EPISODE 12 :


アパートの部屋に急いで戻ると、トモモリは部屋の中に居なかった。探してみると、薄暗いパティオの方にチラリ
と何かが光った気がして近づいてみる。

それは、煙草の火だった。

トモモリが煙草を燻らせながら、腰の辺りの高さのコンクリートの柵に手をのせ、町を眺めている。

申し訳程度にしか留めていない紅色のシャツが風にはためき、煙草の煙は辺りに薄く漂い、そして消えていく。
どこを見ているか分からない、その端正な横顔――薄暗い中に浮き上がる姿は、まるでこの世のモノではな
いような錯覚を起こさせる。

そのトモモリの姿に、何故かマサオミはゾクッとした。
見てはいけないものを見てしまったような、奇妙な興奮と、そして恐怖――

確かにそこにあるのは、人外とも言える色気だっただろう。普段のトモモリからすれば、それはある意味予想通
り、とでも言える光景だ。だが、マサオミはそれだけに心を奪われた訳ではない。
マサオミの背中を走った、戦慄のようなもの――それは、何か説明のつかない違和感と、そして寒気だ。


――トモモリは、死ぬつもりなのか?

何故か唐突に、そんな言葉が頭を過ぎった。

別にマサオミは、そういうことに昔から敏かったという訳ではない。霊感が強いとか、特に猛烈に勘が良いとかい
うこともない。

だが、今ふと頭に浮かんだその言葉は、単なる思い付きだとか、いい加減な勘だとか、そんな風に片付けるに
しては随分と強い、まるで誰かが自分の心に直に囁いたような、そんな感覚だった。

そして、その言葉をまさか、と単純に笑ってやり過ごすには、トモモリの姿はあまりに非現実的に見えた――



『マサオミ……?』

窓の内側に突っ立っていた俺に気づいたのか、トモモリは不意に振り向くと、窓ガラスを開ける。

『どうした……まるで、亡霊でも見たような顔だな……』

トモモリはいつも通りの低い、不思議な声色でゆっくりと呟く。それは、まるで水辺に形作られた細波のように
耳から入り、そこからじわじわと身体中に波状に広がって、浸透していった。

「……」
『?……まだ、怒っているのか……?』

トモモリが妖艶な笑みを浮かべながら、ゆっくりと近づいてくる。


――お前、死ぬ気か?

俺は心の中で問う。だけどそれは言葉にはならず、ただトモモリの顔を真っ直ぐに見つめていた。そしてトモモリ
も、俺の目を真っ直ぐに見ていた。

――何だろう、この息苦しさ。

トモモリがどうなるのかと考えると、そしてそんなことは、おくびにも出さずに自分を見つめるトモモリを見ていると、
何だか息が苦しくなってくる。

「……お前、これからどうするんだよ」
『――さて、どうするか……な』
「誤魔化すなよ。叔父さんが捕まった――てことは、お前やツネマサにだって、その可能性がある……そういう
ことなんじゃないのか?」
『……さすがは、兄上。きちんと、状況を把握していらっしゃる』
「ふざけるなよ、トモモ……ッ……て、呼ばない方がいいのか、俺……?」
『は……?』
「名前だよ。……本当はその名前、気安く使われたくはないんだろ」
『――ツネマサか』
「誤解するなよ。ツネマサが、すすんでペラペラ喋った訳じゃないからな。……確かに、俺はお前の本当の兄貴
じゃないのに、お前は俺を兄上と呼ぶ。だけど、それは俺にも言えることな訳で、お前をトモモリって……ホント
の兄貴じゃないのに、そう呼んでたから、だから……。お前はそのことに関して何も言ってなかったけど、でも俺
がそう呼ぶことで、何かお前に気負いを――」
『クッ……クックッ……』
「?何が可笑しいんだよっ」
『随分と、感傷的だな……』
「な……っ」
『気負いなど――お前が俺をどう呼ぼうと、俺の運命に何の変わりもないさ』
「……!」

確かに、それはそうだ。俺がトモモリをどう呼ぼうとも、トモモリの運命を変えられる訳ではない。
俺がその名を呼んだからといって、トモモリの背中を後押ししていたとか、プレッシャーを与えていたとか、そう考
える方が自惚れている。


