EPISODE 24 :


「マサオミ殿……ご無事で何よりでした」

電話の受話器から聞こえる声は、確かにツネマサだった。
アメリカで敵の目を晦ましてあちこち移動している時、唐突に、そして忽然と消えたツネマサ。その後今日まで、
何の連絡もなく、その生存すら確認できなかった。トモモリの読み通りであれば、彼は敵方に拘束されている
はずだ。それなのに、今聞いている声も、そしてその言葉も確かに自分の知る、いつも通りのツネマサだった。

「それはこっちのセリフだっ!今まで何処に居たんだよ?!」
「ご心配をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

ツネマサの安否をずっと気にしていた。それは自分だけでなくタイラノフの者は皆そうだろうが、捕まる寸前まで
ずっと一緒に行動していただけに、罪悪感もあった。ツネマサを留めることができなかったことへの責任と、後悔
の念――そのツネマサがいつもとさほど変わらない調子で電話などしてきたものだから、マサオミは安堵のあま
り、怒りすら感じた。もちろん、ツネマサが好き好んでこんなことをしているとは思わないが、冷静ではいられな
かった。
だけど、ここはタイラノフの邸宅だ。下手に大声を上げて、誰かに聞かれないとも限らない。そもそも実弟のアツ
モリが電話の応対で分からなかったということは、電話に最初に出ていたのはツネマサとは別の人間のはずだ。
ということは、ツネマサは自分とだけ話したい――タイラノフの人間には知られたくない話をしようとしている、と
いうことになる。

マサオミは、頭の中を軽く整理する意味も兼ねて、気持ちを落ちつけようと一息大きく吐いた。

「とにかく、な、声だけでも聞けて、少し安心したぜ。……大丈夫か?怪我とか、してないのか?」
「マサオミ殿……お気遣い有難うございます。私の方は大丈夫ですから、どうか心配なさらないで下さい。それ
よりも、あなた方がご無事で……本当に良かった」
「ああ……こっちこそ、心配すんな。それよりも……よく電話出来たな。今、平気なのか?」

別人が最初に電話をしてきたのだとすれば、この電話の目的はツネマサから発したものなのか。それとも敵の
揺さぶりなのか――そう考えてみれば、この電話の会話自体が敵方に聞かれている可能性だってある。

「――はい。見張りをなさっている方と、少し打ち解けることができまして……その方に無理言って電話をかけ
ていただきました。ですが、私の現状も、そしてお話する内容も、全てタイラノフの方々には未だ内密にしてい
ただきたいのです。物事が整理されていない今の状況で、余計な混乱を招きたくありませんので」
「……分かった。で、今見張りの奴は……」
「今、ここには居ません。ドアの外におります。ここでは、多少自由にできる時間もありますので」
「……そっか。でも、見張りってことは、やっぱ捕まったってことだよな……?それは逮捕なのか?それとも――」

逮捕ならば、今ツネマサを拘束しているのは国だ。だが、逮捕じゃないならば、敵対しているという新興財閥
の仕業ということになる。

「いえ……逮捕、という形ではないようです。任意同行というか……ですが、拘束を受けていることは事実で
す。当面戻ることは出来ないと思います。それで……マサオミ殿」
「ん?何だ、ツネマサ」
「実は、貴方に連絡を差し上げた理由は――1つ、お願いがあるのです」

ツネマサの声のトーンが、少しばかり低くなった。

「ああ。俺にできることなら、何でも言ってくれ」
「――マサオミ殿も恐らく察しておられると思いますが、あの日、私は彼らに自ら同行しました。それは、相手
方の真意を知りたいと思ったからです。もちろん、私がそのまま逮捕されるという危険性は十分承知しており
ました。でも、逃げてばかりいても埒が明かない、そう思ったからです」
「……まあな」

