EPISODE 15 :


「まあったく、近いかと思ったら案外遠いぜ……」

マサオミは、太陽の光の反射するアスファルトの上を歩いていた。その灰色の道は、まるでそのまま天国か、は
たまた地獄まで続いていそうな位、果てしなく延々と続いている。
地平線を遮る建物も殆どない、小さな集落のような町――だが、小さなモーテルから一見してすぐそこにある
と思われたデリは、実際に歩いてみるとたっぷり片道で30分以上はかかる場所にあった。

昼過ぎの日差しは、まだ強かった。少々水や酒類を買いすぎたせいで、重い荷物を両腕に抱えた帰り道は
少々きつい。

歩きながら、マサオミはさりげなく周囲を見回した。

これだけ視界のひらけた場所だ。まさか、素人の自分が早々に怪しいと気づくような、そんな男が後を付けて
いるはずはないだろう。実際、怪しい男どころか人影も見えない。
だが、用心するに越したことはないと思った。もうモーテルはすぐそこだ。部屋に入る時には念のため周囲を確
認してみる――それ位は、誰から言われなくともマサオミだって分かっていた。

左右を確認してモーテルに入ったマサオミは、2階の部屋のドアの前まで来て一度止まった。そうして、一呼吸
おいて、後ろを振り向く。後ろに続く通路の突き当たりに置いてあった車のホイールが、そよ風でほんの少し揺
れた。

――……考えすぎか。

マサオミはほんの少し肩をすくめると、再び歩き出し、そして部屋に入った。




「あちー……今日は真夏みたいだぜ……と」

中に入ると、トモモリが電話で話をしている。そして、ツネマサはその傍に立っていた。

「わりー」

一言小さくツネマサに詫びると、冷蔵庫のある続き部屋にそのまま荷物を持って行った。


NYを出て、今日でもう8日目になる。
都市部を避け車でずっと移動してきているが、直線に走っている訳ではないから、実際には現在ニューヨーク
州から西に3つ目の州、つまりオハイオ州の西部に未だ自分達はいた。ひたすら移動し、そして町外れで宿を
取る――その繰り返し。まるでお金のない学生がアメリカ縦断の旅でもしているみたいだ。
実際、この8日の間に何か切迫した状況に遭うことは一度もなかった。それは、少々退屈な位に平和で、もう
自分達は狙われていないんじゃないか、全てが終わったんじゃないかと、うっかり勘違いしそうになる。
だが、それもこうして電話で話すトモモリやツネマサの姿をみると、否応なく現実に引き戻される。
自分は聞いてはいけないと思える、排他的な雰囲気――それは、トモモリやツネマサが、気の置けない仲間
から、他国ロシアのタイラノフ財閥の一員へともどる瞬間だった。



「有難うございました、マサオミ殿。やはり徒歩では、かなり遠かったのではありませんか」

買ってきたものを冷蔵庫にしまっていると、背後からツネマサの穏やかな声が聞こえてくる。

「ああ、いや、いい運動になったぜ。電話は終わったのか?」
「はい」
「変更は?」
「そうですね……ウィスキーが飲みたいですね」
「はあ?真昼間だぜ?」

笑った。珍しいことを言う、と思った。
”電話は終わったのか?何か変更は?”――これは、電話後のお決まりの挨拶のようなものだ。
ツネマサ達がタイラノフの関係者と連絡を取り合った後は、自分達の状況にも変更があるかもしれない。暫く
ここに滞在するとか、すぐに動くとか、行き先の変更とか、そんな何かがあるかどうかを確認する。
今回も、そういう意味で変更があるかどうかと訊いたのだ。だが、ツネマサはそれとは関係のないことを言った。
ツネマサは、俺の言葉の意味を知っている。その上で、敢えて違うことを言ったのだ。

しかも、こんな昼間から酒が飲みたいなんて言い出した――マサオミは、笑いながらもツネマサの顔をチラリと
見る。

「――なあ、トモモリは?」
「ベッドルームに行かれましたよ。眠いと――」
「またかよ。あいつは赤ん坊か?全く……」

トモモリの居るベッドルームに行こうとしたら、ツネマサに軽く腕を引かれた。

「ツネマサ?」
「……ああ、いえ。――もしルーリック様がよくお休みになられていたら、そっとしておいて頂けますか?」
「?ああ、勿論、眠ってるなら起こさないぜ」
「宜しくお願いします」

ツネマサは、そういうと微笑んだ。その少々弱々しい笑みに、やはり何かあるのだと確信した。
勿論、今までだって全てを打ち明けてくれてた訳ではない。話してくれる時もあれば、くれない時もある。だが、
今日はそれ以上に何かあるのだと感じた。

