EPISODE 28 :


『……?どうした』

ふと気付いたら、サインをすべき個所の指示をする手が完全に止まっていた。こちらに視線を流すトモモリは、
相変わらず何ら感情を見せない。

「……ホントは、馬鹿にしてんだろ」
『は……?何の話だ』
「こんなの意味ないって、単に俺の自己満足だろって、内心思ってんだろ?」
『……クッ……それこそ、愚かなことを……先程までの威勢はどうした……?』

一瞬目を見開いたトモモリは、ごく自然に、緩やかに笑みを作る。いつもの通り、どこか人を小馬鹿にしたよう
に目を僅かに細め、そうして微かに口角を上げて。
マサオミは、そこから目を逸らすと、ソファの背もたれに少々乱暴に寄りかかった。

下らない八つ当たりだと自分でもよく分かっていた。
トモモリの進む道は、最初から決まっていたのだ。自分と出会ったからといって、そう簡単に変えられる訳じゃな
い。

マサオミは寄りかかったまま背もたれの上に頭を乗せると、天井の灯りを避けるように腕で目の辺りを覆った。

「……何でもねえよ。あとは最後のページ、下に2か所」

こういうことで感情的になっても何の解決にもならない。特に、トモモリに関しては。トモモリの電話をうっかり盗
み聞きした時もそうだった。落ち着いて問い質す訳でもなく、ただ、感情のままに走った。だけど、そういう理に
合わないことじゃトモモリは動かない。

単なるガキのわがまま――それで終わりだ。
そりゃそうだ。実際には、トモモリの方が4歳も上だ。おまけに、今までの人生経験がまるで違う。俺の足掻き
なんて、きっと子供だましにしか映らないだろう。

最後まで自分は諦めない。トモモリのことも、タイラノフのことも。でも、自分の望んだとおりに動かないといって
トモモリを責めるのは間違いだ。

その時――不意に頭が軽くなった。
薄目を開けると、額に置いていた人の腕を持ち上げて、こちらを見るトモモリと視線が合う。

『泣いてでも、いるかと』

まるで他人事のような、それでいてどこかからかうような口調だった。

「……ばっか。何で俺が泣かなきゃなんねえんだ」
『無論……お前が泣くようなことなど、何1つないさ』

こちらを見つめるトモモリが、薄い笑みを浮かべた。
トモモリらしい言い方だ。だけど本当は、トモモリはきっと全て分かってる。分かった上で、敢えて本来言うべきこ
ととは違う言葉の裏で、その目で、言外に伝えるのだ。
俺のためになど、泣く必要はない。だから、そんなことで心を乱すな――と。

優しい言葉だとか、慰めの言葉なんて、トモモリは言わない。トモモリはそういう奴じゃない。代わりに出てくるの
は、憎まれ口だったり、嫌味だったり、冗談だったり、その場の状況とは全くそぐわないようなセリフ。
だけど、それは別にトモモリが人の気持ちや状況を読めない訳じゃない。敢えて気付かぬフリをして、惚けるの
は多分、トモモリなりの気遣いだ。下手に期待させるようなことを言うのは、却って残酷だ。答えは変わらない
のだから、下手なことを言って傷口を広げる位ならば、惚けて流してしまう。そういうのも、優しさと言えばそうな
んだろう。

だけど、トモモリは分かってない。

そんな優しさ、いらねえんだよ。そんなとこで俺に気ぃ遣う位なら、何で自分のためでも俺のためでも、何でもい
いから貪欲に生きようとしてくれねえんだよ。それって、そんなに難しいことなのかよ。
……それさえあれば、他の優しさなんて、なくたっていいのに。





「――もう、今日は飲むぜ。トモモリ、俺にもワイン」
『……クッ……兄上の、仰せのままに』

トモモリが退いたことで、視界が開けた。コルクの開く音、ワインがグラスに注がれていく音――自分以外の人
間の立てる音を聞いて、そういえばトモモリがこんなに側に居るのは久しぶりだったと、今になって実感した。

人が近づく気配に、頭をソファの背もたれに乗せたまま手だけ差し出したら、グラスが手渡される代わりにトモモ
リの顔が視界に入ってきた。

「ん?……なん――」

言葉の途中で口を塞がれた。中途半端に開かれた口の中に、甘い液体が強い香りとともに注がれる。それ
をきれいに喉元に流す前にトモモリの舌が自分の舌とぶつかって、飲み込みきれずに液体が口の端から零れ
た。甘い、と唇が僅かに離れたところでマサオミが呟くと、トモモリの濡れた唇が小さな弧を描いた。

