EPISODE 6 :


何だかんだとすべきことがあって、タイラノフの本宅から市内の中心にあるトモモリのアパートに戻った時、既に
夜の10時をまわっていた。
明日は、3日前に亡くなった親父さんの葬儀がある。親父さんは一家の大黒柱なだけじゃなく、政界にとって
も実業界にとっても、大きい存在だった。当然、葬儀といってもこじんまりとしたものではなく、内外の大物を呼
ぶ一大イベントになる。それをたった3日で全て準備するのは大変なことだった。
それに、タイラノフ財閥の各企業への対応もある。即断しなければいけないような重大案件になると、喪に服
しているからなどといって先延ばしにはできない。だから、親父さんが亡くなってからのタイラノフの一族は、悲し
む間もなく今日まで忙しくしてきた。
その葬儀は、いよいよ明日だ。やるべきことは全てやった。後は明日という日を迎えるだけ――

トモモリと俺は2日ぶりにトモモリのアパートに帰り、今夜はゆっくりすることにした。



マサオミがシャワーを浴びて出てくると、浴びる前にはソファに座ってワインを飲んでいたはずのトモモリが居ない。
ここのアパートはユニットバス式だ。自分がバスを使っていて誰も居なかったのだから、トイレという訳でもない。
では、もう自分の部屋に入って眠ってしまったのかとも思うが、時刻は未だ11時前だ。宵っ張りのトモモリが眠
るような時間ではなかった。

――とは言っても、今日は慌しかったから、疲れたのかもな……。

そう思ってリビングを抜け、トモモリの部屋に通じる廊下に出てみる。すると、トモモリの部屋のドアが中途半端
に開いていた。トモモリが部屋に居ても居なくても、普段あのドアはきちんと閉まっている。
俺は何となく、その状態が気になって、トモモリの部屋に近づいた。

手前に開いたドアの表側の前辺りまで来ると、丁度トモモリの声が聞こえてくる。その声で、俺は急に我に返っ
た。

――待てって、俺。これじゃあ、思い切り盗み聞きじゃねえか!

一瞬耳を澄ませてしまった自分を恥じたマサオミは、そう思い直して来た道を戻ろうとしたその時――トモモリ
の声が再び聞こえて立ち止まった。正確にいうと、声ではなく、その言葉に反応した。

『そうだ。名義は、マサオミ・アリカワだ』

――俺の名前?今、マサオミ・アリカワって言ったか?確かにそう聞こえたよな?

トモモリは英語で話している。ということは相手はロシア人ではない。勿論トモモリは、アメリカではアメリカ人も
雇っていたから、英語で話しても不思議ではない。だけど、ロシアに来てから、トモモリが自分以外の人間と英
語で話すことは対面でも電話でも一度もなかった。

『――どうせ、一時しのぎだ。入れられるだけ入れておけ。あれが、一番都合がいい』

――……一体、何の話なんだ。俺の居ないところで、俺の名前を出して……しかも、都合がいいって……
一体、何なんだよ?名義って何だよ?……まさか、俺の知らないところで俺の名前を勝手に使ってるのか?

マサオミはただ茫然と、そこに立っていた。そこに立っていることしか、できなかった。

『――……は?ああ、そうだな……見つかったら……クッ……逃げるさ』

自分も時々聞く、トモモリの少し馬鹿にしたような、余裕ありげないつもの笑い方――それはまるで、乱反射
する光のようにマサオミの頭に響いていた。話の内容がはっきり分かる訳ではない。聞こえてくるのはトモモリの
言葉だけだし、分かり易い説明も何もない。
だけど……

マサオミは、いつの間にかリビングに戻って、ソファにぼーっと座っていた。誰かが自分を運んできたはずもないの
だから、自分の足で戻ってきたに違いない。だけど、自分がいつ、どうやって戻ってきたのかも覚えていなかった。

マサオミの頭は、まるでありとあらゆる電源が切れてしまったかのように、何も考えられなかった。
いや、もしかしたら、あまり色んなことを一気に考えようとして、逆に何1つ整理できずにこんがらがっているのか
もしれない。それ位、マサオミはショックを受けていた。

確かに、マサオミはトモモリのことをよく知らない。トモモリがどんな仕事をしているのかも、自分と出会う前はど
んな風に暮らしていたのかも、今トモモリが何を求め、何をやろうとしているのかも、自分は何も分かっていない。
だけど、トモモリと暮らす内、トモモリは自分に気を許してくれているのだと思えることが、何度もあった。実際、
他人には冷淡なトモモリがまるで猫のように自分にくっついてきて、心地良さそうに目を閉じる時、確かに自分
はトモモリのことを理解していた。トモモリの心が見えていると思っていた。

――トモモリは、俺を裏切っているのか?利用しているだけなのか?

