EPISODE 9 :


結局トモモリは自分の意見を押し通し、2日後に俺達は渡米した。
トモモリの叔父さんがお袋さんを宥めてくれたようだけど、完全に納得している訳じゃないだろう。実際、一族の
中には最後まで納得していない人間もいるようだった。

最初は俺も、何故トモモリが周囲の反対を押し切ってまで早々に渡米したがるのか理解できなかった。
トモモリにとってロシアは祖国なのだし、家族も居る。まして、親父さんが亡くなったばかりだ。せめてもう暫くはロ
シアに残った方がいいんじゃないかと、余計なお世話かもしれないけど思っていた。

だけど段々とその理由も、分かってきた気がした。

俺達が言い争ったあの日の夜中、アパートに暴漢が押し入った。幸い、相手のナイフを避けようとして俺が腕
に小さな切り傷を作った程度で、無事何も盗まれずに済んだ。トモモリに至っては、さすが元軍人。3人も居た
大男を相手に格闘して、かすり傷1つ負わなかった。
だけど、無事だからいいという問題ではない。トモモリの住居は、市内でも屈指の高級アパートだ。セキュリティ
も相当厳重だ。そんな所に忍び込めるということ自体、その暴漢達がただの泥棒じゃないと分かる。まして3人
だ。銀行強盗でもするならまだしも、3人で普通の家に押し入るというのは、完全に計画的で、しかも多少大
掛かりだとしか思えない。
トモモリは相変わらず暢気に”ロシアの治安も悪くなったものだな”などと言っていたが、恐らく心当たりはあるん
だろう。

トモモリは人に狙われるような、何か重要な情報を持っているのかもしれない――そう考えればトモモリが早々
に渡米したがる理由も納得できた。

結局のところ、俺がタイラノフの為に何かできる訳じゃない。トモモリに何か考えがあるのなら尚更、自分はそれ
に従うしかない。殆ど意識していないとは言え、一応自分はトモモリの私設秘書でもある訳だし……。
2日前の言い合いの後――別にあれによってトモモリから信用するに足るような言葉が聞けた訳でも何でもな
かったけど、それでも今は、トモモリを信じようと決めていた。多分プライベートのトモモリを少し支えてやる位し
か、自分にはできないだろうけど、それでも、俺だけはトモモリに付いて行ってやろうと思っていた。

と、まあここまでのトモモリの言動は、俺も納得してるからいいんだけど――実は最近、別に妙に疑問に思うこ
とがある。

――あいつの行動……何だか段々エスカレートしてきてねえか?

と最近思うのだ。

確かに出会った時から、トモモリは気まぐれのように自分にくっついてきた。昼夜を問わず、時々抱き締められ
たり、腹だとか背中だとかを撫で回されたりする。だけど、そんな時のトモモリは、俺の反応を見て愉しんでいる
風で――だから、俺はからかわれているんだとずっと思ってきた。

でも、今回の親父さんの件の前後から、何だかそれだけじゃ説明のつかないことになってる気がする。

舌を絡めたキスなんて、普通は身体の関係があるか、もしくはこれからそうなるつもりの女としかしないもんじゃ
ないか?
いや――疑問形とかじゃなく、これまでならそうだと断言できた。だけど、トモモリとキスしてから、何だかその辺
の常識に自信が持てなくなっている。

――もしかして、あんなの実は、大したことじゃないのか?

自分にとっては一大事だけど、それで騒ぎ立てて、トモモリに初心な男だなんて笑われても腹立たしい。だから、
これもからかってるだけなんだと自分に言い聞かせてはいる。キスされても、なるべく何もなかったような顔をして
はいる。
だけど、本当はされる度に内心結構焦ってた。変に緊張して、意識して、おかしいだろ、これ!と思ってるのに、
何故か抵抗できない。それどころか、下手をするとそのまま流されそうになって、もういいか、なんて訳の分かん
ない覚悟までする始末……これは、確実に危険だ。
そもそも男の俺が、同じ男のトモモリに抱かれてもいいかも、と一瞬でも考えること自体が既におかしいだろう。

――トモモリは、ホントにからかってるだけなのか?

