EPISODE 25 :


ツネマサは、約束通り、翌日の同じ時間に電話をしてきた。
最初に出たのは前日同様、英語を話すツネマサとは違う男だった。だが、2日連続の電話に怪しまれることを
避けたかったのか、相手は在ロシア米国大使館員を名乗った。男はマサオミが電話に出ると、すぐにツネマサ
に換わった。

「わりぃ。昨日、トモモリと話できなかった」
「マサオミ殿……」
「正直に言うとさ……これ、そっちの奴らには黙ってて欲しいんだけど、連絡が取れなかった。実はトモモリ、今
国外に出てんだ」
「え……?」
「国内じゃ身動きが取れないって言ってさ、もちろん、数日で戻ってくると思うけど」
「国外って…………どこですか?」
「詳しいことは知らねえけど、ロシアからそんなに離れてないとこみたいだぜ」
「……今のルーリック様は、恐らく簡単には国外へは出られないと思いますが」
「そうなのか?どうして?だって、別に指名手配とかされてないだろ」
「でも、出入国は当然国の管轄です。国内の移動はともかく、国外には……」
「トモモリなら、何らかの抜けルートを持ってても不思議じゃないんじゃねえの」
「あるいは……いえ、やはり難しいでしょう。第一秘書であった私が把握していない特殊なルートがあるとも考
えられません」
「でも、ツネマサだって既存ルートの現状の把握はできてないんじゃねえの?――とにかく、さ。恐らく2~3日
で戻ってくると思うけど、それまで待てねえかな、そっち?それじゃあツネマサの立場も、キツイか?」
「いえ、私のことはともかく……それでは、一度こちらでも状況を説明してみましょう。それから、改めてご連絡
差し上げます」
「……わかった。数日だと思うから、それまで頼むな。必ずまた連絡して来いよ?」
「はい……ありがとうございます、マサオミ殿」


マサオミは受話器を置き、ビロードの大きなソファに腰を下ろすと、天井を見上げた。

アメリカじゃマサオミはどこにでもいる若者の1人でしかない。一応地元のジュニアカレッジまでは出たが、特に
成績が優秀だった訳でもなく、況して国際関係やら謀略術なんて勉強する機会もなかったし、そんな興味も
なかった。トモモリやツネマサと行動を共にする内、多少なりとも見聞きしてきたものの、こういう難しい局面を
上手く判断していくには、知識も経験も圧倒的に欠けていた。

そんな自分が精いっぱい考えた、ツネマサとの電話でのやり取り。
ツネマサに何らかの真意が伝わることを信じて、そうして、ツネマサから何らかの情報が得られることを願って。

だが、やはり所詮は付け焼刃だ。

勘の良いツネマサのことだ。多少なりとも自分の真意は伝わったと信じたい。だけど、あのやり方がツネマサを
窮地に追い込まずに、時間を稼げる良い口実となり得たかどうかはイマイチ自信がない。

だが、知略も権謀術数もない自分でも、ツネマサの性格ならば多少なりとも分かっている。そして、それに照
らし合わせれば――多分、ツネマサは脅されている。
恐らくは、ツネマサと自分の会話は全て盗聴されていたはずだ。それは、仮にツネマサの今回の話がツネマサ
本人からの発信だろうと黒幕からの発信だろうと変わらない。であれば、ツネマサは、現在のトモモリの居場所
についての密かな情報を、あんなに無防備に、直接的に訊き出そうとはしないはずだ。だが、ツネマサは訊いて
きた。しかも、黙っていろと言ったのに、最後にはこちらに状況を説明すると言い出した。
仔細に目を配るはずのツネマサには、あり得ないミスだ。少なくとも自分の知るツネマサでは前例がない。トモ
モリの身に危険が及ぶ可能性を考えれば尚更、細心の注意を払うであろうはずなのに。
つまり、あれはツネマサの本意ではない。今回の話は、おいしい交換条件を餌にトモモリをおびき出そうという
連中の計画に違いない。
いや、もしかしたらツネマサ自体も敢えてミスを犯すことで、こちら側に暗に真意を伝えていたのかもしれない。

