EPISODE 4 :


「う……ん〜……背中いてぇ……」
マサオミは視線をノートPCのディスプレイから外すと、思い切り伸びをした。

外はいい天気だ。明るい、むしろ強い位のカリフォルニアの太陽光線が容赦なく部屋の中に降り注いでいる。
海に行ったら気持ちいいだろうなあと思いを外に馳せつつも、マサオミにはやることが色々とあった。トモモリ周辺
の細々とした日常生活のフォローもだが、今の自分にはトモモリから投資してもらった10万ドルを増やすという
使命がある。
トモモリは案外と気楽にこのお金を出してくれたが、だからといって自分も適当に考える訳にはいかない。何し
ろこれはトモモリへの恩返しでもあるし、何とか役に立ちたいというマサオミの男としての意地でもあるのだ。この
まま、ただ暢気にトモモリの世話をしているだけでは、人の好意に甘えているだけのようで、嫌だ。
少なくとも自分の居場所位は確保したい――そういう思いもあった。

幸い、株取引の方は今のところまあまあだ。最初こそつまづいたが大きな損ではなかったし、小額とはいえ読
みが当たったものもあったから現状としては僅かだが利益が出ている。元々綿密なことに向いている訳ではな
いが、といって一度やるからにはきちんとやり遂げたい。負けず嫌いだが、見切りをつけるのも早いから、案外
株みたいなのは向いているのかもしれない、と思わないでもない。

「待ってろよ、トモモリ。驚かせてやるから」
マサオミは決意も新たにマグカップのコーヒーを一口飲むと、再びディスプレイに向かう。

そこへ、マサオミを呼ぶ声が聞こえた。トモモリだ。
トモモリは朝食を終えたあと自分の仕事部屋に居たはずだから、何か頼みごとがあるのかもしれない。といって
も、たまにそんな下らないことで呼ぶのか?と呆れてしまう時もあるが。

「ああ。今行く」

とりあえずPCの電源を切ると、自分の部屋を出た。
すると、トモモリはリビングのソファにダラッと座っている。不愉快そうに外の晴天を眺めながら。

トモモリの容貌は独特だ。殆ど銀髪に近いプラチナブロンドに紫色の瞳。透けるような白い肌。病弱なのかと
思いきや、意外と身体は鍛えられている。着痩せするタイプなのか、一見痩せているが、ふとした拍子に腕な
ど触ってみると筋肉で硬い。
強くて、しなやか――正にそういう言葉がぴったりだ。だが、それでいてどこか儚い気がするのは何故だろう。
トモモリの自暴自棄な性格が、そんな風情を醸し出しているのか――

「何だ、急用か?まだ昼食には早いぜ」
『いや……急用でもないし、食事がしたい訳でもないな……』

トモモリの目線は相変わらず窓の外に向けられたままだ。
何だかよく分からないが、とりあえずトモモリの向かい側のソファに座る。

「俺に、何か話でもあるのか?」

トモモリは暫く無言だった。といって、その横顔に緊張感はない。話し辛くて黙っているという訳でもなさそうだ。
まあ、トモモリに限ってそんなことはないだろうとは思うが。

『お前は、今後どうしたいのか、と思って……な』

トモモリの口調は相変わらずのんびりとしている。そこには問い詰めるような気配は微塵もない。だけど、そんな
ことを聞かれたのはここに来て初めてだった。

「……もしかして、何か事情が変わったのか?――俺は、出て行けと言われればすぐに出て行くぜ。元々お
前の好意だけでここに居るんだ。お前の会社の社員でもないし、何かの繋がりがある訳でもない。だから別に
気にしなくていいぜ」
『まあ……少し事情は、変わるかもしれないな。だが、別にそういう意味じゃないぜ、マサオミ』
「?じゃあ、どういう意味だよ?」
『ここに来て、そろそろ1ヶ月、だな。どうだ?住み心地は』
「???ああ。それはなかなかいい感じだぜ。お前にも段々慣れてきたし」
『クッ……それは光栄だ、兄上』
「だから、俺はお前の兄貴じゃないっつうの」
『そう呼ばれるのは、嫌か?』
「まあ、絶対嫌だ、とまでは言わねえけど……何か複雑だぜ」
『――兄上。俺の父上がな……危篤だそうだ』
「……は?……て、お前、そんな暢気にしてていいのか?!ああ……全く、そういうことなら早く言ってくれよ!
さっさとロシアに帰れよっ!!!飛行機の手配は?!してんのか?!」
『いや……つい今しがた、電話で聞いたばかりだから、な』
「じゃあ、早く動けよ!あー、待て、何なら俺が今すぐ手配する!電話番号は?!」
『さて……間に合うか……』
「何言ってんだ!そんなことは飛行機に乗ってからゆっくり考えろ!」

