EPISODE 8 :


マサオミは頭の中で色々と考えていた。漸くトモモリと話す機会ができたのだ。今を逃せば、近い内に再びその
機会が巡ってくるとは限らない。だが、いざとなるとやはり勇気が要ることだった。もしトモモリが裏切っているの
であれば、それを今、ここで聞く羽目になる。しかも、ここはトモモリのアパートで、しかもロシアだ。言葉の通じ
ない自分は、ここでは買物1つ満足にできない。そこで、ただ1人の信じられる仲間に裏切られることになる。
そんな事情がなくとも、トモモリという存在を、自分は失うかもしれないのだ。
マサオミにとって、トモモリは既に仲間のようであり、相棒のようであり、弟にさえも見える、何か特別な存在に
なっていたというのに――

「――……トモモリ」
マサオミは、決心のつきかねている自分を無理に後押しするように、言葉を吐き出した。トモモリはその呼びか
けに、軽く相槌をうつ。それはいつも通りの、ゆっくりとした、半分囁くような声。だけど、返事をされたからには
言わない訳にはいかない。マサオミは漸く心を決めた。

「俺……お前に聞きたいことがある」
『ああ』
「……だけど、その前に1つ謝っておく」
『謝る……?』
「ああ。――俺、お前の電話の話を聞いちまった。そういうつもりじゃなかったけど……立ち聞きしたことに変わ
りはないからな」
『ふうん……』

トモモリはまるで他人事のように、暢気に答える。

「ふうんって……興味なしかよ」
『済んだことで、今更お前を責めても、無駄なことだろう?そんなことよりも、お前の聞きたいことに話を移せよ
……』
「……だから、その立ち聞きの内容こそが俺の聞きたいことなんだって」
『?お前にロシア語など…………ああ、そういえば、1度、アメリカに電話したな……そのことか?』
「――ああ」

マサオミはトモモリの腕を解くと、振り向いてトモモリを見た。
丁度同じ身長のトモモリ――自分が見上げることも、見下げることもなく、そのまま正面を向けば目線が絡む。
だからその目を真っ直ぐに見た。

『――で、お前に、俺が何を答えろと……?』

トモモリの顔色も、表情も変わらない。口調も相変わらずのんびりとしたままだ。

「だから……っ、俺がどうとか、電話で言ってただろ!」
『お前の…………ああ、そうだったな』
「――て、お前なあ!俺の知らないところで、俺のことをどうとかって、一体何なんだよ?!俺の知らないとこ
ろで俺の名前を使って、何しようとしてんだよ?!」

もっと冷静に問い質すつもりだった。心のどこかで、トモモリはきっぱりと否定してくれるはずだと信じていたから、
きっと自分の思いすごしだと思っていたから――だから、落ち着いて話せば分かることだと思っていた。
それなのに、トモモリの顔を見ていたら、何故か苛々してきた。何も変わらない表情。まるで他人事のように、
平然と構えたその態度。それはいつものトモモリであって、別に今に始まったことではないというのに、何故か妙
に気に障った。

――自分のことを、トモモリは見ているのか?自分の存在を、ちゃんと認めてくれているのか?
トモモリの態度を見ていると、そんなことが頭に浮かんできて、つい気持ちが高ぶった。

だが――トモモリは、俺のことを暫く見ていたかと思うと、ふいに目を逸らして冷たく言い放った。

『――馬鹿馬鹿しい』
「な……っ」
『そんな下らぬことで、機嫌を損ねられても、な。好きにしろ』

トモモリは、もう俺の顔さえも見ずにそのまま横を通り過ぎようとした。
俺は、想像もしなかったトモモリの態度に一瞬唖然として言葉を失った。その内容がどうであれ、せめてトモモ
リは答えをくれると思っていた。それなのに、自分の疑惑自体を無視された。
まるで、俺がトモモリを信じようと信じまいと、そんなことすらどうでもいいとでも言うかのように――

