EPISODE 7 :


マサオミの様子がおかしい。

トモモリは、父の葬儀の前夜からマサオミの様子がいつもと違うことに気づいていた。普段はあっけらかんとして
いるはずの男が、珍しく物思いに耽ったように難しい顔をして、自分が声をかけようとすると何やら落ち着かな
くなる。返事はするものの、あまり目を合わせようとしない。

――俺は、何かしたか……?
そんな疑問を持つ。だが、当初トモモリはあまり深くそのことを考えなかった。父の葬儀の前後は忙しかったし、
何よりマサオミの不機嫌など、一時的なものだろうと思った。葬儀が終わって状況が落ち着けば、マサオミと話
をする機会などいくらでもある。さほど気にすることでもないだろうと思っていた。


だが、葬儀が終わっても状況は落ち着かなかった。すぐにまた別の問題が持ち上がった。トモモリ達がアメリカ
に戻る戻らないで、タイラノフ内の意見が分かれたのだ。父上が亡くなったばかりなのだから、ロシア国内にお
いてタイラノフは健在、ということを見せる為にも息子たちには暫くここに居て欲しい、というのが母の願いだった。
だが、そういう財閥の事情はともかく、母が心細くなっているのだということはトモモリにも分かる。
そうでなくとも、タイラノフを取り巻く現状はあまり良くない。シゲモリ兄上と父上が相次いでなくなったことで、内
部もぐらついているし、外部からも今が好機とばかりにプレッシャーをかけてくる。母の不安が増大するのも無
理はない。
それにマサオミのこともあった。タイラノフにとって、シゲモリ兄上と瓜2つのマサオミは、その存在自体に意味があ
る。ただそこに居るだけで人々は兄上が帰ってきたような錯覚に陥り、励まされる。おまけに、父上がマサオミの
手を掴んで一時的に覚醒したことは、既にタイラノフで有名になっていた。本当に兄上の再来なんじゃないか
と期待する者も多い。
そんな状態だから、暫く留まるようにとの声は日増しに強くなっていた。

それでも、トモモリはすぐにアメリカに戻ると決めていた。そうすべき理由があった。だが、それはまだ安易に口外
できる段階にはない――



『――マサオミ』
「……何だよ」
マサオミは一瞬ドキッとしたような顔をし、それからこちらを見る。まるで自分を警戒するような、強い視線。だ
が、今マサオミと言い合いをしている暇はない。

『――2日後には、アメリカに戻る』
「……。だって、みんな反対してんじゃねえのかよ?」
『今日明日中に説得するさ』
「できんのかよ、そんなこと……」
『できなければ――そのまま帰るしか、ないだろうな』
「……そういう訳に行かねえだろ。お袋さんが泣くぜ?」
『そうならないよう、一応努力はしてみるがな。……ダメなら、仕方がないさ』
「……俺が言うのもなんだけど、そんなに急いでアメリカに戻る必要ないんじゃねえのか?」
『……クッ……お前がロシアを気に入ってくれるのは、嬉しいがな……』
「そういう意味じゃねえよっ……。……もう、いい」
マサオミはムッとして、部屋を出て行ってしまう。

――何がそんなに、気に入らないというんだ……何を怒っている?
マサオミは何も知らない。そして、そう干渉してくる性質でもない。だが今の彼には、それが通用しなかった。

トモモリは一瞬その背中を追おうとして、そしてタイミング悪く携帯の着信音を聞く。トモモリは軽く舌打ちすると、
再びソファに腰かけて携帯をジャケットのポケットから取り出した。

『――何だ』
「ルーリック様、たった今”白”の動向に関して報告が入りました。そちらへ行きましょうか」
『ああ……』
トモモリは返事をしかけて、ふとマサオミの部屋に通じる廊下に目を向ける。マサオミはロシア語は殆ど理解し
ないが、場の空気には案外敏感だ。だから今までも極力仕事に関する話はマサオミの前でしてこなかったし、
これからもそうするつもりだった。
お前までタイラノフの運命に巻き込まれる必要はない――そう思っていた。

『――いや……車内の方が、都合がいい。今から車で出る』
「分かりました。本社の地下駐車場でお待ちしています」

マサオミのことも気にはなるが、今はあの男だけにかまけてはいられない。急ぎアメリカに戻り、やるべきことをやっ
ておかなければ、大変なことになる。その為にも、ここでの時間は一分一秒でも無駄にはできなかった。

トモモリは余計な言い合いを避けるために、マサオミの部屋には寄らずに出て行った。



バタンというドアの音で、マサオミはトモモリが出て行ったことを知った。マサオミがリビングに出てみると、テーブル
の上に走り書きのメモが置いてある。そこには、トモモリの流れるような斜体の文字でただ一言、”2時間程で
戻る”とだけあった。

「何だよ……一声ぐらいかけていけよ」
確かに自分は話の途中で怒って部屋を出て行ったが、それとこれとは話が別だ。

――トモモリが黙って出てった位で冷たいじゃねえかと思うのは、ちょっと子供じみてるか……。

マサオミはそんな自分自身に呆れて、まるでそんな自分の子供っぽさを振り払うかのように少々乱暴にソファに
座る。背もたれに上半身を預け、天井を見上げながら現状を考えてみた。