トモモリがどうしてあんなことをするのか、イマイチ理解できない。俺とキスして楽しいのかと疑問に思うし、そも
そもトモモリは何とも思わないんだろうか。男同士で舌絡め合って、相手の唾液まで飲み込んで、そうまでして
俺をからかいたいのか、と問えば、それはないだろうと思う。

――じゃあ何だって、あんなキスをしてくるんだか……。

マサオミは、ふとその感触を思い出した。

何しろさほど多い訳ではないが、まあ人並み(多分)の数と思う過去の女性経験から照らし合わせてみても、
あんなキスをマサオミはしたことがなかった。腰からがくんと力が抜けて、舌まで溶けるんじゃないかと思うような、
あんなキスは――



『マサオミ……?』
「……え?!」

俺はハッとした。

『何をぼうっとしている?もうすぐ、着陸するようだが?』
「あ、ああ、そうか」

顔が赤くなったりはしてないよな?と内心不安に思いつつ、トモモリの鼻先越しに飛行機の窓から外を見た。
そこには11日ぶりのアメリカ――LAの町並みが見えた。



飛行機が着いて、空港内を歩いていると、正面から見覚えのある男が歩いてきた。俺がトモモリと初めて会っ
た日に車の助手席に座っていたロシア人で、トモモリの第一秘書をしている男だ。穏やかで、どことなく品があっ
て、何となくホッとする相手だった。
彼もまた、今回俺達とは別の便でロシアに戻っていた。だが色々と仕事があるとかで、親父さんの葬式後、
一足先に単身でアメリカに戻っていた。
実は彼がただの秘書じゃなくタイラノフ一族の一員だったとは、今回ロシアに行った時に初めて知ったことだった。
ロシア名しか知らなかったからちっとも気づかなかったけど、トモモリ同様、日本語のミドルネームも持っていた。



『――どうした、ツネマサ』

俺がトモモリをミドルネームで呼んだのがきっかけなのかどうか分からないが、トモモリも最近、他の一族をミド
ルネームで呼んでいる。何でも、”日本語名で呼び合うと、何だか特別な繋がりがあるようで、面白いじゃな
いか”ということらしい。
これまでずっとアレクと呼ばれてきた”ツネマサ”も、最初はそう呼ばれることにピンときていなかったみたいだけど、
最近ではすっかり慣れたのか、すぐに反応するようになった。

それはともかく、ツネマサがここに居るのはどう考えても奇妙だった。というのも、俺達はまだ、税関も入国審査
も通っていないからだ。単なる出迎えならば、こんなところまで入ってくる訳がない。

「失礼します、マサオミ殿」

彼はこちらに向かって一礼してから、トモモリの傍に行き、声を潜めて話し出した。

――まさかこのツネマサが、トモモリの従兄弟とはなあ。性格は勿論だけど、見かけもあんまり似てねえ気がす
る。まあ、従兄弟でめちゃくちゃ似てるってのもそう聞かないけど……それにしてもなあ。ていうか、そもそもトモ
モリって一匹狼っぽいから、従兄弟とかが傍に居ること自体不思議な感じだぜ。まあ、タイラノフは同族経営
だからなんだろうけど……。


そんなことをぼうっと考えていたら、ツネマサの話を聞いていたトモモリが、こちらを向いた。


『――マサオミ』
「何だよ」
『少し、寄り道をしないか』
「寄り道?……て、どこに」
『NYだ』
「は……?」


こうして1時間後、LAのコンドミニアムでゆっくり休むはずだった俺達は、急遽3人でNY行きの国内線に乗り換
えた。飛行機に乗ると、ツネマサは妙に真面目くさった顔をして、じっと前を見ていた。だから、恐らくこの急展
開は何か大きなことが起こった、または起こっているんだと思う。
なんだけど……

「――こいつ、ホントいい度胸してるな」

俺はツネマサに言った。ツネマサは俺の指差す人物を見て、苦笑している。
トモモリは――NY行きの飛行機の席に着くと眠いと言って眠ってしまった。LAに着くなり、そのままNYに急遽
飛ぶなど普通じゃない。事情が分からない俺ですら、それ位のことは分かる。なのに、トモモリは爆睡だ。
全く、力が抜けるというか――まあ、いい方に解釈すれば、緊張感が解れる、のかもしれない……。



「――なあ。長期滞在になるのか?」
「……恐らくは、そうでしょう」

ツネマサは緊張感を解くことなく、少し小さな声で俺の問いに答えた。

「――状況は、大きく変わりそうなのか?」
「可能性は、未だ五分です。ですが、あるいは」

あるいは、それ以上の可能性がある、ということなのだと思った。
――それは、タイラノフに大きな異変が起きるということなのか?親父さんの死をきっかけに?そして、トモモリ
が大きな鍵を握っているんだろうか?


