EPISODE 2:


マサオミは広いリビングルームから続くベッドルームに入ると、キングサイズのベッドで静かに眠る男の肩を少し
揺する。

「おい、時間だぜ。起きろって、トモモリ」

その男――トモモリがそう簡単に目を覚まさないことは、未だこの家に来て間もないマサオミも当然承知してい
た。

マサオミは一旦トモモリの傍を離れると、部屋のカーテンを片っ端から開け放った。この部屋はテラスと言ってい
い程窓が大きい上に沢山あるから、カーテンを開けてしまうとかなり明るい。
これなら、さすがのトモモリも眠り続けてはいられないはずだ。

『……眩しい……閉めろ……』
朝方のトモモリの声はいつもに況して低く、そして掠れている。

「何言ってんだよ。8時に起こしてくれって言ったのはお前だろ。ほら、起・き・ろっ」
マサオミは、トモモリが潜り込んだブランケットを勢いよく引き剥がした。

『……何をする……』
トモモリが不承不承薄く目を開けると、ブランケットを奪い去ったマサオミを恨めしそうに見上げる。
トモモリには、同性とはいえゾッとするような色気がある。それは寝起きの気だるい姿であれば尚更で、そのテ
の興味はないマサオミでさえも一瞬目を奪われた。だが、ぼーっとしている暇はない。
マサオミはすぐさま気を取り直して、自分のやるべきにに取り掛かる。

「何をする、じゃねえって。起きなきゃ困るのはトモモリだろ。ほら、新聞3紙と、それからコーヒーな」
トモモリは相変わらず不満げな表情をしたままだったが、サイドテーブルにきちんと置かれた新聞とコーヒーを見
ると、漸く気だるげに、ゆっくりと身体を起こした。
肌蹴た鎖骨の辺りは、今まで殆ど太陽に当たったことがないんじゃないかと思う程に白い。

『お前の起こし方は、優しくないな……』
自分の姿にまるで無頓着な風のトモモリは、脱げかかった寝間着など一向に介さず、厭味な位にのんびりと
答える。
「だったら俺じゃなくて、どっかのセクシーで優しい姉ちゃんでも雇えって」
マサオミは無意識の内に肌蹴たトモモリの襟元を少し正していた。



マサオミは、現在トモモリに雇われているという形になっていた。だが、それは表向きだけのことだ。一応トモモリ
の個人秘書などという肩書きをもらったが、そこに大した意味がないことをマサオミはよく分かっていた。
そもそもマサオミは、トモモリがどんな仕事をしているのかもよく知らない。ロシアへの輸出向け製品の買い付け
と、株投資をここ、アメリカでしている――という程度の説明しか聞いていないのだ。
トモモリに言われてマサオミも少しは株取引について勉強しているが、強いて仕事らしいことと言えばそれ位で、
残りの大半はトモモリ付きのお手伝いさん兼話し相手のようなものだった。

大体、マサオミはトモモリの秘書をやる為にここに来た訳ではない。ここに来たのはひとえに自分が”トモモリの兄
に似ていた”からであり、そのマサオミを他の身内の者にも見せたいというトモモリの気まぐれのような希望による
ものだ。
だが、実際トモモリについて来てみたものの、自分を誰に見せたいのか、いつまでいればいいのか、肝心なとこ
ろは全て曖昧なままだった。



「!?うわっ!」

トモモリに背を向けた途端、マサオミは突然後ろから腕を引っ張られてベッドに尻餅をついた。寝起きのせいで
いつもよりは多少温度の上がったトモモリの腕が、そのままマサオミを包囲する。

『優しい方がいいとは言っていないぜ、マサオミ。お前は……俺に、心地好い刺激を与えてくれる』

トモモリの言葉は時々マサオミを赤面させた。
いや、言葉だけでなく行動にもフェロモンが溢れ過ぎていて、マサオミは呆れるやら困るやら――どうにもリアク
ションが取り辛くなってしまうのだ。

「……あのさ、いっつも思うんだけど……そういう台詞ってお前の性格のせいか?それとも、ロシア人てみんな
そんな風に女口説いてるみたいなことを男にも言うのか?」
『クッ……お前は、こんな風に口説かれたいのか……?』
「……だから、俺は男だっつうの。っていうか、まずこの腕をはなせって」

トモモリはこう見えて案外とスキンシップの好きなヤツだと、マサオミは思う。見かけは近寄りがたいタイプの美形
だし、たまに言い放つ言葉はびっくりする程辛辣で容赦ない。なのに、自分と2人きりの時はたまに猫みたいに
じゃれてきたりするのだ。

