EPISODE 26 :


「何か、メモでもあんのかな……」
マサオミは運転席に座ると、1人呟きながら辺りをガサゴソと探し始める。



『――とりあえず、走ったらどうだ』
「!」

突然声が聞こえて、マサオミは肩をびくっとさせた。

「おい、その声、トモ――」
『振り返るな』

声の聞こえてきた後方に振り向こうとして、制止された。

「……トモモリだよな」

とりあえず前に向き直ったマサオミは、それでも確認だけはしておきたくて声を掛ける。

『久方ぶりで、声もうろ覚えか?』
「まさか。……ああ、いや、忘れかけそうだったぜ」
『クッ……相変わらず、口が減らぬ』

そのゆっくりとした口調、尊大な物言い、何より、低い、艶やかな声色――トモモリ以外にはあり得ない。
トモモリが姿を消してから13日。言葉にすれば、2週間もない。だけど、実際にはその何倍もの長さの時間の
経過を感じていた。それだけに、その姿を見たかった。この目で見て、確認したかった。
だけど、きっと自分は怪しい素ぶりを見せてはいけないのだ。だからこそ、トモモリは振り返るなと言っているはず
だ。マサオミは、もどかしさを感じながらも振り返るのをぐっと我慢した。姿は見えなくても、その声は確かにトモ
モリのものだ。後ろにトモモリが居るのだと思うと、それだけで背中に小さな緊張が走るのを自覚した。

「――で、どこへ行けばいい。俺、国際免許しかねえし、交通ルールとかよく分かんないぜ?」
『何、行き先はすぐそこだ。まずはまっすぐ行け』

偉そうに指図すんな――そう思いながらも、悔しいけどトモモリがすぐ傍にいることの、自分の知るトモモリと変
わっていないことの嬉しさの方が遙かに大きくて、声にはならなかった。





行き先は、車で15分程の場所だった。すっかり住宅街に入ってしまうと、観光客や買い物客で賑わっていた
ネフスキー大通りと違って辺りは静かになる。
トモモリの指示に従って脇道の路上に車を停めると、エンジンを切る間に後部側のスライディング・ドアが開く。
急いで振り返った時には、トモモリは既に車から降りかけていて、その背中しか見えなかった。
黒の革のロングコートに、濃灰色のソフト帽を被ったその後ろ姿――帽子姿なんて初めて見たが、それでも着
痩せして見える背中といい、しなやかな物腰といい、誰なのかはすぐに判断がつく。
とはいえ、ぼうっとしている場合ではない。マサオミは急いで車から降りると、後に続いた。

トモモリは何の躊躇いも見せずに通りを渡ると一軒の2階建ての大きな家の門をくぐり、裏手の方へとまわる。
そうして庭に通じる裏口のドアの前に立つと、コートから鍵を出して、開けた。

家の中に入ると、どこにでもあるような、カントリー風のダイニングルームが広がっていた。

「ここって、お前の隠れ家なのか?」
『いや。――地下には、アツモリがいる』
「アツモリ?……てことは、プリニコフとかいうフルートの先生の家ってことか?」
『ああ……こちらだ』

さらにトモモリに付いて、家の2階へと上がる。ドアの数から4~5部屋はあるようだが、その内の1つに入ると、
そこはソファと本棚位しか置いてないような、ごく殺風景な部屋だった。
部屋に入ったトモモリは帽子を取ると、髪の毛が潰されたことが気に入らないのか軽く頭を振り、そうして漸くこ
ちらを向いた。トモモリにしては地味と思える薄灰色のシャツに、細身の黒いパンツ――だけれど、人目を忍
んで何日も潜伏生活を送っていたとは到底思えない位外見はキレイで、清潔に整っていた。そうして相変わ
らず、ぞっとする程きれいだ。妖しく光る紫色の瞳も、傲岸不遜な笑みも、変わらない。