トモモリに訊きたいことは沢山ある。
盗み聞きしてしまったあの話の真意だって問い質したいし、今タイラノフがどうなっているのかも気になった。そ
れに、トモモリが周囲の反対を押し切ってまでアメリカと戻ろうとする理由のこともある。あの電話の内容と、何
か関係があるのではないかとマサオミは想像していた。何しろあの電話は英語で話していたし、もしマサオミを
利用しようとしているのなら、当然それはアメリカにおいてのはず。となれば、電話の相手はアメリカに住む人間
のはずだ。
早々にアメリカに戻るのは、急いで自分の名前を使って何かをする必要がある、という意味じゃないのか――
すれ違う時間が多ければ多いほど、マサオミの猜疑心は否応なく広がってしまう。

――トモモリ。早く帰って来いよ。お前の本音が知りたい。もう、これ以上お前を疑いたくねえよ。

マサオミは、真実が知りたかった。否、トモモリの言葉で、トモモリの声で、自分の疑惑を否定して欲しかった。





――全く……こんなに遅くなるとは、な。

トモモリは送迎の車から降り立った。辺りはすっかり暗くなっている。2時間で戻るなどと書置きしてきたが、実
際には家を出てからもう5時間以上が経っていた。単なる報告を聞くだけのつもりが、対応策にまで追われた
せいだ。そのお陰で体力的には問題はなかったが、頭を使ったせいで疲れているし、おまけに空腹で眠かった。

――帰ったら、ウォッカにハムでもつまんで、すぐに眠るか。

トモモリは、いつもよりほんの少し急いだ足取りでアパートに入っていった。


「……遅かったな」

部屋に戻ってみると、マサオミがリビングのソファに座っていた。珍しくビールなど飲んでいる。既にある程度の酒
量が入っているのか、顔が少し赤い。そしてアルコールが進んだせいだろう。ここ数日、自分を警戒するような
目つきをしていたマサオミが、今は普通に見上げてくる。
だが、相変わらずあまり機嫌は良くないようだ。

『ああ……ロシアに居ると、面倒が多くてな……ロクなことがない』
「そんなこと言って……お前はいつも俺の言葉にちゃんと答えない」
マサオミはムッとして、目線を逸らしてしまった。

『……どうした、マサオミ?最近、お前は機嫌が悪いな』
「だから、それじゃあ答えになってねえよ」
『お前は、遅くなった理由が知りたいのか?それでお前の機嫌が直るとは、思えないがな……』
「っ……そういうことじゃねえだろ!俺はっ……」
『マサオミ――酔うのは構わないが、絡まれるのは御免だ。聞きたいことがあるのなら、明日にでも聞く』
「俺は酔ってなんかいねえよ!」

マサオミはソファから立ち上がると、今にも掴みかかってきそうな、闘争心にも似た激しい感情のこもった目で、
トモモリを睨みつけてきた。その全身から、激しい怒りのオーラでも発散されているかのようだ。
その姿に、トモモリはゾクッとした。その強さ――己の強い生命力を本能的に誇示するような、激しい光――
それこそ、トモモリが最もマサオミに対して惹かれるものだ。

『――美しいな、マサオミ』

それは、トモモリの本心だった。純粋に、美しいと思った。まるで、捕えられた檻の中でずっと眠っていた野性の
ライオンが、唐突に人間に向かって牙をむくような、そんな情景に、実際トモモリの興味は睡眠から目の前の
男に、急速に移っていった。

「な……っ、馬鹿にしてんのかよっ」
マサオミはトモモリの胸倉に掴みかかってくる。

『殴りたいか?俺を……?』
トモモリはマサオミを平然と、いや、恍惚とさえした表情で見つめた。自分が殴られるかどうかなどということには
殆ど関心がなかった。むしろ自分に向かってこようとするマサオミにこそ、好奇心が湧いていた。

「!……お前ってホントに……何でこっちが怒ってるってのに、そんな愉しそうなんだよっ……」
だが、マサオミは困惑したのか、それとも呆れたのか、胸倉を掴んでいた手を緩ませる。

『クッ……だから、言っただろう?美しい、と。そのお前が掴みかかってくるんだ。見ていて、愉しいじゃないか』
「はあ……もういい。訳分かんねえ」

マサオミは大袈裟な溜息をつくと、その手を離し、そっぽを向いてしまった。

熱くなったり、冷めたり、マサオミは忙しい。
マサオミは、トモモリのことを掴みどころがない、と言う。だが、トモモリにとってはマサオミこそが不可思議な存在
であった。

トモモリは背を向けてしまったマサオミの背後から腕を伸ばすと、がっちりとその身体に両腕を回して抱え込んだ。

「!うわっ!お前、何でこんな時だけやたら素早いんだよっ」
『――もう終りか?マサオミ。つまらないな……』
「だからっ……俺は、お前の退屈しのぎの為に怒ってんじゃねえんだ……」