それに、これは全くの想像でしかないが、もしかしたら黒幕とやらは現在のトモモリの動きを完全には掴めてい
ないんじゃないか。
トモモリは国外になど行っていない。はっきりとした行き先は言っていなかったが、トモモリは独自に今回の一連
の動きの核心部分を探るために出たのだ。それは国外どころか国内の、それも中枢の方に近づかなきゃでき
ないことだろう。
それなのに、ツネマサは動揺していたか、もしくはそう見せていた。つまり、少なくともトモモリが海外に居るという
情報はあちらで聞かされていなかったのではないか。

だから、驚いた。トモモリに関する予想外の情報に。


「あんま、グズグズしてらんねえな……」

マサオミは無造作に頭を掻くと、ソファから立ち上がった。





翌朝、7時頃。
マサオミはタイラノフの大邸宅の中庭をブラブラと歩いていた。
サンクトペテルブルクの早朝は寒い。薄着で出た訳ではなかったが、やはりどことなく大陸の風がアメリカ大陸
のそれよりも冷たく感じられる。

だが、マサオミはブラブラと空を見上げ、そうして邸宅の方をチラリと振り返ってはより寒いであろう木陰の方へ
と歩いていった。

未だ7時だから庭の方には元々人影はない。もちろん、使用人たちは既に家中では朝食の準備や掃除を始
めているが、ここまでは出てきていないようだった。
それでも、人目を気にしつつ極力のんびりと歩き、さりげなく木の陰に入ったマサオミは、そこで携帯電話を取
りだした。ロシアで購入したものではなく、アメリカから持ってきたものだ。この携帯はこれまでにアメリカ国内で
父親に一度と、それからロシアに来た時にアメリカ大使館に一度電話した時に使ったきりだ。恐らく、この携帯
の存在までは敵には知られていないだろう。万が一知られていたとしても、少なくともロシアの携帯電話と比べ
れば、盗聴の可能性も低いはずだ。

マサオミは、意を決して電話番号をプッシュした。

RRRRRRRRRRRR…………

相当に長い、呼び出し音。
もしかして、タイミングが悪かっただろうか。一旦切った方がいいか――そう思い始めた頃、呼び出し音が途切
れた。


「あ、えーと……」
『……モーニング・コールのつもりか?』

応えたのは、相変わらずゆっくりとした、そうしていつも以上に気だるい、寝起きと思しきやや掠れたトモモリの声。
本来、電話はしてくるなとトモモリから言われていた。だから、まずは悪かったと謝るつもりだった。だけどトモモリ
の、何ら変わらない暢気な様子に気が抜けた。

「やっぱな……。早朝ならお前もまだ動き始めないんじゃねえかって気付いてさ……今、話しても大丈夫か?」
『ああ……丁度、いい。アツモリに、車を運転させて、スパース・ナ・クラヴィー教会へ行け』
「あ……?」

未だ何も話す前から、先にトモモリの方から一方的に指示が飛んできて、マサオミは唖然とした。





スパース・ナ・クラヴィー教会に向かう道を車窓から眺める内、マサオミは自分が指定された場所を聞き間違え
たんじゃないかと思い始めた。

「ホントにこの通りにあんのか?その教会」
「はい。ここはネフスキー大通りといって、サンクトペテルブルクのメインストリートです。ショッピングセンター、ホテ
ル、国立図書館、駅、さらには海軍省までこの通りに面していて、一番の繁華街と言っていい。半面、夜は
少々治安も悪いのだが」
「…………あいつ……何のつもりだよ……」

どう見ても、人目を避けて行動しているはずの人間と落ち合うのに相応しいとは思えない混雑ぶりだ。

「あそこに……スパース・ナ・クラヴィー教会が見えてきました」

アツモリの言葉で前方を見てみると、いかにもロシアといった鮮やかな配色とクーポルと呼ばれる独特のドーム
型の屋根がいくつもついた、大きな建物が見えてくる。

「あそこは、別名血の教会とも呼ばれている。昔ロシア皇帝だったアレクサンドル2世が暗殺された場所だから
なのだが……今は、普通のロシア正教の教会で、観光名所の1つにもなっている」

血の教会――不吉な名前だと思った。いや、トモモリならば敢えてそういう悪趣味なことをしかねないが。それ
にしても、昼間からこんなに人で賑わう場所を、何故トモモリは指定したのか。