その姿に、小さくマサオミの喉が鳴った。だが、一瞬でも見とれてしまったことを悟られたくなくて、思わず目を僅
かに逸らす。

「……そういや、プリニコフって奴は、仲間なのか?」
『……クッ……相変わらず、お前は色気がないな……仲間などではないさ。ここに俺たちが来ることも知らな
い』
「は……?だって、鍵は?いや、それより、アツモリが地下に居るっていってたけど、じゃあ俺たちは今、勝手に
人の家の2階に上がり込んでる状態なのか?大丈夫なのかよ?」

トモモリはコートを脱ぐと、帽子とともにソファの背もたれの方に放った。

『質問が多いな、兄上は……合鍵を作ることなど、造作もない。プリニコフは音楽家で、たまに地下のスタジ
オでフルートを教えている。当然、地下は防音設備が整っている。それに……いいじゃないか。帰りは、アツモ
リとともにタイラノフの家に戻れるだろう……?』
「……それも含めて、もしものために誰にも言わなかったのか」
『……クッ……大分、察しがよくなったな』
「馬鹿にすんなよ」

防音設備の整った地下のスタジオでアツモリがフルートを習っているならば、確かに物音は聞こえないだろう。そ
の間2階を使ったところで気付かれないということだ。まして、玄関で呼び鈴を鳴らしたのならば地下にもエント
ランスのモニター位はついているだろうが、裏口の鍵を密かに複製して勝手に侵入すれば尚更のこと。
それにトモモリがここに来ることを知らなければ、後々何かあっても仲間だと誤解されることもない。逆にプリニコ
フが敵方に口を割ることもない。しかも、アツモリの車と今自分たちが乗ってきた車は全く同種のものだ。2台
横に並べておくならばともかく、アツモリは言われた通り、この家のガレージ内に車を入れたはずだ。そうであれ
ば、よほど疑ってかかり、観察でもしておかない限り、近所の人間は自分たちが路上に停めたあの車を、アツ
モリが乗ってきた車だと思い違いをしてもおかしくない――

何てことを考えていたら、不意に腕を掴まれて、あっと気が付いた時には後頭部を押さえこまれた。そうして有
無を言わさず乱暴に、噛みつかれるように唇を吸いつかれる。

「っ!……っ、と……とも……っ」

人の頭を抱え込むその腕を掴み、もう一方の手でトモモリのシャツの肩の辺りを掴むと、腰に回されたもう一
方の腕の力がさらに増した。挙句、口を開いた途端に唇でさらに押し開かれ、舌が侵入してくる。

相変わらずの強引さ――それなのに、舌を絡められて全身がかっと熱くなった。
トモモリの匂いが、熱と、力強さが、身体中の血を追い立てていく。

この2週間、気がつけばトモモリのことばかり考えてた。俺だってその気にならない訳じゃなかった。だけど、こん
な時に、こんな所で、こんなことやってる場合じゃないって気持ちも残ってた。
だから、1回位ならいいんじゃねえかとか、もし地下に居るアツモリたちが何らかの用事で上に上がって来たらど
うするのか、とか矛盾することを考えて、それがまとまらない内にトモモリに床に押し倒された。

「おいっ……、最後まで、ヤるつもりかよ?こんなことしてる場合じゃねえだろっ」

気持ちが定まらないままに、反射的にトモモリの肩を掴んで制した。止めきれなくても仕方ないと半ば思ってた
し、心のどこかではそうなることを期待すらしていた。だけど、話さなきゃならないことも、聞かなきゃならないこと
も沢山ある。その思いが、気持ちにブレーキをかけていた。

『つれないことを……この2週間、毎日、ずっと……お前を抱くことだけを考えてきたというのに……』

やや掠れた、欲情を隠そうともしない熱を帯びた声。息もかかる程間近に顔を近づけて、よく照れもせずに人
の顔を直視しながらこんなセリフが言えるものだと思う。
トモモリは、最終的に自分は拒めないだろうと分かっててやってる。いつだって確信犯だ。確かにこんな状況じゃ
なければ、抗うのは殆ど無理だっただろう。自分自身がどこかでそれを望んでるだけに、尚のことだ。
だが、そもそも今朝電話した理由――伝えるべきことだけは最初に言っておかなきゃならない。トモモリの身に
かかわる問題だ。今のうちに止めておかないと、一度エンジンがかかったらトモモリを、いや、自分も含めて止め
る自信がない。だから、マサオミはくっついてくるトモモリを必死に腕で押し上げた。