『だが……お前は、そう呼べ』
「……え?」

トモモリの左手が、ふいに視線の端を横切った。その指が、俺の耳の輪郭をなぞるように撫でる。

『お前に、トモモリと呼ばれるのは……心地が良い』

トモモリが、微笑む。優しくではないが、どこか嬉しそうな目をして、緩やかに口角を上げる。
まるで、自分達の周りだけ、時間がゆっくりと流れているようだ。

――何だろう……俺、変だ。

どうしたいのか分からない。でも、このままでは嫌だと思う。
一体、何が嫌なのか?
トモモリに対して何か悪い予感めいたものを感じている自分のことか、それとも、このままトモモリ達と別れるこ
とに対してなのか――それは、どちらも自分にとっては重要なことだ。だけど、頭で冷静に判断する、そういった
重大事よりも、心に直接訴えてくる、何か別の感情が自分の中で今、揺れ動いている。心の奥底から突き
上げてくるような、その要求の方に、心も体も支配されそうになる。
それは衝動的で、自分自身でさえも抑えきれないような、何か……


「トモモリ……」
『……どうした、マサオミ……クッ……俺に、欲情したか?』
「ば……か、何言って……」

――何だか、おかしい。

口ではそう言いながらも、いや、そんな中途半端な否定すらも、スラスラと出てこない。

――一体、俺は……?


気がついたら、俺の耳の辺りを彷徨っていた指先が後頭部にまわされると、そのままトモモリの方に引き寄せら
れていた。
すると、何故か自分の中にあった、戸惑いや、迷いや、混乱が、消えていった。
そうして近づく唇を、受け入れる。
いや――受け入れたという言葉は、卑怯だ。実際には、俺は単に待っていたのではない。トモモリのキスを望
んでいたし、もしも顔を近づけたままトモモリが何もしなかったら、きっと自分からしていた。
単に”された”というよりも、俺はもっと自分から求めていたのだ――

互いの口膣を舐めあう淫猥な音が、気持ちを掻き立て、煽っていく。それは甘くもなければ優しくもなく、まる
で曝け出された本性を隠しもせずにそのまま相手にぶつけているような、そんな荒々しさで――唇で、舌で、
互いに相手の所有を主張しているかのようだった。

「ふ……ぁ……っ」

絡め合う舌が溶けていきそうで、腰から力が抜けそうになる。

「ぅ……んっ……トモ、モリ……っ」

先に息が切れたのはマサオミだった。トモモリの背中のシャツを強く後ろに引っ張って唇を外すと、トモモリの肩
の辺りに頭を預けて、大きく何度も深呼吸する。

『……夢中になりすぎて、呼吸を忘れたか……?』

トモモリは、肩に頭を乗せる俺の方に顔を近づけると、からかうような口調で呟く。

「……うる、せえよ……お前が、なかなか離さないからだろ……っ」

ならばトモモリだって同じように息が切れてるはずだ、とは分かっている。だけど、そう言うしかなかった。この現状
を、自分の状態を考えた時、あまりにかっこ悪くて、例えすぐに看破されるような言い訳でも、するしかなかった。

そもそもこの状況を一言で言うなら”おかしい”んであって、決してまともじゃない。非常識と言い換えてもいい。
自分の考えうる許容範囲とか、常識とか、あるべき姿から何か大きく踏み外したような感覚だったから。
だけど、トモモリの傍にいることが心地好くて、トモモリがこれからどうなっていくのか、他人事ではない位に心配
で、そして、こうして求めるように抱き合ってキスする自分は否定しようもないものだった。

例え男だろうが、立場が違おうが、許されない状況であろうが、自分はトモモリが好きだという気持ち――これ
が現実自分に起こっている、事実。



マサオミは、預けていた頭を起こすと、トモモリの顔を見た。そこにあるのは真っ直ぐに見返してくる、紫色の瞳
――その奥は、今はもうもやなどかかっていない。そのことに勇気を得て、マサオミはトモモリの体を、今度は自
分が支えるようにしてぐっと抱き締めた。


『……どうし――』
「俺、お前の言うことは聞かないからな」
『……は?』
「離れてなんか、やらねえから」
『……マサオミ、お前は――』
「大体な、ああいうのは、お前が1人で勝手に決めることじゃねえんだ。当事者の俺に許可なく決め付けような
んて、虫がよすぎんだよ。俺に対して責任持てないっていうんなら、余計な心配すんな。俺だって1人前の男な
んだ。お前におんぶにだっこなんて考えてないし、自分の決定の尻拭い位自分でするぜ。お前が何と言おうと、
俺は出て行かない。どこまでだって、お前達に付いてってやるからな」
『…………』

珍しく、トモモリが言葉に詰まった。



――トモモリは、死ぬつもりなのか?