実際、察していたのはトモモリだ。だが、今は状況を見るためにも出来るだけツネマサの話の聞き役に徹した方
がいい。

「今は情報が色々と錯綜しています。誰が発信した情報かによって、内容も異なります。そういう意味で、真
相と、今回の件の目的を探る為には、それなりに上位の者……つまり、決定権を持つ者の発する情報を得
なければならなりません。そして、その上位の者の真意を知るためには、相手の懐に入らなければない」
「……拘束は、そのチャンスだった――そういうことか?」
「――私はそう判断したからこそ、行動したのです」

それは、当たっているだろうと思う。今回の件に関して国と新興財閥の関与の比率は分からないが、恐らく国
の方が大きいのだろう。ロシアは、市場開放はある程度した。体制も民主主義的なものを取り入れた。だけ
ど、やはり自分の知る民主主義国家と違うとは、マサオミも分かっていた。
それを確信させるものの1つが、国の力だ。どんな国だって最高の権力を持つのはその国の中央機関――大
抵は政府だろう。でも、その力を行使する時、どれだけ国民を納得させられるような裏付けがあるか、情報が
開示されているかによって、国の体制は違ってくる。国民がどれだけ国に関与していけるかが、民主主義と独
裁国家の違いだと思うのだ。
その意味でロシアはまだまだ開かれていない。つまり、国の権力は強大であり、国民が知らない、または介在
できない部分が多い――アメリカ人のマサオミからはそう見えていた。
だからこそ、いくら新興財閥が派手な真似をしようとも、真の敵は――国だ。

「私は今、色々な方と話をしています。彼らは私からの情報を求めています。ですが、勿論私だけでタイラノフ
を動かせるとは彼らも思ってはおりません。だからこそ、私に情報をある程度与え、懐柔し、協力するよう求め
てきているのです」
「協力?」
「そうです。…………現在は未だ暗に打診してきている状態ですが、彼らはルーリック様との取引を求めてい
ます」
「……タイラノフとの、じゃなくてか?」
「……ルーリック様との直接の取引です」
「その理由は?」
「……彼らが取引するだけの価値を認めているのは、タイラノフではなく……ルーリック様です。ルーリック様が
懐柔できれば、タイラノフはどうとでもなると思っているのです。それは……現在タイラノフと、国を繋ぐ核心部
分を握っているのがルーリック様だからです。……だからこそ、第一秘書で幼少より従っていた私に目を付けた
――そう思っています」
「……」

難しい問題だと思った。こんなのは当然、自分1人で判断できることではない。仮に判断するとしても、取引
内容や取引の真意を知ることが重要だ。

「何を取引したいんだ、連中は」
「そこまでは私も把握できません……ですが、ルーリック様の持つ情報はそれを知っているという事実も含め、
国にとっても大変重要な問題です。恐らく、見返りにタイラノフに生き残れる道を用意しても良い程の大きな
取引となるでしょう。……だからこそ、今回密かに連絡をしたのです。これによって、タイラノフが助かるのならば、
ルーリック様の目指しているものと同じ――だからこそ、ルーリック様に協力していただきたいのです」
「……」
「……彼らも、早期の解決を望んでいます。……ですから、ルーリック様に、マサオミ殿から話をしていただけな
いでしょうか」
「…………話したとしても、返事はすぐには出来ないと思う」
「……分かりました。明日の同じ頃、もう1度連絡します。ルーリック様から良い感触を得られたならば、私は
すぐにこちらで然るべき者を通じて働きかけます」
「分かった」
「それでは――」
「あ、ツネマサっ!」
「……はい?」
「ツネマサ、とにかく、元気でな。体に気をつけて、自分のことも大事にしてくれよ?」

そういうと、電話口の向こうで少し長い間があった。

「…………マサオミ殿……ありがとうございます……あなたの言葉を、忘れません……」


電話を切った後、マサオミは暫くの間、電話機を見下ろしていた。

今、トモモリはここに居ない。トモモリは携帯を持っているが、こちらではトモモリの状況が窺えないだけに、悪い
タイミングで連絡をすることは命取りにもなる。そのため、こちらから連絡はするなと事前に固く止められていた。
そうである以上話の通しようがない。話ができれば、もしかしたらトモモリは即断するかもしれない。だがトモモリ
がいない今、この話は他の者にもできないし、また、判断することもできない。

