EPISODE 34 :


あの日、私の身に何が起こったか、察しの良いルーリック様であれば見当がついていらっしゃることでしょう。
モーテルの受付と思しき小さな建物の明かりの下にいたのは多少なりとも予想しておりました、我等の同胞の
影でした。彼らは自らを警察の渉外部であり、任意で話を聞きたいと申し出てきました。
私はあの――逮捕状の出た――時から共に行動していて、ご迷惑をおかけすることを恐れていました。
きちんとした手続きによる逮捕状であれば、国は公式・非公式はともかく米国に対して身柄拘束のための捜
査協力を要請することは可能だったでしょう。そして、米国もまた、状況によっては協力を惜しまないでしょう。
万一米国からも追われることとなれば、貴方がたまでも巻き添えにしてしまいます。私などのために拘束される
など、それこそあってはならないことです。
私が彼らに従ったのはそういった理由からでした。

私が多少なりとも冷静さを取り戻したのは、ロシアに戻ってからのことです。

話を聴く者達は警察の渉外部の肩書きのままでしたが、事情聴取の場所はモスクワの警察署ではなく、ホテ
ルの一室のようなところでした。取り調べの内容も、渡米後の大雑把な移動ルートですとか、私の健康状態
ですとか、官僚への賄賂や国家に対する背任行為を疑われたはずの私に、彼らは嫌疑に関することは疎か、
本来知りたいであろう、ルーリック様の様子や今後の動き、タイラノフ本家との連絡状況などに一切触れてき
ません。
これは何かある――すぐにそうと気がつきましたが、監視が厳重で、動ける状況にはありませんでした。

それから3日後、私たちはそのホテルを出ました。そうして――保安庁に連れて行かれたのです。この時にはも
う、彼らは渉外部を名乗りはしませんでした。保安庁の者であると、堂々と明かしたのです。

今回の件に保安庁が関わっているなどという情報が一切なかったことは、ルーリック様もご存じだと思います。
ですから、私は事態をどのように理解すべきか迷いました。当初は政府が計画の遅延を嫌って、新たにより実
力行使の可能な保安庁に命じたのではないかと思いました。
そしてこの時、叔父上が検察の取り調べを受け、既に起訴されたということを私は初めて知りました。
私と叔父上の立場は全く異なっていました。私はある種の人質として利用されるのではないか――そう懸念
しました。もしそうであれば、私は単に人質としてルーリック様の足手まといになってしまうだけであり、ルーリック
様の代わりに逮捕されることも叶いません。それだけは、避けなければならないことです。
そこで、私は彼らを何とか懐柔できないかと考えました。計画を止めることはできないでしょう。ですが、傷口は
できるだけ小さくしなければなりません。現在最も彼らの近くにいる私こそが、それをすべきなのです。

最初に私がしたことは、私から情報を聞き出そうと話をしに来る保安庁の職員と打ち解けることでした。彼の
懐柔は、そう難しいことではありませんでした。彼らは私からタイラノフとルーリック様の情報を得ようとしていまし
た。当然、私から話を引き出すために、あちらの情報を多少なりとも見せる必要があると考えていたのでしょう。
私は彼から、保安庁の上層部の者が軍を指揮し、動いていることを知りました。そこに政府高官の話も新興
財閥の話も出ないことに疑念は感じておりましたが、ともあれ現在最も活発に動いているのが保安庁―軍な
のだということは分かりました。さらに、保安庁がタイラノフの事業に非常に強い関心を持っていることに気づき
ました。
これは驚きでした。彼らは、タイラノフ財閥の解体を計画していたはずではなかったのか――ここに来て、もしか
して我らが当初予測していた事態と少し状況は違うのではないかと疑い始めたのです。