「あのなぁっ……ツネマサから、連絡あったんだよっ」
『……ツネマサ?』

マサオミの反抗に遭いつつもシャツの裾をひき上げにかかっていたトモモリの手が、一瞬止まった。

「ああ……多分、あいつ脅されてるんじゃねえかと思って」
『……全く……間の悪いことだ……』

あからさまに不機嫌な顔をしたトモモリだったが、さすがにその話は聞いておくべきだと思ったのだろう。マサオミの
頭を挟んで床に手をついた。それでも体を離さない辺りは、話が終わったらやる気だという意思表示にも見え
たが。その様子に少し呆れつつも、マサオミは2度の電話の内容とやり取りの一部始終を話した。

話を聴く間、トモモリは終始無表情だった。聴き終えても少しの間、何の反応も示さなかった。だが、やがてマ
サオミの上から身を翻して、床に片膝を立てて座った。

「……トモモリ?」

マサオミは上半身を起こし、すぐ隣に居るトモモリの横顔を見つめる。表情は先程から殆ど変わらない。だけど、
頭の中はフルに回転しているに違いない。

『――ツネマサは、また連絡してくると……?』
「ああ。2~3日でお前が戻ってくるって言っておいたから、その頃連絡が来ると思う」
『それが、昨日の話であれば、明日か明後日……だが、おそらくは明後日以降……』
「?おい。全部お前の胸だけにしまうなよ」

そう言うとトモモリがこちらを向き、手を伸ばしてきて顎の辺りを掴むと、鼻先がつきそうな位に顔を近づけてきた。

『……クッ……では、教えて差し上げようか……連中は、焦れてきている。そろそろ動き出したいと思っている
のだろう。そう思っているのは手先の軍人か、もしくは……お前の言うところの、”黒幕”――少しは、こちらが
仕掛けたことの成果はあったようだ。この2週間、お前との時間を犠牲にしたことは、無駄ではなかったな……』
「……とりあえず、ツネマサの話はツネマサの発案じゃねえってことだよな。――で、お前、何したんだよ?」
『大したことはしていないさ……せいぜい、庭先に小さな煙を立てたようなもの……数名に雲隠れしてもらった
だけだ。だが、強権的な組織とは、どんな小さなことも見逃しはしない。それが大事に至る前に動くのが道理
……それを逆手に取れば、相手は必ず先に動く、ということさ……』
「雲隠れ?」
『言葉の通り、だ』

トモモリの言葉は分かりにくい。それは用心のためでもあるだろうし、自分に全てを詳細に打ち明ける気がない
というのもあるに違いない。単に性格、という可能性もあるが。だが、今のトモモリはどちらかといえば獲物を独
り占めにして舌舐めずりでもするかのように、どこか愉しそうだ。

「――で、俺は次に来る電話でどう答えればいい」
『取引に応じると言えばいい……こちら側の条件は、叔父と、ツネマサの解放、それに……一族の行動に対
する安全保障――つまりは、亡命も含めた、行動の自由、だ。見返りは、それ以外であれば、好きにすると
いい……と』
「待てよ、だってあれは罠なんだろ?騙されたフリする気か?仮にそうだとしても、連中はお前をおびき出すのが
目的なんだろ?ホントにお前が出て行って、大丈夫なのかよ?」
『いずれにしろ、連中は俺が出なければ、本気で戦う気はないのだろう?ならば……クッ……望み通り出てや
るさ……どうせ、連中は俺の言葉など、信用しはしない……むしろ、こちらの本音など、どうでもいいのさ……
どうであれ、連中の目的はタイラノフの財産の全てと、俺の命……だが、そう簡単にはさせない……』
「タイラノフの財産全てと、お前の命?ホントにそこまでやるつもりなのか?ホントにそれ以外の道はないのか?!」
『この国の……連中が言うところの”反政府主義者”と呼ばれた者たちの不可解な死や、民族主義者に対
する過剰とも言える反応については……アメリカでもニュースなどを通じて、届いているだろう……?今は、と
ても便利な言葉がある――テロリスト、だ。あの連中はテロリストに手を貸していると言えば、非道なことも許
容される……そして、タイラノフには……その口実となるものがある……』