だが、それだけでなく――マサオミは窓の方に視線を向けた。


中世を思わせるアーチ状の大きな窓ガラスの外には、まるで王の城の庭のような、美しく整えられた花と木々
の庭園が広がっている。


そもそも、ツネマサの話は全て本当なのだろうか。
ツネマサは拘束されているのだ。脅されて、誰かの思惑によって、あんな話を持ちかけている可能性はないだ
ろうか。もちろん、ツネマサがタイラノフを裏切るなんて思っていない。だけど、脅迫されている可能性はある。
とはいえ、全てを嘘と判断できる証拠はどこにもない。現実、タイラノフは今、国によって存続の危機にある。
連中がタイラノフの中でもトモモリを狙っていたことは事実だ。そういう意味でトモモリとの直接取引によって現
状を打開する可能性を国が考えないとは言い切れない。
それに、もし本当であればタイラノフにとっても渡りに舟だ。それがあるからこそ、連中は取引を持ちかけている
可能性もないとは言えない。今なら、きっと国に有利な形で話を進められると判断するのは自然な流れだ。
ツネマサが、拘束されている中で、本当に今回の一連の件の首謀者の意図を知った可能性だってなくはない。
これが実現すれば、タイラノフは存続できるかもしれないのだ。何よりトモモリが、みんなが無事に、再び安心
して暮らすことができるようになるかもしれないのだ。

それでも、迷う。
これが本当なのか、嘘なのか――トモモリがいない以上、自分が判断するしかない。
だけど、もしその判断が間違っていたら?自分の判断がトモモリを危険な状態に晒す引き金になったらどうす
る?


マサオミは、大きく息を吐くと、首を横に振った。





その日の夕食後――マサオミはアツモリの部屋に誘われた。
シャンパンに、少々甘みの少ないクッキーを振る舞われ、そうしてテーブルの上にはチェスが用意された。

「私で良ければ、お相手を。ルーリック様程ではないが、多少ならば教えられましょう」
アツモリは、そう控え目に言葉を添えた。

電話の後、アツモリとはトモモリの母親とのお茶の時間で会った。お袋さんに余計な心配をかけたくないのは義
理の甥であるアツモリも一緒だ。だから、3人のお茶会での話題はアメリカとロシアの食事の味付けの違いだ
とか、食生活の習慣といった、他愛もないものだった。
その後夕食時にも顔を合わせたが、夕食を共にする一族の人数はその日によって違うものの、少なくとも5人
以上であることが多い。今晩もそうだった。当然2人で話す機会もなかったし、自分もまた、敢えてアツモリを
呼んで話をしなかった。

だからアツモリに声を掛けられた時、ピンと来た。アツモリは、電話の相手を、そしてその話の内容を知りたがっ
ているのだろう、と。



「……マサオミ殿、そこへは駒を動かさない方が良いと思う。私の次の一手で、その駒は身動きが取れなくなっ
てしまう」
「お……そうなのか」

マサオミは、顔を上げ、そうして動かそうと駒を持つ手を止めた。

「駒はその種類により動きが異なります。例えば……こうして……今、マサオミ殿がしようとした一手を行った
場合だが……こうなって……このキングは無防備な状態に置かれてしまう」

アツモリは、説明しながら軍人にしてはやや華奢と思われる細い指で駒をいくつか移動させて見せる。

「……そっか、なるほどな。サンキュ」


シャンパンを飲み交わし、世間話をし、そうしてチェスに興じる。決して出しゃばることのないアツモリは、昼間の
電話の件について、自分からは何も尋ねてこない。静かな時間が過ぎるばかりだ。