「――ツネマサ」

ツネマサの肩をポンと叩いた。

「俺さ、昔から言われんだよな。悪運の強い奴だって。まあ、ついつい人のこと、強引に引っ張ったり巻き込ん
じゃったりすることもあるんだけどさ、俺の言うこと聞いてると、案外いいこともあったりするんだぜ?」
「……そうですね。貴方には不思議な力があるように思います。私も、従うことにしましょう」

ツネマサが再び微笑んだ。ほんの少し、明るい光をその目に宿したような気がした。
穏やかで、繊細で、一見優男のように見えて意外と芯が強く、しっかり者のツネマサ。だが、やはりどこかに漂
う儚さ――それは、タイラノフの人間の宿命なのだろうか。ふと、そんな思いが頭を過ぎった。





「――なんだ、起きてんじゃねえか」

マサオミは、一応気を遣ってそっとベッドルームのドアを開けてみた。だが、ベッドの上に寝転んでいたトモモリは、
静かに天井を見つめていた。

『ああ。――いつも、眠ってばかりいる訳じゃないさ……』
「へーえ」

トモモリのすぐ傍に座って、その顔をからかうように見下ろした。
すると、トモモリの視線が向けられる。真っ直ぐに見上げてくるその瞳――紫色に光るそこに、吸い込まれそう
になった。

『マサオミ……来いよ』

低く掠れた声――それは弱くもなく、強くもなく、だが、どこか熱を持っていた。

その瞳に、声に、俺の意識は何かフワフワと浮いていくような気がした。
何かあったのなら、トモモリの様子が心配だった。自分が傍にいて、元気付けられるのなら、と思った。何かし
ら、トモモリが事情を打ち明けてくれるかもしれないと思った。
それなのに、今はもうかける言葉が見つからない。言葉が欲しいとも思わない。

欲しいのは――トモモリの瞳の奥に、自分と同じ気持ちを見つけたような気がした。


「ん……トモモリ……」

覆いかぶさるように顔を近づけたら、すぐに唇を奪われた。そうして口を押し開かれると、敢えて音を立てて唇
や舌を吸われる。その淫猥な音に刺激されたのか、もどかしくなって自分から深く舌を絡めたら、腰の辺りと首
にトモモリの腕が絡み付いてきた。


NYを発ってから、何だかんだとバタバタしていた。時間はたっぷりあったが、2人でいちゃつくような時間は案外な
かった。
それを、自分は気にしていた訳じゃなかった。そもそもトモモリが好きだという自覚はあっても、それ以上の強い
思いや衝動を抱いているとは思っていない。好きだし、キスをするのも、抱き合うのも嫌いじゃない。
だけど、それだけだ。それ以上など――


「……っ……」

腰に回されたトモモリの手が背中へと移り、そしてそこからゆっくりと、指先で撫でるように下へ下りてゆく。ただ
それだけなのに、自分の皮膚の神経が、その指先の動きに一々逆なでにされていくようだ。

「おい……っ、変な触り方すんなよ……っ」

一応、抵抗を試みた。心も身体もすっかり流されそうになっている自覚はあったが、それでも男の意地がある。

『変……?愛しい男の身体に、触れているだけだぜ……?』
「バカ……何が愛しい男、だ……」

口ではそう言っていても、身体が熱くなっていると自分でも分かる。
このままじゃ、トモモリのことも自分のことも、ブレーキが利かなくなる――そう分かってはいても、その中途半端
な刺激が、気持ちを追い立てる。欲望が、どんどん膨らんでいく。

「もう……知らねえからな……っ」

俺はトモモリの襟を掴んで開くと、その鎖骨の辺りに思い切り吸い付いてやった。

『……クッ……早速所有の証を立てるのか……?』

トモモリの声が、耳元で響いた。







「次は、台所設備のついた部屋に泊まりたいですね」
「そうか?俺はピザも好きだぜ」
『アメリカ人の味覚には、同情するな……』
「どういう意味だよ、トモモリ」
「まあまあ、お二人ともお止め下さい」


俺達は、夕食にピザを頬張っていた。小さな冷蔵庫以外には台所設備など何もないモーテルでは、ツネマサ
の希望も叶わない。自分と違ってハンバーガーやピザで夕食を済ませることは、ロシア人のトモモリやツネマサ
には不満のようだった。


「ぷは〜……うま……あ、もう空か……」

ぐぐっと飲んだビールの缶が、あっという間に空になった。何だか飲み足りなくて、冷蔵庫に新しい缶を取りに行
くと、背後から溜息が聞こえる。

『……全く、上品なことだ』
「うるせえよ、さっきからっ。庶民で悪かったな!」

そのあからさまにバカにしたような声に、振り返ってトモモリを睨む。すると、今度はツネマサが溜息をついた。

「本当に……困ったお方達ですね」
「あ……と、わりー」

ツネマサの言葉に、俺は急いで表情を緩めた。
いつもながらツネマサに言われると、何だかバツが悪い。だが、今日はただ、自分達の大人気ないやり取りを
恥じるというだけではなかった。