金色に輝いていたワインは、トモモリのいつものイメージからはちょっと想像がつかない、甘く、強い香りがした。
案外強い酒なのかもしれない。タチが悪いのはトモモリなのか、この酒なのか、それともどっちもなのか。
微かにムスクの香りをさせて、抗えない形で唇を奪っていくトモモリも相当なものだ。だけど、しばらくぶりの逢瀬
に、1人でに鼓動が速まるのは止められない。

「……トモモリ、もう一口」

無意識に口にした言葉に、トモモリが鼻先で微かに笑った。だけど、別に気にならなかった。本当に馬鹿馬鹿
しいと思えば、トモモリは遠慮なく断るだろうから。それを、ただ笑っただけだということは、トモモリは自分の望み
通りに動いてくれるだろうと予測できたから。

トモモリの身体が離れた時、マサオミはそれを確信して、早く、とその背中に追い打ちをかけた。


後から聞けば、ハンガリー産の上質な貴腐ワインだというその甘い味は、だけど2口目は全然分からなかった。
ワインを飲み込んだかどうかも覚えていない。もしかして、撹拌されて全部口腔の粘膜に浸み込んだんじゃな
いか。そんな記憶も曖昧な位、二口目はキスしたということしか記憶にない。


怒ったり、悩んだり、落ち込んだりで神経が疲れているのかもしれない。トモモリのことを考えると、いつも先の
ことは想像がつかなくて、それどころか現在の状況さえ掴みどころがない。それなのに、明日をも知らぬ身のく
せに、こうして当然のように手を出してくるトモモリは、何てふざけた奴なんだろうと思う。
でも、そのくせ心のどこかではそのことへの反発だってあるのに、トモモリが欲しいという気持ちの方が今、完全
に勝っている自分もどうなんだと思う。

単に欲情に流され易いだけなのか、それとも、それ程までに――認めたくねえけど――こいつが好きなのか。



たった2口ワインを飲んだだけだっていうのに、それよりもタチの悪い奴のせいで、酔いが回り始めたようだった。
ゴチャゴチャと考える力は失われ、代わりに身体に火が点いた。

貪欲に互いの口腔を貪り合ううちに呼吸は奪い去られ、続いて欲望が引き出されてくる。息苦しさにトモモリ
の側頭部を掴んで僅かに唇を離すも、息継ぎを許されたのはほんの1、2秒で、すぐにまた貪欲の淵へと落と
された。

トモモリとの情事は、いつも総毛立つような緊張感から始まる。

これまでが、敵に追われてるかもしれないのに雨の中、外で、とか、トモモリが敵方の偵察に1人で行っちまう
前の日、とか、そういう状況的に緊迫していたせいもあるかもしれない。2人だけで過ごせる時間が限られてい
て、時間的に切羽詰まっていたというのもあるかもしれない。

でもそれだけじゃなく――どこかで防衛本能が働いているのかもしれない。身の危機を感じて、身体がアラー
ムを鳴らしているのかもしれない。それなのに、結局自分はその警告を無視してしまう。

自堕落で妖しい、魅惑的な悪魔か吸血鬼にでも魂を奪われたかのように、結局、自分はトモモリには抗えな
い。自堕落な奴なんて全然好みじゃないのに。

そもそも自分の好みはちょっと大人の美人系で、セクシーで、どこか小悪魔的で……て、ん?微妙に被って
んのか?
いや、トモモリは小悪魔的なんて可愛いものじゃ全然なくて、むしろ悪魔的なんだとか、少なくとも自堕落は好
みじゃないんだとか、否定してはみるものの、案外そう遠からず自分の好みのタイプとトモモリは被っていた。
ただ、トモモリは男だから、という気持ちがあったから気付くのに時間がかかっただけで。

「っ……な、トモモリ」

口は解放されたが代わりに耳朶に吸い付かれて、身体をびくっとさせたマサオミは、息を飲みながらも声を絞り
出した 。

『何だ……』

タイミングがそこだったせいでトモモリは耳元で囁くように返答したものだから、マサオミは一瞬きつく目を閉じて、
通電にも似た痺れをやり過ごす。



「……お前の好みの女のタイプって、どんなの?」

唐突な質問に、トモモリは目を見開いた。
大体、トモモリにしてみればマサオミというのはムードをやたらぶち壊す男で、今にしてもそうだ。何故今、この状
態でそんな脈絡のない質問をする?という思いから、トモモリは少々眉間を吊り上げてマサオミの顔を見た。
マサオミの顔には、全く悪気はない。が。

