EPISODE 17 :


それから、恐らく10分は待ったと思う。いや、それ以上かもしれない。
だが――ツネマサは戻って来ない。暗い建物からは、何の動きもなかった。

「……なあ、トモモリ。俺、ちょっと様子見に――」
『マサオミ、運転席に移動しろ』
「え?」
『早くしろ』

トモモリは、そう言い放つと車の外に出た。そして、辺りを見回した後、じっとモーテルの建物の方を見、そして、
助手席の方に乗り込む。

『発車しろ』
「は?!何言ってんだ、まだツネマサがっ……」
『いいから、しろと言っている』

トモモリの、地を這うような低い声にビクッとした。有無を言わせない、まるで恫喝するような声色――マサオミ
は、従うしかなかった。


「……なあ、一体何処に……」
『とりあえず、この道路を真っ直ぐに行け』

その声は、相変わらず鋭く響く。だが、言い終えたトモモリは、助手席の背もたれに寄りかかると、考え込むよう
に目を閉じた。その横顔は、見たことのない疲労感が漂っているように見えた。





それから1時間近く、俺はただ無言で道路を真っ直ぐに走った。ツネマサが先程モーテルで停まる時に言った
通り、どこまで行っても道路沿いに家屋の明かりはなく、ただ草原のような牧草地帯が広がるだけの、暗い道
が続いていく。
その間、トモモリはずっと黙っていた。
ツネマサが一体どうなったのか、これからどうするつもりなのかと気になって仕方がなかったが、今はトモモリに問
えるような雰囲気ではない。トモモリが何か言ってくれるのを待つしかなかった。


暫くして、ポツンポツンと雨がフロントガラスにぶつかってきた。そういえば、少し寒い。

「……夜中だから、冷えるよな。エアコン入れるか……」

トモモリは、無言だった。薄目を開けて、前を向いている。
時計を見れば、未だ夜中の2時過ぎ――自分達を重く包み込むようなこの暗闇からは、当分解放されない
だろう。確かに逃げるには好都合かもしれないが、こんな時は早く太陽の光が欲しいと思う。朝になれば、きっ
とこの辺りの牧草的風景も、単なる長閑なものと映るだろう。
もしかしたら――これは長い、嫌な夢で、ツネマサだって戻ってくるかもしれない。”心配をおかけして、申し訳
ありませんでした”なんて言いながら、いつもの穏やかな笑みを湛えて、俺たちの前に現れるかもしれない――
そんな事を考えて……


『――あの男には、逮捕状が出ていた』

トモモリが、突然呟いた。

「……え……あの男って……ツネマサ……のことか?」
『昨日の昼間、ロシアから知らせが来た。一昨日付けで、国家公務員に対する贈賄、会社の金の横領、そ
して政権に対して不当な圧力をかけ――』
「ちょ、ちょっと待てよ!ツネマサが、一体何を……っ」
『俺に対する表向きの罪状を、そのままツネマサ1人に被せた、ということだ』
「は?!それって何のつもりで……」
『……クックッ……オツなやり方じゃないか。連中は、俺が出てくるのを待っているのさ……従兄弟であり、秘
書でもあるツネマサに、罪を被せたまま逃げるつもりなのか、とな……』
「じゃあ……ツネマサは……」
『……捕まった、と見ていいだろうな。――そして、ツネマサも、恐らく大人しく従ったのだろう』
「?!何でだよ?!」
『タイラノフ一族の為に、と、ツネマサが言っていただろう……?ずっと逃げている訳にはいかない。だが、自分
が罪を全て被れば、もしかして……と、大方、そんな馬鹿げたことでも考えたんだろうよ。道理で……俺の言
うことに逆らうはずだ』
「じゃ、じゃあツネマサは、捕まることを予測してて、敢えて1人であの場に行ったってことか?!」
『さあ、な……だが、覚悟はしていただろうな』


雨足は強くなり、見通しは悪くなる一方だった。
何もない場所だというのに、農道でも横切っているのか、遠くにぼんやりと信号機の明かりが青から黄へ変わ
るのを見つけて、車を減速させる。


「……お前は、その、ツネマサのこと……何となく予測してたのか……?」
『……』

トモモリは、否定も肯定もせず、ただ外を見ていた。

車を停車すると、雨が車体にぶつかる音だけが響く。自分達の周りには温度以上の、そして夜中であるとい
う物理的な条件以上の暗く、重い空気が漂っている気がした。

ツネマサ――マサオミは、ツネマサが最後に見せた笑顔を思い出していた。確かに今にしてみれば、ツネマサ
は万が一のことを覚悟していたのかもしれないと思える。トモモリのことを任せると自分に言ってきたのは、つい
数時間前のことだ。

穏やかで、物腰の優しい男だった。自分とトモモリが何か言い合いを始めると、必ず中立の立場で一片の刺
々しさもなく収めてくれた。いつも周囲に対して気配りを忘れない男だった。物静かで、怒ったところなど一度
も見せたことがなくて……そして……


突然、がチャッという音がして我にかえる。何の音かと助手席の方を向いたら、トモモリがドアを開けていた。

「おい、何して……」

俺の声も無視して、トモモリはそのまま外に出た。

「!トモモリっ、お前、何処に……!」








この雨の中、トモモリは道路を外れて低く刈り込まれた草原の中に入っていく。
予想以上に、雨は酷かった。だが、トモモリはそんなことなどお構いなしに歩いていった。

「トモモリっ!待てって!」

俺は車を道路の真ん中に停めたまま、それでも鍵だけは抜き取ってトモモリの背中を追った。

「ト……」
『クッ……全く、どいつもこいつも……自分勝手なことを……。この俺に、どうしていろと……?』
「おい、トモモリ……!」

トモモリの声は、雨音の中でも何故かはっきりと聞こえた。追いついた背後からトモモリの腕を掴み、その横顔
を覗き見る。
トモモリの白い肌からは雨の雫が幾重にも滴り落ちている。その顔は――冷たく笑みを浮かべていた。

