EPISODE 21 :


『少し、埃臭いな……』

数週間ぶりのサンクトペテルブルクのトモモリのアパートに来て、トモモリの開口一番は文句だった。ドアを開け、
あり得ないとでも言いたげに首を振ったトモモリは、玄関から全く先に進もうとしない。

――まさか、それだけの理由で帰るなんて言い出すんじゃないだろうな……?

マサオミは、一瞬その横顔を疑うように見る。そうして、明らかに面倒だと表情で語るトモモリを横に押し退けた。

「なら、俺が窓開けてくれば文句ねえだろ!そこで待ってろっ」

そう言ってズカズカと中に入り、リビングを始め、片っ端から部屋の窓を開け放つ。確かに、これまでトモモリが
帰ってくるとなれば、部屋は全て清掃されてきちんと主を待つ状態に保たれていたのだろう。
だが今回は違った。タイラノフに金がないとかそういうことではなく――最近のゴタゴタの上に、俺達の帰国があ
まりに急で、そこまで手配されていなかったのだ。

確かにそうだ。俺達がアメリカに渡って未だ3週間。一族はトモモリの帰国を望んではいただろうが、人の意見
など意にも介さず渡米したトモモリのこと、暫くは戻らないだろうと思われていても仕方がない。ずっと一緒にい
た自分ですら、こんなに早くロシアに再入国するとは予測していなかったのだから。
それに、トモモリの父でもあるタイラノフの会長が亡くなってから一月――そのたった1ヶ月の間にトモモリの叔父
が逮捕され、ツネマサがアメリカで拘束されたのだ。タイラノフ内がゴタゴタするのは当然だろう。気持ち的にも、
パニックになったっておかしくない。

タイラノフ財閥は大丈夫なのか。本当に国に潰されるんじゃないか。もしや、一族が次々と暗殺されるのでは
――そこまで考えて不安に慄いていたに違いない。



『さすがは兄上。最善の方法をよく分かってらっしゃる』
「あのなあ……もう、いいからさっさと入れ!」

全ての窓を開けて戻ってくれば、玄関の外で暢気に街の景色など眺めていたトモモリが、厭味な程の優雅さ
でこちらを向いた。何だかんだいってもこの辺りはお坊ちゃんというべきか、人に何かしてもらって当然という態度
にムッとしなくもないが、そんなことを言っていてはトモモリとは付き合えない。
だが、早く入れというのには、他にも理由があった。
前回同様トモモリは自分のアパートに来る時、SPを付けない。建物までは付けるのだが、その先は俺しか連
れてこないのだ。当然、暢気に景色など眺めている間、トモモリは1人な訳で……あまりに無防備だと思う。
トモモリのことだから、ああ見えて最低限周囲は見ているのかもしれないが、それでも暢気な姿を見るとホント
に大丈夫か?とこっちが心配してしまう。

人の気も知らねえで……と少々苛々しながらトモモリの腕を掴むと、部屋の中に引っ張りいれ、そして玄関
のドアをきっちり閉める。そうしてドアの方を振り向き、ロックに手をかけた。
すると、背後からクックッと低い笑い声が聞こえる。

『――随分と、急いているな』

トモモリが、背骨をなぞるように人の背中を撫でた。

「お前なあっ、そうじゃねえだろ!少しは警戒しろよっ!誰がどこでお前を視……っ」

ドアに付いている3つの鍵を乱暴に、いや、むしろ厭味のようにガチャガチャと敢えて音をたててロックし、そうして
勢いよく振り返った途端――右手首を掴まれて、ドアに背中を押し付けられた。

トモモリの顔が物凄く至近距離にあったから、驚いて一瞬言葉が出なかった。

『クッ……俺は、逃げるつもりも、隠れる気も、ないぜ……』

トモモリが自信たっぷりに呟く。自意識過剰とも言えるその笑いに――ゾクッとした。それは気味の悪さからな
んかじゃなく、何か別のものだ。

『ああ……それとも、嫉妬か……?』
「バカやろう……っ。そんな訳、ねえだろっ……」

煩い、煩い――何だってこれ位のことで、急に心臓がバクバクしてくるんだ。

トモモリの少し掠れた囁き声と、まるで舐るような視線に耐えられなくて、思わず目線を逸らした。横に向けた
顔も、ちっともスラスラと出てこない反論も、トモモリに容易くその真意を見抜かれそうで、そんな自分に苛立っ
てくる。

『マサオミ……俺を、いつまで焦らす気だ……?』

トモモリが体をぴったり密着させて、耳のすぐ傍で呟く。低い、欲熱のこもった声で。

「やめ、ろ……玄関先で、することじゃねえだろ……」

反論する自分の声は我ながらてんで弱弱しくて、苛々は増すばかりだ。

『クッ……よほど、場所には拘りがあるとみえる……ならば、また、夜中に、大雨の中、外で、やるか……?』

敢えて耳元で、息もかかる程の距離で囁くトモモリに、俺は横を向いたままぎゅっと目を瞑った。
大きな口を開けて今にも俺を飲み込んでしまいそうな程の誘惑を前にして、できる限りの抵抗を示す為に。