「待てよ!未だ話は終わってない!」

俺はトモモリの肩を乱暴に掴んで引き止めた。

『――何ですか、兄上?クッ……これ以上、未だこのトモモリと戯れたいと……?』
「お前……っ」

ゆったりと振り向いたトモモリの、馬鹿にしたような声――マサオミはトモモリの襟元を掴んだ。一発殴ってやる
つもりだった。まるで相手にされていないようで、怒りよりも、口惜しかった。
だが、次の瞬間、思いもかけない力強さで、マサオミはトモモリの襟元を掴んだまま逆に床に押し倒された。そ
れがあまりに早くて、自分の身に何が起こったのか一瞬理解できなかった。おまけに乱暴に押し倒されたもの
だから、咄嗟に構えることもできずに頭を打った。

「つ……っ……何、すんだよ……っ!」
『マサオミ……お前は、分かっていないな……』
「はぁ?!何言って……っ」

トモモリの顔を見上げて、そうして、気がついた。その紫色の瞳がいつもより鮮やかな光を放っていることを。俺
もトモモリの襟元を掴んだままだったが、トモモリも押し倒した俺の上に馬乗りになって、俺の襟元を掴んでいる。
一瞬――このまま首を絞められるのかと思った。トモモリの瞳は、それ位強い光を放っていたから。

『俺を――疑っているのだろう?お前を、利用しているのか、とな……』

トモモリが、ゆっくりと微笑む。
その顔に、背筋がゾクッとした。緩やかに弧を描いたやや薄い唇の上の方にある目は――笑っていなかった。
マサオミは漸く悟った。トモモリは、怒っていたのだ、と――

だけど、ここで怯む訳にはいかない。まだ納得のいく答えをもらっていない。
マサオミは自分が間違っていると思わなかった。立ち聞きをしたことは悪い。だけど、もし自分の名前を使って
何かをするつもりならば、それが例えマサオミを裏切る行為ではなかったとしても、事前に話してくれてもいいは
ずだ。それを話してくれないのは、何かあるからじゃないのか――どうしてもマサオミはそこに拘ってしまう。

「――ああ、そうだよ。俺の名義を使ってどうとか、バレたら逃げるとか、そんな話を聞かされれば、誰でも疑う
だろ!俺は……お前の事信じてたのに……どうせお前は、俺のことなんて相手にもしてないんだろ。俺がお前
を信じようが信じまいがどうでもよくて、お前にとっては俺なんて、見かけが兄貴に似てるってだけの存在なんだ
ろっ。だったら――好きにしろよ。お前こそ勝手にすればいいだろっ!」

マサオミは手を離すと床に投げ出した。今までずっと気にしていた思いも吐き出して、もうどうにでもなれと思っ
た。殴りたいなら殴ればいいと思って、頬までトモモリの方に向けてやった。
だが――トモモリは殴ってこなかった。代わりに、俺の喉元を片手で押さえつけたまま顔を近づけてくると、俺の
耳元で囁いた。

『クッ……だから、お前は分かっていない、と言っているのに……』

低音の、ゾクッとするような妖しい声――トモモリの方を見ようとしたら、喉元の手に押さえつけられた。

『ここ数日……様子がおかしいとは思っていたが……そんなことを考えていたとは、な……』

トモモリは喉元を押さえつけたまま、マサオミの耳元でいつもよりゆっくりと囁いてくる。故意に息を吹きかけ、唇
が耳朶に触れるか触れないかという位の近さで、まるでこの状況を愉しんでいるような声色を出す。
怒っていてもそれを妙な愉しみに変えてしまう辺り、マサオミにはとても真似が出来ないが、そんなことに感心し
ている場合ではない。好きにしろなどと先程は言ったが、トモモリの答えが聞けるのであれば、その機会を捨て
るつもりはない。トモモリだって、少し位は話す気があるからこそ、こうしている可能性もある。ならば、ダメ元で
話を再び切りだしてみてもいい。

「だから、俺は……ひっ!」

不意にトモモリの舌先が耳に侵入してきて、マサオミは思わず妙な声を上げた。トモモリは片手で俺の首元を
掴み、もう一方の腕は俺の頭のすぐ後ろの床に肘をついて、俺の耳元に顔を寄せている。
しかも自分の上に跨っているトモモリは、完全に俺の体と密着していていて――それだけでも気が散るという
のに、トモモリのあからさまな行為で、マサオミは疑惑の追及よりも今の状況に対処することで一杯一杯になり
始めていた。