「そうだ、トモモリからの伝言な。”昔フルートを習っていた男の家を訪ねて、久しぶりに習ってくるといい。それか
ら、車はなるべく人目を避けて、ガレージの中に停めろ”、だって」
「プリニコフ先生の家のことか……そうか、それで出がけにフルートを持参するよう言われたのか。確かに、この
場所から先生の自宅は近い」
「ま、俺はただトモモリに言われた通り伝えただけなんだけどさ。そこに行くよう指示するのも、車に乗ってからにし
ろって言われてたんだよ」
「そうか……ならば、何か意味があるのだろう。承知した」

電話をしたのは、まだ今朝のことだ。その時、トモモリは考える間も殆どなく今回のことを指示してきた。まるで
前々から計画していたかのように。もしかしたら、トモモリの方でもある程度方向性が掴めていて、次の行動に
移す時期だったのかもしれない。

「では、私はこれからプリニコフ先生の家へ行く。その後の指示を待っています」

教会の前に車を停めたアツモリが、少し硬い表情でこちらを向いた。

「ああ、分かり次第、連絡するから」
「はい。……?マサオミ殿、どうかされたか」
「あ、ああ」

マサオミは、車を降りようとして、真っ直ぐに見上げるアツモリに微かな罪悪感を感じて、動きが止まっていた。

アツモリは、本当に控えめな奴だと思う。
フルートを持参して、さらには車でここまで送って欲しいと頼んだ時、トモモリの名前は出さなかった。ただそうし
て欲しいと頼んだだけだ。にもかかわらず、アツモリは何も訊かずに従ってくれた。
今だってそうだ。車に乗ってすぐ、トモモリのリクエストによる行動だということだけはすぐにバラしたが、アツモリにし
てみれば、今朝の自分とトモモリの電話のことばかりじゃない、トモモリの現状どころか、ツネマサのことも全く知
らされていないのだ。にもかかわらず、訳が分からないまま、ただ言われた通りにしなければならない状態にある。
本来であれば多少の状況位訊きたいだろう。実際、そうするだけの権利がアツモリにはあるはずだ。それなのに、
何も訊いてこない。
大体――いくらツネマサが誰にも知らせるなと言ったとはいえ、アツモリはツネマサの実の弟だ。その弟が、兄の
生死さえ知らされないなんて、いくらなんでも酷いんじゃないか。確かに今はタイラノフの存亡がかかっている。
それは何も一大企業のことだけでなく、そこに関わる人間たちの命にまで及びかねない問題だ。そのために多
少の犠牲はつきものと言えば、そうだ。

だけど――ホントにそれでいいのか?それが全てなのか?

「あーっ、もう、知るか!何も悪いことなんかねえ!」
「マ……マサオミ殿?」

いきなり頭を乱暴に掻き出したマサオミは、やがて意を決して真っ直ぐにアツモリを見た。アツモリの方は、訳も
分からず驚きで目を見開いていた。

「あのな、ツネマサのことなんだけど……生きてるから」
「……え……?」
「これ以上は、悪いけど口止めされてるから勘弁な。あと、タイラノフの他の連中にも未だ黙っててくれ。だけど
――とりあえずツネマサが無事なことだけは確かだから」

アツモリは、やがて胸の辺りを右手で押さえ、そうして、俯いた。

「……ありがとう、マサオミ殿。そんな重要な情報を、私のような者に知らせてくれて……本当に、感謝する」

アツモリのあまりに殊勝な、それどころか少し卑屈な響きすら感じる言葉に、元気づけてやりたいと思った。だ
けど、今はもう時間がない。だから、ただ俯いたアツモリの肩にポンと手を乗せて、送ってくれた礼だけを言うと、
マサオミは車を降りた。





スパース・ナ・クラヴィー教会はかなり大きい建物だ。内装は西欧の豪華な大聖堂を想わせる立派な造りと
豪華な装飾に満ちており、その内部は厳かさを失っていないものの、やはり観光地化されているせいか人もそ
こそこ居て、決して閑散たる静寂に包まれている訳ではない。その広い礼拝堂をブラブラと奥の方に歩いてい
くも、すれ違うのは家族連れや年配者、それに観光客らしきカップルばかりだ。

そんな中、ゆったりと歩いているものの、マサオミは内心では周囲に神経を張り巡らしていた。
いつ、どのような形でトモモリ、またはトモモリに繋がるであろう人間がコンタクトを取ってくるのか、はっきりとは知
らされていないからだ。だがそれと同時に、自分は跡を付けられてはいないかと気が気じゃなかった。
アメリカでは、付けられていたことに気付かず、宿泊していたモーテルの2つ隣の部屋が爆破された。今だって、
自分は気付かずとも何かが背後に動いていたとしても不思議はない。ましてここはロシアだ。アメリカよりもさら
にその可能性はある。ここで自分が何かヘマでもすれば、トモモリにまで繋がってしまう。