窓ガラスを隔てたその先にトモモリの姿を見た時、咄嗟に感じたこと――それを、俺は再び思い出す。だから、
トモモリをさらに強く抱き締めた。


「トモモリ、聞いてるか?大体お前こそ俺が必要なんだ。俺がきちんとお前の生活管理してやらなきゃ、朝だっ
て満足に起きれねえじゃねえか。いいか?俺はお前の兄貴なんだから、それを忘れるなよっ?兄貴っていうの
は、弟の面倒をきっちり見るのが役目なんだ。そういう場合、弟に選択肢なんかないんだからな!」
『……随分と、大きく出たな……俺に、選択肢はないのか……?』
「ないに決まってんだろ」
『……クッ……全く……呆れる程、強引な兄上だ……』


トモモリの、呆れたような声に安心した。
俺の言葉を、拒みはしなかった。誤魔化しはしなかった。
仮に、不承不承だったとしても、トモモリは俺の思いに応えたのだ。


トモモリは、きっと自分の身に背負う責任の重さを知っている。だから、きっと死をも選択肢に入れていたんじゃ
ないか――こうしてトモモリと言葉を交わし、その顔を見ていると、そんな気がしてならない。
そして、そこに俺は、いない。トモモリは、その場に俺は不要だと考えた。単に俺を巻き込みたくなかったのかも
しれない。死という選択をする時、俺は邪魔なだけなのかもしれない。
ならば――俺はその前に立ちふさがる。トモモリに、死を選択して欲しくないから。俺はその選択を遠ざける為
に存在し、トモモリの選択を邪魔する。それでも、止められるかどうかは分からない。自信がある訳じゃない。
だけど、ただ黙って引き下がることなどできない。何もできずに、何もせずに、あとで後悔するだけなんて、俺に
は耐えられない。
だから、俺はトモモリを邪魔するのだ――







マサオミの強さに惹かれたのは、何故なのか――ふと、そんなことをトモモリは思った。
マサオミの強い生命力に、惹かれた。その強い意志を表した眼に、惹かれた。
だが、それは決して己にかかわるものではないと思っていた。所詮マサオミはマサオミであり、自分は自分――
自分にないものに惹かれることは、決して珍しいことではない。

マサオミという、亡き兄によく似た他人――そこに当初あったのは、強い好奇心と、気まぐれだ。それが、いつ
の間にか一時の気の迷いではなく、もっと強い、欲望のようなものへと変わっていた。
そう、自分の命運が尽きる、その時までこの傍らに――と。
だが、それはあくまで己の欲求の問題であって、現実にどこまでもマサオミを連れて行ける訳がないことはよく分
かっていた。

タイラノフ財閥という大きな船は、今指示を出すべき船長も、副船長もいない。舵を取ろうにも、この巨大な
船に見切りをつけた灯台は、今やこちら側に光を照らしてくれない。それどころか、暗闇に紛れて、船を奪い取
ろうという海賊船の手助けすらしているのだ。

この状況を、マサオミがどこまでその「野生の勘」とやらで嗅ぎ付けているかは分からない。
だが、マサオミがああして自分の強い意志を示す時――それは、単なるこの男の意地だとか、思い込みだと
は思えない。そこにある意思は、現状の何かを鋭く察知した動かし難い強さを持って、まるで逆らうことのでき
ない命令のように響いてくる。
そして今のマサオミは、まるで自身ですら想像のついていない何かを察しているようで、それを俺が変えてみせ
る、とでも言わんばかりに、強引に自分の運命に入り込んでくる。

命運――タイラノフのそれは、最早自分の運命と共鳴している。だが、兄上と父上を亡くした今、その命運
の鍵を持つ自分が、運命を共にするのはごく自然なことだ。

タイラノフの命運が尽きた時、自分の運命もそこでプツンと切れる。それは、もう道理といってもいい。

2年前に亡くなった兄上――まるで大きなタイラノフという船を順調に動かす為に、その犠牲になるように根を
詰めた果てに、病に倒れた。死に往く兄の姿に、人生とはこうも儚く、そして脆いものかと思い知った。

だが――その兄と同じ姿形をした別の男が、今、俺を駆り立てる。命運を悟り、尽きるままに散り往こうとす
るものの手を強引に引っ張り上げ、その人生を変えようとしている。


――クッ……皮肉だな、人生とは。

トモモリは自嘲気味に哂った。


人生とは、儚くも、面白い。それが散り往くまでの戯言なのか、散り往けないことへの醜い足掻きなのかは、
今に判断することではない。だが、そう思うことこそが己の醜い足掻きなのか――

自分を強く抱き締める男の体温に、トモモリの思いも今は脆くも揺らぎ、蒸発していった。





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