――ああ……こういう時はこいつののんびり口調にはイライラさせられる!
マサオミはさっさと立ち上がると、トモモリの仕事部屋の机の上からビジネス用とプライベート用の分厚いアドレ
ス帳を持ってきた。

「どこの航空会社でもいいか?時間とか、何か希望あるかっ?ファーストクラスでいいんだろ?!航空会社は、
ビジネス用に載ってるのか?」

俺はトモモリの傍に立ってまくし立てた。だが、トモモリは無言のまま、相変わらずダラリと座って外を眺めていた。

――もしかして……表情からは分からないが、ショックを受けているのか?
俺はふと思い当たった。考えてみれば当然だ。自分の父親が危篤なんて、いくら普段他人に冷淡なトモモリ
だって、自分の肉親ともなれば話は別に決まっている。

俺はトモモリの隣りに座った。

「トモモリ……」
『――父上とは、年に数回しか顔を合わせない。俺は、1年のうち半分は外国にいるからな。それに、父上は
忙しい。知らないと思うが……タイラノフは、これでもロシアでは結構手広く事業をしているんだ。だから……
普段滅多に会うことはない。特に俺は、会社に入る前は、軍に居たからな。ずっと、実家からは離れて暮らし
ていた……』

トモモリがこんなに話すことは滅多にない。自分のことを話すのは、それに輪をかけて珍しかった。
トモモリは戸惑っているのかもしれないと思った。普段滅多に会う機会のない父親――すれ違いが多くて、あ
まり愛情を感じたりしていなかったのかもしれない。それが、いざ危篤となると自分の気持ちは揺れ動く。そん
な状態に、トモモリ自身が困惑しているのかもしれない。

無意識の内に、俺はトモモリの身体に両腕を回していた。

「トモモリ……とにかく、今は一刻も早く親父さんのところに行った方がいいんじゃないか?たった1人の父親だ
ろ?きっと、間に合う。いや、それどころかお前が顔を見せたら、親父さん元気になるかもしれないぜ?」

トモモリは、俺の腕の中で暫く黙っていた。心の整理をつけているのかもしれないと思って、俺も無言でそうして
いた。俺はトモモリの兄貴では当然ないし――第一俺の方が年下だし――、別に親友という訳でもないけれ
ど、こうしていると、何故か自分に親愛のような情が生まれ始めていることに気づく。

――思えばおかしな運命だよなあ、これって。俺はトモモリの何でもないのに、ましてこいつと違って、トモモリが
自分の大切な誰かに似ている訳でもないのに、何故か今居るポジションが心地いい。しっくりいくような気がす
る。そこには何の根拠もないんだけどな……

そんなことを考えていて、ふとトモモリの掌が自分の頬を触ってきた。少し冷たい指先に、意識が戻される。そ
の手は、すぐにするりと俺の首に回された。元々トモモリはスキンシップの好きな奴だから、顔を触られても、首
に腕を回されても、別に珍しくはない。トモモリが触ってくる時、いつもならそこには甘え半分からかい半分という
感じがある。
でも、今のこれはいつもとは少し違う気がする。雰囲気が違うような……?

「トモモリ……?」

そう呟いたものの、次の句を継ぐ前に視界がさえぎられた。気づいたら、ひんやりとした唇が合わさっていた。

――な、何だ……???

一瞬、何が起こったのか分からなかった。だけれど、その後すぐに気づいた。
これは、キスだ。
いくらスキンシップの好きな奴といっても、唇にキスされたことはこれまで一度もない。確かに首筋や髪の毛には
あったけど、唇同士なんてない。

――これは、いつもの延長線上か?俺は冷静にこうしてた方がいいのか?や、おかしいだろ、いくらなんでも!
それともロシア人は男同士でもキスするのか?!

驚きすぎて、頭の中がこんがらがって、考えが纏まらなくて、だから逆にぼーっとなってしまった。

トモモリの唇は心地好く俺の唇を啄ばみ、やがて生ぬるいものが口膣内に侵入してくる。

――何だよ、これ……ていうかトモモリ、お前舌まで入れてくんのか?!さすがの俺も、これは国民性の問題
じゃないっていいかげん気づくぞ?!