『兄上は……残酷だな。俺は、こんなに兄上に優しくしているというのに……』
「ちょ……トモモリ……っ!や、めろって……!」

トモモリの唇が這うように首筋をなぞってきて、マサオミの身体はびくっとした。
横を向いたまま首を押さえられているから、ただ闇雲に右手をトモモリの方に振り上げたら、俺の首を掴んでい
たトモモリの左手にあっさり捕まって、首が解放されたから顔を上げたら、後退りしたくなる程間近にトモモリの
顔があった。

『俺が、今まで、兄上の嫌がることを、一度でも、したか……?』

今にも互いの鼻先がつきそうな程の近距離で、トモモリが問う。

「……それは……っ」
『兄上の、ためにならないことを、一度でも、したか……?』
「トモモ……ぅんっ……!」

名前を呼ぶ途中で、口が塞がれた。
それは優しい口付けでも何でもなくて、すぐに舌を挿入され、息をつく隙もないほどに口膣内を蹂躙される。

「ん……っ……ふ……ぅ……っ」

一体俺は何をしてるんだと、頭の片隅では思っているのに――俺の脳の大部分は、全く働こうとしない。まる
でアルコールにでも浸ってしまって麻痺したかのようだ。

――だから、相手はトモモリ!男じゃねえか!キス位でうろたえるな!や、そうじゃねえだろ!そもそも何大人
しくキスされてんだ、俺!

頭の片隅にある僅かな理性が必死に信号を送ってくるが、ちっとも効き目がない。何しろ大元の俺自身が、
既に状況に飲まれてギブアップしそうになってる。疑惑の話から何でこんな状況になっているのか、全く理解不
能だが、不思議なことに、俺は何だかんだいってそれを許してしまっている。
この前のキスといい、何故だか俺は、トモモリを拒めない。

――まさか、俺……トモモリのことを受け入れてんのか?

マサオミはそんなことを一瞬考えて、その思いつきに焦って、急いで否定する。

――そんな訳ないだろ!だから、俺は男でこいつも男で、そもそも俺達の間に恋愛なんて感情どころか、性欲
すらあったら怖いじゃねえか!……でも、じゃあ何で俺……。

男を相手にするなんて、これまで考えたこともなかったが、そんなマサオミでも1つだけ気がついていた。
それは、トモモリとのキスに不快感がないこと。男を好きになるとか、キス以上のこととか、そんなことは考えられ
ない。だが、そのくせ今こうしてトモモリと身体を密着させていることも、唇を重ね、舌を絡め合うことも、何故か
そこまで気持ち悪いとは感じないのだ――


「っ……!」

そんなことを考えて、何となくキスから意識が離れがちになっていたら、トモモリが急にマサオミの舌先を咬んだ。

「!っ……て……何、すんだ……」

そこまで強く咬まれた訳ではないが、血の味が舌先に広がる。

『ただ、気持ちいいだけでは……お前は反省しないからな……』
「は?……反省って……ちょっと待て、どうして俺が反省しなきゃなんねえんだ!」
『人の話を立ち聞きして、挙句の果てに下らぬ理由で、勝手に俺を疑う……反省が必要なのは、お前、だろ
う?』
「う……っ」

そういう言われ方をしては、マサオミの立場がない。

『まあ……怒った時のお前の目は、扇情的だが、な』
「はあ?また訳の分かんねえことを……」

――今まで俺の嫌がることを、ためにならないことを、一度でもしたか、か……まあ、確かにそうだな。

マサオミは逆に反省しろなどと言われて、何となく腑に落ちない部分もあったが、先程のトモモリの言葉を思い
返せば、あながち頷けない訳でもない。
確かに、トモモリは今まで一度だって自分の嫌がることも、ためにならないことも、したことがない。LAに来る前
のことだって何も聞いてこないし、調べた風もない。衣食住を与えられ、仕事を与えられ、投資という名目でお
金まで借りてる。
それに、普段あれだけ沢山のSPを付けているトモモリなのに、自分と2人の時にはそんな連中も全て追い払っ
てしまう。もし自分を信用していなければ、いずれ裏切るつもりならば、いくら無頓着なトモモリでも、自分に対
してここまで無警戒でいられるものなのか――そう思えば、自分も冷静さが必要だったかもしれない。