「ふ……」

思わず笑みを洩らすと、アツモリが不思議そうな顔をした。

「いや、な。やっぱ、兄弟って似るんだなあと思ってさ……」
「それは、私と兄上のことですか」

実際にはアツモリはツネマサよりも内向的というか、少々引っ込み思案なところがある。だが、やはり似ている
部分は多い。

「ああ。雰囲気っつうか、謙虚だし、しっかりしてるけど控え目だし……ま、色々とな。いや、トモモリと血が繋
がってるなんて信じらんねえと思ってさ」

とはいえ、アツモリはツネマサが無事であることを知らない。すぐにでも知らせてやりたいけど、ツネマサに口止め
されている以上、今は未だ言えない。アツモリにとって、ツネマサはその生死すら不明な状態だというのに、ツネ
マサと話したばかりだったせいか、つい口にしてしまった。そのことに言葉の途中で気づいたマサオミは、トモモリ
をダシに冗談めいた口調で終わらせて軽く笑った。だが、アツモリは笑わなかった。

「……私は兄を尊敬しているが、実際には私よりもマサオミ殿や、何よりルーリック様の方が兄のことをよくご存
じなのだと思う」
「え……?」
「私と兄は一回りも年が離れているから、兄でいてどこか父のようでもある、そんな存在だったのです。それに
比べ、ルーリック様をお助けするようにとの会長の命もあり、兄はルーリック様が13歳の時から行動を共にする
機会も多かった。だから、ルーリック様は私よりも兄のことをよく知っていると思うし、逆もまた然りでしょう」

確かにまるで性格の違う2人だけど、不思議と阿吽の呼吸とでも言うべきか、ツネマサはトモモリが何も言わ
ない時でもその意図を察していた。逆にツネマサが拘束を覚悟で1人、モーテルに様子を見に行くと言った時、
トモモリは何かを肌で感じたように当初反対した。あの時、ツネマサが自分から大人しく捕まったのだろうとすぐ
に予測してみせたのもトモモリだ。
直観とも言うべき互いに対する勘も、長年の付き合いからきたのだと思えば頷ける。そこに一種の疎外感とい
うか、羨ましさもあったが、どこか納得できるような信頼感が2人の間にはあるような気がした。


「確かに、それは何となく分かるな」
「恐らく、兄にとって何より守りたいのはルーリック様だと思う。もちろん、タイラノフ=ルーリック様ということもある
と思うが、もし両者が並立しないならば……私には、兄がルーリック様を選ぶような気がしてならない。勿論一
族のことは大切だが…………それだけ、兄はルーリック様と長い時間を過ごした。――だから、ルーリック様に
対する罪状を自分の身に受けた時、兄は覚悟を決めたように思う。自分が逮捕されれば、ルーリック様を助
けることも不可能ではないかもしれない……そう思ったのではないか」
「…………そっか」

3人で行動している間、ツネマサがどれだけトモモリを支え、守りたがっていたかは、マサオミにも分かっていた。
だが、それはタイラノフ一族あってのトモモリ、という思いからなのだろうと漠然と思っていた。ツネマサは控え目
で物静かな男だが、芯はしっかりしている。だから、そういった使命感のようなものは当然あるだろうと思ってい
た。
だが、アツモリの言葉によればタイラノフ一族としての使命感はあるけれど、それ以上にツネマサが守りたかった
もの、そして何より使命を感じていたもの、それはトモモリ自身のこと――そういうことになる。


――ツネマサにとって何より大事なのはトモモリだ。ならば、トモモリを危険な目に遭わせるような真似なんて絶
対にしないはずだ。例えタイラノフにとってすげー有利な話があったとしても、もしそれがトモモリを守りきれない
ようなことになるなら……それ位なら、ツネマサは、きっと回避する……ってことだよな……。

マサオミは昼間の電話でのツネマサの言葉をできる限り思い出していた。

ツネマサの言ったことはトモモリを第一に考えてのことだったのか――



「……マサオミ殿?」

難しい顔をして黙りこんでしまったマサオミに、アツモリは困惑しながら何度か声を掛ける。
だが、その声はマサオミには遥か遠くに響いていた。





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