――ごめん、ツネマサ。俺、トモモリと……。

それはツネマサに謝ることではないのかもしれない。だが、何とはなく感じる、罪悪感のようなもの――ツネマサ
にとってトモモリは従兄弟であり、タイラノフ一族の本家の人間であり、そして自分が秘書として仕える主人で
もある。
そのトモモリと自分がどうこうなるというのは、特に今はこうして3人で行動している時だけに、あまりいいことでは
ない。それだけに、自分はごく普通に振舞っているつもりでも、内心はやっぱり意識してしまう。

バレてるんじゃないかとツネマサの顔色を見、そして自分のトモモリに対する態度が怪しくはないかと考えるのだ。


軽く首を横に振ったツネマサが、俯いて食べるのを再開したので、トモモリの方に視線を移した。
トモモリは、何事もなかったかのように平然とピザを食べていた。きれいに、だけれどごく自然と伸びた背筋、零
れ落ちそうなトマトをプラスティックのフォークできちんと内側に収めると、大口を開けることもなく、ソースを紙皿
にこぼすこともなく、上品に頬張っている。

――悔しいけど、確かにあいつやツネマサが食べる姿は、品があるんだよな……。


そう思いながらも、自然と意識はそんな姿から、その指や、唇に移っていった。今は嫌みばかり言うトモモリも、
昼間のベッドの上では、そんなではなかった。何度も、何度も自分の名前を呼んでいた。そうして自分も何度
も、トモモリの名前を呼んでいた――

『――クッ……どうした、マサオミ。見惚れたか……?』
「!バッカ、誰が……!」

いつの間に自分の視線に気づいて顔を上げていたのか、妖しい笑みを浮かべてトモモリが見上げていた。そう
して自分をからかってるのか、それとも本気なのか、仕方ないなと言わんばかりに肩をすくめる。その余裕綽々
の態度に腹が立って、急いで目を逸らすと、冷蔵庫のある部屋の角に行った。

「……ん?」
「どうかしましたか?」
「あ?いや、何かこの上の換気扇から、ちょっと生暖かい風が入ってきてるような気がしてさ……それに何か、
ビニール臭いっていうか……」
『……ビニール臭い……?』

トモモリの言葉に、ツネマサが立ち上がって近づいてきた。

「……確かに、暖かいですね。それに少し焼けるような匂いがする……」
『――出た方がいいな』
「え?」
「外に出ましょう」

トモモリが立ち上がると、ツネマサはすぐに必要最小限に持っていた荷物を持つ。何が何だかよく分からない内
に、俺達は外に出た。2階から急いで階段を降り、外に出る。
そして、建物から少し離れた駐車場に停めてあった車に向かう最中――背後から日常聞かない音がした。
それは、ボーンというような、何かくぐもった、それでいて物凄く大きな音だった。
俺はその衝撃に驚いて、振り返った。


ついさっきまで居たモーテルの2階の一部から、煙と共にオレンジ色の炎が上がっていた――


「な……っ……」
『早く来い』

呆然として、足が止まった俺の腕を、トモモリが力強く引っ張った。


「――あれは、私達の部屋の2つ隣です」
『――クッ……間違えたか……?』
「それにしても……換気扇のついた外壁の上部に導火線を長く引いたんでしょうか。大胆な真似をする……」

俺は、トモモリに腕を捕まれて早足に歩きながらも、もう一度振り返った。
背中が、ゾクッとした。


「……あれは、俺が足を止めた部屋だ」
「え……?」

トモモリとツネマサが、こちらを向く。

「昼間に買物した帰り、俺、あそこで一度足を止めて、後ろに振り返った……」

微かに揺れた廊下の角の車のホイール、何とはなく確認しなければいけない気になって一度足を止めた場所
――そうして背後を確認した後、俺は後ろを気にかけながらも急いで2戸先の自分達の部屋に向かったのだ。


あの時、あの部屋の前で俺が止まったのを、見られていたのだ。誰かが、すぐ傍で俺を見張っていたのだ――


ツネマサが自分達の乗り込む車に異変がないかと確認している間、俺はずっとモーテルの、オレンジ色の炎を
見つめていた。立ち昇る炎に、心が吸い込まれていきそうだった。





TO THE EPISODE 16



一切ノ無断転写・転載ヲ禁ズ
Copyright(c) Hydri and its licensors. All rights reserved since 2005.

inserted by FC2 system