めろと言っているのにすぐに対処しなかったのは誰だ……?』
「……は……分かりました」

先程からトモモリのわがままに振り回されて踏んだり蹴ったりの男は、仕方なく車を降りる。

――全く、毎度のことで慣れているとはいえホント横暴なんだよなー……ルーリック様は……。
男は1人になってから、その果てしない道を徒歩で戻りつつ盛大に溜息をついた。





それから悠に40〜50分は経っただろうか。漸く2人の男の影が車に近づいてくる。
その姿を最初にサイド・ミラー越しに見つけたのは、リムジンの助手席に座っていた、トモモリと同じスラブ系の
男だった。

「!あ、あの方は……!?」

その声に、薄く眠りに入りかかっていたトモモリの目蓋がゆっくりと開く。

「おまたせしました……」

炎天下の中延々と歩かされた男が後部座席のドアを開けると、その背後からもう1人――青い髪をした若
い男が顔を出した。

「は……?あんた、俺の知り合いが居るとか何とか言ってなかったか?俺、こんな奴知らないぜ?!」

青い髪をした若い男は、優雅に背もたれに寄りかかっていたトモモリの顔を見て、声を上げた。

「え……?あの、ルーリック様……?!」
『いや……間違ってはいない。――お前の名は?』
「はあ?いきなりこんなところまで連れてきて、今度は自分が名乗りもしないうちから俺に名前を言えっていうの
か?」
『だが、お前は困っていたんじゃないのか?こんなフリーウェイのど真ん中に立ち尽くして……確かヒッチハイクは
カリフォルニアでは禁止だと思っていたが?』
「うっ……仕方……ねえだろ。こんなトコで車降ろされたんだから……っ」
『法律が、個人の理由に配慮するとでも……?』
「……分かったよ、言えばいいんだろっ。マサオミだ、マサオミ!マサオミ・アリカワだ」
『マサオミ……アメリカ人……か?』
「ああ。親父が日本人だから名前も日本人ぽいけどな」
『そう……か』
「――で?あんたは?」
『まずは車に乗ったらどうだ。好きな場所に、送ってやってもいい』
「いや……でも……」
『クッ……疑っているのか、俺を。ならば、俺の携帯を持っていろ。信用している者の電話番号をメモリーに入
れておけばいい。いざとなれば、すぐに助けを呼べるだろう?何なら…俺のパスポートも渡してやろうか……?』

マサオミはその紫色の目をじっと見つめた。その皮肉な笑いを浮かべた顔ではなく、瞳だけを。
するとその瞳は真っ直ぐに見返してきた。瞬きもせず、じっとこちらを見ていた。

「……分かったよ。そこまで言うなら、信用するさ」

マサオミは漸く車に乗り込んできた。
トモモリはジャケットのポケットから携帯電話とパスポートを取り出すと、マサオミに差し出す。

「は?もういいって」
『……クッ……詰めが、甘いな。――持っていろ。どうせ車を降りるまでだ』
「……俺は別に甘くなんかねえよ。」

マサオミはちょっとムッとすると、その携帯とパスポートをトモモリの手から乱暴に奪った。

「ところで、まだあんたの名前を聞いてないぜ。まあさっきルーリックって呼ばれてたから、それが名前なんだろう
けど?」
『ああ。俺にも……一応日本語名があるがな』
「え……?冗談だろ?あんたはどっからどうみても、アジア系の血が入ってるように見えないぜ」
『ならば、パスポートを見るといい。名前が書いてある』

マサオミはパスポートのページをめくった。

「……う……何だこれ。ロシア語か?全然読めねえ……」
『……。その前のページだ』
「え?あ、そっか。えーと……ルーリック……トモモリ?」
『ああ』
「トモモリ……確かに、日本語っぽい感じがするな。あんたも日本人の血が入ってるのか」
『俺の場合は、祖母が日本人だから、1/4だがな』
「へーえ。まあ、これも何かの縁かもな。……正直言うとさ、フリーウェイの出口まではまだかなり距離あったし、
俺も途方に暮れてたんだ。だから助かったよ。サンキュ、トモモ……リ……って…何だ何だ……?!」