――とは言っても、あの言い方はむかつくけどな。

疑惑を追及するはずの自分がいつの間にか押し倒されて、キスまで奪われて、挙句反省しろと言われること
にはどうも納得がいかないが、それでも終わったことはどうでもいいかと考えられるのがマサオミの良いところでも
あった――





――やはり、そう簡単にはいかない、か。

トモモリが力を緩めると、マサオミは漸く解放されたと言わんばかりに早々自分の下から這い出て行った。反省
すんのは俺だけなのかよなどとブツブツ言いながら何の警戒もなく向けられる背に、トモモリはやれやれ、と思う。

トモモリは、キス以上のことも当然、やる気まんまんだった。
マサオミは、それはもう一筋に自分はノーマルだと信じきっているようだが、自分のキスを受け入れている時点
で、そもそも完全なる異性オンリー愛者じゃないだろう。それは何だかんだと文句を言いつつも、マサオミが最終
的には素直に舌を絡めてくることでも分かる。

そういう意味では、今は正に千載一遇のチャンスだった。あのまま舌を咬まずに着々と進めていけば、記念す
べきマサオミとの初夜?も可能だったはずだ。

トモモリは、何も疑われたことについて拘っている訳ではなかった。正に最初に漏らした感想――馬鹿馬鹿し
い、が本音だった。
大体、ここまでマサオミに執着している自分に向かって利用してるだのどうだのと疑うこと自体、トモモリには考
えられない。
だがそんな内容はともかく、マサオミが怒る姿を見るのは、好きだった。マサオミが怒りの熱を発散する時、何故
かトモモリはゾクゾクする。怒っているマサオミを組み敷く――正にトモモリ好みのシチュエーションが今日は揃っ
た。だからこそ、千載一遇のチャンスだったのだ。それを、何故自分から止めてしまったか――

マサオミが途中から上の空になったからだった。
キスの最中からマサオミは何やら色々と考え始めたようで、あっさりと意識を遠くに飛ばした。それが、トモモリの
気に障った。
自分とのキスの最中に他のことを考えるなんて、随分と余裕じゃないか――そう思ったから、マサオミの舌を咬
んでやった。

――マサオミ、お前は自覚がないな……。

マサオミを自分のものにする――そう決める前からトモモリはマサオミにちょっかいを出してきた。最初は気まぐれ
で、次にはからかって、今はからかいながらも、案外本気だ。そして、そうする内にマサオミが段々自分に慣れ
てきていることが分かる。だから、マサオミは何だかんだいって自分を受け入れる準備ができているはず、とトモ
モリは勝手に結論づけていた。
だからこそ、適当になだれこんで最終的にやってしまった、などという方法は取りたくない。やるならば、マサオミ
の意志もそこになければ。でなければ、今後のマサオミとの関係にも影響する。だから、思うのだ。マサオミにも
俺を欲しい、と思わせなければ、と。

だから、トモモリは敢えて今日の機会を逃した。
頭で色々と考えて、あっさりと集中力を欠いてしまうのは、まだ機が熟してない証拠だ。もしあのまま続けてい
たら、快楽に導く自信はあるにしても、マサオミは何だか府に落ちないままに終わってしまうだろう。

――全く……俺としたことが、随分と辛抱強いぜ……。

トモモリはそんな自分を内心哂った。それが仕事であれば多少の計画性もあったが、今まであまり計画立て
て行動したことはない。人生そのものが、気の趣くまま、本能の欲するまま、だったのだ。
だけど、今回ばかりは違う。そう簡単に逃しはしないし、逃せるものでもない。だから、機会はきちんと見定める
べきだ。

――その俺に向かって、相手にしていない、などとマサオミもよく言えたものだ……。

トモモリにしてみたら、マサオミこそ自分の事を本気で相手していないだろうに、と思うのだった。




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