「いや、さ、だって俺みたいな女って想像つかないから、じゃあ本来の好みは全然違うんじゃないかって、ふと、
な?」

さすがに、トモモリのやや嫌気を帯びた視線に気づいたのだろう。マサオミは急いで言葉を付け加えた。

『何故……女と自分を比較する……?それは、俺の女になりたい、ということか……?』
「まるっきり違うから。そんなこと全然願ってねえから。そうじゃなく……だから、俺は、その、お前の好みのタイプ
だったのかっていうか……」

マサオミは少々照れ臭いことを言っていると自覚があるようで、ちょっとムッとしたような表情で視線を僅かに逸
らした。
そんなことを気にするなど、やはりお前は俺の女になりたいのでは?という思いがトモモリの頭をよぎったが、そ
れは言わないでおいた。

『そうだな……クッ……好みは……強い女、だな』
「強い女?」

マサオミは初めて聞くトモモリの情報に、興味深々の目を向けた。

『気が強くて、タフで、負けず嫌いで……』
「お前とじゃ、すげー戦闘的な組み合わせじゃねえのか、それ?」
『愛憎とは表裏一体、生死もまた然り、だろう……?』
「……いや、俺は表の世界だけで十分なんだけど、まあそこはいい。それで?」
『少々気が短く、乱暴で、背は俺と同じ位……青い髪をして、ベッドでは豹変――』
「ちょっ……それ俺のこと言ってんのかよっ?!俺は女じゃねえっ!つうか、ベッドで豹変なんてしてねえだろっ!」

怒りのマサオミがトモモリの胸倉に掴みかかろうと手を挙げた刹那、トモモリは素早くその手首を掴んでソファに
押し付けた。

『やはり……乱暴だ』
「ぐっ……」

トモモリの馬鹿にしたような笑みに、マサオミは不満を全身から発散しながらも黙った。
お前には言われたくねえ!という気持ちもどうやら何とか飲み込んだらしい。

『……だからこそ、好い。手応えがなくては、退屈だ……』

再び身体を密着させたトモモリは、悔しげに唇を噛むマサオミの唇を舌先でなぞる。
マサオミの目から視線を外すことなく、じっと見ながらのその様はいかにも挑発的だったが、その舌先を余裕の
笑みで噛んでやる程マサオミはトモモリとの間で情事は回を重ねてはおらず、ただただ目を逸らせずに僅かに顔
を赤くした。

『お前は、俺を巧みに駆り立て、貪欲に、浸食していく……』

それは最早普段のことなのか情事の時のことなのか分からないが、何はともあれ、トモモリの低く、まるで麻薬
にも似た、妖しく誘い込むような声色に、マサオミの戦闘能力は急速に色を失った。

唇を舌で舐めておきながら、トモモリは口付けは避けてマサオミの首筋に顔を埋め、そうして薄い、濡れた唇と
さほど温度の上がらない舌でなぞっていく。
むしろ人を巧みに駆り立てるのは、明らかにマサオミというよりトモモリな訳だが、マサオミには、トモモリが敢えて
キスをせずに焦らしているのだと分かった。何故って、トモモリはそういう奴だと知っているから。だから、マサオミは
何も言わなかった。その代わりにタックルでもするような力強さで、トモモリの背中に腕を回した。

トモモリの巧みな技に、いつの間にかマサオミのシャツの前は肌蹴ていたが、既に頭は麻痺しかかっていた。銀
色の絹糸のような柔らかい髪に頬の辺りをくすぐられて、マサオミは視線を落とす。

その眺めは、まるで月が自分の腕の中に落ちてきたようだった。



「っ……」

そんな夢見心地に入り始めた頃、ふと突然、小さな痛みを感じた。トモモリの頭で見えないが、どうやら鎖骨
の下の辺りを強く吸い付かれたか、噛まれたかしたらしい。

「おい……か……」

そこまで言いかけて、止めた。
噛むな、などと言えばトモモリは却ってやりかねない。いや、絶対、やる。だから止めた。

だから代わりに少し頭を起こして、トモモリの白い肩の皮膚を強く吸ってやった。やられた分だけやり返す――
やはりトモモリの分析通り、負けず嫌いなマサオミだったが、本人にはあまり自覚はなかった。



――月でも悪魔でも、何でもいいからこうやってずっと、いつまでもずっと俺の腕の中に居てくれりゃいいのにな。
もしもこれを強く抱き続けることで可能になるなら、やるのに。そうしたら、この手から離れて、もう2度と戻ってこ
ないんじゃないかなんて、心配することねえのに。


マサオミは、トモモリのシャツをぐっと掴んで、その背中に強くしがみついた。





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