EPISODE 3 :


『ああ……俺だ。頼んでおいた情報は、入ったか?』

トモモリは、机の上に置いてある卓上カレンダーをぼーっと見ながら、いつもに増してゆったりとした口調で電話
の向こう側にいる仕事の依頼相手に応えた。依頼しておいた情報収集の期限は今日だ。だが、電話の相手
は最初から言葉を詰まらせていた。

『……クッ……俺も、随分と甘く見られているようだ。俺は、冗談も、冗談にしか聞こえない本気も、生憎嫌
いなんだが……?』

トモモリはダラダラと言い訳されることを殊更嫌った。そもそも人と話すことさえ面倒だと思う位なのだから、言い
訳など問題外だ。それを相手も重々承知しているのか、状況報告は、客観的に見れば比較的簡潔であっ
た。だが、元よりトモモリが望んでいたのは情報が入ったという答えだけであり、現状の報告などどうでもいい。
期限が守られそうにないという時点で、トモモリは早くも電話を投げ出したくなった。

『1週間は経っているのだから、少しは何か得ているのだろう?明日迄に、とりあえずこちらに分かったことを報
告しろ。――何か、言ったか?3日後……と聞こえたが……まさか、そんなことは言っていないだろう……?
俺は、無能な人間に仕事を依頼したつもりはないからな。明日中、だ。分かったな』

電話の相手が一瞬沈黙する。
ここでセンスのある(ないのは問題外)反論を試みてくるような気骨のある相手ならば、トモモリもそれなりに気
乗りしたかもしれない。加虐心を刺激されると、トモモリは反応するようにできている。相手の落ち度をチクチク
と針で刺すようなえげつない真似は、はっきり言って愉しい。だが、今いる相手からはそれも期待できそうにな
い。手応えの無さを感じたトモモリは、退屈そうにさっさと電話を切った――


トモモリは、自分が経営者に向いた性格だとは全く思っていなかった。
人をこき使うのは好きだが、統括する気はない。命令することは好きだが、フォローする気はない。どちらも上に
立つ人間としては致命的とまではいかなくとも、かなり大きな欠陥だ。トモモリが、数ある父親の財閥企業の
中から貿易関係を選んだのは、バイヤーなら単独行動ができそうだと思ったからだ。石油などの地下資源関
係という道もあるにはあったが、国の思惑がゴチャゴチャ絡んでくるから面倒だと思って止めた。
努力をさほど必要とせず直感で即決、というのが通用しそうなのはバイヤー位だろう、と自分なりに冷静に適
性を見極めたつもりだった。
だから実質タイラノフ財閥の貿易関連会社のトップに居ても、仔細は全部他の人間にまかせている。自分は
方針の大枠の決定と買い付け、それに命令だけ。その代わりと言っては何だが、自分の下には、大凡自分
とは気の合いそうにない、律儀で物事に神経質な奴やら、クレーム処理や人間関係の調整にうってつけの、
極めて一見凡庸な奴を取締役につけていた。

だが、トモモリが可能な限り仕事の手を抜いている理由は、他にもあった。
怠惰なトモモリでも、どうしても避けられない別の仕事――タイラノフ財閥全体の暗部を統括する、トップシー
クレット業務だ。トモモリは、その使命を負っていた。大財閥を維持し、必要に応じて他社を蹴落とす為の手
段を講じる――それは貿易会社の運営よりも遥かに重要な業務だった。
トモモリのもう1つの顔について知っている人間は、身内や会社の幹部でもごく僅かしかいない。それだけリスク
も高いし、違法性も高かった。

最初にトモモリにその役目が回ってきた時、トモモリは気乗りしなかった。
確かに自分は適任かもしれなかった。元々父親の意向でロシア軍部に在籍していた。情報収集の仕方も、
暴力沙汰への対処法も、いざという時の裏方とのコネも、トモモリは軍人の頃にある程度培っていた。それは
父の命でもあった。
それにトモモリはハイリスクなど気にしない。むしろスリルは好きだった。だが、これは面倒な仕事だ。他人に任
せきりにできるような類のものではない。だから、できれば一族の他の者に押し付けたかった。
だが、父の意向はタイラノフでは絶対だ。その父のたっての頼みとなると、そう簡単には断れない。おまけにダメ
押しの言葉が父の口から出た時、トモモリは承知せざるを得なかった。

”あいつが生きていれば、お前に頼まなくても済んだんだがな……”

その一言で、トモモリの心は決まった。
――シゲモリ兄上の代わりが出来るのならば、光栄だと思わなければな……。

トモモリにとって、父親以上に兄の存在は絶対だったのだ。



「トモモリー、ブランチが来たぜ」
書斎のドアが開いて、青い頭が顔を出す。

数週間前にフリーウェイで拾った男――マサオミ・アリカワ。
会社の内外を問わず自分に生意気な口を、まして説教などしてくる者は他に1人もいないというのに、会って
3日後にはすっかりトモモリの生活をコントロールし始めた男だ。
そして、出会った初日から周囲の空気もお構いなしに人をミドル・ネームで呼び捨てにして、周囲を驚かせた
男でもある。

自分をトモモリと呼ぶ人間は身内にも殆どいない。例外は名付け親の祖母、そして、長兄だった。
元々ミドル・ネームだから滅多に使うこともなかったが、トモモリ自身も別にどちらで呼ばれようと気にしなかった。
そう、兄のシゲモリが亡くなるまでは――