あんな話の断片を聞いただけで決め付けるなんて良くないと頭では分かっているのに、どうしても疑ってしまう。
トモモリは、ホントは俺になんか気を許していなかったんじゃないかと。もしかして、利用する為に、気を許して
いるフリをしていただけなんじゃないかと。



『マサオミ?シャワーは、済んだのか?』

トモモリの声にマサオミはハッとした。顔を上げると、トモモリがいつの間にかリビングに戻ってきていた。

「あ、ああ」
俺は平静を装おうとした。返事こそしたが、トモモリの目を見ることができなかった。

『……夜風にでも当たって、寒くなったか?顔色がよくないな……』

トモモリの、いつもと変わらぬ声。ゆっくりとしていて低くて、耳じゃなくて心に直接響いてくるような、不思議な力
を持つ声のトーン。

「いや、何でもねえよ。それより、俺、疲れたから寝るから」

今は、トモモリの声を聞いていたくない。トモモリと、普通に向き合って話すことなどできない。マサオミはトモモリ
の顔をチラリと見ただけですぐに俯くと、立ち上がった。

『――……おやすみ、マサオミ』

トモモリの横を通り過ぎてリビングを出ようとすると、トモモリの声が触れ合いそうになる肩先で聞こえた。

「……ああ、おやすみ」
答えた俺の声は掠れ、小さく消えていった。トモモリと目線を合わせないまま、俺はリビングを出た。

――トモモリ。俺はお前を信じたい。本当は、信じていたい。だけど……。

マサオミはベッドに潜り込んだ。とても、すぐには眠れそうになかった。





翌日は朝からバタバタとしていた。葬儀の当日とあって、アパートには朝からトモモリの会社の重役が出席者
の名簿を持ってきたり、いつもはお昼前にしか来ないお手伝いのメイドも早々に来て朝食の準備をしていた。
そのせいで、俺とトモモリは2人で話す機会もないまま用意をして葬儀に向かった。



式が始まる前の慌しい空気に包まれた大聖堂の中で、俺はトモモリの隣に、ただ立っていた。お前は、そこに
立っているだけでいい、と。そこに居るだけで十分だと昨日の内にトモモリに言われていたからだ。
傍らのトモモリは、相変わらずすました顔をしていた。少しだるそうにステンドグラスの窓を眺めたり、扉の方を見
つめていたりで、緊張感なんてまるで感じられない。

そんなトモモリを、俺はチラリと盗み見た。昨夜からの俺の様子に、トモモリが何かを感じ取っているかは分から
ない。元々トモモリはあまり表情を変えないのだ。感情的に何かを言ったりすることもないから、心の動きが分
かりにくいのは出会った時からだ。
だけど、今はそれだけじゃない。何しろ、トモモリの傍らには常に他の人間が居るのだ。トモモリも俺も、互いの
顔を見て話す機会などない。それに親父さんの葬儀は想像を超えた大規模なものだったから、トモモリの元に
は次から次へと色々な弔問客が挨拶に来る。俺のことになどかまけている暇はないのだ。

だけど、俺はそんな状況に内心ホッとしていた。2人きりで話す機会がない方が、気が楽だった。話し始めれ
ば、きっとまた、昨日立ち聞きしてしまった電話の内容のことを考えてしまう。そうなったら、一体どういうことなの
か確かめずにいられない。聞かなかったことになんて、できる訳がない。はっきりと自分の名前を聞いたのだ。気
にならない方がおかしい。
だけど、一方で思うのだ。もし確かめて、自分の恐れていた通りの答えだったらどうしようかと。
もし、トモモリが俺を単に利用しているだけなのだとしたら。俺のような、外国人でトモモリの会社の社員でもな
い男が単に必要なだけなのだとしたら――そう考えると、やっぱり聞くのは怖い。
そんな答えを、今は聞きたくない。



複雑な気持ちのまま迎えたトモモリの親父さんの葬儀ではあったけど、何故か、俺はそれをまるでタイラノフの
一員のような気持ちで見ていた。ただ1度、病室で会っただけの、自分にとっては全くの赤の他人のはずの人
間の葬儀なのに、だ。