3日前、俺とトモモリはサンクトペテルブルクの空港に降り立った。そうして、空港に迎えに来たツネマサの末弟
アツモリと共に、タイラノフの本宅に行った。その日の夜遅くまでタイラノフの関係者と話をしていたトモモリは、そ
れでも自分の家であるこのアパートに帰ると言い出したが、俺は状況が状況だから本宅に居る方がいいだろ
うとトモモリを抑えた。
翌日も本宅はバタバタとしていた。トモモリが戻ってきたことで、先延ばしにしていた案件の決断を仰ごうという
ことなのだろう。トモモリは夕方まで殆ど休みなく客を迎えることになった。兄上の意見も聞いたらどうだなどとい
う、冗談だか本気だか分からないトモモリの言葉に、トモモリのお袋さんまでもがそれは良い案だなんて言うもの
だから、何故か俺までトモモリの傍に居て色々と意見を述べる羽目になった。
それが仕事のことであれば、トモモリもお袋さんもそんなことは言わなかったのだろうが、内容は主にタイラノフの
今後についてだ。
逮捕されたトモモリの叔父さんや拘束されたツネマサをどうすべきか。弁護士をたてるべきか、世論の操作を促
すべきか、ある程度情報を海外のマスコミへもリークすべきか、タイラノフから何らかの声明を発表すべきか、そ
の場合の内容の方向性は――そんなことが、延々と続く。
忌憚のない第3者の意見を聞きたいというだけでなく、一族の間で絶対的な信頼のあった後継者、シゲモリ
の幻影がタイラノフ関係者の団結に必要だったのだとは、あとでトモモリのロシアでの業務秘書をやっている男
から聞いた。
タイラノフの会長の死、そして臨時で会長代行に就任する予定だった会長の弟、つまりトモモリの叔父さんの
逮捕、そしてトモモリの秘書、ツネマサの拘束――たった1ヶ月の間にこれだけのことが起こったのだ。どんな決
定も疎かには出来ないというタイラノフ一族の意志は十分理解できた。
第一、俺にとってももうこれらは他人事では済まされない。

その日の夜、俺はトモモリを自分の為に用意されていた部屋に誘って、酒を飲んだ。
トモモリはウォッカを飲み続け、俺はビールを飲んだ。そうして夜も更けた頃――トモモリは俺に絡んできた。
だけど、俺は、断った。それは予期できない行動じゃなかったのに。むしろ、十分に分かってたことなのに。俺は、
いつ誰が訪ねて来るか分からない本宅では嫌だと言い、ただ酒が飲みたいだけだと言い、今はタイラノフのこと
で頭が一杯で、そんな気分じゃないとすら言った。
トモモリは不満げだった。当然だと思う。自分の部屋に誘ったのは俺なのだから。



「ふざけんな……っ」
俺は掴まれていない左腕でトモモリの肩を押し退けようとして、逆にその腕を掴まれた。
『何を……拒む?』
トモモリは低く掠れた声で、だけれど拒む理由が分からない、という不満をあからさまに口調に表した。



タイラノフの本宅についてからのトモモリは、どこか苛々した表情を見せながらも、極力まともに、真面目な態度
で根気良く、話を聞き、意見を出していた。その姿は、一族だけでなく関係者一同を安堵させたようだった。
やはり、いざとなった時にはルーリック様は頼れる存在なのだと、危機に陥ったタイラノフを立て直してくれるのは
彼なのだと、連中は口にした。
俺はそれを否定もしない代わりに、肯定もしなかった。だけど、心の中じゃ俺は叫んでた。

――トモモリは、嘘つきだと。



「だから……っ、言っただろ、俺は、今タイラノフのことで頭が一杯で……っ」
『そんなことは、理由にならない。そうだろう……?』
「!何でだよっ……」
苛々は頂点に達して、俺はトモモリの顔を睨み付けた。

『それは、お前自身の方が分かっている……だろう?』
「!」



トモモリは、嘘つきだ。
だって、こいつはもう分かっているから。穏便な方法などでは解決しないと。問題の先延ばしはできても、解決
には繋がらないと。
こいつはもう決めているから。自分1人で危険な道を選び、それを確実なまでに実行し、そして最後には自分
で幕引きをしようと。
それなのに、こいつはそれを誰にも明かさない。明かさないまま、平然とした顔で、一族の者達と今後について
の話し合いをしているのだ。



「…………とにかく、今は、嫌だ」
『……』
トモモリは、鮮やかに光る紫色の瞳で俺の顔を、ただ見つめた。その視線が、胸の辺りをチクチクと刺してくるよ
うな気がした。心の中まで見抜かれそうで、俺は横を向いた。
「…………今夜なら、考えてやる」
俺は、搾り出すような声で答えた。苛々しながらも、心のどこかでこれ以上は延ばせないと、そう覚悟して。