兄の死をきっかけに、この名前は一種特別なものになった。
俺をそう呼んでいい人間は祖母と、そして兄上だけだ。他の人間の口からその名を聞きたくない――それを周
りが察知したのだろう。祖母は兄より先に亡くなっていたから、兄の死後、ずっと自分をトモモリと呼ぶ人間は
いなかった。誰にも呼ばせていなかった。

この男に出会うまでは――

「……トモモリ?考えごとか?だったら、もう少し後にするか?」
『……いや。せっかくの兄上のお誘いだ。行かない訳にはいかないだろう』
「兄上は止めろって」

この男が兄のシゲモリではなく、マサオミ・アリカワという別人であることは分かっているのに、何故かこの男から
トモモリと呼ばれることに違和感を感じない。それはこの男が兄にそっくりだから、というだけの理由なのか――

『クッ……まあ、どちらでもいいか……』
「あ?何か言ったか?」
『いや、別に』

理由など、どうでもいいことだ。
どうであれ、マサオミは俺のもの……じゃない、俺の兄上なのだ。一族の皆から慕われたシゲモリ兄上を独占
することは、到底不可能だった。だが、マサオミは違う。この男を見つけたのは自分だ。
マサオミは、自分だけの兄上だ。

トモモリは書斎の椅子から立ち上がると、ゆうに40畳以上はあるリビング兼ダイニングの隣室に移動した。



「――なあ、トモモリ。頼みがあるんだ」

ダイニングテーブルで自分と共に食事を始めたマサオミが、サラダに2〜3口手をだしただけでフォークを置いた。

『頼み……?』
「ああ。頼む、1,000ドル貸してくれ」
『は?何だ、欲しいものでもあるのか……?』
「違う。そんなんじゃなくて……俺なりに株について勉強してみた。だから、そろそろ始めてみようと思うんだ」
『ふうん……お前らしく、前向きだな』
「実際に動かしてみなきゃ、コツもつかめないだろう?――と言っても、俺みたいな素人に貸すのは不安だと思
う。だから、もし失敗したら、俺当分無給で働くから」
『俺は別に、金を出すのは構わないぜ?ただし、これは投資だ。貸し借りなんて、つまらないだろう?10万ドル
投資してやるから、好きにしろ』
「じゅ……10万ドル?おい、だから俺は素人だって……」
『勉強したんだろう?』
「いや、そうだけど……」
『ならば、好きに使え。チマチマと小さいことに囚われているような人間は、美しくない』
「……。まあ美しいとかそういうのは別として、分かった。俺も男だ。期待に添えるようがんば……いや、必ずや
り遂げてみせるぜ」
『クッ……それでこそ……俺の兄上』

実のところ、トモモリはマサオミの金儲けなど期待していなかった。むしろ興味がないと言った方が正しい。マサ
オミに商才があったところで、トモモリには何の関係もないことだ。
自分は、ただマサオミという人間に興味を持っているだけであり、自分だけの兄上にしたい――それだけだった。

『まあ、失敗しても、別に構わないさ……お前が身体で払ってくれれば』
「始める前からそんなんじゃ、やる気出ないだろ!しかも冗談としても全然笑えねえ!」
『冗談ではないが……?』
「――前言撤回だ。ばっちりやる気が出たぜ。絶対失敗しねえ。死んでもしねえ」
『却って煽ってしまったか?クッ……残念だ』
「残念って、お前期待してる方向を完全に間違ってるから!」

2人は互いの顔を見ると、呆れたように笑った。

いちいち反論してくるマサオミは子供っぽいが、自分もそれの相手をしているのだから、どっちも
どっちか――トモモリはそんな自分に呆れる。だが、こんな他愛もないことでさえ、何故か心地好
かった。
マサオミと居る時間は愉しい。
これまで他人に興味を持つことのなかったトモモリにとっては、初めて知った愉しさだった。

――こうなった以上、マサオミ、お前には責任を取ってもらわなければな。お前にはここに……俺の傍に居ても
らう。お前は……俺のものだ。

トモモリはククッと笑った。

「……トモモリ?何1人で笑ってんだよ。何か企んでるみたいで怖いぜ」
『企むなど……心外だな。俺は、今後為すべきことについて、考えていただけさ』
「ふうん――まあ、いいけど」

マサオミは、いつまでも気にする風でもなく、再び食事に向かう。

トモモリの言葉は、事実だった。

――LAにはいつまで居ようか。どうやって今自分が抱えている仕事を他の者に押し付けようか。いっそ仕事と
称して、マサオミを連れてスペインにでも旅行に行くか。

仕事とは一切関係なく、ましてそれが為すべきことなのかどうかは甚だ疑問だが、とにかく今後について考えて
いることには違いない。

マサオミがどこの誰なのかも分からない。自分も、自分のことを殆どマサオミに話していない。
――だが、そこに何の問題があろうか。先のことなど誰にも分からない。自分だって、明日以降も同じように平
和な時間を過ごしているとは限らない。
財閥の裏の部分を見ているトモモリは、自分の今在る状態がずっと続いていくとは全く思っていなかった。だか
らこそ、トモモリは今在る欲望を抑える気はなかった。それ以外のことなど、気にも留めなかった。

――俺は、自分の欲しい物を手に入れる。手に入れることができる時にそうしなければ……その機会が再び
あるとは限らないのだから。

そんなことを色々頭に過ぎらせていたトモモリは、愉しくなって再び笑い声を漏らす。
マサオミが、そんな自分を見て再び怪訝そうな顔をしていたことには気づく由もなかった――




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