言葉を最後まで言いかけて、マサオミは焦った。何しろ自分の隣りに座る男も、助手席に座っていた男も、そ
して運転席の男でさえもミラー越しに、今にも掴みかかって来そうな険しい目で自分を睨んできたからだ。
だが、そんな中で1人、自分の正面に座るトモモリだけがその様子を見て笑っていた。

『クックッ……ああ、いや、気にするな』
「な、何だよ……ホントにいいのか?びっくりさせるなよ、ったく……俺、何か悪いこと言ったか?」
『何も。気にするな、連中は驚いただけさ……お前の奔放さに』
「奔放さ?何だ、それ……。もしかして、お前らみんなして俺をからかってる?」
『?何故、俺がそんなことをする必要がある?』
「……ま、少なくともあんたはないか……まあ、どうでもいいけどよ。ところで……あんたらどこまで行くつもり?」
『お前は、どこまで送って欲しい?』
「……ダウンタウン……かな」
『ふうん……ダウンタウンの、どの辺りだ』
「どの辺りって……とりあえず、一番賑やかな通りで降ろしてくれればいい」
『マサオミ――お前ロサンジェルスは初めてか』
「?!え?な、何でだよ……っ?!」
『クッ……どこから来た?』
「……言わねえ。言いたくない」
『何故?』
「何だっていいだろ。お前に関係ない」
『そうか……まあ、別にお前の口から聞かずとも、調べることなど簡単だがな』
「なっ……!」
『――ダウンタウンで降ろしても構わないが……あそこは酷く治安が悪い。昼間は、まあビジネス街と言えるだ
ろうが、夕方以降、車も持たぬ身であの辺をうろついているのは……ホームレスか不法滞在者か……犯罪
予備軍だ。――まあ、リトルトーキョーの一角ならば分からなくもないが、お前の期待するような安宿など、あ
の辺りにはない』
「……!!な……な……何でそんなこと分かるんだ!あんたロシア人だろ?!」
『確かにロシア人だが、俺は年に何度もLAに来ている。一度も来たことのない、アメリカ人のお前と違って、な
……』
「……はあ……。分かったよ、降参だ。確かにロサンジェルスは初めてだよ。ヒッチハイクしてここまで来たけど、
最後に乗せてもらった奴が何だか怪しかったから、降ろせって言ったらケンカになって、で、フリーウェイの途中で
落っことされた。大した金もないし、ダウンタウンなら普通は賑やかで、宿にしろ食事にしろ色々と揃ってるだろ
うと思ったんだけどさ、LAは違うんだな」
『違うな……』
「そっか……じゃあ……」
『――俺のところへ来るか?』
「……え……?」
『部屋ならば、余っているからな……泊めてやってもいい』
「……そういう訳にはいかねえだろ。俺、あんたのこと何も知らないし、あんただってそうだろ。そこまで世話にな
る訳にはいかねえよ」
『クッ……痩せ我慢か……それもいいが……ではどこへ行くつもりだ?ダウンタウンは、説明した通りだが?』
「!だったらあんたの降りるフリーウェイの出口で降ろせばいいだろ!俺だってガキじゃねえんだ、後は自分で何
とかするっ」
『クッ……そう熱くなるな。――それでは、俺がお前に優しくする理由があれば……お前は納得するか?』
「優しくする理由?……ああ、そうだな。確かに俺がどんな奴かも知らないのに車に乗せてくれたり……さっき
から疑問には思ってたぜ」