そんな頃でした。私が、ある人物から呼び出しを受けたのは。

私は、その人物を知っておりました。
ルーリック様の秘書として長く務めていなければ分からなかったかもしれませんが、私にはすぐに分かりました。

その者とは――ゴリュシコワ元陸軍大将。そうです、貴方が軍人であった頃、陸軍において権勢を誇っていた
あの方です。





「ルーリックは、元気か?」
「ええ。私が知っていた限りでは、ですが。ゴリュシコワ元陸軍大将」
「私を知っているとは……さすがはルーリックの秘書をやっているだけある」
「――現在保安庁におられるとは、知りませんでした」
「私はもう50だ。新しいポストに移っても良い頃だろう」


正直なところ、私はこの人物のことを詳しくは知りませんでした。
貴方の元上司で、かつて貴方が軍部にいらっしゃった時、会長が貴方の軍部での階級を上げようと画策な
さった時に反対をした者であり、貴方が退役された後も何度か貴方に連絡してこられた方――私が知ってい
たのはこれ位でした。
ですから、この人物が私を呼び出した訳は、私から直接、貴方の動向と、今後どう動くつもりなのかを探りた
いのだろうと思っていたのです。ところが。

「ルーリックは、まるで氷のナイフのようだな。だが、氷は、熱すれば溶ける。熱くしてやれば、な」

唐突にそう言って、彼は笑みを浮かべたのです。それは――ぞっとするような表情でした。
私は内心驚きました。この男はルーリック様を憎んでいるのかと考えました。まるで獲物を狙うような、そんな目
の光に、私は異質な何かを感じたのです。

「――貴方は、何をお望みなのですか」
「ルーリックだ」
「ルーリック様から、何を望んでおられるのです」
「何を、だと?ルーリックがここに来ればいい。それで、全ては解決する」
「……全て、ですか。ルーリック様と直接話をすれば、それでタイラノフ財閥の問題は片付くと、そういう意味で
しょうか」
「ふ……タイラノフ財閥は、終わりだ。もう手立てはない」
「それでは、何が解決するというのでしょう」
「ルーリックの態度次第だ」
「……失礼ですが、それでは私には上手く話をタイラノフに……ルーリック様に持っていく自信がございません。
もう少し、具体的にお話しいただけませんか」
「ルーリックが俺の言うことさえ聞けば、お前たちの命は助けてやろう」

私は困惑しました。
これでは、今回の事件を取り仕切っているのはこの方であり、この方の意志でどうとでもなるということになりま
す。政府ではなく、保安庁こそが主導して我らの駆逐を狙っていたとでもいうのでしょうか。
確かに保安庁と軍が協力し合えば強力です。ですが、現実問題として彼らはここまで、ルーリック様、貴方を
全く捕まえられずにいるではありませんか。
彼らは叔父上を得ました。起訴したことで、恐らくタイラノフの天然資源関連の会社は接収されてしまうでしょ
う。ですが、それは彼らの目的の第一歩に過ぎないでしょう。それなのに、何故ここまでの自信を持てるのか。
そして、この男は一体何をしようとしているのか――私は、探る必要性を感じました。

「――申し訳ありませんが、ルーリック様をそう簡単にお渡しする訳にはいきませんよ」
「ふん……ルーリックは軍の者を何人か、拉致したようだな。だが、あいつにできることはもうそう多くはないだろ
う。色々と手は打っておいたからな。何をしようと、タイラノフ財閥の行く末は八方ふさがり。――ルーリックは出
てこざるを得ないだろう」
「――ルーリック様は、貴方も恐らくはご存じの通り、軍人としては天性の才能をお持ちでした。そして、タイラ
ノフも全てが機能不全に陥っている訳ではございません。このままでは、どちらにもさらに犠牲が出てしまうので
はありませんか?事を穏やかに解決するためには、お互い多少なりとも譲歩することが一番の近道だと思いま
すが、いかがでしょうか」
「は……さすがはタイラノフだな。相変わらず、傲慢だ。だが、犠牲を減らしたいのならば尚のこと、ルーリックが
出てくれば一番早い。それで、お前たちの命を助けてやろうと言っているのだ。これ以上の譲歩はないだろう」
「申し訳ありませんが、ルーリック様がここに来なくとも我らが生き延びる道は他にもございます。そして、このま
まではルーリック様が出てくることはないでしょう。私を餌におびき出そうとしても、タイラノフはそこまで甘くはござ
いませんよ。何しろ――他にも一族の者は大勢おりますから」
「そうだな。だが私の命令1つで動く者程には多くはないだろう。国内国外問わずだ」