「――ツネマサ」
「!」
「俺は……ん?どうした?」

気づいたら、ツネマサが驚いたような顔をしている。

「いえ……一瞬、貴方が本当のウラジミール様に……シゲモリ様に見えました。その、私の名を呼ぶ、その言
い方が、よく似ていた」
「……そっか。何だか変な感じだよな。周りが皆んなして俺をシゲモリだって言うからさ、俺の方まで段々訳が
分かんなくなってくる。あれ?俺って誰だ?てさ」
「――無理はしないで下さい。貴方は貴方のままで、私達は十分勇気付けられている。それ以上を望むの
は、酷というものです。それは、私もトモモリ様も分かっていますから」
「――いや……ていうかさ、さっき俺が言いかけたのは、俺に何かできることはあるかって言いたかったんだ。俺
で何かの役に立つなら、手伝わせてくれねえかな。まあ、今までの恩返しっていうかさ……俺、ホントにトモモリ
に拾われて、助かったし」
「マサオミ殿……」
「――といっても、それこそこの外見が何かの励みになるんなら、俺をシゲモリって呼んでも構わねえけど……
でもそれ以上に、俺に何かできることはないのか、とはホントに思ってるんだ」



『――ツネマサが相手だと、やけに素直だな……』

いつの間に目が覚めたのか、薄目を開けたトモモリが口を挟んだ。

「すみません。起こしてしまいましたか」

ツネマサはトモモリに気づくと、遠慮したのか一礼して、目を伏せる。

「ああ、起こしたんなら悪かったな。だけど、ツネマサが相手だと素直って、どういう意味だよ?別に俺はお前に
だって遠慮なく正直に言ってるぜ?」
『俺には、俺のお陰で助かったなんて言いもしないじゃないか』
「そりゃ、そんなこと言ったらお前は何言い出すか分かんないから……」
『クッ……本当に失礼な奴だな。俺に対しては、遠慮がなさすぎじゃないのか……?』
「お互い様だろ、そこは」
『お互い様……?俺は兄上には随分と遠慮しているつもりだが……?』
「嘘つけ!じゃああのキスは一体な……」

『キス?』
「キス?!」

トモモリとツネマサが、微妙にトーンは違うけどキレイに同じ言葉をハモってこちらを見たものだから、俺はハッと
気づいた。気づいたけど――もう遅かった。


「あ、いや、違う!何でもねえって!そうだ、夢だ、夢!夢の話だって!」

俺は急いでツネマサの顔を見て弁解した。

「ほら、こいつのアパートで夢見てうなされたんだ。何か変な夢でさ、それをトモモリに話して……な?トモモリッ?」

ツネマサは明らかに怪訝そうな顔をしていたが、俺はトモモリまで巻き込んで何とか誤魔化そうとした。

『――クッ……兄上があくまでそうだと言うならば、弟の俺は、同意するしかないだろうな。となれば、お前も、
だろう?ツネマサ』
「……分かりました。マサオミ殿の言葉を信じましょう」

トモモリの助け舟に、ツネマサが気を遣ってそれ以上追求の目を向けなかったので、俺はホッとした。早くトモモ
リにこの借りを返さないとヤバイ、と思いながら……


それから少しして、ツネマサがトイレに立ってしまうと、案の定トモモリは愉しそうな顔をする。

『――それにしても、マサオミ。キスを、そんなに気にしていたのか……?』
「いや、だからそんなんじゃねえって!」
『素直じゃないな……第一あのキスだって、俺にしてはかなり遠慮した方だが……?』
「はぁ?!あれの一体どこがだよっ」
『クックッ……やっぱり気にしていたんじゃないか』
「ちが……!」

急にトモモリの顔が、至近距離まで顔を近づいてきたから、ドキッとした。

『ならば、今するか?気にならないんだろう?』
「うっ……くそっ……」

――こんなゆっくりペースで喋る男に挙げ足取られるなよ、俺!

『クッ……まあ、素直じゃないお前というのも、可愛いがな……』
「可愛いなんて言葉を男に使うな!馬鹿!」


分かってた。多分、こんな風に浮かれてる場合じゃないって。トモモリだって、きっとそれは十分分かってる。
でも、だからこそ、今はふざけていたいとも思う。これから先は、こんな風にはしていられないかもしれないから、
せめて今だけは楽しんでいたい。


――トモモリ……きっとお前は、もうそんなことも全部、覚悟してるんだろうな。それなのに、深刻さの欠片も見
せないところは、ホントに尊敬する。多分自分の立場だとか状況をよく悟ってなきゃ、できないことだと思うから。
それもお前の強さなんだと思うから。
だけど――トモモリ、お前は自分で気づいているんだろうか?お前が時々ふと見せる横顔には、強さとか豪胆
さなんてなくて、まるでたった1人で戦ってるような、心細さを誰にも明かさずにしまいこんでるような、妙な孤独
感が漂っていることを。


NYの空は、もう間近だった。





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