マサオミは、敬虔な気持ちで神に祈りを捧げているのであろう人々の横で、小さく息を吐いた。

「Красивейший солнечный день сегодня」
「は……?」

突然間近に聞こえた声の方に振り向いてみれば、いつからそこに居たのか、自分のすぐ隣に司祭と思しき黒く
長いガウンのような服を着た男がにこやかな笑みを浮かべていた。
「おはよう」だとか「おやすみ」だとか「ありがとう」位ならば理解できるが、マサオミは今もロシア語は殆ど分から
ない。

「あ……いや、えっと、ヤーニェ、パニマーユ、バルースキ?」

言葉の全く分からないロシアで、これだけは必ず覚えておくべきだと思って暗記しておいた言葉を、マサオミはた
どたどしく伝えた――そう、「ロシア語はわからない」だ。

「美しい、良いお天気ですねと言いました。ところで、英語で印刷されたこの教会のパンフレットを持っています。
1部要りますか?」

ロシア語が通じないと分かった相手は、今度はあまり上手くない英語に切り替えた。

「パンフレット?ああ、ありがとう。でも、今は人と待ち合わせを――」

そう返事をしかけて、ふと気付いた。
まだ20代辺りにみえる、若い司祭の黒いガウンの襟元に付けられたごく小さなブローチ――それは、金属製
の蝶のデザインだった。タイラノフ家の紋章は大きな蝶をあしらったものだ。いわば、蝶はタイラノフの象徴といっ
てもいい。
もしかして――マサオミは再び男の顔を見た。男は、頬笑みを浮かべて微かに頷く。マサオミは意を決して男
の後をついていった。
教会の入口に近い、少し奥まったところにパンフレットや聖書などを販売するコーナーがある。そこにつくと、司
祭は重ねられたパンフレットの一番下から1部を取りだした。

「どうぞ。3ページ目に素敵な写真があります」
「ありがとう」

トモモリからは、教会に行けば分かるとしか聞いていない。
この司祭がトモモリのメッセンジャーだとしたら――マサオミはパンフレットの3ページ目を開いてみた。そこには、
司祭の言う通りこの教会の美しい外観を写した写真があり、そして、その下に小さな文字が書いてあった。

「あ、ああ、そういえば、ここ、トイレはあるか?」

その文字を読み終えたマサオミが顔を上げると、司祭は頷き、その後をついて行く。大きな礼拝堂から少々薄
暗く狭い横の通路に入っていくと、やがてトイレのマークが見えた。だが、司祭の男はそこをそのまま通り過ぎ、
さらに奥へと歩いて行く。
ここまで、何だかんだいってもこの司祭が本当にトモモリと関係があるのか半信半疑だったが、トイレの前を素
通りしたことでマサオミは漸く確信した。

もしかして、この教会の奥の部屋にでもトモモリはいるんだろうか――そう思いながらも黙って後をついて行くと、
どこまで歩いたのだろうか。さらにいくつか角を曲がり、気が付いたら教会の裏手と思われる小さな出入り口ま
で来ていた。

――というか、裏手に出ただけじゃねえか?

やや唖然としていると司祭が振り返り、いきなり左手を取られた。そうして握りしめられた手の中に、冷たく固
いものを押しつけられる。

「ここから外に出ると、すぐにあります」

両手で手を握ったまま司祭は呟くと、そのまま手を離すとともに元の通路を戻っていってしまった。
左手に握らされたもの――それは、車の鍵だった。


何やら雲を掴むような状況の中、とりあえずは裏手から外に出ると、すぐ前の車道に白のワゴン車が停まって
いた。アツモリに乗せてもらった車と全く同じ車種だ。

「あれ?」

ますます訳が分からない。
とりあえず車の運転席のドアに近づいた。運転席にも助手席にも誰も乗っていない。念のため、渡された鍵を
差し込んでみると――ドアは開いた。

車のキーを渡されたってことは、乗れってことだよな――訳も分からないまま車に乗り込むのも何だか気乗りし
ないが、といって教会に戻る訳にもいかない。マサオミは仕方なく乗り込んでドアを閉めた。





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