『理由は1つ……お前が生き写しだからだ。――俺の兄上に』



車内は奇妙にシンと静まり返っていた。
トモモリがこんなに喋るのを、初対面のマサオミはともかく、他の誰も聞いたことがなかった。

助手席に座るトモモリ以外のただ1人のロシア人――ロシアから付き従い、マサオミを車に招き入れた理由に
気づいていた男――でさえ、トモモリが積極的に話をし、問いかける姿に驚いていた。相手を問わず、トモモリ
が自分からあれこれと話しかけるなど、4年に1度のオリンピックよりもさらに稀なことだった。

「……俺が、あんたの兄貴にか?……ふうん……でもそれだけで、どうして?」
『――……懐かしかったから……な。……ずっと、会いたいと思っていた……』

窓の外に視線を流したトモモリの横顔は、今までとは少し違って見えた。何がどうという説明はできないが、確
かにその表情には心に訴えかけてくるような、何かがあった。マサオミは、これまでずっと余裕綽々だったトモモリ
の違う一面を見た気がした。

「そっか……よく分かんねえけど、長いこと会えてないんだな。分かったよ。……疑って悪かった。俺もちょっと、
疑い深くなってたし」
『……だろうな。フリーウェイで落とされたことを考えれば、当然だ』
「…トモモリ。これ、返すよ」

マサオミは手に持ったままだったトモモリの携帯とパスポートをトモモリに渡した。

『――どうした?』
「もう必要ないだろ?俺、あんたを信じるし」
『マサオミ……』
「でも、宿の件はやっぱ遠慮しとくぜ。気持ちはすごく有り難いけどさ、そこまであんたに頼るのもどうかと思うし
……それ位のことは、覚悟の上だからな」

マサオミは、本当はトモモリの提案に飛びつきたいところだった。
所持金は既に200ドルを切っていたし、どこに自分が泊まれるような安宿があるかも分からないのだから。

――でも、このまま送ってもらって、泊まるところまで用意してもらって……何だかそれじゃあ俺は一体何を覚
悟してここまで来たんだって、思うんだよな。覚悟を決めて家を出たのに、結局他人の世話になりっ放しじゃ、
まるでガキだ。せっかくトモモリが他人の俺をわざわざ人を寄こして拾ってくれたのに、俺を信用して車で送って
くれてるのに、それにただ甘えるだけなんて、嫌だ。
俺は対等に――といってもリムジンに乗って3人も従えてるトモモリと、ヒッチハイクなんかしてる俺じゃ全然違う
けど――トモモリと知り合って、そしていい友達になりたい……

『マサオミ……?』
「え?……あ、ああ、悪い。考えごとしてた。とにかく、気持ちだけもらっておくよ、サンキュ」
『――ならば、アルバイトと考えればいい』
「は?アルバイトって……何の話だよ?」
『お前は俺の兄上に似ていると言っただろう。――兄に会いたいと思っているのは俺だけではない。例え姿が
似ているというだけでも、喜ぶ身内は多い。だから、アルバイトと割り切って俺の元へ来るといい。泊まるところ
がないのであれば、お前には仕事もないのだろう?暫くの間俺のところに居れば、お前もロサンジェルスがどん
な町か分かって、丁度いいじゃないか』
「……トモモリ……でも……」

マサオミは戸惑いながらトモモリを見る。そして、その目を見てしまったことを後悔した。
吸い込まれるような深い紫色にすっかり目を奪われて、目を逸らすことができなくなってしまったからだ。

『それとも――お前は、俺が嫌か……?』
「……嫌とか……そういうんじゃねえけど……」

トモモリの低くてゆっくりした声のトーンに後押しされて、マサオミの思考能力は低下していく。

『ならば……いいだろう?これも、人助けのうちだぜ?……俺を、助けろよ――マサオミ。俺と共に……来い』

その深い紫色の瞳に目だけじゃなく心まで奪われたのか、マサオミは気が付いたら無意識の内に首を縦に振っ
ていた。



――恐るべし、魔性の男……。
そう思ったのはマサオミではなく――隣りでその様子を見ていた気の毒なトモモリの部下の心の呟きだった。




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