『この俺が、生きていたからといって、一体何だと言うんだ?タイラノフの、何が救われる?兄上が死に、父上
が死に、叔父上や、従兄弟が捕まり――そんな一族の、何を今更守れと?』
「……」

その言葉に、俺は何も答えられなかった。

『クッ……ククッ……どいつもこいつも……愚かなことだ。最初から……俺に全てを任せておけば、もっと早くに
決着をつけたものを』
「トモモリ……?」
『――お遊びは、終りだ』

トモモリが、正面からこちらを向く。そして――不気味な程に、優しく微笑んだ。

『ロシアに、帰る』
「……は?何を……だって、今お前がロシアになんて戻ったら……」
『マサオミ――人には、性分というものがある。ツネマサが己の思うところに従うというのなら、俺もそうするまで
のこと』
「……何、するつもりだよ」

トモモリは、答えなかった。ただ、背筋の凍るような、それでいて異様に艶やかな笑みを浮かべただけ。何だか
嫌な予感がした。

「お前、分かってんのか?!ツネマサがどういう思いであんな選択したのか……っ」

トモモリの顔から笑みが消える。それは、怒ったとか笑えなくなったとか、そういうことではなく、まるで急速に興味
をなくすような、無表情という言葉が一番近かった。

「おいっ、俺の言葉、聞いてんのかよ……!」

思わず、トモモリの胸倉を掴んだ。

『――ならばお前は、ここから家にでも帰れ。ツネマサの思いを、酌んでやればいい』

トモモリは、俺の手を振り払う。その口調は、冷たく突き放すようだった。

「何だよ、何なんだよっ。急に車を出たと思ったらロシアに帰るだの、家に帰れだのっ……お前の考えてること、
全然分かんねえよ!何でお前は、何でも1人で勝手に決めようとするんだよ!俺には何の説明もなしなのか
よ!そんなに俺が信用できねえのか?!そんなに簡単にっ――」

トモモリが、今後は逆に、ぐいっと俺の胸倉を掴んだ。

『ならばお前は、俺を信用しているとでも?』
「は……?」
『ツネマサこそが、正しいのだろう?俺のすることは、信用ならないんだろう?』
「!ちが……っ」

いきなり、濡れた地面に押し倒された。既にずぶ濡れ状態ではあったが、水をたっぷり含んだ土や草の上に尻
餅をつかされて、まるで服を着たまま海にでも突き落とされたように、全身が重い。

「トモ……っ」

唇を強く押し付けられて、言葉が切れた。トモモリのシャツを掴んで引き離そうとしたが、後頭部を押さえこま
れて、引き剥がせない。

「っ……ぅん……っ!」

せめて首を振ろうかと思ったが、なまじ顔を動かしたせいで、却ってより深い侵入を許すだけだった。

抵抗するのは、何もキスが嫌だとか、そういう訳ではない。そうではなく、互いの心を誤解したまま、されたまま
でうやむやにしてしまうのが、嫌だった。
自分の気持ち、トモモリの気持ち、そしてツネマサの気持ち――それらはただ、自分なりにどうすることが一番
いいだろうかと考え、他の者達のことを考えてのことでしかないのに、三者三様になってしまったことで、却って
複雑になった。誤解もできた。

俺は……――マサオミは、思う。

俺はただ、トモモリに生きて欲しいだけだ。そして、同じようにトモモリのことを心配しているツネマサの気持ちを、
理解したいだけだ。だが――確かに、こうも思う。そんな風に、2人から気持ちを押し付けられたトモモリは、そ
こに安住していられるだろうか、と。自分の為に犠牲になるツネマサなど見たくもないだろうし、ただお前は隠れ
て居ろ、と俺から指図されることも不本意でしかないだろう。
元の原因が自分ならば、この手で決着をつける――そう思うトモモリは、確かに間違ってはいない。気持ちも
分かる。
だが、ではトモモリのことを案じている者達の気持ちはどうなるのか――

「!っ……トモモリっ……おい、待てって……!」

まるで邪魔者のように俺のシャツを引き剥がすトモモリの腕を掴む。だが、思った程に腕に力が入らないのは何
故なのか――俺の抗う手は、トモモリに容易く屈してしまった。

流されてちゃダメだ――そう思うのに、思っていたのに……


『兄上――マサオミ……вы моим……и я твоим……』

あっさりとシャツを放り投げてしまったトモモリが、骨も折れそうな程に俺を抱き締めて、ロシア語で何か呟いた。

「え……?一体、何を言って……」

むき出しになった肩に、雨と共にトモモリの唇が落ちてくる。だが、それは優しいものではなく、歯を立てられて小
さな痛みを感じた。そうして、再び口付けられる直前に、言葉が聞こえた。


”お前は、俺のもの。そして、俺は、お前のもの”、だ――


触れてくる唇や、指先が熱く感じたのは、トモモリのせいか、それとも俺自身のせいなのか――冷たい雨も、暗
闇も、トモモリの白く光る肌を隠すには十分じゃないような気がした。






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