この男はあくまで冷静さを表面的には保っておりました。ですが、内心では怒りを、そして苛立ちを抱えている
のだと私は感じました。それと同時に、私は突然、ふと気がついたのです。

「……これは私のちょっとした思いつきに過ぎないのですが……もしかして、貴方の目的はタイラノフ財閥では
なく、ルーリック様個人なのではありませんか……?」

男は答えませんでした。その代わりに、小さく笑いました。
それで、分かりました。
当初からなのかは不明ですが、ともあれ我らのことで現在最も大きな力を持っているのはこのゴリュシコワ元陸
軍大将であると。そして保安庁や軍部の目的はともかく、この男の一番の目的は――ルーリック様、貴方自
身なのだと。




ルーリック様、私は幼き頃よりタイラノフ本家をお支えする立場にある者の1人として育てられてきました。私が
貴方にお仕えするようになったのは貴方が13歳、私が18歳の時です。あの時から、私は微力ながら貴方を
支え、お助けするために生きてきました。
ですがそれは、厳密に言えば貴方にお仕えしているのではなく、タイラノフ一族への奉仕でした。
タイラノフ本家の中の特定の誰かではなく、タイラノフ全体の利益のために生きよ――それがタイラノフの傍系
の一族である私たちの務めであると教えられてきたのです。

私が貴方の秘書として長年仕えてきたことは事実ですが、貴方への特別な共感や愛情は求められておりま
せんでした。
私が貴方個人のために貴方を守るべく付けられた者ではないことは、タイラノフにおいては自明のことであり、
それは私も、そして貴方も充分に理解しておりました。我らは共にタイラノフにおける自身を立場を分かってお
りました。





「分かりました。……それでは、ゴリュシコワ元陸軍大将。あくまで参考意見として、1つお聞かせ下さい。タイ
ラノフがルーリック様をお渡しする確約をすることと、ルーリック様を最後までお守りするのでは、タイラノフ財閥
に対する風当たりは変わりましょうか」
「……ほう。第一秘書の身でありながら、そんなことを聞くとは」
「あくまで参考意見ですよ。……タイラノフ財閥があってこそ、私はルーリック様の秘書でいられるのですから」
「く……確かにそうだろう。だが――騙されはせん。タイラノフ一族は、結束が固いことで有名だ。良くも悪くも、
な」
「無論、私はルーリック様とは従兄弟でもあります。長年仕えてきた、まして親族をそう容易く売る人間である
などとは誤解なさらないで下さい。ですが……ゴリュシコワ元陸軍大将、どうか1つだけご理解下さい。ことはタ
イラノフ全体の存亡がかかっているのだということを。私だって、こんなことを言いたくはありません。ですが……
生憎、感傷だけでは我が一族は救えません。結束の固い一族だからこそ、少しでも多くの者が救われるため
にあらゆる可能性を考える――これは、裏切りでしょうか……?……私にとってタイラノフ一族とは、ルーリッ
ク様おひとりではないのです。それに……」

彼は、軍人特有の非常に鋭い視線で私をじっと見つめていました。その表情には隠しきれないある種の残忍
さが潜んでいました。

「恐れながら、どうぞお察し下さい。……私は、拘束されることを予期しておりました。自ら貴方がたの元に来
たのです。それは何故か――私が生粋のタイラノフ一族の者であるということは、即ち私の家族全ての命運
がタイラノフのそれと関わっているということなのです。それは……秘書としての務めを果たしているだけでは、
到底救えるものではありません。……タイラノフの特定の誰かではなく、より多くの者が生き延びてこそ、タイラ
ノフの活路も開けるのです」