トモモリが、緩やかに笑みを浮かべる。それはまるで、恍惚としたような、絶望的なその様を愉しむような表情
だった。だがその視線の先は、遙かに遠い。

やっぱり、トモモリは死ぬ気だ――マサオミは、トモモリの醸し出す空気から直感的に感じた。それに気づくと同
時に、心臓の鼓動が速まった。胸の辺りをぐっと掴まれたようだった。

もちろん、トモモリがその覚悟をしていることはずっと前から気づいていた。だが、ツネマサの提案にも一縷の望
みを賭けていた。いや、それだけでなくトモモリが密かに動くうちに何らかの平和的な解決か、そこまでいかずと
も、せめて少しはマシな事実が情報として得られることに期待をかけていた。せめて命位は助かるはずだとどこ
かで信じたがっていた。実際、自分には祈る位しかできなかった。
だが、こうしてトモモリから覚悟のような、もう絶望的な終焉しかないような言葉を聞くと、俄かに現実味を帯び
てくる、一番恐れていた、そうして、望まなかった事態。

トモモリと出会い、アメリカ国内を流浪し、そうしてロシアに渡ってきた――ここまでに、時間はあったはずだ。そ
れなのに、結局トモモリの運命は変えられないのか。
その死の直前まで、一族内で期待されていたという、トモモリが誰よりも敬愛するタイラノフの正式な後継者、
シゲモリ――その男に瓜2つだった自分。アメリカ人の自分とロシア人のトモモリが、ロサンゼルスのフリーウェイ
などで出会うこと自体が奇跡に近い。もしかしたら、自分がタイラノフと関わるのは運命だったのかもしれない
と思う。
それなのに、何もできないのか?ただ自分はシゲモリに似ていたというだけの意味でしかなく、タイラノフも、トモ
モリのことも、助けられないのか?

マサオミは、そのことと、自分自身に悔しくて、腹が立った。気がついたら、トモモリの襟元を掴んでいた。

「ホントに、他に道はねえのかよっ?タイラノフをテロリストに与する団体だと看做すとして、だからといってホント
にお前の命まで奪わなきゃ、連中は納得しないのかよ?お前が亡命するんじゃダメなのか?なあっ、例えば、
お前がアメリカに来て、一般人と変わらない生活送ることすら許されないのかっ?」

トモモリは、少し驚いたように僅かに目を見開いていた。
マサオミは乱暴にトモモリの襟元を掴んでいた手を離すと、そのままトモモリをきつく抱き締めた。

「お前、何でそんなに自分に無頓着なんだよっ。命を無駄にすんなって、お前誰からも教わらなかったのかよっ?!」

『…………お前は、兄上のようなことを言う……』

トモモリの口調にはどこか躊躇いが感じられた。まるで、常識とは違う言葉を聞いたとでもいうように。だけれど、
自分は特にかっこいいことなんて言ってない。これは驚くような奇想天外な考え方でも何でもない。ごく、当り
前のことだ。それなのに、トモモリはそんなことにも気づいていなかったのだ。自分の命を惜しむことなど、考えも
及ばなかったのだ。

ああ、ホントにこいつって自分にはてんで無頓着なんだ――マサオミは、今になってトモモリの本当の姿が分かっ
たような気がした。

己の欲求に誰よりも忠実なのに、その実自分自身にはまるで関心がない。どんな時も冷静で、頭がキレて、
度胸があって……だけどそれは、トモモリが常に自分という存在をどこか軽く、まるで赤の他人のように見てい
たからなのかもしれない。そういう生き方しか、してこなかったのかもしれない。
トモモリは、刹那的に生きることだけが、これまでの、そしてこれからの人生の全てだと、きっと思っていたのだ。





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