頭のどこかでは冷静に突っ込みなんて入れているが、その実少しパニクってた。
それでもトモモリを突き飛ばせない。絶対に悟られてはまずいけど、今トモモリの親父さんは危篤だ。トモモリは
今テンションが下がってるんだ。だから、冷たく突き放すのもどうかと思ってしまう。
でも、もしかしたらそんなことじゃなく――

「ん……っ……」

――やばい……

トモモリの舌が絡み付いてくる。互いのザラザラとした感触を確かめ、味わうように時には先端で、時には全体
で舐めつくされる。

――やばいって、トモモリ……

トモモリの腕の力に抗えない。本当なら、いつもの自分なら、抗うことなんて簡単だ。でも今は、認めたくないけ
ど身体の力が入らない。抵抗するには、心地良過ぎる――

あと少し、こんな状態のままだったら、もしかしたら取り返しのつかないところまでいっていたかもしれない。だって、
本当に俺は腑抜けにされそうになってたから。

だから、トモモリのもう一方の手が自分のあらぬところに伸びてきたのは、不幸中の幸いだった。
そのお陰で俺はハッと我に返ったんだから。

「!……って、おい!い、いいかげんにしろって!」

漸く現状に気付いた俺はトモモリの胸の辺りを突き飛ばすと、その腕から逃れた。

『……そうか?クッ……不快そうには、見えなかったが……?』
「!な、トモモリっ……!」

トモモリは全く悪びれた様子もない。舌なめずりでもしそうな、妖艶な笑みさえ浮かべている。

――顔が熱い。しかも心臓の鼓動も速くなってる。でも、俺は怒ってるんだ。流されてたまるか!!

『ところで、航空券は……取ってもらおう。ただし、2枚だ』
「え?」

そんな俺の様子など無視して、トモモリはあっさりといつもの冷静な姿に戻った。

『いい機会だ。父上も、お前を見れば喜ぶだろう』
「それって……もう1枚は俺の分ってことか?」
『他に誰がいる?』
「……。悪い、根本的なこと訊いていいか」
『何だ』
「俺は、お前の”兄上”に似てるんだよな?」
『今更……』
「でも俺は、本当はお前の”兄上”とは別人だよな?」
『もうボケたのか?マサオミ』
「じゃねえって!だから、偽者の俺じゃなくて、兄貴が居ればいいんじゃないのかよ?」
『――ああ……そういえば、言っていなかったか?俺の本当の”兄上”は、2年前に死んだ、と』
「……っ!」

――そうか。思えば、本当の自分の兄貴がどこかで生きているのなら、例え滅多に会えなかったとしても、どん
なに敬愛していたとしても、トモモリがこんなに自分に執着する訳がないじゃないか。何で今まで気がつかなかっ
たのか。親父さんが今危篤だっていうのに、トモモリに余計なことまで訊いて……。

そんなことを考えていたら、続いて声が聞こえてきた。

『タイミングが、良かったな。丁度お前のパスポートが昨日届いたところだ。俺も……クッ……手回しがいい。
本当ならば、旅行にでも行こうかと思っていたが……仕方がない。全て安心して俺に任せろ、マサオミ。これは
……お前にしか出来ない仕事だからな』
「はぁ?だから、どんな手まわ……っ」

トモモリの手が自分の方に伸びてきて、思わず身体を引いてしまう。

『クッ……警戒されたか。……何もしないさ、マサオミ。お前が一緒に来てくれるのなら、な』

トモモリのからかうような顔に、呆れながらも心のどこかで安心していた。
トモモリがあまり落ち込んでいないように見えたからだ。兄貴のことがあって、で、親父さんのことがあって、きっと、
心の中ではトモモリだって傷ついているはずだ。

でも、俺には何も出来ない。トモモリだって、俺に同情される事なんてきっと望んでない。

「ああ、ああ、分かったよ。行けばいいんだろ!覚悟しろよ、トモモリ!ロシアでもお前を毎朝きっちりたたき起
こしてやるから!」
『怖いな、兄上……ククッ……』

ならばせめて、お前に元気を分けてやる。俺に出来るのはそれ位だ。お前が落ち込まないように。
自暴自棄にならないように――

マサオミはトモモリのおでこをパチンと指で弾いた。

『……頭は大丈夫か?マサオミ』

トモモリの顔が一瞬呆気にとられ、それから怪訝そうな顔になる。そんな姿に、笑った。

こいつの気を紛らせようと思っただけなんだけど……別に、俺が笑う為にやった訳じゃねえんだけど……結局俺
も、こいつから元気をもらってるのかもしれない。





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