マサオミはまだ、怒っている。掴みかかったところで自分には逆効果だと分かって、止めただけだ。

『何が不満なんだ?俺の口から、何を言わせたい?』

そこまで頑なに怒っているマサオミを見て、トモモリは漸く話を聞く気になった。そこまで拘っているのだから、マサ
オミにとって”その問題”は、一時の感情や些細なことではないのだろう。

「……っ」

だが、マサオミは言うのを躊躇っているのか、僅かに身体を動かしただけで、なかなか言い出さない。

『どうした……言いたいことが、あるのだろう?――言わないのなら、この時間を、別のことに使っても構わない
が……?』
トモモリはマサオミの耳元で囁くと、彼の腹筋を指で焦らすようになぞった。それだけでマサオミの身体はビクッと
した。

「わ、分かった!言うっ。言うから止めろって!」
『……クッ……俺は、言わなくても構わないというのに……』
「……ったく……油断も隙もねえ……」
マサオミはブツブツと言いながらも、腕の中から逃れようとはしない。だがそれは、別にトモモリに身を委ねてもい
いと思っている訳ではないだろう。ただ単に、後ろを向いたままの方が話し易いとか、その程度に思っているに
違いない。



そう、マサオミはいつもこうして自分の行為を受け流す。抱擁も愛撫も、冗談の延長線上だとしか思っていな
い。”お前ってホント、スキンシップが好きな奴だな”と、あっさりと笑って終わらせてしまうのだ。

――誰がスキンシップの好きな奴だって?
トモモリは笑いたくなる。

自分は別にスキンシップなど好きではない。勿論嫌いではないが、必要以上に誰かにまとわりつくなど、考えた
こともない。むしろ、どうでもいい奴にベタベタと馴れ馴れしく触ることも、触られることも、不快でしかなかった。
それをマサオミにするのは、それがマサオミだからだ。他の奴にそんなことをする必要はないし、する気もない。
それをマサオミは全く分かっていなかった。

父親が危篤だと、アメリカのコンドミニアムでマサオミに告白した時、マサオミは自分を抱きしめてきた。それは、
マサオミなりの慰め方なのだろう。そうでなくとも、アメリカ人は自分達と違って感情表現が豊かだ。だから、マサ
オミには何の意識もなかったに違いない。だが、これまでマサオミから自分に触れてきたことはなかった。それが
どんな時であれ、いつもトモモリからマサオミにちょっかいを出し、甘えてきた。
それをいつも軽くあしらうのは、マサオミだ。

――お前以外の、一体誰に俺が肌を寄せたいと思う?

マサオミの腕の中は心地が良かった。勿論父親の危篤は衝撃だったが、マサオミの腕に抱かれた時、トモモリ
は一瞬そのことを忘れていた。ただその腕の心地好さに酔い、そしてその先を求めた。マサオミの唇を求め、そ
の舌を求めた。その時、はっきりと自覚した。マサオミの身体が欲しい、と。
マサオミを傍に置いておきたいというだけでなく、マサオミの存在に惹かれるというだけでなく、はっきりと、その身
体が欲しい、と。



マサオミは欲しい。だけど、タイラノフの問題には巻き込みたくない。そんな風に思いは交錯する。

だけど、今のトモモリにはマサオミが必要だった。自分がタイラノフの中心に立つことなど考えもしなかったし、そ
の役目が、本来四男である自分に回ってくるはずもなかった。そして、回ってきて欲しくもないものだった。
だが、こうして問題が出てくると、暗部を統括する自分の立場は非常に重要になってきてしまう。そんなものに
興味はないのに、一族を守る為だと思えば何もしないで放り出す訳にもいかない。
財閥のさらなる繁栄など興味はない。末永い存続など、他の者が考えればいい。だが、家族のこともどうにで
もしろ、とはさすがのトモモリも言えない。

マサオミが傍に居るからこそ、自分は遁世せずにここに居るのだ。それは、どこまでがマサオミを思ってのことで、
どこからがシゲモリ兄上の面影を追ってのことかは分からない。だが、いずれにしろ、マサオミの存在こそが、自
分の背中を押している。マサオミが居なければ、自分にどれほどのことができようか――

マサオミは、何も知らない。
恐らくは自分に好意は持っているだろう。親しみも少しは持っているだろう。ある種、互いを認め合える仲間と
して。
だが、トモモリの望むものはそんなものではない。そんな一面をマサオミが自分に感じるのは構わないが、自分
が欲しいのはそれではない。それが自分との関係の全てでは、困る。

――俺は、お前が欲しい。お前の、全てが。

今は未だ、自分の想いが全て軽くあしらわれていることに大きな不満はなかった。それもまた、マサオミとの関
係では愉しい一面でもあったし、そこに小さな、倒錯的な悦びを感じているのも事実だからだ。
だがその内、この想いが大きくなれば、そんなものでは満足しなくなる。マサオミの全てを、例え強引に奪ってで
も、欲しくなるに違いない。

マサオミは――そう、何も知らずにいる。トモモリが既に、自分よりも遥か先の方まで望んでいることを――




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