――俺は、あの時何かを感じたのか?親父さんが、俺を見て何かを感じたように。

俺は未だに親父さんの力強く握ってきた手と、そして真っ直ぐに見つめる強い意志を持った瞳を、忘れられず
にいた。あの時、確かに親父さんは俺に何か言おうとしていた。それが例え、彼の息子、シゲモリと混同しての
ことであったとしても、俺に何かを訴えかけていた。それが分からないままに亡くなってしまったことで、俺は却って
あの僅かな時間を、強烈に覚えていた。
タイラノフの会長で、財閥をここまで大きくした人で、そして、トモモリの父親――葬儀はそんな彼の栄光の象
徴のように厳かで、壮麗で、まるで国賓が喪に服したように大々的なものだった。ロシア正教の儀式のような
ものに始まって、まるで国の一大政治家を讃えるかのように、ロシアの大物が次々と弔意を述べていく。今更
ながら、タイラノフ財閥がロシアでいかに大きい存在なのかを知るような思いがした。

そんな様子に、俺は感心しながらも漠然と別のことを考え始めていた。

――もしトモモリが俺を利用していたとしても……そう、それも仕方のないことなんだろうかと。

何しろ俺とトモモリでは立場が違いすぎる。いくらトモモリが普段のんびりとしていて、万事我関せず、といった
顔をしているといっても、彼はタイラノフ財閥の御曹司だ。ロシアという大国の、一大企業の代表者なのだ。
自分のような何も持っていない、風来坊のようなただの家出人とは訳が違う。タイラノフの発展の為に、自分
の会社の為に、彼には利益を考える権利があるし、義務もあるのだ。そう考えてみると、トモモリだって、俺か
ら何かを得る権利があると思えた。俺を拾って、曲がりなりにも給料を与え、家に住まわせて、おまけに見込み
があるかどうかも分からない投資までしてくれているのだ。少しくらい利用したからといって、何が悪い?と言わ
れたら、俺には返せる言葉なんてないだろう。あれだけしてやったんだから、と言われれば、確かにその通りだと
頷くしかない。だけど――

――確かに、返す言葉なんてない。それに、俺はお前に返しきれない位色々と世話になってる。立場が違うっ
てことも分かってる。だけど……これはそういう理屈だけで割り切れる問題じゃねえんだよ。俺は、悔しいんだ。
お前のこと、信じてたのに。お前も俺を信じてくれてると、そう思ってたのに……。

自分はトモモリを利用しようと思って傍に居る訳じゃない。世話になった恩を返すことは当然だと思っているが、
トモモリの傍に居ることに対する権利だとか義務だとか、そんなのはどうでもいいし、財閥だとかお金だとか、そ
んなことに何の興味もないのだ。

――俺はただ、お前っていう人間にどこか惹かれてた。でなきゃ――そう、あの時車になど乗りはしなかった。
俺の問いに真っ直ぐと俺を見返してきたお前を、俺は心のどこかで認めていた。同じ男として、こいつはきっと
口先だけではない、と。そして、俺は、今の自分では完全にこいつには敵わないのだと、悟っていた。
俺は、お前に認められたかった。1人前の男として対等に立ち、見返してやりたかった。それはある種の対抗心
もあったかもしれないが、逆に信頼の裏返しでもあった。国籍が違っても、立場が違っても、俺達は分かり合
えるんじゃないかって、勝手にそう思い込んでいたのだ。

そう気づいてみれば、自分がトモモリに兄上と言われることを半分は否定し、半分は肯定していた意味が分
かる。
俺は、トモモリが自分を1人の男としてちゃんと見てくれてないんじゃないかと思うと、悔しかった。そして一方で
は、俺を信用してくれているんじゃないかと、例え言葉の上でも自分の存在を認めてくれているんじゃないかと
思うと、兄上と呼ばれることが、嬉しかったのだ。


それが、そんな気持ちが、今揺らいでいる。

トモモリとのいい関係を壊したくないと思いつつも、トモモリへの信頼が揺らいでいる。裏切りの言葉を聞きたく
ないと思いつつも、問い詰めて、もし本当に裏切っているなら殴ってやりたいような、そんな気持ちになっている。

それなのに、トモモリはすぐ手の届く所にこうして居るのに、俺はトモモリの目に映っていない。
トモモリは、自分の父親の葬儀と、この葬儀という一大イベントにおけるタイラノフの一員としての立場に意識
をおいていて、俺のことなど何も気にしちゃいない。

それは当たり前のことなのに、自分がトモモリの立場に居ればそうすることが当然なのに、俺は心のどこかで無
茶なことを考えていた。

トモモリが今すぐこちらを振り向いて、俺に言葉を投げかけてくることを。
俺の様子がいつもとは違うと気づいてくれることを。

――ああ……何て、女々しいこと考えてんだよ、俺は。

そんな自分に、呆れた。
まるで子供が親の気を引きたくて駄々をこねてるような、そんな馬鹿馬鹿しい感情だ。

そうして、ふと気づいた。俺は、いつの間にトモモリに色々な事を期待していたんだろう、と――

結局俺たちの間には、順番を間違った理解だとか信頼だとかが少しばかりあるだけだったのだ。





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