私は固い決意を表すために真っ直ぐに男を見つめ、そうしてその後、自身の良心に恥じるために少し視線を
落しました。
私の言葉には、そう感じるだけの内容が含まれていると充分に理解しておりましたから。

長い沈黙でした。ですが、やがて彼は口を開きました。

「……かつて、ロマノフ王朝下でロシア革命が起きた時、タイラノフは貴族であり、大地主であったにもかかわ
らず、軍人を多く輩出していたことから民衆や軍とともに反旗を翻し、王朝崩壊を手助けしたそうだな。その後
も軍とソヴィエトが対立した際には軍の側にたち、一時は蜂起したもののその制裁として送られた前線を生き
延び、その後急激に政府に接近した。ソ連邦時代は国営企業の経営と軍人の輩出で力を付け、連邦崩
壊前後には、いつの間にか政府とは距離を置いていたために、また、生き延びた。……こうしてみると、タイラ
ノフは常に力のある者におもねっている。変わり身の早さは天才的だ。どうにも信用ならん。だが……確かに、
そうだ。大事のために小事を切り捨てることは組織においては鉄則。だからこそ、お前の言うことに一理あること
は認めよう」
「……恐れ入ります」


これこそが、タイラノフの一員としてのあるべき姿ではないでしょうか。
非情な決断かもしれませんが、大きな組織を守るために小さな犠牲を払うことは、彼の言う通り、決して珍し
い話ではありません。 ことはそれだけ重大なのですから。

そういう意味で、私の言い分も、そして変わり身の早さも、さして奇異には映らなかったでしょう。
何故なら、私は敵の内に見つけたのですから。
タイラノフの崩壊よりも、たった1人の人間に重きを置いていた者がいることを。その1人を得るためであれば、代
償としてタイラノフ一族が活路を見出すべく何らかの手助けをしてくれる可能性がある者を。

そうであれば、私のような立場にある者が、タイラノフ一族全体を守るためにルーリック様を裏切るという決断を
することも、あり得ない話ではないのではないでしょうか。

ですから、今回私自らが貴方がたを説得し、ルーリック様に交渉の場に出てきていただく――この案を持ちか
けたのは私です。これは、決してルーリック様の身の安全を第一に考える者にはできない真似でしょう。
だからこそ、私は敢えてこの話を直接ゴリュシコワ元陸軍大将に持ちかけ、そうしてマサオミ殿を通じてまとめ上
げることにしたのです。

これにより私は彼から一定の信頼を得ました。

マサオミ殿が交渉の場を早急に設けるべく強気に出てこられたことは全くの予想外でしたが、それもまた、貴方
がたの側にも何かご事情とお考えがあってのことでしょう。私にとっては少々厄介ではございましたが、それによっ
て私の進むべき道が変わることはありません。
あとは、その性急さがルーリック様、貴方が私の身を案じてのことではないことを願うばかりです。





ルーリック様、貴方は私を冷笑なさるかもしれませんね。
思慮に欠けた愚かな策と、己の立場を弁えぬ者の考えることと思われるかもしれません。
ですが――私は彼らの手の中に落ちる時から、覚悟を決めておりました。今の私は、既に亡き者も同然なの
です。
私にできることは限られております。そして、その成功率も決して高いものではありません。
彼らがそんなに甘くないことは、私もよく承知しておりますから。
さりとて、何もしないでおけましょうか。ただ、貴方がたの足手まといになるのを、いずれは人質として利用され
る恐れがあるというのに、黙っていられましょうか。それでは、私の存在意義はどこにあるというのでしょう。


私がタイラノフ一族のあるべき姿を演じるなど、いとも容易いことです。
ですが、申し訳ありません。それを己の血とし肉とするには――ルーリック様、私は貴方と共に長くいすぎたよ
うです。












TO THE EPISODE 35



一切ノ無断転写・転載ヲ禁ズ
Copyright(c) Hydri and its licensors. All rights reserved since 2005.

inserted by FC2 system