『――……ならば、そういうことにしておこう、か……?』
そんな俺の気持ちの何かを察したのか、トモモリは含みのある笑みを浮かべて、掴んでいた俺の腕を放した。



トモモリは、分かってた。
今は嫌だ――それが嘘だってことを、トモモリは分かってたはずだ。
トモモリを焦らした分だけ俺だって我慢してる訳で――お陰で間近で囁かれた位で俺の心臓はバクバクと、大
袈裟な位に脈打ってた。おまけに下半身まで反応しかけていた。それを、身体を密着させてたトモモリが気づ
かない訳がない。
だけれど、それを問おうとはしなかった。それだけじゃない。俺が、本当は違うことを言いたかったのだということさ
え、分かっていただろう。それは、トモモリの表情が、いつもとほんの少し違う言葉の間合いが、物語ってる。
だけど、結局何も言わなかった。ただ、お前がそういうならば、それに乗ってやろうと言わんばかりの笑みを浮か
べただけだった。

トモモリは、むしろ全て分かっていたからこそ、そこに何かを感じて俺に猶予を与えたのかもしれない。


お前、このまま1人で消えたら、お袋さん達まで裏切ることになるんだぞ?それを分かってんのか?
――俺は、そうトモモリに言いたかった。
トモモリは誰に相談する気もない。それどころか話そうとすらしない。お袋さんにすら黙って、自分1人でさっさと
行動する気なのだ。それは、ある意味裏切りだ。もしも、今話し合いで進めているような解決方法でどうにか
なるような相手ではないというなら、そう言えばいい。そうすれば、あれだけの人数がいるのだ。中には妙案の浮
かぶ奴だって居るかもしれない。他の、何か代替になるような方法を思いつくかもしれない。

そうすれば――トモモリだって危険な目に遭わずに済む可能性がないとは言えない。死ぬかもしれないような、
そんな危ない橋を渡る必要だって、ないかもしれないじゃないか。
万が一、良い方法が見つからなかったとしても、せめてトモモリの命だけでも救えるかもしれないのに……



「――トモモリ」
俺は、背を向けてリビングに歩き出したトモモリの腕を掴んだ。
『何だ――』
トモモリの振り向きざま、俺はその唇に少し乱暴に口付けた。
『今は嫌だと――そう、言わなかったか?』
「……これ以上は、なしだ……っ」


――バカっ。トモモリのバカ野郎……。

心の中でやり場のない思いを持て余して、トモモリに噛み付くようなキスをした。
それでも、俺はそれ以上先には進めなくて、自分自身を振り切るようにトモモリから離れると、少し乱暴な足
取りで部屋の中に入って行った。


分かってる。
トモモリは、みんなを巻き込みたくないから自分だけが危険な状況に飛び込もうとしているのだと。話せば心配
をかけるだけだと分かっているから、誰にも言わずに行ってしまうつもりなのだと。
確かに、トモモリにはトモモリなりの美学みたいなものがあって、どうせ潰される位なら一矢報いて位の思いを持っ
ているんだと思う。そしてそれは一族の為とかそういうことだけでなく、むしろ自分が納得できないからやる――
そういう思いなのだろう。だから、トモモリは単に自分を犠牲にするつもりじゃない。そこには自分自身の為という、
自分勝手な思いもきっと含んでいる。

それなのに人に手を出すなんて、なんて自分勝手な奴だとも思う。

だけど、俺が苛々するのはそのせいじゃない。
いや、全くない訳じゃないけど、それは応えた自分にも、そしていつの間にかこいつに惹かれてた自分にも責任
がある。だから、そのことでトモモリを責めるつもりはない。
そうじゃなく――本当に苛々させる相手は……自分自身。
トモモリのしようとすることをある程度分かっていたにもかかわらず、それでいて結局こいつを止めることもできず
に、一緒にロシアまで来た。ロシアに来たことを後悔してはいない。だけど心のどこかで、俺はトモモリをアメリカ
でもっと必死に止めるべきじゃなかったのかと思う自分がいる。
そうして覚悟を決めておきながら、一方でこの状況が変わらないかと、一族が導き出す”穏便な方法”に一縷
の望みをかけたがってる自分がいる。
挙句――俺はロシアについてから、何だかんだと理由をつけてトモモリに体を触らせなくなった。トモモリに求め
られていると分かっていて、自分だってトモモリを求めてると自覚があるのに、俺は拒んできた。

切り札だなんて考えてる訳じゃない。だけど、そう思ってくれることを期待していないと言えば嘘になる。

だって俺は心のどこかで期待してるから。
俺が体を触らせない内は、トモモリも出て行かないんじゃないかと。少しでもトモモリが出て行く日を先延ばしに
してくれるんじゃないかと――そんな姑息なことを期待してるから。



結局、自分勝手なのは、俺だ。
タイラノフがどうとか、お袋さんがどうとかなんて話じゃなく、ただ、俺がトモモリに問いたいだけだ。
俺を裏切るつもりか?俺を置いて本気で行っちまうつもりなのか?と。

そう問い詰めて、トモモリを自分の元に繋ぎ止めておこうと足掻いてるだけなんだ。






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