そんなトモモリを、マサオミは嫌いじゃなかった。たまに上から目線で命令されて多少腹の立つこともあるけれど、
不思議と仕方ないなと最終的には許せてしまう。じゃれてこられるのも、嫌じゃない。
でなければ、マサオミはここにいつまでもいなかっただろう。マサオミには、ここに留まらなければいけない理由など
ないのだから。
それに――トモモリが自分の過去や事情を聞いてこないことは有り難かった。自分の家に泊めて、しかも身の
回りのことをさせるのだ。マサオミの身辺を調べるのは当然だと思う。だが実際には、トモモリはそれについて何
も触れてこなかった。

マサオミが自分から話すのを待っているのかもしれない――とも思える。

――何から何まで甘えてばっかでごめんな、トモモリ。その内お前には全部話すから。世話になった御礼も必
ずするから。だから待っててくれよ。

マサオミは自分の肩の上に頭を乗せ、あまつさえ再び眠りに入りそうになっているトモモリの腕をぴしゃりと軽く叩
きながら、心の中でトモモリに呟いていた。





伝わる体温の心地好さに、トモモリは再び目蓋を閉じた。
それは不思議と落ち着く温もり――マサオミの背中は、眠っていたはずの自分の体温よりも少し熱い。

この男の傍が落ち着くのは、彼が敬愛する兄に似ているからだろうかと、トモモリは自問する。

今でもトモモリは、初めてマサオミを見かけた時のことを目蓋の裏で再現できた。
唐突に、フリーウェイに現れた男――走りゆく車中から、それでもその顔だけははっきりと見分けられた。思わ
ず呼吸すら忘れて窓越しに顔を寄せた。
やがて目の前に現れたその男は、まるで兄の生まれ変わりのようであった。無造作に伸びた青い髪も、ラフな
格好も、兄とは似ても似つかない。それなのに、確かにその顔は兄そのものなのだ。

だから、トモモリはマサオミを自分のLAでの住まいであるここに連れてきた。己の運命において、これ以上の奇
縁などないと確信していたから。

そうしてマサオミがここに住み始めた。共に生活して、トモモリはじっくりとマサオミを観察した。

顔は、確かによく似ている。顔の骨格が近いせいか、声も似ている。ただ、性格は兄とは違っていた。兄は酷
く真面目で厳格で、それでいて繊細で優しかった。兄のすることは万事正しく見えたし、頼もしく見えた。兄と
自分の年齢が離れているせいか、その背中はいつもトモモリには大きすぎる位であった。
そんな兄と比べてマサオミはまだ無邪気なところがある。年齢のせいもあるだろう。聞いたことはないが、見掛け
にしろ、話し方にしろ、明らかに自分よりも年下だと分かる。それに、マサオミはあまり物事を気にしないように
見える。よく言えば大らかであり、悪く言えば繊細さに欠ける。
だけど何よりも違うもの――それは全身から溢れるような力強い生命力だ。
それは、兄ばかりではなく自分にもないもの。自堕落の自分が望むべくもないものだし、望むつもりもないもの
だ。だが、そんな自分でさえも純粋に、素直に――いや、むしろ有無を言わさない程の強引さで引き寄せられ
る何かが、マサオミのそれにはあった。

――マサオミを傍に置いておきたいと思うのは、その生命力に惹かれているからなのか。

実際のところ、今のトモモリにはその理由がよく分からなかった。
その瓜2つの姿形が兄への思慕と重なってマサオミを呼んだはずなのに、その兄とは違うマサオミの一面を好ま
しくも思っているのだから、少なくともマサオミに兄のようでいて欲しいという願望はないということだ。

だが、理由などどうでもよい。
元々トモモリは己の欲望について、あれこれと考えたりはしない。本能が指示するものなのだ。どんな理屈が
太刀打ちできようか。欲しいものは欲しい――それ以上の理由もそれ以下の理由も不要だった。

『お前の温もりのせいで、また眠ってしまいそうだ……』



トモモリは喉の奥を鳴らすように笑いながら、マサオミの腹の辺りを撫でる。

「なーに甘えてんだよ」

自分の腹を撫でるトモモリの手を、マサオミは今度は少々力を入れて叩いた。





それはそれは、平和で長閑な欲求。欲望にもなっていない、小さな悦び。
それがこの先2人をどのような運命に導いていくのか、トモモリにも、マサオミにも、況して誰にも分からなかった。



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